メモ・

2016以前


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■2016-12/31

オリヂナル・カレンダ2017、アップしました。
えーたいへん長らくお待たせし、ました。


[野の編日誌]
野の編でいらない樹をどうするか。
どう抜くか、抜いたやつをどうするか。
燃やすか、保存して役に立てるか、じゃあ保存場所はどこにするか。
など、田舎の素朴かつ多忙作業と、世間的大人の用事とのあいだで、頭がクラクラしている。

こういう次元の違うことを短いあいだにすることが苦手かもしれない 空はよく晴れている


■2016-12/30

[野の編日誌]
年末年始、世からはぐれている。
空は晴れている。


■2016-12/29

[野の編日誌]
外の空気が止まっている。
道路に自動車いなくなり、人の気配もなくなる。
みんな、ポケモンでも探しに出かけてるんだろうか。

ピカピカに磨き上げた空、真横から当たる太陽スポットライト。
世と別次元、片付けしている。


■2016-12/28

[野の編日誌]
やっぱり焦げたコンセントは、内部できちんと燃焼、断線していた。
あぶない。

ライフラインの危機。

この冬、電気暖房は欠かせない。
ここの電気配線はいずれ総点検するが、屋根裏とか、すぐには無理。
まーまーなんとか応急処置して当面ようす見。

んんんんんー。


■2016-12/27

[野の編日誌]
しっかりした雨。
電気コンセントが焦げる症状発見。
この古家の基礎的な問題がうかがえる。
ブルー要素、重なれり。

天気とは天の気分、おれの気分も雨が降っている。


■2016-12/26

[野の編日誌]
年末ブルー。

だがそれなりに用事用事だ。
それをすると少しは負荷が弱まる。
深く息を吸い、身を低くして敵に見つからんよう、ちょっとでも前進。


■2016-12/25

[野の編日誌]
消去法は、そうならざるを得ないという状況を作ることでもある。
段階を踏んでほかの選択肢を排除していき、少しづつ答えを追い詰めていく。

工作でもそういうやり方がある。
たとえばネジ、ネジを締めること。
締めこんで頑丈に固定すること。

ネジの原理はテコで、小さい力を大きく使える。
テコ、という知恵をうまく使うと、非力な個人でも思いの外大きな仕事ができる。
自分にとって、少々大きすぎるかもしれんこの場所にたいしての、希望の知恵だ。
テコがあるから夢想することができる。


■2016-12/24

[野の編日誌]
おちついて、その木の根元を調べて、鎖を巻きつけて、ウィンチで引っ張る。
その木を引っこ抜いてしまうわけだが。
相手との会話だ。

自分の望みと相手の抵抗の間で、道具が緊張する。
間違えると道具が壊れる。
きょうは、ウィンチと脚立が壊れた。
それはそれでデータだから、覚えておく。
壊れたものは直して、次に備える。

まだ太さ2、3センチのレベル、これ重ねてどこまで行けるか。


■2016-12/23

[野の編日誌]
木の皮をむくことを覚えてしまった。
まだ太さ10センチ以内の枝打ちしたやつ。
道具は草刈り鎌。
まずい、やみつきになってしまう。

芋の皮をむくことと似てる。
平らでむきやすいとこと、やっぱり木の芽のとこはむきにくいとこがある、さつま芋なんかはけっこう樹木くらい硬いし。
まだやったことないけど、獣の皮をはぐことにも似てる気がする。
ちょっとした大きいの、量をこなすときはそんな感じだ。
皮をはいで中の肉を食う、わけじゃないけど、こうすると木材として工作に使えるようになる。

つ、ついに夢の自手自足、自分の材料を自分で調達できる。
いらないものを片付けると、いるものができてしまう。
ななんというスーパー合理的な。

「意味の逆転工作」。
だどもよ自然界ではとっくにこんなんだったような。

まーまずは乾かして、鎌やら鍬なんかの柄とか、かんたんなやつから試してホントに使えるかだな。


■2016-12/22

[野の編日誌]
ことしもぶじに冬至が明けたか、謝謝。
冬の寒さのピークはこれからだが、昼じかんが増えることは胸の足しになる。

年末の事務作業にも追いたてられてるが、長時間やってると心的悪循環に陥るので、あえて外作業もする。
晴れた日中は寒くもなく、とても快適に作業を楽しめる。
野の編的に散らかったところ、おもに石拾いと植物掃除。

うちには「ノイバラ」というやつがあちこちはびこってて、こいつから先に攻めてる。
ノイバラはあの有名なバラのなかまでみなさんお好きなようだが、なーんてやなやつだ、とおれはおもっている。
やっぱり棘の被害によく合うし、枝が長くて伸びるのが早いからすごく広がる、冬も枯れない、など、かわいいいとこがない。
地下茎?、根っこも長ーい。
ただまー、生きものとしてはたくましいっていうことなんだろう。

はい、すいません。
うちにはいらないんで、どいてもらいます。
(とはいえ、うちは方舟でもあるので特区を作ってそこに一株だけ残すけど。)


ノノの方舟


■2016-12/21

[野の編日誌]
きょうは、冬至。
一年でいちばん昼が短く、夜が長い。
野の編として、この日を聖なる日と定めたい。
(かの西洋の聖夜より元旦よりも。)

そ。
そも。
そもそもはじめは。
「なにもなかった」。
ようにおもう。
無から有が生じたのだとおもう。
そうゆうことのシンボルの。
日。

この日を境に夜の長さは底を打ち、昼じかんが伸びていく。
これは天体の運行であり、自然あいてのおれらのような農家にとってもまさに自然。
おちついた気持ちで迎えられることに謝。

じゃ最後の曲、「冬至のうた」。
https://www.youtube.com/watch?v=KLkLs6SvyDM
(出:youtube)。


■2016-12/20

[野の編日誌]
なんていうか。
調子のいいときはどうだっていい。
意識することさえ必要がない。
問題は、うまく行かないときだ。

うまく行くようにするとうまく行かない うまく行かなくならないようにする

これも消去法。


■2016-12/19

[野の編日誌]
消去法:
たとえば、どの自動車を買おうか考えるときなど、全部のカタログ、すべての選択肢を集めて一箇所に並べ比較しながら、買う可能性の低いもの、嫌なものから削除していくこと。
結果的に妥当な結論が得られるし、選ぶときの心的負担が少ない。
言い換えるなら、勝つための、ではなく負けないための、最悪を避けるための方法。
ふんぎり悪い、おれの基本。
可能性があるかぎり選択肢を除去できなく、宙ぶらりん状態によくなるので、しつこさを求められる。


■2016-12/18

[野の編日誌]
朝は、外気温が氷点下になるのが普通になってきた。
とうぜん水も凍るし、土も固まる。
室内は4、5度とか。
外が冷凍庫、部屋は冷蔵庫になる。
じゅうぶん起きにくい、布団から出れん。
もだえる。

あわてないこと。
おちつくこと。
ちょっとでも。

ま。
こういうことを体験すること。
体験を重ねること。
年月を過ごすこと。

からだに浸みこませること。
からだがしゃべり出すのを待つ、こと。


■2016-12/17

その人の部屋と頭の中は相似形だ


[野の編日誌]
道具というのは、義手義足じゃないかという気がする。
ハサミやペンチは手の延長だし、杖は足の延長。
という具合に当てはめていくと、自転車は人体の下半身の延長で、それにエンジンをつけるとバイク、自動車となる。
服は皮膚の延長で、その先に家がある。

あー、だからおれは既製品で満足できないんだー、とおもう。
既製品は平均値なので、自分との微妙な誤差、違和感がたいていある。
そうゆうことを気にしなかったら、まったく違う生きかたできるんだろうけど。


すべて世はいろいろあっても事もなし アブラカタブラいたしかたなし


■2016-12/16

[野の編日誌]
東京時代の住まいの近所が燃えた。
あいや、火事が出たと聞いた、知ってるとこだ。

こちらでひとり住まい。
まったくひと事じゃない。
楽しみと必要もあり、たき火をする。
灯油ストーブつけたまま、コンロもつけて料理しながら酒を飲みはじめることもある。
外出したあと、ふとあれ消してきたっけとおもうことしばしば。
と書きつつ、外にほったらかしの洗面器の水が朝凍ってたことを思い出した。

ここで油断してたら死ぬる。
近所迷惑にもなる。
気働きが要る、このワンタッチじゃない世界、こちらバージョンの。


■2016-12/15

[「野」の編日誌]
「野」生の思考


タイミングが重なって、いろいろ漬け込む。
白菜1/4玉、塩浅漬け。
大根2本、大塚人参1/2本、塩漬け
大根1本、たくあん漬け。
煮干しの醤油焼酎漬け。
時期的に、「おせち」な感じもしないわけでもない。


ロビンソンクルーソごっこは楽しかり イニシアチブが手中にあるから


■2016-12/14

100分de名著 レヴィ・ストロース“野生の思考”第2回「ブリコラージュ」
2016年12月14日(水) 12時00分〜12時25分 の放送内容
番組内容
ありあわせの素材を使い、さまざまなレベルでの細かい差異を利用して本来とは別の目的や用途のために流用する思考方法「ブリコラージュ」。未開人の思考法には近代化の中で私たちが見失ってしまった、理性と感性を切り離さない豊かな思考の可能性が潜んでいる。動植物など経験的な素材を使って精緻な知の体系を築き上げる「神話」はその代表例だ。第2回は近代知と対比し「ブリコラージュ」と呼ばれる思考法の豊かな可能性に迫る。
(出:NHK)


■2016-12/13

「王様と私 2016」
よおく見る、みること。
それ以外に方法はない。

よおくみてると、なにかがココロに浮かんでくる。
浮かばないのはそのときが来てないか、ちゃんとみてないかのどちらかだ。

いったん浮かんでしまったら、もうそれに従うしかない。
それは王様の発言で、おれはその家来だからだ。


■2016-12/12

よおく見る、みること。
それ以外に方法はない。


■2016-12/11

色色な色 色の色色


そこで汚い色でも ほかできれいな色になることがある


■2016-12/10

はいそれでは、お知らせです。
http://www.fukuu.com/html/4honn/053/index.html


■2016-12/9

自分ダイビング


[野の編日誌]
かくしてゆっくりと。 また些細の積み重ねだが、暮らしが整う方に行きつつ、ある。
カタツムリが這うように、樹の根が伸びるように、でも着実に、たぶん。

見知らぬ土地で、初めて要素多く、ちっとも確信なく、おっかなびっくり屁っぴり腰で。
密林奥地の原住民とコンタクトとるような、ことだとおもうが。

どうやら、こちらの言葉が通じるようだ。

これはあえて言うなら「理」と言う言葉で、いちばん素朴で頑丈な、言葉だとおもう。
原住民はおろか、動物にも、物質にも伝わる。

これが使えるならありがたい、片言でも。
つぎの段階に、行ける。

「そうしようとして そうしたら そうなる」(出:落合郁雄工作所)。


■2016-12/8

世界で一番高い玉座に上っても、 やはり自分の尻の上に座っていることに変わりはない。(出:ミシェル・ド・モンテーニュ)


[野の編日誌]
燃えないゴミとして捨てられてた、鍋の蓋、アルミ。
これのこびり付き汚れについて調べ、アルカリ性を使えば有効と判明。
かくして、鍋の蓋救出。
レミパンの元々の蓋が気楽には使いにくかったので、レミパン用、大鍋用気楽蓋として使う。

一見些細なる鍋の蓋、されど鍋の蓋。
すごくうれしいのは、一体どうしてだろう。
自分のなにかと共振でもしてるんだろうか。

し、汚れについての基礎知識も得られた。
野の編ポイント、2増。


■2016-12/7

選択肢が多けりゃいいとは限らない


[野の編日誌]
ネットオークションで入手した二層式洗濯機の実物が思いのほか汚れてて(洗濯機は自身をきれいにはできないらしく)、安価ゆえに文句も言えずオーバーホールをしてたのが、やっと終了。
この春から洗濯機なくも薄物衣類ゆえ手洗いで済んでたが、こちらに来て秋、そうもいかなくとくに絞るのにと購入決意。
すぐに水をためて、まずは洗濯物を浸ける。
1、2日、これだけで割合汚れが落ちる、これ体験知。
問題は道路の脇を流れる旧式排水、泡の出る洗剤を使いたくなく、重曹を試す。
この水槽、水溜め、排水が切り替わるワンタッチで、おお。

いつもの癖で、つい、これでじゃがいも洗えるか柿渋絞れるか、という目でもみたりする。


■2016-12/6

体がくたびれたら具体的な名案が浮かぶ


[野の編日誌]
「野の編 おから騒動」、一段落。
んーと、最初うちに来たときの全量から冷蔵庫や実験に取り分けたりしたから、だいたい14キロと格闘したことになる。
それが結果的に重量3キロ、体積6.5リットルとなった。
14キロが3キロ。
差し引き11キロが水だったわけで、そりゃ乾かないはずだわ。
あるいはすごい保水力。
植物繊維か、「どうもはじめまして。」
ここから植物繊維との壮大な物語が始まろうとは、イクオはまだ気づいてないのだった。

最終的にはレミパン、テフロン加工が役に立った。
それでも熱して水分が減るほどタンパク質(たぶん)が粘り、塩のようにサラサラとはいかない、精神にも粘りを求められた。
また、焦げも発生する、部屋中おからだらけ。
あ"ー。
やっぱりつぎは常温乾燥システム作らんと。
(ここで中島みゆきの「ヘッドライト・テールライト」が流れはじめる。)

ともあれこれで急ぎ用事ひとつなくなり、数ヶ月分?のおからが備蓄できた。


■2016-12/5

ひと続きの軟体 すべてバランス 区切らない区切らない


[野の編日誌]
ここで不要だと思う樹木が、太さ1センチから20センチまでざっと数十本はあり、いまは伐採するべき季節ではある。
鋸でただ切るだけならそう手間でもないが、それだと春に「ひこばえ」っていう新しい枝が生えてきてそれはそれで面倒だから、根っこごと取れたらありがたい。
ススキにも埋め尽くされてるし。
まーまー。
いっぺんにと思うと気が重いが、こういうとき優先順序をつけて、できるとこまでをやる、というようにしている。
あいうぃるどぅまいべたー、ちょっとでもましになったらええ。

「イン多くアウト少なし症候群」、欲深な、自分への処方。


■2016-12/4

「生」をへん、「死」をつくりとした一文字「生死」作れり。これで「生死きる(いきる)」と読む。


[野の編日誌]
10日に1度くらい、買い出しに行く。
といっても、車で5分10分の近所だが、そういうことでもないと外出しない。
うちが外、みたいなとこでもあるので、外の空気を吸いたいとかはないから。
おもに切れたレギュラー食料を買い足す感じ。
このとき、ついでに町内温泉にも寄ってひと息つくし、特別に弁当も買い、この日は自炊を免れる。
「月に3度のぜいたく」っていうやつ。

このときといい季節、いい天気が合わさるときがあり、きのうがまさにそうで客まばらな朝から露天風呂につかり、そこらへんの山眺めながら。
うーん。
これ以上のぜいたくがあるんだろうか。
と。


■2016-12/3

[野の編日誌]
で。
(中略)
おから乾燥中、うちのオーブンレンジ酷使に耐え切れず討ち死に。
飛び道具1失、工作材料1増。
致し方なく、夜は扇風機の風を当て、昼は日に干す。
この古民家には日の当たる方にアルミサッシのついた縁側があり、ここを乾燥コーナーとして採用。
なにやら大きい洗濯物を扱ってる気分。
そうか布袋に入れたら、コインランドリーの乾燥機が使えるかもと、よぎるがこの度はやめとこう。
この洗濯物なにぶん栄養があるから虫はもとより腐敗菌に注意要、されど、こんなことしてるのがこの季節であることの運気に謝。


数日前に買ったまま放置してしなびた大根を、てきとうカットして「減らない漬け物」タッパーに、ぬかと塩もパラパラ。
もしや、これでたくあんに近づく?、と期待も。


母親が認知症にて長期入院中の広島の病院に向けて治療方針の書類、やっと提出。
いわゆる自然死を望みますとして、胃瘻などの項目に×印入れる。
生と死は、その文字のようにはっきりと分かれているんじゃない、不可分のひとつのものだと考えている。
生が進行すると同時に死も進行している、ひとつの体でだ。
また、母親とおれをひとつの体として、母親が終わりつつあるもおれが生きつつある、と、みることもできる。

母に謝しつつ。


■2016-12/2

落合郁雄工作所:自分のためのフルオーダーメーカー


[野の編日誌]
なんでもかんでも要するに「分類整理」だと思っている。
考える、とは情報を分類整理することだし、わかった、とは分類整理ができたということだし、頭がいい、とは、それが早くて上手なこと、工作とは、正に分類整理の過程だし、発明とは、分類整理された別別の棚、別別の文脈のもの同士を合わせることだからだ。

おれの場合、まずは貧乏性(かつ貧乏)というのがあり、ものの手離れが悪く、この引越しでわかった自分の荷物の量と質に自分で呆れた。
それがこの場所、新しい要素のものたち、対象がさらに増えて特に今、混乱してると思う。
要するに散らかっている。

もう、これ以上の大きな要素、枠組みとの出会いは生涯ないかもとも思ってるので、ゆっくりならここの広さを使って腰を据えて楽しんで分類整理作業ができると思う、たぶん。
ていうか、この場所でそれができないとわりと破綻。

さ、破綻せんよう用事用事と。


「減らないヨーグルトラッシー」、はかなやわらかい絹ごし豆腐みたいのができつつある。
おっ、この室温でも発酵してくれるんだー菌ちゃん、味はとても上品。
ちなみに種は「雪印メグミルク ナチュレ恵」の赤いの、期限切れ安いの。


■2016-12/1

[野の編日誌]
おから問題。
全15キロの内5キロをとりあえずアルミの番重という容器に入れて、電熱コンロ弱火たまに攪拌方式で炒ることにした。
1日がかりで終わらんかった、きょうも続ける。
残りの10キロは、プラスチックの衣装ケースにぶちまけて、(曇天ゆえ)風を当てる。
あんたら、だめでも土に還してやるけ、もおちょっと頑張っての、という感じ。
別におから屋になりたいわけじゃないんだが、こうして手間時間取られて深みにはまっていく。

試しに「おからポタージュ」を作って食べてみて、おからの威力を悟った。
おかずというより穀物に近い、腹の足しになる。
うちの食材革命の可能性があるし、乾燥の基本実験でもあるので工作所としても捨ておけん。
いちおう事のなりゆきを確かめんにゃ。

米ぬかは2.7リットルのペットボトル5本に移し、ボトルのまま日光乾燥を試みる。

読者から、おからにぬかを加えて乳酸発酵させるアイデアをいただいた。
おからとぬかは、もちろん別別の文脈だが境遇が似ている。
どっちかってゆーと粗末な扱いの「残りカス」同士を出会わせる、面白い。
「おからのぬか漬け」。
はい、1、2リットル程度、試してみます。
ただこの方は畑の肥料にしたらしいが、おれは食用として。


毎日早い午前に、1日の食事プランを作る。
週、月を通しても食べものについて割く時間手間は多い。
てゆーか暮らすことの第一は食事の安定供給だよねー、やっぱし、おれの国民を飢えさせるわけにいかん。
そうして、まず内の子を安心させてやり、その隙に大人の用事をする。


■2016-11/30

[野の編日誌]
うちの冷蔵庫の中の大きいタッパーは漬け物(基礎は塩漬け)で、この具が減ると新しく野菜を足す。
野菜の種類は、白菜、大根、人参、ナスなど、旬とそのときの気分。
もう数週間も育ててきたので、底汁はおいしくなっている。
入れ立ての野菜、漬け物以前も充分おいしく、日日食べながら漬け物化していく過程を楽しむ。
漬け物でもあり、ウェットサラダでもある。
これ「減らない漬け物」。

ほかに、麦茶パックを水2リットルのやかんに放り込んで、飲んで減った分だけ水を足す。
水出しオーケーなこともあり、沸かさなかったり沸かしたり。
やかんの量で2、3回?繰り返し、茶の色がホントに薄まり、もう水と区別がつかなくなるまで。
これ「減らない麦茶」、2、3日持つ。

この「減らないシリーズ」に、新しく加わったのが「減らないヨーグルト」。
市販のプレーンヨーグルトにそれと同量の牛乳を加え、ラッシー状にする。
そしてもちろん、これを飲んで減った分だけ牛乳を継ぎ足す、もくろみ。
ただ、ヨーグルトの菌ちゃん、今の気温どおか。


おから15キロ天日干し、たいへんが解り、方針変更。
長期保存したく水分を飛ばすため炒ることを考えるが巨大鍋なく、おろおろしている。


■2016-11/29

[野の編日誌]
都市は規格化やら分業が進んでて、ひと言やワンタッチボタンで用事が済む。
片や田舎というのは、規格化する前の素材自体が生で簡単に手に入ってしまうので、それにどう関わるかの切り口が多い(だって生だから無数)。
ちょっといじってやろうなどと手を出すと深みにはまりやすい(生だから永遠)。
ただ、そこにあっても見なかったこともできないことはないので、自分次第、あるいは自分を問われる。

田舎で欲をかくと忙しくなる。
都市ほどはお金を使わなくなるが、自分の体験(気持ちの入った)時間が増えていく。

「これやって」て、隣に声をかけても誰もいない。


おからは、まず大きいタッパー2個分を小分けし、食用研究のために冷蔵した。
残り15キロは干してみる、ことにした。

きょうは貴重な晴れ日。
他に米ぬか、桑の葉、湿っけた黒糖、洗ったジップロック、思いつくもの全部干した。


■2016-11/28

[野の編日誌]
未体験のことはなんでもやってみることに、いちおうしている。
きょう、近所の豆腐屋前に大きめポリ袋がいくつか出ていたので、もしやと思い尋ねたら「おから」だった。
案の定、処分するというので一つだけいただいた。
偶然だか、その近くの米屋の表で米ぬかを見つけ、こちらは少額で4キロほど入手した。

数日前から、庭の落ち葉がなんとなく集まったので、堆肥、せめて腐葉土のイメージが浮かんでいた。
まずはそれ用にって反射的に手に入れたのだが、おからは今朝のだっていうので、味見してみるとおいしいし、米ぬかは今の時期こちらではたくあんに使うらしい、というのでたくあん作りもイメージに加わってしまった。

すぐ判断できないけど、ちょうどそれら痛みにくい季節、とりあえず考えてみる。


■2016-11/27

[野の編日誌]
普段過ごす部屋は8畳の元々キッチンで、それに従い流しがある壁面を自分の料理コーナーとした。
そしてその反対側、フローリング床に畳を1枚敷いて、そこで寝ている。
畳に沿って長いローテーブルが置いてあり、たいへんだらしなく物物が散らかっている。
当人としては、いちおう優先順位上位の大事なものたち。
畳で寝るときの頭側には、文机、パソコン、モニタなど。
つまりこのひと部屋(ワンルーム)で、寝、料理し食べ、パソコンする。
当人としては合理的。

このキッチン、隣室とを隔てるべき戸の建て付け悪く、二方向開けっ放し。
暖房の熱効率非常に悪し。

東京と比べると、はっきり寒い。
東京はいわばカプセル都市だから、比べられんけど。

暖房器具は、ここにあった灯油ストーブ。
こいつのタンクを満タンにして最弱でなんとか8時間持つ。
ほかに東京から持ってきたスタンド式手元電気暖房、そいで電気ひざ掛け。
ここの電力契約15ワット、15ワットがどうなのか試したく。
今の時期で寒さとのバランス、すでにギリギリ感もあり、追加するとなると練炭システムか。

来冬は薪ストーブ導入する予定。
ただ薪は、1、2年乾燥必要っていうし、どうなるかわからない。

そいで梱包用クッション材やら、身の回りにあったビニールシートやらで仕切りカーテン製作。
して、おお、温度計に効果ありの表示。
貧しきものの暮らし、かくの如し。
「ないものがあればつくればいい」(出:ムーミンパパ)。


■2016-11/26

[野の編日誌]
田舎の土地には、もれなく空が付いてくる。
朝、明るくなり、夕方、暗くなる。
自力で光を作らないと、ホントに真っ暗になる。
心ははっきりと意気消沈し、家に帰る。

天気も気温も刻々と変わる。
天気、天の空気、天の気分。
田舎で天には逆らえない。
ラッピングなし、むきだしの天気。
田舎では、天と地理、二大偉い。
人の都合なんて、5番目くらい?。

そのせいだか、1日があっという間に過ぎる。
すごく忙しい。

たぶん今は、その打ちのめされ期間なんだろう。
田舎レンジャーに変身せんと。
たぶん春まで。
まだ、冬にもなってないのに。


■2016-11/25

[野の編日誌]
車を運転してると、脇道から他の車が急に進入してくることがよくある。
思わずブレーキ踏んで、速度を落とす。
もう慣れたけど。
これ、この土地の人柄じゃないかと思う。
ちょっとでもスキがあったら、そこに入ろうとする。
セコい?

この土地の地形はほとんどが山山で、大きく見たら皺だらけ、その皺の凹みで人々が暮らしてて、そういう見晴らしがいいとは言えない地理的状況と関係してるんじゃないかと推論してる。
北海道なんかの広々とした大地の人柄と対局かも、って。
でもこういうのは良し悪しじゃなくて、違いだから。
ここに、広島性人柄がやってきてこれから年月経たら、おれはいったいどおなるか。

けさ、塗装屋のおじさんが、飛び込みセールスにやってきたけど、切実な暮らしを背負ってる感じが潤んだ眼、言動から伝わり、つい頼みたくもなるけど。
ごめん、ここ今薄汚いけど大丈夫なんだ。

おれがやるから。


■2016-11/24

*はい、それではCMです。
https://www.amazon.co.jp/ココアどこ-わたしはゴマだれ-高山-なおみ/dp/4309025234


■2016-11/23

[野の編日誌]
野の編は標高250メートル。
武蔵野市の住んでたとこが56メートルなので、200メートルほど高地?に移動したことになる。
平均気温なんかはたしかに2度くらい低いようだ。
すごい、矛盾してない。
東京の特に夏が暑苦しく過ごしにくく感じてたので、かといって寒すぎるのも困るのでちょうどいい。

そしてたぶん500メートルくらいの低い山山に四方を囲まれている。
その分、ここらへん風雨は柔らかい気がする。

その、そこらへんのおそらく山から、ときおり生きものの鳴き声が聞こえる。
1、2秒、管楽器系高音の抑揚(メロデー)。
日に数回。
これおれ、シカの遠吠えではないかと思う。

また、一番近い裏山のてっぺん方面にフクロウがいるようだし、畑までイノシシが来るらしい。
ここの山あいを県道や鉄道が貫通して住宅もたくさんあるが、そういう従来の生態系もそれなりに残っているようだ。
よおく目を凝らせば、かれらの暮らし、せめて湯気なら見えそうな。
ここは自然のまったく真っ只中じゃないけど、自然への入り口なんじゃないかと思っている。


■2016-11/22

[野の編日誌]
「晴耕雨デジ」。
晴れの日は外の仕事、雨の日はパソコン仕事、てこと。
外の仕事は、だいたいどれも無条件に楽しい。
草を抜くこと、土から石を拾うこと、土を触ること自体、枝打ちした木切れを燃すこと、これらを続けてると、いつのまにかそこらへんがきれいに片付いてくる。
地面にしゃがんでは立つことが増えたと思う、「田舎スクワット」。
草を手で抜く動作をしてみても、人体というのはなんてそれをしやすいんだろうと思ってしまう。

人体がいまのようなかたちになったのは、ずーっと地面とやり取りしたからだとおれは思う。
そしてあまりに長いことしてきたから、すっかりこんな身体になって、おれのような田舎初心者でも迷うことなくこれができる。
いわゆる「楽しい」を超えて、楽しすぎてアッという間に時が過ぎてしまう、時間概念がなくなる。
こういう無意識レベルの地面仕事を「言葉のない世界」って、呼んでる。

「言葉のない世界」と「言葉の世界」。
「晴耕雨デジ」。


■2016-11/21

[野の編日誌]
「雨の泉」。
うちの裏手に石垣があり、その向こうは裏山へと繋がっている。
その石垣の真ん中の一番下、地面ギリギリ接するあたりから水が漏れている。
水量は水道蛇口を弱くひねったくらい。
最初見つけた時は雨上がりだったので、他所の雨水が流れ込んでるかと思っていた。
雨が上がった後だけ、たぶん降った雨の量に応じて数時間からほぼ1日ほど出てくる水。
こいつは一体なんだ。

伏流水の可能性もある。
*「伏流水とは・・・極めて浅い地下水のことです。」(出:http://www.jwrc-net.or.jp/qa/01-65.pdf)

水量はとっても微妙だが、なにか利用できるかもしれん。
という思いとともに、こいつちゃんと管理してやらないと大変なことになる、とも。
石垣の間にちょこっと入り込んだ樹木の根っこ同様、うちの地盤を崩壊させかねない。
「革命はいつも大きな音とともにやってくる とは限らない」(出:落合郁雄工作所)
むしろこんな風に、人知れず音もなく着実に進行し、革命が成されたことさえ気づかない、ことの方が多いんじゃないか。
と思う。

あ、ちょっと話がずれようとしてる。


■2016-11/20

[野の編日誌]
懸案の勝手口桑の樹の上半身の枝打ち終了。
残った根元直径30センチ、高さ3メートルの枝なし下半身が所在なげに突っ立っているだけだ。
こいつはこのまま来春まで放置できる。
これで一番派手派手しくうちからはみ出て葉っぱを落としては撒き散らす問題、一段落。
いまの時期の優先順位トップ、近所迷惑が一つぶじに終えてうれしい。

ちなみにうちの周囲には田舎なりに舗装した公道もあり、接したお隣さん家もある。
お隣さんとはほとんど会話とかしないけど、無言のコミュニケーションしてるように思う。
庭木の手入れなんかを通じて、けして怪しいものじゃないって伝わればいいんだが。
(見栄えだけでも)。
なんてーことを思いながら塀内外の植物散髪はつづく。


■2016-11/19

[野の編日誌]
こうやって、今まであまりに放ったらかしで伸びすぎた草や樹木を整理すること。
長年かかっていつのまにやら庭の本来の高さやら勾配が曖昧になってるので正すこと。
そいで土地の雨水の流れをスムーズにすること。
庭の土に混ざってる石類を取り除くこと。
石垣を直すこと。

そういう地面的、土木的なことからだな。
それをしながら実態調査。

なーんかそういうことをしたがってる自分がいて、嫌じゃないんだよなー。


■2016-11/18

[野の編日誌]
だいたい、朝はトーストと納豆、昼は麺、夕方はお米を炊いてごはんを食べている。
夕ごはんのおかずは漬け物がレギュラー。
これを軸にそのときの成り行きで、他のおかずがあったりなかったりする。
漬け物は塩漬けで、白菜やら大根を入手後すぐに塩を適宜加えてお終い。
ときに「きゅうりのきゅうちゃん」みたいのやら、トンガラシを加えて味をアレンジしたり、また新たに野菜を足して量が増えたりもする。
味を育てる感じ。

一人暮らしになり自炊を余儀なくされ、自分の胃袋と料理の手間などと相談した結果、こうなった。
子供の頃の食卓には主菜なくともいつも菜っ葉の漬け物だけはあって、おれはとうにそんな体質になってたんだと思われる。
また、おれが生まれてすぐにはまだアジノモトがなかったこともあり、旨味過敏症かもしれん。
「きゅうりのきゅうちゃん」みたいのなど市販のそういうのだけではおれにはうますぎる。

米はこの土地のを直売所で安く買うが、そのごはんだけでじゅうぶんにうまい。
毎回1食分1合未満を土鍋(おそらくビビンバ用の小さいやつ)で炊き、その土鍋を抱えて炊きたてを急いで食べる。


■2016-11/17

両掌を合わせると その接面は平面になる


[野の編日誌]
アムプリンからのじゃがいも、小ぶりな奴をいくつか炒めて食ってみたら恐ろしくうまかった。
新じゃが、鮮度の味がする。

梅の木に挟まってた鉄棒、バイスプライヤー言うのとバールを使ってなんとか抜いた。
この梅の木は当面面倒をみたかったので、ほっとした。
自分の喉に引っかかった魚の骨が取れたくらいに。


■2016-11/16

[野の編日誌]
ゆうべ未明、トイレの小窓から外を見ると庭がベカベカ光っていた。
例のスーパームーンっていう奴のおかげか。
おそらく空は晴天だったろう。
「もう一つの昼」と言ってみる。
街灯、圧倒的に少ない田舎の恩恵。

きょうは午前からきのうの続き、勝手口桑の木枝打ちしようかと思って見上げたら、ちょうど朝日がまぶしかったのでこの作業を午後にすることにして、それまではとクローバーの引越しのために畑部草取りしてたらそこの梅の木に蔓類が絡まってるのが気になってそれをほどいてたら、なんでだか梅の木の股に太さ6ミリ長さ1メートルの鉄棒が挟まっていて手の力では抜けないことがわかり、どどうしよう、と思いつつ胃袋の具合とか昼らしく感じたので昼ごはんとなった。
かくして野の編での作業は始まりも終わりもなく、どれも繋がっていて一つの作業として分けられず、だらだらと時が流れて行く。
とは言え、昇った陽はだんだんと傾いてついには沈むこと、沈んでしまえばとてもはっきりした夜になること、天気はいつもいいわけじゃないこと、冬が刻々と近づいていること、だらだらとは反対の気持ちも要す。
さあ今晩はアムプリンからのじゃがいもと玉ねぎを煮てみようか。
こういう食材も生もの、おれも野の編も生もの、大いなる生ものワールド。


■2016-11/15

[野の編日誌]
けさ、アムプリンから、じゃがいも、玉ねぎ、りんごの詰まったダンボール一箱届く。
野の編に来て自炊を始めてるので、こういう差し入れはイノチ的に嬉しい。
アムカトに謝謝。
その後、近所温泉に浸かり、近所スーパーで食料買い出し、近所ホームセンターにて灯油購入。
どれも切実なる用事。
帰宅して桑の木の枝打ち。
樹高6、7メートルあるだろうか。
脚立に乗り、高枝切り鋏の鋸を精一杯伸ばして2本の太枝を切ったら、きょうはもうくたびれた。
桑の葉はたいへんかさばって近所迷惑なので、落ち葉になる前に残りの高枝2本も落としたい。
その後、この木自体も伐採してやるから。
そしたらそこの地面スペースの掃除もできるし、そこらへんの石垣も守られる。

野の編は、なんというかたいへん激しい。
野の編というのは、少なくとも数百年に渡って農業を営んできた家族の痕跡だが、どうしてだかその家族はいなくなって、自然の風雨にさらされ建物は朽ちつつ、石垣さえ樹木たちに食われようとしてるところだ。
おれのようなド素人がおっかなびっくり屁っ放り腰で。
それらに抗うことができるんだろうか、ささやかにでも。

ところで先11月12日、東京の「長男堂」っていうとこで、
http://chounandou2.ti-da.net
「人体バラバラ事件」という題名で、工作教室やった。
問題は多々あったが、何か新しいテーマを見つけた感触があったので、この工作物捨てずに取っておく。
楽しかったんだよな。
来春以降、またどっかでやると思う。


■2016-8/12

こころOS、脳プロセッサ


■2016-8/11

[ けふの料理 ]
たとえば、いつもとは違う土地では、うんこが出にくく、くくくなる。
推測するにお腹レベルの緊張というのが、あるようだ。
ふだんの暮らしでも、出が悪かったり、出ても変なのだったりすることも多いから、ずいぶんナイーブな子がお腹を管理してるようだ。
うんこというのが個人の重要事項であるように、じつは食べることもそれを作ることも、人まかせどころじゃない、とっても個人的な重要事項なんだなとおもふけふこの頃ですが、みなさんいかがお過ごしでせうか。


■2016-8/10

デジタル肉体労働


■2016-8/9

[ けふの料理 ]
・市販のピーナツバターにきな粉を入れる。量は半々くらい。
・それで、そのままだと固いのでオリーブオイルを適量加えて、粘度を調整する。
・そしたら、量も増えるし甘さも半分、自分好みピーナツバターのできあがり。


■2016-8/8

[ けふの料理 ]
うちには冷蔵庫がない。
で、うちの中で一番冷たいものは、水道水となる。
うちの地区の水道水は地下水らしく、蛇口を開けっぱなしにしておくと、1分で冷たい水が出てくるようになる。
それに濃縮レモン果汁と砂糖を加える。
すると、ぴったり自分好みのおいしいジュースのできあがり、と。


■2016-8/7

[ けふの料理 ]
電子レンジでトーストを作ろうとして、モードを間違えて食パンがレンジラスクになったときの料理。
・鍋に食パン2枚分のレンジラスクを入れ、ひたひたに水を張り、煮る。
・ひと煮立ちしたら、固形カレールウ1個、と醤油で味付け。
・以上。
感想:
離乳食っぽく、なんとか食べれる。
カレールウ、2個にしとけばよかった。
それにしてもこの陽気とはいえ、もうモードボタン間違えないようにしよう。


■2016-8/6

[ けふの料理 ]
空腹感、食欲はとてもだいじな感覚だ。
「あるとき、そのゲームが盛り上がってる最中、どうもバッテリが足りないなーとかおもって、ふと目線を下に向けると。
自分の頭の下に、長ーくて、重ったるーい、「からだ」というものがぶら下がっていた。」

おれらには、もれなく「からだ」がついている。

「からだ」。
これ、なんでも入れときゃいいっていうズタ袋じゃないんよの。

ふだんとても控えめで無口、こいつがたまーにボソッとつぶやく。
・・・。


■2016-8/5

[ けふの料理 ]
暮らしが大きく変わったが、安心感もあった。
「すでに壊れているものは もうそれ以上壊れない」。
自分ひとりというのは、元素、原子のような最小単位だからか、とても固いものだ。
心あたりのある、なじみのあるところに戻った感じ。

安心感は食欲と密接な関係がある。
というより、このふたつは同じ袋に入っている。
安心感が大きいと、食欲は少ない。
ストレスが大きいと、その逆だ。


■2016-8/4

シルバーじじいセンター


■2016-8/3

[ けふの料理 ]
家人が出ていってふた月以上になる。
少なくとも当面、帰ってくる予定はない。
そのことで早速これからの姿勢を迫られたのが食事だ。
それまで分業制?で、自分の食事についてあまりよく考えてこなかったから、つっかえ棒がなくなったように少々うろたえた。
自分のことを人をみるようにして、おれっていったいどおするんだろうとおもっていた。

外食や弁当購入という方法ももちろんあったが、それでは食欲がわかなかった。
その時間がきたから食べるんじゃなく、腹が減ったから食べるんだ。
食事は食欲とセットだ。
そういうなんてアタリマエ、だったはずのことが、あらためて清書されて内なる床の間に貼られた。

そうして自分の食欲に尋ねると、迷うことなく自炊へとことが進んだ。


■2016-8/2

魔がさす:ほんとうにしたいこと


■2016-8/1

それは内なる池に浮かぶものがなにかの拍子にぐるんとひっくり返るような


■2016-7/31

網膜スクリーン鑑賞 肉ソファに身をうずめて


■2016-7/30

やさしい悪魔
    意
    の
    天
    使


■2016-7/29

ないものがあればつくればいい(出:ムーミンパパ)


■2016-7/28

視界と視点:
ひとがあるものと初めて出会うとき、すぐにそれがなにかはわからない。
ひとの中のスクリーンには最初ぼやけた像が映り、時とともにだんだん焦点が定まっていき、やがてそれがなにかがわかってくる。
ひとがものをみるときの、この過程を「視界」から「視点」と呼んでいる。

「視界」は全体性を、「視点」は部分、局部性を担う。
ひとがものと相対するためには、このふたつとも必要、欠くことができない。
「視点」によってどれだけ特異な局部がみられたとしても、「視界」によって全体の中での位置付けがなされなければ意味がない。

ものをぼんやりとみること。
むしろそれがなにか、できるだけわからないようにすること。
すぐに決めないこと。
そうすることで「視界」が充分に全体をめぐると、満ち満ちたイメージが我慢しきれずにようやく、「視点」のドアを開ける。
ひとがものをみる生理、「視界」と「視点」はそうやって生かされる。


■2016-7/27

音楽:縁があって出会ったり、理由があって別れたりすること、そのようす。


■2016-7/26

認識:
ひと、ならびに哺乳類の視覚器官、眼球の構造はカメラとそっくりで、外からの光を入り口のレンズで光学調整し、その奥の網膜に焦点を合わせ像を映す。
いっそ眼球は単なる光学器と言ってもよく、レンズを向けた対象のようすそのままが、ほかのどのひとの眼球の網膜にも同じように映し出されているはずだ。
網膜の像にはいわゆる主観は介在していないと思われ、それは体内に取り込まれた外部だとも言える。

デッサンは、その網膜に映る像と自己意識との意思疎通のように思う。
ひとには網膜に映る像と自己意識のあいだにそもそも隔たりがあり、それをつなぐことのように思う。
同じ石膏像を描いてもひとによって違う。
そうして描かれたそのデッサンこそ、そのひとの認識だと言って差し支えないような気がする。


■2016-7/25

世界モデル:
現在のロボット掃除機は「センサー」で収集した情報(部屋の大きさ・障害物の場所・掃除状況・現在位置)を、人工知能プログラムが分析・状況判断を行い、適切な行動パターンを実行する方式が主流です。(出:http://okaimono-navi.info/column/column-120606/)
ひと、ひいては生きもの全般も、そんなようなやりかたをしていると思う。
「「センサー」で収集した情報(部屋の大きさ・障害物の場所・掃除状況・現在位置)」、それによって描かれる実態のイメージ像がいわゆる「世界モデル」である。
ひとはロボット掃除機と比べるとセンサーの数は桁違いに多く、その分だけ緻密な「世界モデル」を有していると思われる。
ただ、ロボット掃除機の「世界モデル」がそのままかれの認識、「世界観」とぴったり重なることに対し、ひとの場合、どうやらそうでもないようだ。


■2016-7/24

時間:
しようと思ってもできなかったり、できたとしてもまた直してしまうこと。
すべては時間の中にあり、時間の中に生じて時間の中に消える。
時間を止める意味の完成も絶望も、ない。
次の朝。
机の上にあったものは、なにもなくなっている。


■2016-7/23

物語:
生きものが、自己と他者を区別し自律的に存在すること。
その姿勢に物語の起源があるように思う。
物語は軸となる人格があり、それに別の要素が相対する。それらが時とともに関わりあう、その顛末である。
ひとの中の生きものが自己や他者を認識し、その内容をひとが記そうとすると、物語のかたちに成らざるをえないのではないか。
すべての生きもの、ひとがまず先天的に物語、物語性を持っていること。
そしてそれを語るために、あとから言葉というものが作られたのではないか。
と。


■2016-7/22

幸せという設定


■2016-7/21

不可能の可能性:
たとえば外国の小説などを厳密な意味で正確に日本語に翻訳することはできない、そもそも不可能である。
その不可能を承知した上であえて翻訳する、しようとする、ちょっとでも近づける、努力する、そういうようなこと。


■2016-7/20

電|話

メ|ル

 |
L|NE
 |


■2016-7/19

大人ごっこしようって始めたのにホントに大人になったつもりでいる


■2016-7/18

きれいな女の人にはうんこが入っている


■2016-7/16

どこがどうだろうと おれはおれの米を研ぐ


■2016-7/15

ハッピーバースデー通夜


■2016-7/14

点:位置だけを持ち、長さ・面積・体積をもたない図形。(出:Wikipedia)
存在の最小限。

線:長い点。点の軌跡。


■2016-7/13

バール:対象がどれだけ大きく重いものだとしても、床とのあいだに3ミリの隙間さえあれば、これで持ち上げ、動かし、ひっくり返すことができる。


■2016-7/12

ここへきて遊べやもうひとりの自分


■2016-7/11

ひとのかたちの袋をひろう
使いやすくならないか口を広げてみたりする
ゴム生地でへなへなするので
かたい棒を入れてかたちをささえる
あまったところにスポンジをいれると
へこみがなくなってちょうどいい
さいごあたまのところにラジオと鍋でもいれて
はい、できあがり


■2016-7/10

ずいぶん
遠くまでやってきた
まだ
どこまでも奥につづいている

たばこの火が指にさわり
ふと
われに帰る

帰る


■2016-7/9

紙にペンを立てる

ペン先と紙の接点


紙のうらの永遠と
ペンをもった自分の永遠

とが


する


■2016-7/7

(精神の)平衡感覚:
生きものが生きるということ。
能動的に自己を保つこと、あわよくば自己を増やすことあわよくば長く繁栄すること。
そのためのもっとも重要な機能のひとつである。
生きるということを単純化し図示すると、始点から時間経過とともに未来に向けて伸びる一本の線となり、それを生きる基準線とする。
平衡感覚は、その基準線に自己がどうあるか、生きる基準に合っているかどうかを常に見張るはたらきをしている。
平衡感覚が失われるということは、基準線から(外れていない場合ももちろん)外れていることがわからなくなるということで、したがって基準線に戻るための手立てが失われるということで、すぐにではないとしてもいずれは基準線から離れてしまわざるをえない、ということである。


■2016-7/5

泥で泥を洗う


■2016-7/4

地獄、天国:あの世にある架空の、ではなく、この世に実在、混在している。それは外見からは判断しにくいが、生もののように匂いのようなものを発するので、気をつけていればどれがそれかわかる。人はおしなべて天国を好み地獄を嫌うとおもいがちだが、自ら進んで地獄に向かうことも往々にしてある。地獄に入らずんば天国を得ず、という説もあるように、人の欲は地獄、天国レベルを凌駕するのかもしれない。


■2016-7/3

心あたりがあるものしかみえない


■2016-7/2

だ だどもよ おら ひろしまから きただ


■2016-7/1

けだものだもの

くだものだもの
にんげんんげん


■2016-6/30

あるくと (頭の中の机の上でも紙束をトントン揃える)ととのうトントン


■2016-6/29

ほかのことを考えていると あっという間にそこに着く


[初めてだが梅干しを作ってみよう 09]
それからずっと別用に手こずりっぱなしでやっと赤紫蘇をバケツから引き上げたのはこの日の朝だった。
二日前には立っていた赤紫蘇はすっかりお辞儀して葉は乾きしなび緑に変色したのもあった。
赤も緑も一枚も残さぬよう葉をちぎり水洗いせずすぐに塩で揉んだアク?というものをなんとか絞り出した。
して漬け梅にぶちまけてやった。
それから容器を覆ってたビニール袋がやぶけて重し用スチール缶を漬け液に落としたがビニール取り替えるくらいしか手当のしようがなかった。
たぶん手際要領とても良くない一連作業だった未知のこといたしかたなし。
それから数時間経ち、いま透明容器の中紫蘇も安心したのか葉を広げている色素が溶けてこんな梅にも赤グラデーションが、ゆっくりと降りつつ、ある。


■2016-6/28

心を込める:相手のことを想像すること


■2016-6/27

ロボコップ直し:どこをどう直したか、はっきりわかるような直しかたのこと。金継ぎもその一種。元のものよりかえって丈夫になることもある。

傷の造作:ロボコップ直しをさらに展開し、直し跡、傷を表現の要素、素材として扱い、元のかたちの次元を超えて創作すること


[初めてだが梅干しを作ってみよう 08]
で、それから放置しっぱなしの梅干し、の途中、梅干し未満。
そうかこんなに日にちがかかるんだーとぼんやりしていた完全にぬかっていた。
!、突然目の前に赤紫蘇が出現した。
別用で偶然通りかかった市役所の前で農協がこの日だけの直売していた考える間もなかった赤紫蘇をつかんでいた。
ただこの日は別用に手こずっていて持ち帰った赤紫蘇を水を入れたバケツに放り込むことしかできなかった。


■2016-6/26
自給自くそ

自くそパズル


■2016-6/25
雨降りのついでにベランダ大掃除


■2016-6/24
胸が空く


■2016-6/23
優先順位:ひとは一度に多くのものごとを認識することはできるが、処理をするのは一つづつしかできず、じゃ、どれから始めるかということに慢性的に悩まされていること。自らの身体性を超えて溢れ出る想像力に起因する、と思われる。


■2016-6/22
工作:理由を積みかさねて一つのかたちにまとめること


■2016-6/20
落合郁雄プレミアム

落合プレミアム郁雄


■2016-6/19
宇宙空間から 毎朝この机にやってきては今日の予定をみる


■2016-6/17
ほこり積む梅雨のサッシに豆ひとつ 豆まきの豆鬼と残れり


■2016-6/16
テレビニュースの残酷ソファでみているなう ソーメンゆでつつ


■2016-6/14
生きもの:自己と他者を区別し、自律的に存在する。そのスタイルは、広大な宇宙を占める多くの単純物質の中では例外的である。他者よりいろんな物質を取り入れては化学変換し養分として吸収し、自己を保とうとする。機構的には複雑な水車のようでもある。


■2016-6/13
天気と状況と自分の生理 それぞれがうねっている


■2016-6/12
バリラ スパゲッティ 1.9mm 450g:
一袋446.4本入り、
1本は、ほぼ1g
1/4量117.5gの束の太さは、直径22mmちょうど


■2016-6/11
「それ」をしようとするだけで 「それ」のかたちがかわってくる


■2016-6/10
世界を自分をあきらめる


■2016-6/9
百泥繚乱


■2016-6/8
山あり山あり


■2016-6/7
晴れたり 曇ったり する


■2016-6/6
実際にやってみないとわからない


[初めてだが梅干しを作ってみよう 07]
アンズ煮、口触り改良のため、裏ごしして砂糖適量加え、再び煮る。
これでまー当面、西友の100円ジャムの代わりにはなるだろう。

冷蔵庫がないことで、生きものが生きものを食すこと、生きる×生きる、生きることの何やらがみえてきて興味深い。


■2016-6/5
屋根の下は雨が降らない


[初めてだが梅干しを作ってみよう 06]
で、問題は梅干しで、梅酢が少ないらしい。
容器の中の梅の実が約3段なのだが、2.5段のところからずっと増えない。
梅酢から実が頭半分出たまま。
けさ、放っておけなくなり、実を詰めなおしたり塩や水を足した。
カビは生えてなかったが、液体類は火を通した。
梅の実は、よく漬かってシワがよったものもあり、それは小動物の脳のようで可愛いい。
おれの口に入り成仏すること願うが、だめならだめで次に生かすし。


■2016-6/4
そうしないと自分の気持ちが落ち着かないから そうする


■2016-6/3
音楽のやうに


[初めてだが梅干しを作ってみよう 05]
朝一でアンズジャム情報をネットリサーチ。
傷と種を外すと、概算(計りがないので)1.3キロ。
上白糖少なめ400グラムまぶし、煮る。
うちの電熱コンロの特性と、焦げることを気にしたせいもあり、超弱火で2時間くらいかけた。
そうして、で、き、た、ものは、しゃぶしゃぶ過ぎてどうやらジャムとは言えない。
ただ、味見すると酸味が効いてうまい何やら、ではある。
色も悪くない。

午後、友だちん家に用がてら土産に小分け持参したら、そこの子ども、1歳2ヶ月が好んだ。
特にジャムを作りたかったというのでもなく、果実煮初体験としては、まーええじゃろ。


■2016-6/2
ただながれる時間


[初めてだが梅干しを作ってみよう 04]
それはとっても風の強い日で、まるでアイルランド(行ったことないけど)の暴風のようだった。
その数日前から、うちの(裏の大家さんの)アンズの木の実が膨れ上がってるのが気になってて、まずいな、と思っていたのだ。

結局、このアンズにも捕まってしまった。
実が落ちるときの、1階大家さんのプレハブ物置屋根にあたる音を聞きたくない。
すでに梅の実に捕まってたということもあり、梅とアンズは形が似てるということもあり、自炊生活が始まったこともあり、いま冷蔵庫がなくて保存食に興味が湧いていることもあり、なんとか手の棒の届くとこの実をもいだ。

自生、ほったらかしのアンズの実は傷だらけだった。
日暮れ時でエネルギーもつき、バケツの水に浸してきょうは終了。


■2016-6/1
テトリス:整理整頓の基礎訓練


■2016-5/31
人間ごっこ


■2016-5/30
自分を自分とおもう


■2016-5/29
テレビ番組「蜷川幸雄さんをしのんで〜100年インタビュースペシャル〜」

映画「ソナチネ」:死の池に浮かんだ生という小舟の話


■2016-5/28
よく見る:視点から視界までをなめらかに行ききしながら対象のすべてを受けとめること


■2016-5/27
美しい:心あたりがあるということ


■2016-5/26
初めて生きる


■2016-5/25
クライアントサーバシステムとは、コンピュータをサーバとクライアントに分け役割分担をして運用する仕組みのことです。
クライアントはサーバに対して「このデータを送ってほしい」という要求をし、それに対してサーバは要求されたデータを送る、といったことを行います。
LANにおける典型的なクライアントサーバシステムとしては、全員が共有しておきたいデータがおいてある「サーバ」があり、そこに一般のユーザーが使う「クライアント」が複数接続されている状態です。
(出:http://www.aibsc.jp/joho/otasuke_m/basic/08/02.html)

あなたはまだクライアントサーバの設定ができてないようです


■2016-5/24
道端デシカ 手に入れられないようなものがある

安酒のまずさはうまい

メガネをなくすと メガネをさがすメガネが必要になる


■2016-5/23
あるものはしかたない

あるものから考える

あるもので作る


■2016-5/22
足元の 地面をどけたら ここは空中

ア、ン、ダ、ン、テ(これに合わせて歩く)


■2016-5/21
頭部7%、胴体43%、上肢6.5%(上腕3.5%、前腕2.3%、掌・手指0.8%)、下肢18.5%(大腿11.6%、下腿5.3%、足首先1.8%) The A.S.P.E.N. Nutritional Support Practice Manual. ASPEN. U.S.A. 1998(出:http://www.nutri.co.jp/dic/ch1-6/keyword2.php)

ひどい二日酔いのときも身体は上手にラーメンを作る


■2016-5/20
空中では 羽ばたくことが静止することだ


■2016-5/19
脳:自分と自分を取り巻く環境の状態を情報として総合的に管理する。得られた情報を整理して自分存在についての最適解を求め、それに基づき各系統に指示を出す。
脳はきわめて事務的、論理的に情報処理をしているにすぎないと思われ、いわゆる心そのものではなく、心の一部ということなんじゃないかな、と思われる。
したがって脳の最適解とは違う行動になってしまうことが往々にしてある。


■2016-5/18
三半規管(さんはんきかん)は平衡感覚(回転加速度)を司る器官であり、内耳の前庭につながっている、半円形をしたチューブ状の3つの半規管の総称である。名前はその形状と数に由来する。ヒトを含む脊索動物のほとんどが半規管を3つ持っているため三半規管と呼ばれる(出:https://ja.wikipedia.org/wiki/三半規管)


[初めてだが梅干しを作ってみよう 03]
きのう何人もがうちに来て、大騒ぎが行われ、そして主だった家財も家人(今朝)も出て行った。
とても静かで落ち着いた空気。天気も快晴。
よし、梅ちゃん日和だ。

実をもいでから5日、ぼやぼやしてるうちに、なんと「梅みどり」ではなくなって、黄色っぽくなっていた。
ん?熟した?
まー、なんとかヘタをとり、塩をし、重しをした。
梅実(約900グラム)にたいして、レシピでは塩15パーセント(135グラム)とあったところ、秤がないことも手伝いどうやら250グラムを投入してしまった、らしい。
ま、しかたなし、殺菌効果が強まるからよしとする。


■2016-5/17
[初めてだが梅干しを作ってみよう 02]
ネット情報によると、そのままほうっておくと実の熟しが進むらしい、梅干し作りに不都合でもないらしいので、まずは放置だ。

2日くらいして梅の実を覗くと、実の傷が腫れたようになったやつも1割ほど散見されたので、そいつたちを英断?を持って廃棄し、残りを適当な容器に移し、水を張った。
腐敗が進まぬよう日に一度水を変えた。

そうしてる間に、家人引越しの日が来た。
結局その手伝いをするはめにもなり、梅干し予定がまた伸びた。
自家用車の助手席に避難させておいた梅ちゃんたち、元気でいるだろうか。


■2016-5/16
1・「気になる項目」を頭から出す
2・紙上に置き言葉化する
3・その中から取り分けた「するべき項目」は 日光を当て風を通す
4・時間を置きしばらく眺めていると やがて「するべき項目」の気化成分が発生し空中を漂い身体表面を撫ではじめる
5・運動するなどして身体をほぐし 「するべき項目」が無理なく身体吸収されるのを促す
6・「するべき項目」以外の「気になる項目」は とくに作為せずとも自動的に身体吸収される


■2016-5/15
科学:きちんとした経験則

収斂進化:クラスの法則


■2016-5/14
生物進化は増築(出:放送大学の生態学?名物講義)


■2016-5/13
おれの方舟

ウゴウゴルール:動きやすいものと動きにくいものの法則


[初めてだが梅干しを作ってみよう 01]
用事で山の家に来て、その用事も済んでさあ帰ろうとした朝、庭の見回りをしていると通行の邪魔をする垂れた梅の枝に実がなっているのを見つけてしまう。
木の実が熟れて鳥にも喰われず自然落下することの無残を少々感じていたので、10秒ほど考え、梅の実を持ち帰ることにした。
とはいえ慣れぬ用事だったこともあり、ぎっくり腰の予兆、それにはまってしまわぬよう気を払いつつ、脚立を使うなどもってのほか、手に届く範囲の実をもぐことで勘弁してもらった。
梅の木を何年も手入れをしてないせいもあるだろう実の大きささまざま、小は1.5センチから大は3センチ、両手のひらからこぼれ落ちるくらいの量、色はだいたい一様「梅みどり」とでも名付けたいきれいな色だ。

その日東京に帰って、家人にさっそく見せてみたが顔色はそんなに変わらなかった。
家人、現在梅の実どころじゃなく、人生の転換期とも思われる引越しを数日後に控えている。
梅の実をざっと見て、「うーん、梅酒かな、梅干しにするには青いね。」とのたまわる。
おれ、アルコール類好物だが、料理酒やら梅酒やら甘さが苦手で、すぐに梅干しの方に気持ちが向いた。
インターネット上で青梅での梅干しレシピを見つけた、ありがてーこった。
というわけで、そんなに前向きでもなく失敗しても構わない実験の気分で、[初めてだが梅干しを作ってみよう]とあいなった。


■2016-5/9
手が取れて片方1本になるより手が生えてきて3本になるほうがグロテスクだと思う

ここが天国だ(出:Nスペ大アマゾン第2集2016-5/8放送)


■2016-5/8
超低空飛行 低空低速すぎて足が地面につきそうついでに歩く

耐震性美術

耐震性音楽


■2016-5/7
その暗がり 出しの効いた隠し味


■2016-5/6
「人間が作業する部分に誤りがあった。それを検出できなかった我々の全体のシステムにより大きな問題があった」
JAXAの常田佐久・宇宙科学研究所長のコメント(出:2016-4/28朝日新聞)


■2016-5/5
おれの多細胞

おれの生体反応

おれの生体組織

おれの138億年

おれの宇宙


■2016-5/4
おれらはデバイス


■2016-5/3
わからないことをわかる

わからないから書く

わからないと清書して床の間

わからないときはからだにきいてみる

そもそもがわからない わからないの海 平泳ぎで


■2016-3/26
カイツブリの塔イベント
[生きることの観測所〜ウチの場合。山の家など、そして神戸。〜]

この世もこのドリンクバーもセルフサービスです

えー、最後の曲になりました。
これから約5分間セカココくんが名古屋テレビ塔をジャックします。
無駄な抵抗はやめて、セカココくんにリンクしてください。
じゃ次は武道館で会いましょう。


■2015-12/28
オリヂナル・カレンダ2016アップしました。
えー、このたびはたいへんながらくお待たせしました。


■2015-5/13
家人より、洗濯機水槽にゴミ出現との訴え。
2004年式ゆえ経年による洗濯機本体付着のゴミと推測。
ネット上に多くの分解掃除情報あり。
えー、水槽底の羽、パルセーターなるものを外し、その裏が「(家人曰く)じゃがいもの皮」様のゴミ巣窟であること確認。
ここを掃除して、一件落着。
5月の、台風一過のよく晴れ上がったのどかな平穏な日常に無事帰還。


■2015-4/5
当事者研究

当事者(三省堂 大辞林)
その事に直接関係のある人。

落合当事者


■2015-3/18
イン多くアウト少なし これバランスわるし
心的便秘なり
頭やすめんとしばしコーヒー控えんとす


■2015-3/16
春のもようがえなど


■2014-12/12
オリヂナル・カレンダ2015アップしました。






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