メモ・ 2020

はじめに実態ありき。
そのあとをノコノコ言葉がやってくる。


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■2020-12/31
[野の編日誌]

デスクまわりを片付けながら、「オリヂナル・カレンダ 2021」をこさえた。


■2020-12/30
[野の編日誌]

夕方、強い突風が吹いてから(出しっぱなしの洗面器が飛ばされるくらいの)、ふと空を見上げると雲がひとつもなかった。
空も掃除してるのか。

あしたから天気が荒れるらしい。
荒天の年末年始って珍しいような気がするけど。


■2020-12/29
[野の編日誌]

玄関を片付けようとして、そこに転がっていたものが目についてしまい、そちらに気を取られているあいだに、日が暮れていくようないち日。

そして満月。


■2020-12/28
[野の編日誌]

意図したわけじゃないけどどうしてか大掃除の目になってしまい、結果的にいつもはやらないとこを掃除したりした(ちょっと)。
自分のDNAに正月が書いてあるかもしれん、とおもってみたりする。
正月を否定しつつも欲してるような。


■2020-12/27
[野の編日誌]

きょうは、枯れ草を燃した。
風のおとなしい晴天のもと、積み上げていた枯れ草があっという間になくなる。
畑もきれいになるし、年末の厳粛さもちょっとあって気持ちもいい。
おつかれさまでしたと自分に言う。


■2020-12/26
[野の編日誌]

壊れていた電気ストーブを直せるか調べたが、わからんかった。
電気回路の問題らしく、故障の原因が特定できんかった。
というのも、いま使用中の灯油ストーブの灯油代が気になったので、電気ストーブとどちらが得か知りたかった、と。
と、と。


■2020-12/25
[野の編日誌]

いろいろ押し詰まっていて、年内の貴重な平日を有効に使わんとバタバタ過ごした。
まー、毎年こうじゃったかもしれん。

てゆう人のツブヤキにも。
遮られることなく、時はコクコクと過ぎてゆく。
ま。
るで。
時計の。
針のように。


■2020-12/24
[野の編日誌]

用事で外出、ついでに買い出し。
まったくの自己都合タイミングだったが、年末の、クリスマスの人出と重なり混雑気味、隣町の温泉風呂に寄ったら、ここも(午前にしては)人多し。
こういうの苦手。
これから、しばし苦手な年末年始のイベントだっちゃ。


■2020-12/23
[野の編日誌]

近所のおばあちゃん亡くなり、ご尊顔拝す。
お年寄りがむこうに逝くことと、幼いものが育つことはセット。
96歳の大往生。
激動の時代、お疲れさまでした。


■2020-12/22
[野の編日誌]

けさ、つひに室温マイナス(0.4度)表示。
おらの部屋、冷凍庫となりけり。
出しっぱなしでも野菜の日持ちはいい。

そして夕暮れ。
ここも紛れなく宇宙であるかのように空澄んで雲ひとつなく、ちょうど真半分の月が、正面にある。


■2020-12/21
[野の編日誌]

きょう、(1年の、)いちばん昼短く、夜長い日。
冬至、おめでとう。


■2020-12/20
[野の編日誌]

たしかに、光陰矢の如し。
ちなみに明日は「冬至」、「野の編」の祝祭日。
とはいえ宿題があり、バタつく予定。


■2020-12/19
[野の編日誌]

体には寒さにも「慣れる」っていうことがある。
そうして、寒さへのキャパシティが上がる。
それは、たとえば衣服の何枚分もの効果がある。


■2020-12/18
[野の編日誌]

けさ、室温0.4度。
クローバーはうなだれ、土が凍っていた。
凍った土をめくると、ミミズまで凍っていた。
厳しい陽気は、ヒトより天のほうが偉いんだとおもわせる。


■2020-12/17
[野の編日誌]

きょうも室温2.5度。
調べたら、けっこう真冬並み。
「底を打つ」というのは、対象の全体像が見えるということでもあるので、そんなに悪いことじゃない。
同じ意味で、いま、いち年の中でももっとも日が短いとき。
日の暗さの底だ。
ただ数日あとには冬至をむかえて、それを過ぎるとこんどは日が伸びてくる。
日が伸びてくる。


■2020-12/16
[野の編日誌]

けさは室温2.5度。
午後、テストを兼ねて灯油ストーブを点けてみると、なな、なーんと暖かいこと。
そして、室内着を1枚増やして6着にした。


■2020-12/15
[野の編日誌]

あさ、室温3.5度、灯油ストーブを点けるかどうか迷ったが、がまんした。
外の空き缶の残り水が凍っていたから、外は零下。
でも、これからピークには室温が零下になるから、いまはまだマシ。
空気がとても澄んでて、太陽光線が痛い。


■2020-12/14
[野の編日誌]

やっぱり日常的に歩くようになると、トトノウ。
体性が安定してきたような気がする。
おれら哺乳類の人類の、二足歩行の歩行だ。
体が安定すると、心まで落ち着いてくる。
この安心感。
やっぱり、自分という存在のいちばんの基礎は体なんかの。


■2020-12/13
[野の編日誌]

この集落のひとたちが何百年も前から一族代々住み続けていることをおもえば、おれはヨソモノ。
ただまー、そういう集落の伝統がほころびつつあったから、おれはここにいる、と。
さあ、はたしてこの集落はこのおれは、これから10年後20年後30年後と、どうなっていくのでしょうか。
と。


■2020-12/12
[野の編日誌]

うちに隣接して1つの「耕作放棄地」と、1つの「なりかけ耕作放棄地」がある。
「耕作放棄地」のほうは年1で草刈りしてるけど、「なりかけ耕作放棄地」のほうは手付かずで、ニセアカシアやススキが伸び放題で、あいだの小道が覆われるほど。
それらを見やりながら、うちは自分が死んだらどうなるんだろう、とおもう。
時間には限りがある。
少しづつ、自分の寿命レベルの時間でものごとを考えるようになってきた。


■2020-12/11
[野の編日誌]

ラジオでは、クリスマスソングばかり流している。
そう、もう逃げられない。
怒涛の年末滝壺が、すぐそこに。


■2020-12/10
[野の編日誌]

ここ数日のなかでもいちばん暖かい昼。
外水道の脇の梅の樹、少々の散髪。
樹木を枝打ちすると、数ヶ月から年、時間をにかけて樹木の反応があることが、このごろようやくわかってきた。
いっぺんに大きく切ると、樹木がびっくりして叫ぶように感じられるので、少しづつ切るようにしている。
このたびの梅の樹は、少しづつ切ってこちらの意図を伝えて、できれば納得してもらいながら、最後には伐採してしまいたい。
すいません。


■2020-12/9
[野の編日誌]

ストーブを点けてもいいような陽気だが、まだ点けてない。
服の重ね着作戦で、なんとかしのげてる。
厚い生地の服を着るよりも、薄くても目が詰まっている生地の服をたくさん重ね着するほうが具合がいい。
体も動かしやすい。
さ、この冬、いかに暖房に頼らないですごせる、だらうか。


■2020-12/8
[野の編日誌]

たとえば「片足立ち」のようなことが苦手らしいことが、わかった。
それは体幹が弱いということだし、腰痛にも関連している。
おもえば、今年の初めから腰痛が発生してから、はや年末。
当初よりマシな状態になっているとはおもうが、体幹みたいな基本的なことが、まだまだダメなんだー。
今年を、腰痛の対策しながら過ごそうとおもってたが、今年どころか、来年、またその先も続けよ、と。
おらの「カラダさま」が仰せだ。


■2020-12/7
[野の編日誌]

このたびの車のトラブルに際して、交通、移動手段について、いろいろおもいをめぐらしている。
もしかすると、自家用車って必要ではない?
実際、あんまり使ってない割に、車の維持費がかさんでいるし。
ふだんは自転車やバイクを使い、車を使いたいときはレンタカーで、とか。
うーん。


■2020-12/6
[野の編日誌]

「こんな小春日和の穏やかな日は あなたの優しさがしみてくる」(山口百恵の「秋桜」より)、
というような日。
そんな、のどかな外を感じつつ、室内作業。
オチツイテ、オチツイテ。
自分を見失わぬよう。


■2020-12/5
[野の編日誌]

きのうのアクシデントで予定リズムズッコケたが、へこたれてはおられない。
なんでかと言うと、師走だから。


■2020-12/4
[野の編日誌]

けさ、腰痛の検診に行こうとしたが、車のブレーキがきかない故障で断念。
車も、その持ち主も、そろって足回りの障害あり。
車は近所の修理屋にしばし入院、修理費用の見積もりは今日明日だが、入院日数は見当つかない、とのこと。
うちに「アクシデント神」の神棚でも作って、「アクシデント神」の怒り鎮めようかとの妄想わくが、きょうの件、大事に至らなかったことをおもえば、祀るべきは「ラッキー神」なのかもしれない。


■2020-12/3
[野の編日誌]

揺れるはずのない地面でさえ、ときには揺れる。
一見、密室だが、よーく見ると隅に隙間がある、ような。
完璧なフリしてるけど、完璧じゃない。
そんな世界。
ここは、。


■2020-12/2
[野の編日誌]

きょうは、なんだかくたびれた。
初冬バテ、か。
養生して過ごす。


■2020-12/1
[野の編日誌]

きょうも、あさ室温5度。
だども、天気がいいから、あっという間に気温が上がって、外にいたらモコモコ上着のままでは汗が出るほど。

そうか、あの「12月」になったか。
例によって、世のニュースは変わらず不安優先。
大げさに言うと、社会や文明の進みかたは不安優先でいいのかもしれない。
人類ってのは、ほかのどの動物とも似てない、前例のない独自の道を歩くことを選んだんだから、せめて手探り、おっかなびっくりタドタドしく進むほうがいいのかもしれない。


■2020-11/30
[野の編日誌]

あさ、室温5度、室内でも白い息が出る。

畑の、どいてほしい草、ススキなどを取るために、結局土起こしのようなことをしている。
こうゆうのトラクターなんか使うと早いんだろうけど、積極的に農業とか、するつもりもない、から。
ただ、畑の植生を騒がしくしたくない、と。
しずかな静かな畑になってほしい。
と。


■2020-11/29
[野の編日誌]

秋冬の、日光が低い角度から強く差すような天気を「火星日和」、全天曇天の天気を「アイルランド日和」と呼んでいる。
(火星にもアイルランドにも行ったことないのに、なんとなくの自分感覚、申し訳なし。)
きょうは、どうやら「アイルランド日和」。
うちの畑のススキの地下茎を取るような、先の見えない果てしない作業をしてると、いつかテレビドキュメントで観たアイルランドの、海っ縁の、石混じりの痩せた畑を耕す場面をおもい出す。
また、ユーラシア大陸を挟んで、(時計の文字盤における)3時(日本)と9時(アイルランド)の、端っこの島国どうし。
勝手ながら、因縁を感じている。


■2020-11/28
[野の編日誌]

気に入ったズボンは同じものを2本買い、洗濯のたびに交代させながらズーッとはき続ける。
それでも当然ながら生地は傷み、数年後には寿命が来る。
でも、その数年で世の流れが変わり、そのズボンは廃番となり、もう手に入れることはできない。
定番がなくなると困る。
定番の寿命が人の寿命より短いと困る。


■2020-11/27
[野の編日誌]

と、きのう光がないこと嘆いたからか、きょう、まったく日が差さず、全日全天曇天。
とはいえ、曇天と晴天、のどかな日和と嵐はセットであること、こころする。
そして、こんな日でも日が暮れると月が出て、迷い雲と遊んでいる。
あと2、3日で満月になるような月。

超久しぶりに購入した、ふだん冬ズボンが暖かい。


■2020-11/26
[野の編日誌]

あさ、霧か雲の加減か天気の具合で朝日が見えないこと、当然ありありだが、とくにこの時期、朝日がないと気分まるで上がらず布団から出られず。
多少寒いのは我慢するとしても、ひかりよ光、あさの光よ。

そして、きょうは吉野家の牛丼でいうところの「特盛り」の月。
吉野家、もう1年行ってない。


■2020-11/25
[野の編日誌]

このところ日が暮れて、うちの「見晴らし場」にて、ひと息つくこと多し。
正面の低山上空に、吉野家の牛丼でいうところの「大盛り」の月あり。
ヘッドホンの音楽、そこらじゅうを満たして、人家も低山も天体も分け隔てなく、景色も自分も分け隔てなく。


■2020-11/24
[野の編日誌]

きのうの月は、まん丸をカッターナイフで真っ二つに切ったような形だった。
きょうのは、茶碗にごはんちょい盛り月。
連日、空気が澄んでいて、空がよく見渡せる。


■2020-11/23
[野の編日誌]

ウォーキングのコースは、うちの裏山の脇をなでる?ような道で、高い、見晴らしのいい場所に出ると、「ザ・富士」が拝める。
ただ「覗き富士」(ほかの山々の隙間から、こちらを覗いている)だから、雲がかかって見えないことも多い、けど。
小さいラジオをヘッドホンで聴きながら、ここをウォークする。
歩くことも、考えることである。
紙束を机上でトントンと整えるように、おれはトントンと歩きながら、頭の紙束を整える。


■2020-11/22
[野の編日誌]

あさ、うちにとってのシアワセ・モデル、お隣さんに自家製抜きたて葉つき大根1本頂戴した。
すぐに大根本体は塩漬けにして、葉のほうは炒めて、さっそく昼のおかず予定に。
大根葉は好物なんだが、店では葉つき大根を売ってなくて、わりと1年ぶり、とか。

とりあえず、ウォーキングを続けることにした。
うちのまわり、なだらかな高低差2、30メートルあり、往復20分コース。
20分だから、気が楽、だから毎日。


■2020-11/21
[野の編日誌]

春の嵐のように、風強いけど温暖なあさ。
空、雲ひとつなく、洗濯せよと、天からの言葉あり。

きのう、用事でワサついたこともあるけど、なんだか自律神経的、平衡感覚的にドッとくたびれた。
というわけで、きょうなんとか立て直そうとウォーキングしたり。


■2020-11/20
[野の編日誌]

ギターのゆるんだ弦のような、しかたなく漏れてしまったような、ぬるい雨がだらだら。
季節さん、散歩ですか。
気まぐれに、歩をすすめたり止めてみたり。
そういうことに理由はあるのか。
いや、気まぐれの気は、理由なんかよりよっぽどスピード早いから。


■2020-11/19
[野の編日誌]

季節が道端になる柿の実に目を取られて、ふと歩みを止めたかのような温暖な日和。
ま、どうぞご自由に、と。


■2020-11/18
[けふの料理・トマトケチャップスープ餃子]

結局、きょう、トマトケチャップスープに餃子を入れて煮込んだ。
味の調整に醤油を少々。
うちにとっては、新しい味で、おいしく食した。


夕方、西方の空、よく切れるナイフのように尖った月あり、二日月?三日月?。


■2020-11/17
[けふの料理・トマトケチャップスープ]

それは、見切り品の餃子4パックを連日いろんな方法で食べてきて、すっかり飽きたせいもあるかもしれない。
たまたま視界のはしに、とうに期限の切れたトマトケチャップを見つけたからかもしれない。
そんなような、トマトスープのような味が宇宙のどっかからやってきて、おれの頭の中を埋めてしまった。
というわけで、はじめてだったのだが、トマトケチャップスープを作ってみた。
湧いた湯に、塩とホンダシ、トマトケチャップ、それぞれ適量を入れて混ぜたらできあがり。

いまの、どちらかというと大気乾燥気味の、寒く、寂しげな、この季節だからかもしれないが、とてもおいしく味わえた。
自分の料理の、ケチャップ方向の、バリエーションに育つ、とおもう。
また、近々作る、とおもう。


■2020-11/16
[野の編日誌]

水道修理はなんとか遂行、応急処置だが、いまのところ問題なし。
これから水道管も凍結の季節、このまま無事でいられるだらうか。
ほかにもパソコン、なにやら不調の気配あり。
どうなる、ノノヘン。


■2020-11/15
[野の編日誌]

きょう、今季はじめて霜がおりて、息もはじめて白かった。

水道修理の計画と準備をした、実行はあしただ。
ものは壊れ、直す。
直し、壊れ、また直す。


■2020-11/14
[野の編日誌]

水道管が、すっぽ抜けた。
それは、しばらく前、凍結破裂して応急処置をしたとこだ。
こんどは、その根本から水道管が抜けてしまった。
ここを直さないと、うちで水が使えなくなる。
と少々、泡を食ったが、現場をよく観察して、なんとか復旧するのは難しくないと状況を読んで、このまま。
きょうは、寝る。


■2020-11/13
[野の編日誌]

おれの腰痛って、けっきょく持病みたいなもんで、腰痛予防の運動は、生涯続けないといけなく。
それは、続ける、無理なく続けられるってとこに重心があるわけで。
それは、日常の中でも不自然な動きじゃなく。
つい、やってしまう、できてしまうくらい簡単な動きじゃないと。


■2020-11/12
[野の編日誌]

あさイチで愛用メガネ故障、修理不可。
ストックがあったので、なんとか日常復帰。


全体的にはひどくても、ちょっとでも、部分的にでもいいところがあれば、けっこうありがたい。


■2020-11/11
[野の編日誌]

あさ7時、室温7度。
「雲ひとつない」っていうやつ。
起きてすぐ、防寒綿入れ上着をドテラ代わりに着込み、パソコンに向かう定位置にホットマットを敷いた。
徐々に冬じたく、されど急ぎすぎず。
先んじて、自分の肉体以上を頼らない、こと。


■2020-11/10
[野の編日誌]

冬の服は、どうしても暖かくしようとして、つい生地が分厚くモコモコになりやすい。
すると、動きにくくなるし、細かい温度調節もしにくい。
というわけで、うちでは薄い生地のものを重ね着をするようにしている。
ペラペラベストや、ペラペラジャンパーでも重ねると暖かいし、脱ぎ着することで温度調節もできる。
と、これから冬の厳寒期突入するにあたって、ちょっとでも心地よい冬の過ごしかたについて、考え中。


■2020-11/9
[野の編日誌]

夕方、うち全体とそのまわりを見下ろせる「見晴らしポイント」に小椅子を置いてひと息つく。
季節柄、空気がきれいになってきた。
帰りそびれた雲ひとつだけオレンジ、水色から黒までのグラデーションの空。
星いくつかと、点滅する飛行体。
また、きょうが終わる。


■2020-11/8
[けふの料理・コールスロー2]

9月からはじまったコールスロー作りが、いまだ途切れずに続いていて、白菜、大根を差し置いて、うちのレギュラー野菜となりつつある。
ごはんのおかずとしてだけじゃなく、小腹空いたときのつまみ食いとしても(ぜいたく食材でもないし)遠慮なく、また、キャベツとベロの相性もいいらしく、けっこうおいしくおもいながら、バクバク食っている。


■2020-11/7
[野の編日誌]

秋バテ?、言葉の休日。


■2020-11/6
[野の編日誌]

服が気になる。
服の着心地が、寒さや暖かさと関係があるような気がして。
服は義手義足とおなじく、皮膚の延長、義皮膚。
ピッタリサイズはもちろん、皮膚への当たりが柔らかく、軽く、できれば着ていないような着心地が理想なんだが、と。
いろいろ着たり脱いだりしてみる。
うちなりの衣替え、っちゅうか。

衣服には表裏という2面があり、表は外側との関係性、裏は内側との関係性と、それら求められる方向は反対。


■2020-11/5
[野の編日誌]

うちの近くの山々のすきまから富士山が見える、ことがある。 天気の加減で、見えるのは年の半分より少ない。 きょう、ひさびさの富士山、夕日をうけて金赤に光っていた。 これもこの時期の風物詩。 ・

■2020-11/4
[野の編日誌]

テレビでは、ほかの国の大統領選を大変なことのように流している。
うちはと言えば、なにも変わりなく、音なく、ただ秋の色が濃くなっている。


■2020-11/3
[野の編日誌]

毎年この時期恒例の陽気、午後、太陽光が真横から射し、あたりの景色が光と影のきっぱりとした2色になる、「火星日和」。


■2020-11/2
[野の編日誌]

あさは寒く、夕方はつるべ落とし。
光陰は矢の如し。
せめて。
そういうこと、気に止めて過ごしたくおもう。


■2020-11/1
[野の編日誌]

11月1日、1並びの日。
あさ7時、室温9度。
もうちょっとで白い息になりそう。

先日購入し、(常温で)数日ほったらかしの柿、口にしてみると、ねらいはバッチリ。
甘み増して、なんという美味しさ。
常温でも日持ちがして、酒に漬けることや、干し柿という技も使える。
柿、見直した。


■2020-10/31
[野の編日誌]

秋晴れの下、くさとり草取り。
スコップいっぱい地中に刺して、地下茎を取り除く。
手作業で、あと何年かかるんだろう、というような面積。
オマジナイ「去年よりマシ」唱え、息ひとつ吐く。


■2020-10/30
[野の編日誌]

コロナ禍が歴史に残るできごとであること、認めざるをえん、とおもうようになってきた。
「2011 東日本大震災」や、「2001 アメリカ同時多発テロ事件」など、そのことを基点として、それ以前と以後が大きく変わるような、そんなレベルのできごと。


■2020-10/29
[野の編日誌]

生きものの、生きかたと、その姿は一致している。
ニンゲンだけが、一致してない。
たくさんの筋肉を持っているのに、きちんと使う生きかたをしていない。
ニンゲンの生きかたには多すぎる筋肉のために、不都合のつじつまを合わせるために、おれはスクワットをする。


■2020-10/28
[野の編日誌]

スクワット、少ない回数でも、だいたい毎日するようになって、まー体調良好がつづいている。
あと、梅の樹にぶら下げた鉄パイプに、ぶら下がるのも毎日。
近所スーパーなんかで、自転車漕ぐのは週1。
この運動3種で、おれの腰痛対策、なんとか勘弁してもらえんか、打診中。
どうぞ、よろしくおねがいします。


■2020-10/27
[野の編日誌]

つひにヒートテック上下装着。
そういう時候になってきた、と暦を見たら、10月も早、終わり。
11月にもなると年越しエンジンが回り出すから、静かなのもいまのうち。


■2020-10/26
[野の編日誌]

きょう、見切り品バナナ4房と、キズもの柿8コ、安価に入手。
これら、腐るまえに食べきる、という「秋の果物ラリー2020」、開始。
バナナ4房というのは、先日経験して自信がある。
最初に全部のバナナの皮をむいて冷蔵庫に入れるが、コツは容器のフタをせずに、冷蔵乾燥させること。
そしたら、甘みが強まるし、日持ちする(ような気がする)。
柿は、口に入れるのなん年かぶりの贅沢品。
こちらは、常温放置して熟してしまっても、それはそれでうまいんじゃないか、という読みで。


■2020-10/25
[野の編日誌]

うちの地域はちょっと標高が高い(250メートルくらい)せいか、あさ霧が出る。
霧が見えなかったとしても、たいてい露は出ていて、そこらじゅうの草も、トタン屋根も濡らしてしまう。
この土地の風情などと言うんだろうけど、おれには年期足りてないらしく、まだよくわからない。
表に出てるもの、自転車とか、が濡れてしまうことが困る。


■2020-10/24
[野の編日誌]

雨樋の「集水器」っていう部品がサビサビで(昔のだから金属製)、形が半分失われてるところにペットボトルを切って足す。
まーなんとか、いけそー。
これは修理でもあるが実験でもあり、はじめてのことはできるだけ試すようにしている。
実際に試した経験値を貯めるようにしている。
(お金はともかく)。


■2020-10/23
[野の編日誌]

車庫の雨樋も壊れているので、どう直すか考える。
雨樋って、住宅にとっても、町にとっても目立たない存在で無視されがち(おれだけ?)だが、ところがどっこい、たいへん重要。
とはいえ、こちらに移住してから、しみじみとわかってきた。
小さな水の流れは地を削るし、住宅にとっての湿気は天敵のような存在。
などなど、おもいを巡らす、まさに秋の長雨の中。


■2020-10/22
[野の編日誌]

自分の身につけるものの中でもメガネって、とりわけ大事な道具だ。
まさに、体の一部。
これがなくなると、生きる希望が1割くらい減る、っても過言ではない。
その、長年愛用の老眼鏡が、ゆるんでてズリ落ちてくる不具合が、ようやく直せた。
これ、そもそも100円ショップで購入したもので、もう使い続けて数年。
これでまた、しばらく使えそう。


■2020-10/21
[野の編日誌]

んーと、役所に寄ってからスーパーに行き、帰ったら洗濯ものを干して、枯れ草を少し燃やす。
昼ごはんのおかずの麻婆キャベツ豆腐を作り、あしたのおかずのレバーを炒める。
と、いろんな種類の用事が時間の無駄なく、すいすいスイスイとこなせる日も、ないこともないよーだ。
よっぽど稀だが。


■2020-10/20
[野の編日誌]

なにかを見ても、それがなにか、すぐにわからないことがある。
わかるまで、時間がかかることがある。
そのほうが、いいアイデアが生まれることもある。
急ぐことはない、すぐにわからなくて、いい。


■2020-10/19
[野の編日誌]

先日直した雨樋の、穴が空いたとこから雨漏りするのを直した。
同じ箇所の修理を重ねたわけだが、まだ手はかかるとおもう。
うちを建築的に名をつけるとすると「ずーっと工事中の家」となる。
いつも、どこかしらを直し続けている。
人員1名なので、時間はかかる。
なん年もかかるので、いっそここに住みながら工事している、と。

修理すぐあとに雨、雨漏りないこと確認。


■2020-10/18
[野の編日誌]

いままでと比べて、あまり急に気温が下がると体が驚いて、とても寒く感じる。
でも、この気温が続くと、体が慣れてきて、寒く感じなくなる。
そういう、季節の移行と、体の感受性との追っかけっこ。

おれと、この土地のあいだには、まだよそよそしさがあって、そのよそよそしさの分だけ、気候を厳しく感じてしまうんだろう。
さあ、この冬本番は、いったいどんな感じかたをするか。


■2020-10/17
[野の編日誌]

三寒四温ならぬ、四寒三温。
陽気が行ったり来たりして、 体が慣れない。
気温18度だから、そんなでもないが、きょうは寒く感じる。
冬上着を羽織り、パソコンのキーボードあたりを照らす手元暖房を点ける。
そして、終日雨が降っている。


■2020-10/16
[野の編日誌]

日が暮れるのが早くなった、暦を見れば10月真ん中。
ただの目盛り、暦に感情を求めてしまう、つい。


■2020-10/15
[野の編日誌]

自転車に乗るようになり、近所スーパー(片道10分)によく行くようになった。
よく行く分だけ、まとめ買いしなくて済む。
冷蔵庫を満タンにしなくてもいい。
これ、おもいのほか気分、楽になった。


■2020-10/14
[野の編日誌]

野生の生きものを少しづつ手なづけ、人のペットのようにしつけをする。
よくしつけられたペットのように、あまり世話がかからない。
うちの植物たちについて、そんな風にならんだろうかと考えている。
植物も、生きものもペットも、じつはそんなに好きじゃない。
世話はメンドクサイ。
自分のヒゲや髪を切るくらいの手間で、些細なこととして、うちの日常サイクルに収められんだろうか。


■2020-10/13
[野の編日誌]

うちにおける草の状況は、少しづつだが年々よくなっている。
「去年よりマシ」、これはホントにありがたい。
1個でも星が見えるなら、やっていける。


■2020-10/12
[野の編日誌]

きのう日が暮れて、くつろいで横になってテレビを見てるときに、テレビの手前の自分のひざになにかがワサワサするのが見えた。
ウギャ。
それは、ムカデだった(体調10センチ)。
デスクの手元に常備している殺虫スプレー、すぐに噴射。
噴射数回、数十秒ほど、惜しみなく使い、そして相手は動かなくなった。

ここん家に来て、虫と接する機会が増えた、てか毎日毎時間、たくさんの虫たちと接している。
まー、それなりに(たとえば、飛ぶハチをハエたたきで叩いて落とすくらい)慣れてきて外では構わんけど、室内に来られると困る。


■2020-10/11
[野の編日誌]

雨が止んだ。
丸4日間、休みなく、ずーっとずーっと雨。

ようやく草取りができる。
否、草取りじゃなくても用事がなくても外に出る。


■2020-10/10
[野の編日誌]

ブレードランナー雨、止まず。
インフルエンザワクチンによる気だるさ抱えて、屋外で息抜きもできず、室内でモンモン悶々。

見切り品のリンゴとバナナを食事代わり(1日1度の炊飯以外)に、せっせと食す。
リンゴなんて、こういうことでもないと口にできん高級品だから大事に、かつ、痛んでしまうまえにとおもいきり良く。
こうなったのもなにかの縁、遠慮なく、おれの口の中で成仏してくれ。


■2020-10/9
[野の編日誌]

きのうに続いて、ブレードランナーの雨。
永遠の雨。
もう、雨が止むことはないだろう、コンリンザイ金輪際。

ゆうべは寝てる間中、胴体が地面に張り付いてしまい、よもや地の重力から逃れられることはないだろうというような倦怠感あり。
胴体の寝返り打つたびにヨッコイショ、ドッコラショの呪文唱えながら体を動かす。
これ、インフルエンザワクチンの副作用らしく、すなわちなにやら効いてくれている模様、本チャンのウイルス来たら、よろしく頼むで。
と。


■2020-10/8
[野の編日誌]

まるで、映画「ブレードランナー」のような雨。
雨だし寒い中、インフルエンザワクチンしに医者へ。
インフルエンザワクチンは、もしかしたら初体験、注射は嫌いだが。
「ブレードランナー」のレプリカントが雨に打たれながら泣いたように、おれも生に執着がある、と。

ついでに寄ったスーパーで、バナナ4房とリンゴ6個の見切り品を救出に成功したが、うちに帰って「これらどうするんだ」と悩み中。


■2020-10/7
[野の編日誌]

きのう、雨を願ったら、さっそくきょうの雨。
修復の具合は、好調。
初心者の、ようす見リフォームでもあるので、これでオッケー。
まー、おーざっぱに言えば、ちょっとずつ直して、10年かけて全体ひと回りできたら、ありがたい。


■2020-10/6
[野の編日誌]

雨漏り箇所の修復、なんとか終了。
2階の屋根の高さなので、特段の注意いるし、空模様怪しかったので、60パーセントの出来で、いいことにした。
久々の(自分にとっては)大型案件、楽しさもあり、工作ゴコロうずく。
つぎの雨が楽しみ。


■2020-10/5
[野の編日誌]

腰痛対策のために、スクワット(のようなもの)をはじめた。
おれの体幹は、(数年ぶりに自転車に乗っただけで、腹筋の筋肉痛が起きるくらい)けっこう弱ってたらしいので、スクワットもちょっとづつ、1日5回とか。
筋肉って、急発進、急ブレーキ、てのが苦手らしい。
筋肉をだますようにして、少しづつはじめて、いつのまにか増やす、そういうものらしい。

自分の筋肉をどう鍛えて、生涯(故障なく)持たせるか、か、か。


■2020-10/4
[野の編日誌]

母家の端、東側の隅に雨漏りする箇所があり、そこをチェックするためにハシゴをかけて登ってみた。
物置きと母家の間を埋めるように、畳1.5枚分のプラ波板があてがわれていたが、紫外線劣化によってとうに散々と割れており、それが雨漏りの原因と判明。
で、プラ板を外して、きょうのところは終了。
ここん家、元々築100年以上の歴史があるが、昭和時代にやったらしい大きなリフォーム工事が、まるで子どもが目をつむったまま施工したんじゃないかくらいに「下手をこいて」て、おれのような未熟者にも目に余って悲し切ない。
下手なのは仕方ないとして、せめてココロ使えよ。


■2020-10/3
[野の編日誌]

自分のアイデアに、自分が感心する。
そして、自分がアイデアを現実にする。
この循環が、自分の原動機。


■2020-10/2
[野の編日誌]

唐突に蚊が激減し、植物もそろそろ成長止めるころ。
して、人体にも心地よき季節。
このときを味わわんと、ほかになにを味わう。

ゆふべ3時ごろ、ふと外に出てみると、ワオ「スーパーなんとかムーン」、うちの庭に月のスポットライトひとつだけ落ちて、それはまるで、大衆演劇の舞台のやうなのだった。


■2020-10/1
[野の編日誌]

うちの土蔵の2階部分の雨樋が、どうも無駄なような気がしていて、それよりは車庫の雨樋に流用したく、ただ、高い場所の雨樋をどうやって外すか、ここ2年ほど考えあぐねていた。
けども、ようやく、先ほど外せた。
ド素人のへっぴり腰でおっかなびっくり、ではあったが、やはり、「野の編オリヂナル・脚立を(足場単管というのを足して)延長したの」が、功を奏した。
ヤッター。
ありがとー。

秋の空。


■2020-9/30
[野の編日誌]

なんとなく、嫌いなので、見つけるたびにホイホイって抜いていた草を、ふと調べてみたら、それは「スベリヒユ」という名前だった。
んん?
グランドカバーに使えるかも。
ということで、急遽、グランドカバー候補として、しばらくは抜かずにようすをみることにした。


■2020-9/29
[野の編日誌]

季節、つぎに移りつつあり、長ズボンが欠かせなくなってきた。
だども、過ごしやすい。

庭に置きっぱなしのカゴを、なんとはなしにひっくり返した拍子に、オナガバチが数匹飛び出てきた。
ハチの巣を動かしてしまったらしい。
あー、気がつかずに刺されんでえかったー。
などという、ある秋の夕景。
一期一会、あるいは諸行無常、この夏の、秋の、すべての経験が過ぎていく。


■2020-9/28
[野の編日誌]

うちの建物(中古民家)が、はたから見てもみすぼらしいようで、建築リフォームのセールスマンがときどき来る。
セールスマンと言っても、近所のおじさんがちょっと寄ってみました風のひともいて、おじさんもみすぼらしいねと腹でおもう。
当然、ここん家の当人にとっても気がかりなことであり、遅遅とではあるがセルフリフォーム計画、進めてないこともない。
というわけで、きょうは脚立を(足場単管というのを足して)長く伸ばす懸案の実験をした。
屋根など、ちょっと高いところに、いかに安全に上がるかは、主要テーマーのひとつ。

一瞬でいっぺんに目的を叶えるのは無理。
自分時間でボチボチと、だ。


■2020-9/27
[けふの料理・コールスロー]

最近、ふとしたことでキャベツの塩(数時間)漬けを食べてみたら、そのおいしさに頭ガツンとやられて、それ以来、毎日、コールスローが欠かせなくなってきた。
作りかたは簡単、大きめのタッパーにキャベツ1/4くらいをザク切りにして、塩、レモン酢、マヨネーズを適量。
半日もすれば、食べられる。
食べながら味を調整し、減った分は継ぎ足す、もちろんキャベツも。
そうして、キャベツ1玉がなくなりそうになったタイミング(数日)で、近所のスーパーに走る。
もちろん、立派なごはんのおかずだし、いわゆる「小腹が空いた」ときも、これを。

白菜の塩漬け、大根の塩漬け、につづく、うちの新しいレギュラーになるか。


■2020-9/26
[野の編日誌]

まー、わからないことだらけだが、わからないなりに進む。
ビジョンをためして、その反応をみる。
そして、その反応によってわかった 分だけ、またためす。


■2020-9/25
[野の編日誌]

このごろ、樹木のどの枝を落とせばいいかが見えるようになってきた。
前は見えなかったのに、不思議。
無意識の意識が、当人の知らないところではたらいてくれて、意見がまとまってきたか。

樹木の枝と、畑の草は似ている。
どれを残して、どれを捨てるか、ということだ。

ただ、そういう自分のビジョンは、自然のなりゆきに異議申し立てすることで、それはいったいどういうことなのかが、まだ、わからない。
このまま、自分の都合で樹木や草を好き勝手にしてていんだらうか。


■2020-9/24
[野の編日誌]

樹木の枝を切り落とす。
すると、つぎの年に樹木は枝を増やそうとする。
ところが、つぎの年にも樹木の枝を切り落とすと、樹木はやる気をなくしてしまうようで、だんだん枝を出すいきおいがなくなっていく。
そして、数年後には自ら枯れてしまう。

なんていうか、「樹木の感受性」って、言へばいんだらうか。


■2020-9/23
[野の編日誌]

というよりも、自分がいちばん楽な姿勢を基準にすること。
自分がいちばん楽な姿勢を基準にしたものさしを作って、その中に「ふつう」を書き入れる。
そして、ときと場合によって「ふつう」と基準とのあいだ、また、それ以外のどこにだって自在に移動できることが望ましい。
ま、自分の基準は自分で作る、っちゅうこと。


■2020-9/22
[野の編日誌]

「ふつう」じゃなくてもいい。
「ふつう」という目盛りは基準ではなく、ただの目盛りしかすぎない。


■2020-9/21
[野の編日誌]

なんとか、たき火ができる陽気になってきた。
夏前からの、溜まりに溜まった枯れ草の山を燃やす。
朝からはじめて夕方になっても、まったく終わりそうにない、けども安全ゆとりを考慮して本日は終了。
あー、やっぱりたき火はけっこうタマシイ取られるから、くたびれたー。


■2020-9/20
[野の編日誌]

国勢調査をパソコンで提出しようとしたが、Macは利用環境じゃないと断られ、Winパッドではログイン画面でフリーズしたので、けっくきょ結局、書類に手書きした。
そして、Winパッドがバックグラウンドソフトがなんとかで、シャットダウンできないので、Macで理由を調べてそのようにしても状態変わらなく、あーなんでと嘆いてたら、勝手にシャットダウンしてしまった。
とても不機嫌な日曜午前。

デジタル化って、はたして便利なのか。


■2020-9/19
[野の編日誌]

むしろ9月に入ってから、蚊が元気。
蚊の量も、獲物(人)を見つける感受性も、噛みつく力もグレードアップしてるようにおもう。
草むらに入るときは、靴下と長ズボンをはき、蚊取り線香も携帯するが、なお刺される。
例年はそうでもなかったようにおもう、が。

野良仕事は、バカでかい立体作品をつくるような感じもあって、ハマるとやみつきになる。
ヒトの本来的な感覚かもしれん、子ども時代の砂遊びが、これに帰結するのか、ともおもう。


■2020-9/18
[野の編日誌]

真夏日(30度超え)、プラス湿度、プラス無風で、日が暮れても不快。
梅の枝打ちしたかったが、途中でやめる。

ひとのやる気は炎に似ている。
うまく育ててやらないと、途中で途切れる。


■2020-9/17
[野の編日誌]

草たちを大きな草のかたまりとしてまとめて見るんじゃなく、独立した草の1本づつの集まりとして見る。
草のかたまり全体を一度に剥がそうとするんじゃなく、1本づつを追いかけて、ときに土の中に分け入り、ていねいに土からはずす。
(実際の作業はともかく)そんなような態度で接してやる。
自分の事情を多い手数でしつこく伝えながら、相手(草)にあきらめてもらい、掴んだ手(根)を離してもらう、感じ。
頭にきて、草を引きちぎるなんて、もってのほか。


■2020-9/16
[野の編日誌]

夜、気温が下がるので、毛布で身をくるまないと寒い。
ランニングシャツの季節が終わった。
外にいても汗をかかなくなってきた、し。

暇をみつけては、せっせとススキ系とドクダミの根を掘る。
事務仕事の合間に掘る。
米を研いだついでに掘る。
なにか考えごとをするときに掘る。
息抜きで掘る。


■2020-9/15
[けふの料理・飽きない]

1日1回はごはんを炊いて食べているが、これがどうしたことか飽きない。
ごはんのおかずは質素で手抜きで、たとえば野菜の塩漬けに生卵というようなのが多い、でも、飽きない。
やっぱり、お米自体がうまいんだろうと、それも日本人との歴史的な付き合いの遺伝子レベルのうまみじゃないかとおもうくらい、うまい。
毎日食べているその最中、あー、なんてうまいんだ、とおもいながら食べる。

こういう食べものがあるから、毎日の自炊も苦じゃないのかもしれん。


■2020-9/14
[野の編日誌]

草を、悪い草、いい草に分けて、悪い草は取り、いい草を残すようにしている。
悪い草は、背が高くて抜きにくい草。
いい草は、その反対。
こうすることで、だんだんいい草だらけになるんじゃないかという目論見。
この優先順位をつけるようになって、草取りにたいする気持ちが、うーんと楽になった。
(当初は、全部の草を抜こうとしていた。)
この方針で1年以上やってきて、少ーしづつ、望みどおりになりつつある気がする。


■2020-9/13
[野の編日誌]

きのうと同じく全天曇天、過ごしやすい。
まー、この過ごしやすいのを頂戴して、きょうは神経痛の療養日としよか。


あーフガイない だどもカケガエない おれのカラッダー


■2020-9/12
[野の編日誌]

神経痛の薬の副作用だとおもわれるが、頭ボーっとしている。
脳がゼリーに固められたよう。
きょう、全天曇天で、天気もゼリー。
涼しくて過ごしやすくて、ちょっとのつもりの草刈りがとめどなくなり、終日やっていた。
頭が空っぽな、無為、無垢な感じ。
た、たまには、こういう精神状態も悪くない。


■2020-9/11
[野の編日誌]

きょう、未明3時ころから、左膝に神経痛、唐突に発生し、以降眠れず。
それから、夜が明けても痛みつづいていたので、こりゃ大事と判断し病院に行った。
そしたらやっぱり、この春からのヘルニアと関わりあるらしく、痛み止め薬処方してもらった。
省みるに、数日前の左脇腹の筋肉痛とのつながり、つまり急な畑作業が原因であるようにおもう。
あー、不甲斐ない(でもカケガエのない)自分の体、そんなに弱ってたのか。


■2020-9/10
[けふの料理・飽きる]

久しぶりに食べたものが、とてもおいしく感じられると、つい次の日にもそれを作って食べてしまう。
そういう衝動性が、おれにはある。
でも、それが3日目、4日目と続くと、ついには飽きてしまう。
(あんなにおいしかったのに飽きることって、不思議。)

そして、飽きたものは、もうしばらくは見向きしなくなる。
衝動性と飽き性、熱狂と冷淡。
これを、行きつ戻りつしながら、なにより自分自身に飽きんよう、過ごす。


■2020-9/9
[野の編日誌]

昼、きちんと晴れて暑いが、夕方、急に日が陰ったかとおもうと、どしゃぶり。
だども、おおむね快適。
洗濯や事務処理や畑作業など、まんべんなく動き、動ける。
快適だからか、言葉が生まれない。


■2020-9/8
[野の編日誌]

9月。
秋になり、過ごしやすいときが増えてくると、まわりのいろんなものが等身大に見えてくる、ような気がする。
(てゆうことは、夏はふやけてるのか。)


■2020-9/7
[野の編日誌]

最近は、パソコンデスクの脇になにか縫いものをおいといて、タイミングをみつけるたびに手縫い、手ミシンをしている。
そうして、こころを鎮める。
こころ落ち着けて、また、めんどうな、やっかいな案件に取りかかる。


■2020-9/6
[野の編日誌]

恒例の台風の季節。
おれらの暮らす大地の特徴で毎度のことだが、案外おおきな被害が出るからあなどれない。
「気」を「付」ける。

自分のすべての知り合いにも、またそれにつながるすべてのひとびとにも、災難ありませんよう。


■2020-9/5
[野の編日誌]

あんまり込み入った複雑なしくみを、いっぺんに理解することは、けして得意じゃない。
なので対象を分解し、問題を分けて、少しづつ相対する。
少しづつでも、理解できてくると楽しくなる。
自分に合う、理解のやりかた、スピードがある。


■2020-9/4
[野の編日誌]

左脇腹の筋肉痛、弱まってきた。
ありがてーこった。
年初の腰痛をはじめ、ことしはおれの体幹の厄年、あるいは「体幹の大棚浚え」のようだ。
(体幹:身体構造のいちばん中心)。
おまえ、これからどういう半生を送りたいか、と天に問われてる。

「ホームセンターの工具より、自分の体という工具」


■2020-9/3
[野の編日誌]

左脇腹が痛むけど、どうしてそうなのかわからなかった。
数日まえに畑でいつもより力を使う作業をしたから、どうやら、そのときの筋肉痛らしい。
あー、これこれ。
すぐにSOSを出せなくなってきた、おれの筋肉。
おれの年代になると、筋肉痛がすぐに出ないから、気づかないうちに無理な運動を重ねてしまい、自分ですすんで重症ドツボにはまるようなことになってしまう。
これからは、急に激しい運動せざるをえんときは、意識で筋肉の面倒みてやらないと。


■2020-9/2
[野の編日誌]

【青森ねぶた祭】2019
https://www.youtube.com/watch?v=-gGXjEdFjzc


■2020-9/1
[野の編日誌]

さうして、9月になった。
夏の猛暑より、こっちのほうが怖い。
ある意味残酷な、ときの流れ。


■2020-8/31
[野の編日誌]

草が地面に根をはっているようすは、大きな布地に細々した布切れが縫いつけてあるようであり、草取りは、その縫い目をほどくことに似ている。
つ、つまり、おれは室内では衣類の縫い目をほどき、屋外では草の縫い目をほどいている。


■2020-8/30
[けふの料理・素スパ]

お米のごはんには、塩がよく合う。
手に塩をして、炊きたてのごはんでおにぎりを作って、そのまま食べる、というのが自分の「最後の晩餐」。
そのときの注意事項は、ほかの具も味もなーんにもいらない。
余計なことは、せんでくれ。
ごはんと塩、1対1のシンプルな緊張関係がうまいんだとおもう。

と、パスタ、っていうか、スパゲッティの乾麺でも同じようなことがある。
スパを茹でてから、あとは塩とオイル少々。
これだけで十分にうまい。
緊張的にうまい。
イタリア人さん、どおおもう?


■2020-8/29
[けふの料理・アレンジをする]

毎日食すトーストにはマヨネーズを塗っているが、最近「からしマヨネーズ」のほうが、さらにうまいということに気がついた。
けども、市販の「からしマヨネーズ」は高い。
というわけで、自分で作ることにした。
とはいえ、ふつうのマヨネーズに「からし粉」を足すだけ。
そして、食べてみたら、とってもおいしかった。

そうか、「からしマヨネーズ」がほしいときは、自分で作ればいいんだ。
っていう、案外意外だが、とても当然な結論を、(トーストとともに)噛みしめる、きょうこのごろ。


■2020-8/28
[野の編日誌]

猛暑日、まだつづくらしいが、少ーしづつ季節はうごいて、過ごしやすくはなっている。
きょう、蒸し暑い中、草取りをちょっとだけ再開。
気まぐれにでも、気がついたときに、いち日でも早く草を抜くことが、結局いいような気がする。
っていうか、自分が気持ちよくなるような草の取りかた、をすればいんだろうとおもう。


■2020-8/27
[野の編日誌]

衣類のリフォームには、我慢する局面が多い。
縫い目をほどいて布部品に分解することも、改造して手で縫い付けることも。
とても地味な作業を長い間つづける。
ンア≫ーって、叫びのような伸びをしながら、えんえんと地味をつづける。
ときに、縫い間違いをしてしまったら、また、縫い目をほどいてやりなおす。

こういう我慢は、自分にとって裁縫以外に、あんまりない。
目的のために息を殺して、ひたすら耐える。
いい工作修行になる。


■2020-8/26
[けふの料理・フライド-サツマイモ]

きょう、どうして、それが食べたいのか、うまく説明できないことがある。
そもそもは2日まえ、なんとなくフライドポテトを食いたくなり、ジャガイモを素揚げし食してみたら、おもいのほかうまかったということだ。
で、調子に乗って、きのうは(もうジャガイモはなかったので)サツマイモを揚げてみたら、やっぱり「おもいのほか」うまかった。 そして、ついにきょうもサツマイモの素揚げと、あいなった。
夏の終わりだから、食べたくなったんだろうか。
もう、イモ類は使い切ったから、あした、なにしよう。


■2020-8/25
[野の編日誌]

この夏、知り合いになった(ような気がする)ギンヤンマがいて、(数日ほど)だいたい毎日顔を合わせてたのだが、きょうソイツはひとりじゃなく、かつ、交尾をしていた。


■2020-8/24
[野の編日誌]

NHK バビブベボディ 『ゾゾゾゾーキ』
https://vimeopro.com/kokkawasaki/reel/video/262564647

  ゾゾゾゾーキ
ぞくぞく
わくわく
ゾゾゾゾーキ
みんなのげんき
ごきげんな
ハーモニー

もぐもぐ したら
いが もごもご
しょうちょう だいちょう
ちょう ぜっこうちょう
うんちぷり
ぷりぷり
そうさ できあがり

ゾゾゾゾーキ
ぞくぞく
わくわく
ゾゾゾゾーキ
ぼくらのいのち
おどろきの
ハーモニー

からだのなかは ワンダーランド
まいにちつづく パーティーだ
みえなくても いるからね
しぬまでいっしょに いるからね


■2020-8/23
[野の編日誌]

ゼスプリ キウイ TVCM 2020
「好きなことを楽しみながら」
https://www.youtube.com/watch?v=eDlL_uTciCs


■2020-8/22
[野の編日誌]

夕方に雷雨。
雨は、そんなに強くはなかったが、急激な気温低下あり。
あー。
な、夏が、体力使いはたして、よろけた瞬間が見えた気がする。
やっと慣れ親しんだ、この夏、行ってしまうのか。


■2020-8/21
[野の編日誌]

夏の歳時記、夏バテ、らしい。
とてもゆるやかで際立った症状があるわけじゃない、ただボーっとして、なにごとも進んでいかない、この感じを言うなら、ということ。


■2020-8/20
[野の編日誌]

久々に買い出しのために車で外出した。
数十年ぶりにコインランドリーに行って、夏も冬もずーっと使用中のマイフェバリット毛布をはじめて洗濯してみた。
布団洗いにも、現代のコインランドリーが使えないわけじゃないことがわかったが、あんまり暑いので、タイトに買いものを済ませて、とっとと帰ってきた。


■2020-8/19
[野の編日誌]

てっぺんにいた太陽がだんだん降りてきて、ぼちぼち日影も風も増えてくる夕方、ニワのすみの定位置のイスに、どいっこいしょと腰かける。
そこから、空やニワやハタケを眺める。
きょう一日過ごした時間を、眺める。
ぼんやり、眺める。


■2020-8/18
[野の編日誌]

8月の暑さにとらわれて油断してると、ふと気がついたら9月になってて、それはつまり秋だっていうことに愕然と、し、かねない。
ア≫ー。


■2020-8/17
[野の編日誌]

大事なものは、ゆっくり作る。
急がない。
そのおもいつきが信じられるかどうか、おちついて確かめる。
すぐに手を動かさない。
少しだけ作ってみる。
だんだん作っていく。
大事なものほど、ゆっくり作る。


■2020-8/16
[野の編日誌]

夏用のふだんズボンをバージョンアップして、股あたりを広く、涼しくするべく、せっせと手ミシン。
自分の衣類を縫うことも、自炊することも、とても大事。
暮らしの質に、もろに関わる。
し、慣れてくると、手ミシン楽し。


■2020-8/15
[野の編日誌]

このごろ、例によって、近所の店に行くとき(店に入る直前に)、もちろんマスクをつける。
こんなときの「ふだん用マスク」は、装着感があんまりきつくないほうがいい。
よそいきとふだんで使い分ける、当然。

で、自分にとっての「ふだん用マスク」とは、どんなんだーって考えはじめ、きょうプロトタイプを作ってみた。
8月に入って、原爆の日、お盆、終戦の日と、「死」についての思索つづけながら、手は「手ミシン」。


■2020-8/14
[野の編日誌]

山梨の猛暑と厳寒は、「死」を実態として触ることができる、ギリギリだ。

ま、こういうときは、とにかくよく寝る。


■2020-8/13
[野の編日誌]

こう暑いと、心的平衡感覚をやられる。
これぢゃ熱中症じゃなくても、頭ボーッとしてしまう。

日本の真夏と真冬の、なんという差異。


■2020-8/12
[野の編日誌]

ただいま14時、室温35.6度。
扇風機が空気をかき回して、体温に近い風がヌルヌルと肌をなでているが、案外、不快でもない。
禅の修行のように身も心も静かにして、暑さをやり過ごすようにしている。

自分がつくった予定どおりに行かないときは、予定のほうを変更する。
予定をつくる自分と、行動する自分が、なかよくするようにする。
日日を気持ちよく過ごせるようにする。


■2020-8/11
[野の編日誌]

それでも風が多少あるから、そんなに苦じゃない、きょう。
このいちばん野良しにくい季節に、いちばん草が伸びる。
そういう矛盾がおもしろい。
おっかなびっくり畑に入って、ちょっとだけ野良。
あーでも、ススキ系が減って、エノコログサ系が増えてることはありがたい。
エノコログサは茎が柔らかいから、草刈りしやすい。
そーゆーことが、どれだけうれしいか。


■2020-8/10
[野の編日誌]

えー、ただいま正午で室温32度、湿度高めで無風。
屋外はもちろん日当たりよく、すぐに汗ダラダラ目にしみ、身動きできず。

自動巻きの腕時計を、わからんなりに裏蓋を開けていじってるうちに、なんとか直ったっぽい。

アンラッキーとラッキーが、抜いたり抜かれたりする夏の日。
セミが鳴いている。


■2020-8/9
[野の編日誌]

Winパッドと、腕時計の充電池を、新しいのに交換した。
これら充電式機器がトラブルときの原因は、充電池によることが多いことを最近、とくに今年学んだ。
この2月のモバイルWi-Fiルータ故障で、ネット接続できなくなったし。
充電式って、どうも好きじゃないけど、現代、そうも言ってらんなく、早い目に予備電池を用意しとくようにするか、とおもう、きょうこのごろ。


■2020-8/8
[野の編日誌]

なんだかくたびれてきた、ような気がする、8月上旬バテ?。
ので、きょうは、あえてルーズに、ダラダラと過ごす。
決め、区切り、をつくらない。
前向きに、ならない、ようにする。


■2020-8/7
[野の編日誌]

そ、その、つまり、「手で洗濯をするゲーム」をするようにして、実際に、手で洗濯するってのは、どうだろうか。


■2020-8/6
[野の編日誌]

8月に入って、ランニングシャツとトランクスの軽装モードになってきた。
うちで過ごすときはもちろんのこと、家まわりのかんたんな用事をするときも、このまま。
宅配の受け取りも、このまま。
ただまー、長引いた梅雨のせいだとおもうけど、今夏はそんなに暑くない、とおもう。


きのうのハシゴ、ちゃんとはかったら5メートルあった。
頑丈そうだし、そんなに傷んでない。
どうも、すいません。


■2020-8/5
[野の編日誌]

うちの近所のでかい川(富士川)の土手を散歩中、2、3年前から水の流れの中にハシゴが引っかかっているのがチラチラ見えて、どうも気になっていた。
はじめは、なにかの作業に使われているのかとおもってたが、川の水に押し流されては位置を変えてるのに誰もなんにもしないので、どうやら持ち主はいないらしい、と断定した。
というわけで、きょう取りに行ってきた。
うちの車の長さ3メートルに対して、アルミのハシゴ4.5メートル、これをなんとかくくりつけて。
もちろん、徐行ゆっくり運転、アクシデント、トラブル起きんよう、あ≫ー。
家までぶじにたどり着いた。
4.5メートル、こういうの欲しかったんです。
大事に使います。
どうも、ありがとうございました。


■2020-8/4
[野の編日誌]

で、夏用ジャンバーの裁縫がうまいこと行って、気分よくなってから、ほかの苦手な作業をする。
これ、わがままで気難しい自分の機嫌をとる術なり。

太陽が、よく照っている。


■2020-8/3
[野の編日誌]

夏用の涼しいジャンバーの修理と改造のために、裁縫の時間を過ごしている、日中。
だいたい手ミシン(手縫い)。
手ミシンは、こころが静かで、ある程度の集中がないとうまく行かない。
そいで、それはズーっとは続かないので、休んでは一服したり、休んでは食器を洗ったりしながら。
でも、結果的に気分は落ち着き、自身を内省したり。
正式に瞑想を習ったことはないが、まー「手ミシン瞑想」と呼んでみたりする。


■2020-8/2
[野の編日誌]

こころの気分もまた、天気のように晴れたり曇ったり。
豪雨や台風、地殻変動さえ、ある。
すべては、天体運行のオボシメシ、と。


■2020-8/1
[野の編日誌]

まー、もちろん、いつも元気いっぱい、じゃない。
なんでだか気分が沈んでたり、嫌な気持ちをかかえて塞いでたりすることもけっこうある。
そんなネガティブとポジティブ、んー、長ーいスパンで半半くらいだろうか。

あと、まー、どっちかって言うとプレッシャーが苦手で、それで困るようなときは、なにかほかの次元の、(野良とか)作業にたとえて体を動かし、そちらで気分を軽くしたり。
あとまー、プレッシャー対象の難しさを小分けにして、ちょっとづつ進めるとか。
ヨーするに、無理をしない


■2020-7/31
[野の編日誌]

ヒトは、その脳の造りから、どっちかって言うと、つい考えすぎてしまうらしい。
まー、もちろんそのことによる恩恵も多々あったんだろうーけど。


悩み:
あることがらについて、答えるべき答えが用意できていないときに、答えを求められたときの状態。


なにかにおもい悩むときは、運動をする。
歩いたり、ペダルを漕いだりして、カラダからの返答を待つ。


■2020-7/30
[野の編日誌]

日日、身の回りのいろんなものたち、日用品たちが壊れるから、直す。
気に入らないから、役にたたないから、直す。
かなうなら、ちょっとでもマシにだが、欲を言えば、もう二度と直すことが無いよう。
できれば、自分が死ぬまで使えるように。


■2020-7/29
[野の編日誌]

このままズルズルと、さかい目なく梅雨から真夏に移ってしまいそうな、中途半端な明るめの全天曇天。
このまま真夏に入る前に、今年前半の、とくに足腰系神経痛をちょっとでもマシにするべく、歩いたり、自転車漕いだりに余念ない、きょうこのごろ。
まー、だいたい快復はしてるが、筋肉貯金ちょっとでも増やしといて、真冬の神経痛危険期を迎えたい。
ので。
ので。


■2020-7/28
[野の編日誌]

「暮」らしの文字は、「墓」に似ている。


■2020-7/27
[野の編日誌]

遠くの草刈り機の音が、坊さんの読経に聞こえる。


■2020-7/26
[野の編日誌]

これから。
マスクがパンツのように。
下着のように。
あたりまえのたしなみのように。
ヒトが、いつも身につけているべきものになるのかもしれない。


■2020-7/25
[野の編日誌]

文は、おもいのたけを全部書いたらいいというものでもない。
それを、その言葉を、あえて書かないほうが、わかりやすい文になったりする。


■2020-7/24
[野の編日誌]

ふだん、まわりに「なんとなく」の空気がただよっている。
ときに、「なんとなく」の風がふいたり、はれたりする。
そんな、とてもあわい「なんとなく」のふくらみやゆがんでるとこ、をつまんで、白い紙のうえにそっとおいてみる。
ばびぶ、ぶぶ。
ぶ、文の。
きれ
はし。


■2020-7/23
[野の編日誌]

文には、つい調子に乗って書きすぎるっていうことがある。
書いたあとで気づいて、そこを削ったり、直したりする。
そのときの、「なんとなく」っていう感覚。

これ、案外大事な気がする。
「なんとなく」、だが。


■2020-7/22
[野の編日誌]

このところ、所用あって、まるで職業文筆家くらいの分量の文を書いたり、資料の文に目を通したりしている、数日。
気持ちを集中させ、独特な空気感に包まれる。
まー自分にも、そうゆう面がないわけじゃないんだっておもいながら、ときに伸びするついでに、気分転換になるような簡単野良用事ないか浮かべたりもする。
そして、外はとてもよく晴れて、湿気があって、クソ暑い。


■2020-7/21
[野の編日誌]

それから、腰痛の診察のため病院に行き、もうほとんど快復したと進言し、通院を終わりにしてもらった。
この帰宅直後、こんどは車の修理が終わったとの連絡があったので、車を取りに行ってきた。
つ、つまり、うちの車とその運転手の両方の身体系の故障が直って、大きめ懸案がふたつ減った、ということ。

とはいえ、自分にとっての懸案はまだ数えきれない数珠つなぎで、天までそびえていることには違いない。
ア≫ー、それに、とても蒸し暑い。


■2020-7/20
[野の編日誌]

あっちこっちにメール出したり、洗濯、散髪など、身辺の整理しているが、浮遊感はまだある。
逆に、浮遊感から覚めようと雑事をしている、感じ。
なるほど、近いひとを見送ると、自分もあの世に近づくんだ。
ただまー、強欲、かつ業も深いおれには、この世しがらみ多すぎて、まだ、そっちには行けん。
母ちゃん。
おれなんかより、そっちにゃ父ちゃんおるじゃろ。


■2020-7/19
[野の編日誌]

このたびの母のことは、事故でもアクシデントでも、ネガティブなことでもなく、まさに自然の現象だった。
たとえば、樹木のような100年単位の生体リズムのまま、とてもなだらかにフェイドアウトしてくれたこと、感謝している。
自分は生来、フォーマルがとても苦手で、どんな風に見送る形を作ったらいいのか、まるでわからなかったが、いざぶっつけで葬儀業者と相談してみたら、かれらはおもいのほか善良で正直で親切で、こちらの要望を全面的に聞き入れてくれ、対価もさほど過大でなく、滞りなく進行し、終了した。
今年、コロナ禍が進行するに連れ、それによる世の変化や制限が母にも及ぶこと以前から案じていたが、このたび特に制限感じることなく、たとえば新幹線はスカスカに空いてて、むしろ快適に自由移動できたのだった。
また、広島行にあたって、日本列島に横たわるしつこめの梅雨前線、豪雨情報を気にもかけたが、結果的に、どこにおいても傘を使う機会はまったくなく、区切りがついて広島を立つ朝、よく晴れていた。
(どこに向かい、なにをするにしても遮るものなにもなく不思議なくらい抵抗感なく進めたこと、見えぬ天使がはたらいてくれたのだとおもう)。
まー、それにしても、ここ10年ほどの母をどう見送るかという重い懸案、任務が、やっと終った。
(母に関して各方面に提出するための、ちょっとした分量の書類の束は、まだ手付かずだが)。

自分の心の上空には、じつは大きめの積乱雲(雨降らしの雲)が、かつてあったのだが、ふと気がつけばそれがなくなっている。
いま、そんなような気分、ホーッとしている。


■2020-7/18
[野の編日誌]

こんなコロナ不安の中にあっても、家を買え、車を買え、コレステロールの多い食いものを食えとテレビCMが流れる。
幸不幸がないまぜの、どちらか一方ではない世界。
平常自体が理不尽な、矛盾だらけのおれらの世界。
幸になるのも、不幸になるのも自分しだい。


■2020-7/17
[野の編日誌]

母は、96年生きた。
母は、はじめ呼吸を止め、やがて鼓動を止めた。
ひと晩を自分だけで過ごし、ふた晩目をその子たちと過ごした。
そのつぎの日、生の肉体が鉄の自動扉に吸い込まれ、炎をくぐり、1時間のち無機物の欠片となった。
そして、母は言葉となり、永久に変わらないかたちで遺されることとなった。


■2020-7/13
[野の編日誌]

広島在住の母が亡くなった、との知らせ。

静かに雨が降っている。


■2020-7/12
[野の編日誌]

夜中の豪雨は、朝には上がった。
そして、日が昇るにつれて雲も晴れ、日光はレーザー光となった。
湿度もしっかりあって、かつ無風。
つぎの気をつけ項目、「熱中症」の季節がやってきた。


■2020-7/11
[野の編日誌]

この長い雨季のあいだ、ニンゲンは屋根の下で背中を丸めるしかないのだが、草たちにとっては成長するための絶好のときらしい。
この数日のうちに、畑の草たちはずいぶん盛り上がっている。
見慣れん草も増えた。
あ≫ー、今年も負けた、とも、でも去年よりマシ、ともおもう。
どっちにしても、かれら(天候や植物)には敵わない。
戦おうとしたら、やられる。


■2020-7/10
[野の編日誌]

背筋を伸ばして、ゆっくり静かに息をする。
せめて。
せめて自分の平衡を保とうとする。
梅雨も、じきに終わる。


■2020-7/9
[野の編日誌]

雨、雨、雨。
梅雨が梅雨を全うしようとしている。


■2020-7/8
[野の編日誌]

まー週一程度、自転車に乗るようになって、太腿の筋肉が(ちょっと)ついてきたような気がする。
自転車は前に進むためだけじゃなく、走行中のバランス取るのにも足の筋力が必要なんだ、と、シロウトのように感心。
あと、うちの地区の道は高低差多いから、いろいろ鍛えられそう。
当面自転車、てゆーか、あと寿命がくるまでずーっとだ。
おれの義足だ。


■2020-7/7
[野の編日誌]

梅雨の雨でも途切れることもあり、そのスキにうちを脱出、自転車散歩する。
1キロ走ると景色が開けて、だだっ広い川の土手を走ると、あーやっぱり気持ちよくて、と、ついスーパーまで寄り道をしたりする。


■2020-7/6
[野の編日誌]

ちょっとづつでいいから。


■2020-7/5
[野の編日誌]

部屋で散らかったものを押入れに突っ込んで身の回りがきれいになったとしても、片付けたことにはならない。


■2020-7/4
[野の編日誌]

終日の雨。
日本列島に土砂災害にウイルス。
うちの町内放送で近所にクマが出たとのこと。


■2020-7/3
[野の編日誌]

きちんとした雨に乗じて、書類の分類整理。
草取りも、要は分類整理。
いわゆる生体の新陳代謝も分類整理。
分類生理は、分類整理。
なんでもかんでも、分類整理。


■2020-7/2
[野の編日誌]

最近、2、30年愛用の腕時計が壊れた。
修理に数千円(最低)するらしく、迷っている。
愛用のサンダルも壊れた(これは、捨てた)。
愛用の自家用車もブレーキがなんとかで、直すのに2週間、数万円かかると言われた。
ものが壊れるのは、宇宙法則みたいなもんだから仕方ないんだが、やっぱり寂しい。
おれは、ものへの執着心が強いんだとおもう。


■2020-7/1
[野の編日誌]

長年のメガネのズリ落ち問題が、やっと解決した。
それは、メガネの折れ曲がるとこに「輪ゴムをかます」という超簡単な方法だった。
ゴムのクッションで、きつくないのに、ズレにくい。
メガネは、ほぼ身体の一部で、切実な問題、しみじみアリガタうれしい。


■2020-6/30
[野の編日誌]

終日の雨。
今年の梅雨は、きちんと雨が降る。
はい、ご苦労さまです。
と。


■2020-6/29
[野の編日誌]

まー、土むき出しの地面てのは、やっぱり草が生えてくる。
それが茂ってくるほど不快におもうのは、どういうことだろう。

おれらヒトは、どうして草むらを削って平面を作りたがるんだろう。


■2020-6/28
[野の編日誌]

昼まで梅雨らしいしっかりとした雨。
雨後、土が柔らかく抜きやすい草を抜く。
抜く草にも、する作業にも、その時時の優先順位があることをおもう。
雨には雨の、雨後には雨後のふさわしい作業を探す。


■2020-6/27
[野の編日誌]

気温と湿度高く、風なし。
不快指数というより、具体的に不快。
草いじりの最中に蚊の羽音が聞こえると、もうダメ、急いで退散。

きのうの夕方作ったアサリの煮物も、きょうの昼には怪しい味がした。
食べたけど。
不快感も肝要なるかな。


■2020-6/26
[野の編日誌]

そしてハチに刺された左手がぷっくりと腫れて、手袋のようになった。
そして痒みが収まらない。
きのうの現場を見てみると、直径7センチほどのハチの巣が地面に落ちていた、だども近くにハチはいなかったから、巣の修復するのあきためたんだろうか。
ハチには申し訳なかったが、おれも刺されたんだし、イーブン、引き分けじゃないかとおもう。

それにしても、今年は身体のトラブル、アクシデントが多い。
それは、問題。
「ヤバイ」っていうやつ。


■2020-6/25
[野の編日誌]

例によって草取りの最中、手をハチに刺された。
ハチに刺されるのって重い痛みが走るから、はっきりわかる。
草むらのハチの巣に、気づかぬうちに近づいたらしい。
2匹のアシナガバチがブンブン興奮していた。
すぐに手を洗い、できるだけハチ毒を吸い、薬を塗る、以上。
ただまー2年前のスズメバチに比べりゃ、そんなに腫れてない。
いまのところ。


■2020-6/24
[野の編日誌]

あるとき、道端に見慣れぬものが落ちていました。
砂袋のように大きくて重たいものです。
イクオは、それを持ち上げてみようとするうちに、これがなにか気づきました。
「か、体だ」。


■2020-6/23
[野の編日誌]

きょうは病院に行って、坐骨神経痛の診察。
だいたい、6、7割は治っているが、念のために養生を続けることを確認。
加齢とは、こういうことなんだろう。
とはいえ、それをそのまま鵜呑みにすることできず、ジタバタする。
じたばたジタバタと日が昇り、アっという間に日が暮れる。


■2020-6/22
[野の編日誌]

あ≫ー、きのうだった。
「野の編の祝日・夏至」、おめでたう。
天体さんも、いつもごくろうさま。


■2020-6/21
[野の編日誌]

なにかものが、おれにぶつかってきた、とする。
心地いいか、痛いか。
そのときの感触は、自分のものだ。
自分の中に理由がある。


■2020-6/20
[野の編日誌]

そうして、地面にスコップを突き立て土をめくった途端、たくさんのアリが溢れてきてから、アリの巣を直撃してしまったことがわかる。
たいへんだー、たいへんだー、てゆかれらの声が聞こえる。
アリの大騒動。
申し訳ない、とも、致し方ないともおもう。


■2020-6/19
[野の編日誌]

夜中に、変な物音で目が覚める。
隣室の床下あたり、少なくとも2、30キロくらいの重さの動物がものと当たるような、こすれるような音。
足でドンドンと床を踏んで応戦したら、人間がいることを察してくれたのか、音がしなくなった。
それ以来静かなままなので、たぶん、いなくなったんだらう。

それから、1、2時間ほどして、こんどは外で鳥らしき鳴き声がうるさい。
見に行ってみたら、軒下の出っ張りに5、6センチのほどの小鳥が止まって、ギャーギャーと鳴いている。
近くから覗き込んでも逃げない、まだ羽ばたきもままならないヒナのよう、小さい体全身を使って、とってもでっかい音量で叫んでいるのが、いじらしい。
たしかに、そこらへんに成鳥がいる。
事情を察してすぐに退散、寝床に戻り耳をすましていたが、すぐに鳴き声が止んだから、状況が進展したらしい。
ヒナの巣立ち、とおもわれるが、どうしてまた、こんな未明に。

と、おかげで寝不足気味、「野の編・初夏の生きものエピソード」、2題。


■2020-6/18
[野の編日誌]

天気には、静と動あり。
きょうは、ムラのない均一グレー空で、風もない。
鳥も鳴かず、オマケに近所の人々まで動きを止めている。


■2020-6/17
[野の編日誌]

土いじりは、作業でもあるが息抜きでもある。
敷地全体を見渡して、日陰を探す。
そこにしゃがんで土用ナイフを、草の根元に刺す。
根っこごと草を抜く。
自分の食欲(のようなもの)に従って、抜いたら気持ちよさそうなのを抜く。
くりかえす、繰り返す。
そうゆう自分を、真上から見おろし、見守りながら、くりかえす、繰り返す。

ホトトギスが鳴いている。


■2020-6/16
[野の編日誌]

うちは、部屋の中にいろんな虫がやって来る。
きょうは珍しくキリギリスが来たが、めんどくさいので放っておいた。
そのことを忘れて夜、まだいたので捕虫網でやさしく包んで、外の草むらにお帰りいただいた。


■2020-6/15
[野の編日誌]

きょうは梅雨間の晴れ日。
と、それはいいのだが、湿気がきちんとあって、しっかり暑い、かつ無風。
35度になるとテレビが言っている。
たしかに、油断してると死にそうな気がする。
というわけで、外流しのある日陰で、水道を気がねなく使い、野ブキの下ごしらえを丁寧にする。

オマケに蚊も到来し、昼から蚊取り線香点火。
そして、やっぱりたまらず初扇風機。


■2020-6/14
[野の編日誌]

晴耕雨読、晴耕雨デジ。
雨の日には、雨の日ならでは作業をする、するやうにしている。
土が柔らかくなって、抜きやすくなった草を抜いて回る。
雨水を使って洗いものをする。
デスクワークに励む、などなど。


■2020-6/13
[野の編日誌]

梅雨入り宣言と同時に、きちんとした雨降り。
まー、暦通りの順調な天候運行ということで、けっこうなこと。
ウイルス騒動だって、ウイルスの働きとしては、自然なこと。
火山の噴火も、大きな地震も、自然なこと。

町役場からもらった使い捨てマスク50枚と噂のアベノマスク、おれは間に合っているので、茨城に嫁いで(家族も多い)子に送った。


■2020-6/12
[野の編日誌]

「田舎」の対義語は、やっぱり「都会」だらう。
それぞれ指向の向きが違う、正反対と言っていい。
うちの地区の場合、「都会」的なものを指向したが、そうなれなかった、あるいは、そうなる途中だが、あまりに時間がかかりすぎている、っていう感じか。
「田舎」でも「都会」でもない、「田舎」に近い宙ぶらりん地区、、、。


■2020-6/11
[野の編日誌]

ここは、幹線道路もJRも近くを走っている。
でも、JRの最寄り駅は無人駅で、駅前にも人はいない。
徒歩15分くらいのとこにあった、ガソリンスタンドやコンビニ、スーパーが、なんでだかこの数年でなくなった。
「田舎」と言えば、どこまでも広がる田んぼや畑のことをおもうが、ここはそんなでもない。
田や畑は点在してるが、作物を出荷してっていう雰囲気じゃなく、大きめの家庭菜園レベル。
「住宅地」と言われたら、そうかもしれん、とおもう。
住宅と住宅の間隔が広い「住宅地」。
ここらの人々は、街中に通勤してるのかもしれん。
とまー、おもったりするが、結局のところ、ここをなんと言っていいのかわからない。


■2020-6/10
[野の編日誌]

夜になって、ボツボツと雨。
梅雨が、もう近くまで来てるらしい。
1年のうちでも、いちばん安定して過ごしやすい天候の5月から梅雨まで。
あー、それも終わりか。

外に出て、あたりを見わたし空を見上げて、いつもと変わりがないこと確かめて、ため息。


■2020-6/9
[野の編日誌]

ふだん食パンを焼いている電熱コンロが壊れた。
間違えてスイッチ入れっぱなし空焼きというのを、30分ほどしてしまい電気コードの根元が焼けて焦げて切れた。
これは、あぶない。
とはいえトーストは食べたい。
どうしよう。


■2020-6/8
[野の編日誌]

地下茎は年を越して生き残るから、年を重ねるごとに増えてくる。
地上の草を刈ってなくなったつもりでいるのは、大きな勘違い。
というようなことが、だんだんわかってきた。
地中を掘ったら掘ったぶんだけ、いままで蓄積された地下茎が出てくる。
じゃ、地下茎を取ったら、今度こそ楽になるのか。
それは、来年にならないとわからない。


■2020-6/7
[野の編日誌]

インターネットでは、検索をよく使う。
中でも、画像検索をよくする。
なにか欲しいものがあるとき、欲しいものがあいまいなとき、画像検索をして、似たものがないか、違うバリエーションがないか調べる。
なにが欲しいかわからないときも画像検索をして、わかることもある。
ただ、画像検索をするのに言葉を使う、というのがイマイチ。
まーじきに、脳波経由の脳内イメージ入力するネット検索ができるだろう。


■2020-6/6
[野の編日誌]

東京時代、ものが壊れたら、すぐ買い換えることを考えた。
いまほど、ものを直さなかった。
ものに対して、粘着力、こだわる気持ちが増えた。
ものが壊れて、もう直せなくなったとしても、それを分解して素材として使うとか、しつこく考えるようになった。
それは、「イエス」と「ノー」の2択で答えを出さない。
その2つのあいだにある無数の段階を考えるようになった。
つづく。


■2020-6/5
[野の編日誌]

風で突然勝手に開いてしまう戸を、そうならないよう閉めたらきちんと閉まるように直した。
暑い日は開けっ放しにしておきたい戸を、ちょうどいい(部屋に風が入りやすい)角度で開けっ放しになるようにした。
と、夏の戸、工作2種。
こうやって調子が悪いものや壊れたものを直すことが、自分でできることはありがたい。
自分でできる(技術がある)というよりも、自分でしようとする意欲があるということか。
それは、すごくいいことだとおもう。


■2020-6/4
[野の編日誌]

夏の陽気。
湿気もあるが、気持ちは悪くないけど。
すっかり季節の進行に追われてる。
このままじゃ、すぐ秋になって冬になってしまう。
ちょ、ちょっと立ち止まって、あたりを見回さんといけん。
意識のリセットだ。


■2020-6/3
[野の編日誌]

坐骨神経痛は、いまだ快復途上、違和感がないこともない。
加えて、ここんとこ忙しかったこともあり、なんだかくたびれた。

けっくきょ結局、坐骨神経痛は大きな問題だった。
反省するとともに、これからの課題とする。


■2020-6/2
[野の編日誌]

うちの町内温泉が相変わらずコロナ休業なので、町外の、よそんちの町内温泉に行ってきた。
そこについての感想もろもろあるが、そんなことより超久しぶりの温泉、超久しぶりの湯船にしっかりと浸かった、ということに尽きる。
あ≫ー、ぎもぢよがっだー。


■2020-6/1
[野の編日誌]

去年よりは、畑の野イチゴが増えている。
小さくて真っ赤な実もポツポツできてて、かわいい。
この案外たくましい「野イチゴで畑を埋め尽くす作戦」(あと10年?)により、ススキ系の除草に励む。
ポジティブな目標があると、やる気が湧いてくる。


■2020-5/31
[野の編日誌]

というわけで、けさフキの茎葉を取って炒めてみた。
うーん、やっぱり美味。
レパートリーがまたひとつ増えた。
おれらの祖先もはじめはなんだかわからない植物をじかにベロで確かめてきたことを想像する。


■2020-5/30
[野の編日誌]

母家の裏手に畳3枚ほどのドクダミ群生区域があり、このドクダミたちにまぎれて、ポツポツとフキが生えている。
嫌なものだらけの中の、好物。
まー、世の中こんなもんだ。
ま、状況はともあれ、好きなものがあるだけでありがたい。


■2020-5/29
[野の編日誌]

毎年このごろ、うちのあちこちにドクダミが生えてくる。
ドクダミは食用にできるらしいが食べる気がしない、いまのところ。
邪魔な植物として排除しようとするが、とても成長たくましい、かつ地下茎だし。
これを食用とするとこのたくましさはありがたいのだが、なんていうか嫌なものって先入観ができてて、やっぱりどーも食べれない。


■2020-5/28
[野の編日誌]

右足の神経痛発生以来、数日ぶりに自転車で近所にお出かけ。
まだ脚の筋力が弱いし風が強いのでギヤを軽ーくして自転車を漕いだら、具合が良かった。

なんでも、すぐに決めない、まずはようすを見る、ということをするようになった。
新しいできごと、ものごとをすぐに受け入れない。
それらを時間をかけて育てる。
気持ちの時間ではなく、体の時間に合わせる。
ワンタッチではなく、マルチタッチ。
全自動洗濯機ではなく、二層式、あるいは手洗い。


■2020-5/27
[野の編日誌]

きょうは天気もよく、よーく動いて、いまヘロヘロ。


■2020-5/26
[野の編日誌]

お隣さんは、よく夫婦連れで畑作業(農業と家庭菜園のあいだくらいの規模)をしている。
こないだは、ふたりで梅の実を落としていた。
なーんて仲良しなんだろうと感心してたのだが、けさ採れたてのレタスをいただいた。
れれ、レタスってスカスカなのに安くないから、自分では買わないから。
いろーんな複合的な意味で、ありがとうございます。


■2020-5/25
[野の編日誌]

まだ、姿勢によっては脚が痛む。
一時の危機は脱したが、完治にはもう少々の時間を要する模様。
その脚のストレッチを兼ねて野良をする。

うちの土の感触と酒粕の感触がとてもよく似ていることに気がついた、湿気や重さ、粘り具合など。
目をつむって触ったら、どっちかわからないくらい。


■2020-5/24
[野の編日誌]

うちの粘土質で硬い地面のための、オリヂナルスコップを作った(電動ハンマー用のアタッチメントを流用)。
これ、筋がいい(試作段階だが、素質がある)。
かねてよりの念願シリーズの、ひとつ成就。

電動ハンマー用のアタッチメント:
http://shimizu-factory.co.jp/publics/index/293/


■2020-5/23
[野の編日誌]

いちばん近くの梅の木に、アブラムシが大量発生、どの枝、どの葉にも「びっしりと」っていうやつ。
(たぶんいつも同じ)クマンバチがうるさいので、バトミントンのラケットでおもいっきりスマッシュしたらヒットした、御免。
と、五月の虫、2題。


■2020-5/22
[野の編日誌]

少し歩けるようになったもんで、しばらくできなかった野良作業をむさぼるようにする。
ただま、新緑の植物の勢い盛んな時期、(たとえとして)鼻血出そー。
かれらには、かなわない。
と、自生するフキの葉茎を食ってみることにする。

苦も楽も両方くれる地の恵み


■2020-5/21
[野の編日誌]

歩く練習をする。
歩くことで、血液を足先にも循環させて、早く治るの促進、のつもり。
やっと、攻めの自己流リハビリできるようになった。

と、これ、いいような気がする。
でも調子に乗ってやりすぎると、また痛めるから。
気をつけて。


■2020-5/20
[野の編日誌]

どういう加減か「あ痛たたた」というときもなくはないが、全体としては快方に向かっている。
まだ確信じゃないが、たぶん大丈夫だろう。
たぶん。


■2020-5/19
[野の編日誌]

自転車のチェーンのこわばりを、オイル差しながら手でもんで、ちょっとづつほぐすようなことを、いま自分の脚にしている。
そのリハビリを利用して、たまった用事にもトライ。
ホントに「休み、休み」だ。


■2020-5/18
[野の編日誌]

きょう、観念して病院に行き、薬を処方してもらった。
2月のときと同じヘルニアが原因とおもわれる。
まー痛みゆるみつつあり、危機は脱したか。

畑には、ピンクのヒナゲシが群れている。


■2020-5/17
[野の編日誌]

右腿に違和感の棒が入っていて、姿勢の具合によってそれが痛む。
一日づつ、少ーしづつ良くはなっているが、ほんとに少ーしづつだ。


■2020-5/16
[野の編日誌]

左尻の違和感は、そのまま脚を下って右膝あたり。
これ、ギックリ脚だ。
峠は越えた、とおもうが。


■2020-5/15
[野の編日誌]

違和感とギックリ腰のあいだの細道、用心しながら進む。


■2020-5/14
[野の編日誌]

おとといの自転車漕ぎがきっかけか。
きのうから右尻の違和感、一向にひかず、腰痛の兆しかも知れんとおもわれ、安静にして過ごす。


■2020-5/13
[野の編日誌]

山梨だからか、日差しがとっても強く感じる。
日向と日陰の2色しかない。
12リットルのでかいペットボトルで日光乾燥器を作ったので、今年の研究課題とする。
こういうことが日日を前向きに過ごすための自分のやりかたなんだろうとおもう。


■2020-5/12
[野の編日誌]

「ちょっと食パン買いに」と、近所スーパーに自転車で行ってきた。
片道10分、いい運動、いい息抜きにもなる。
これで町内温泉がコロナ休業を解いてくれたらとおもう。
朝風呂に入った帰り、土手の風はさぞ気持ちいいだろう、と。
と。


■2020-5/11
[野の編日誌]

きょうは今年初めての夏日、あっつい、たしかに日向じゃ外作業ができん。
そうか、なつ、かー。
水仕事をゆっくりしたり、ついでに顔や頭を洗ったりして、涼を味わう。
去年とは似てるけど違う夏。
違うけど、似てる夏。


■2020-5/10
[野の編日誌]

草取りは嫌なことじゃないという心の構えができると、地面にうんと近づけて、興味を持って素手で土や草を触るから、相手のこともわかるようになるし、相手と近い分だけ力を込めることもできる。
これ、ほかにも応用可か。


■2020-5/9
[野の編日誌]

草取り、土の腑分けについて。
作業としてではなく、体験、観察、学習とする。
時計の時間ではなく、意識の時間で行う。

遊びだ。


■2020-5/8
[野の編日誌]

土って、いちばん身近にありながら、いちばん見えない、見ない。
触るものじゃなかった、汚いものだった。
土は、植物(ほかの生きものにとっても)の拠りどころであり、地上のすべてを支えるものであり、じ、地面である。

やっと、土と出会ったような気がする。


■2020-5/7
[野の編日誌]

植物の根もおもしろいが、土もおもしろい。
色、硬さ、粘り気、などなど。
手の感触で土の違いがわかる。
同じ敷地でも、ずいぶん違う。
そうとう長い間、めくられてない(とおもわれる)土もある。
庭の土には砂が混ぜてある、なんでだか。

Uさん(近所のおばちゃん)は、どうして手袋をしないんだと、いつも言う。


■2020-5/6
[野の編日誌]

世のゴールデンウィークは終わろうとしている。
でもウイルス騒動は、もうしばらく続くだろう。

そういうことにかかわらず草はスクスクと伸び、そういうことにかかわらず雨が降る。


世のコロナウィーク ■2020-5/5
[野の編日誌]

自分なりに種類を選んで草取りをしている。
むき出しの地面には、どうせ草が生える。
だから、どうせなら楽な草を残して、楽じゃないのを取る。
長い目で見て手がかからない畑にしたい。
最小限の草取り、横着ものの草取り。


■2020-5/4
[野の編日誌]

世がなんとかウィークだとしても、年中無休のうちには関係がない。
はずだが、その影響を受けないこともない。
走る車が減ったりして、あたりの空気が変わる。
空気にとろみがついて、あんかけになる。

世が、年に何回かまとまった休みを取るとき、なぜかおれもホッとする。


■2020-5/3
[野の編日誌]

草取りの季節がやってきた。
でも、少しづつだが年々気は楽に、程度はマシになっている気がする。
草取りにもコツがあって、それがわかりつつある、っていうことなんだろう。
いまや、草取りは労働作業と言うより、運動で、学習で、息抜き、か。
嫌な作業ではない。
ユルーい、ナガーい、生きものとのつきあい、のような。


■2020-5/2
[野の編日誌]

とてもいい天気で、畑にしゃがんでると汗をかく。

自転車整備のためのネジを、ネットで注文するかどうか、気持ちが定まらない。
でも、いい加減に注文してしまわないように気を付けてもいる。
ホントに欲しいものは、はっきりと欲しくなるから、それまで待っている。


■2020-5/1
[野の編日誌]

5月になった。
晴れ間は多め、草はまだ少なめ、虫もまだそんなにいない。
1年のうち、いちばん過ごしやすい、とおもう。
浮かれ過ぎず、世の異音に惑わされず。
ま。
ま、マイペースで。

刃で真っ二つに切ったような月。


■2020-4/30
[野の編日誌]

きょうは、用事外出ついでに店に寄った。
行きつけスーパーは、今までで一番混んでいた。
行きつけホームセンターも混んでいた。
あ、そうか、ゴールデンウィークって言うやつだ。
ゴールデンウィーク混雑か、コロナ混雑か見分けがつかない。
まーどちらにしても、山梨の混雑具合はまだカワイイ、ヒステリックじゃない。


■2020-4/29
[野の編日誌]

きょうは、「言葉休みの日」。


■2020-4/28
[野の編日誌]

きょうは、髭を剃り、散髪をし、頭を洗った。
それから衣類の洗濯をした。
枯れ草を燃した。
こういう日って、なんて言うんだろう。
「あーサッパリの日」。


■2020-4/27
[野の編日誌]

実際に体験したことは、(食べものと同じように)体内で時間をかけて消化される。
消化されることで自分のものになる。


■2020-4/26
[野の編日誌]

自転車のサドル問題について考える。
うちにある道具と部品で行うこと。
買うとしても、手に入りやすいこと、安いこと。
これは、もうサドル支柱を抜くためというより、実物を使った思考実験だ。


■2020-4/25
[野の編日誌]

サツマイモの焼き芋を保温プレートで作る実験は、うまくいった。
キャベツ炒めドライカレー味も、うまくいった。
自転車のサドル支柱を抜くのは、うまくいかなかった。
このための部品を入れ替えたりして、後日再試行の予定。


■2020-4/24
[野の編日誌]

サツマイモの焼き芋を保温プレートで作る実験。
キャベツ炒めドライカレー味を作る実験。
自転車のサドル支柱を抜く実験。
なんでだか、きょうは実験の日。


■2020-4/23
[野の編日誌]

それについての「選択肢」は何があるのか、整理しておく。
整理した「選択肢」を身近に置いて、つい目に付いてしまうようにする。
「選択肢」とともに日夜を過ごし、内なる身体発言を待つ。
決意、決心は、たいてい身体発言から起こされる。
それを待つ。


■2020-4/22
[野の編日誌]

やりたいこと山ほどあるときは、注意のとき。
やりたいこと散らかり症候群。
おちついて、落ち着いて。


■2020-4/21
[野の編日誌]

ショッピングモール、はコロナ休業していた。
だども、行きつけホームセンター、行きつけスーパーはやってた。
どこも、そんなに混んでなかった。
客はだいたいマスクをしていた。
店員も、もちろんマスクだし、レジ前には透明ビニール仕切りがぶら下がっていた。

で、今までと変わらず、だいたい欲しいものを買うことができた。


■2020-4/20
[野の編日誌]

どうやら、世がコロナ禍であることのほうが日常的になってきた。
ニュースはコロナ、コロナ。
気を付けなさすぎないよう、気を付けすぎないよう。
おれの細道、よく見て進む水の音。


■2020-4/19
[野の編日誌]

社会の日常が揺らいでいる中、せめて自分の日常を整理せんとす。
折しも草たちが勢いよく伸びようとする季節、庭に出しっぱなしのほったらかしの暮らし道具など草草に埋もれてしまわんようしまいつつ、背高くなりそうな草から除去、除去。
夏をおもわせる炎天、もう麦わら帽子が欠かせん、きょうこのごろ。


■2020-4/18
[野の編日誌]

自転車の整備、サドルの高さを調節するとこの固着したのの取り外し、いまだうまく行かず。
これ、未知の未体験のことなれど、工作力学的要素詰まっており、忽せにできず。
慌てて安易な答え求めんよう留意したくおもう、きょうこのごろ。


■2020-4/17
[けふの料理・茶系の田舎炒め]

たとえば、キャベツ炒めを作るとき、少しだけ自生野ゴボウ(とても苦い)といっしょに炒めて(味付けは醤油だけ)、一晩寝かすと、とてもおいしくなる。
若いころなど見向きもしなかった茶系の田舎炒めの味わいがわかるようになってきた、きょうこのごろ。


■2020-4/16
[野の編日誌]

コロナ禍。
山梨にもなんとか宣言出されそう。

えーと、おれはあんまり人との接触がないから、買い出しに行くときだな。
店に入るときはマスクして、出てから手をよく洗う、と。

そして、なにより長期戦を覚悟して、精神をやられんよう気をつける、と。


■2020-4/15
[野の編日誌]

自転車の整備中、サドルの高さを調節するとこの固着したのの取り外しうまく行かず、後日やり直し。

お。
おちついて、落ち着いて。


■2020-4/14
[野の編日誌]

雨上がりの晴れ日に誘われて、近所スーパーへ。
自転車筋トレ(自転車を漕ぐこと)しながら、食料補給、ホームセンター巡回など。
うちの名物、富士川というでかい川の土手に出て、なんとかアルプス、かんとかアルプスを遠くに眺めつつ離陸。
自転車は、翼だ。


■2020-4/13
[野の編日誌]

とてもツベたい雨。
たまらず、灯油ストーブを点けた。

うちのような田舎では、天気がとても近い。
手が届いて、触っているかのように近い。
衣服のように近い。
布の衣服の上から、最後に天気を纏う。
肌に染み、染みわたる、雨でも晴れても。


■2020-4/12
[野の編日誌]

午後から、ボソボソとつぶやくような雨音。

きょうは、久々ガレージの片付け。
トタンのハギレ、針金類など、似たものを近い場所に集める。
財産とは、現金だけじゃない。
こんな錆びた金属も立派な財産、生かしてやるから待ってな。


■2020-4/11
[野の編日誌]

自転車、整備中ながら近所には出かけられるようになってきた。
うちの地区なりに見晴らしのいい場所、ほっとできる場所もあり、息抜きのバリエーションが増えてありがたい。
自転車は自動車と違って、道で気まぐれに止まったり曲がったり、引き返したり自由に動ける。
都会では目的地に行くための乗りものだったが、こちらでは寄り道が楽しい。


■2020-4/10
[野の編日誌]

とにかく、少しでも対象に近づいて触る、ぼんやりとでもいいからよく見る。
少しでも。


■2020-4/9
[野の編日誌]

たとえば外で魚を焼くときに、風でカセットコンロの火が揺れてしまうことが気になると、外でも使いやすいカセットコンロのしくみについて、頭が自動的に働いて考えはじめる。
問題に迫られたからというより、自分のほうから問題を探してしまう、問題欲しがりなのかもしれない。
そういう問題欲しがりとセットなんだとおもうけど、飽きっぽい。
問題の解決がコジれはじめるとイヤになる。
長引くとなると、やめてしまう。

ひとはそれぞれ違う。
違う性分を持っている。
これ、ひとの寿命レベルの長い時間で見ると、性分のいい悪いって一言では言えない。
ある場面では悪いとしても、別の場面で助かることもある。
プラマイゼロなら、いーじゃん。


■2020-4/8
[野の編日誌]

土の腑分けは、すっかり日常の内職のような作業になった。
ちょっとでも空き時間ができると、これをする。
超巨大な編み物をほどくようなことだ。
実際に土を触ることで、色や湿度など違いがわかってくる。
草の個性もわかってくる。
体感っていうやつ。
天気がいいときだと、まったく苦にならない。
いつまでもやっていられる。


■2020-4/7
[野の編日誌]

テレビニュースなんかで、連日連夜刻刻とコロナ情報。
山梨という、ちょっと脇の地方ということもあるだろう、ここからは、ひとごとのように、まるでSF映画を観てるように映る。
たとえば映画「ブレードランナー」なんかのディストピア(ユートピアの反対)な未来が、現実化したようでもある。
現実化して、その渦中の一員と振るまいながら、と同時にそれを映画の観客としても観賞してるような。
不思議な感じ。


■2020-4/6
[野の編日誌]

ひさしぶりにKさんと出会った。
Kさんは、83歳のおばちゃん。
おばあちゃん、とは言えない、元気元気。
Kさんは、いつも同じ話しをする。
要旨はだいたい自分の人生に満足してる、っていうことだけど。
それに対して、おれは絶対ツッコまない。
立派だとおもう。
83歳で自分の畑を作って、公共事業の仕事もして、ずーっと動き続けている。


■2020-4/5
[野の編日誌]

きのう、自転車で近所の店を2往復、財布を忘れたのだ。
そのせいで、腹筋、腿、尻の筋肉痛。
やっぱり自転車漕ぎが筋トレになってる模様。

かねてより、「筋トレのための筋トレ」はもったいないとおもっていた。
たとえば、バーベルを上下させるついでに、お米が脱穀できないか、とか。


■2020-4/4
[野の編日誌]

40億年前、地球に誕生した初めての生命は微生物だった。
おれらの始祖だ。
それから現在に至るまで、空中、水中、地中にも、数え切れないほどの種類、数の微生物が存在している。
それから、生物の体内にも、たとえばヒトの腸内にも、微生物(大腸菌)が1、2キロほど棲み着いている。


■2020-4/3
[野の編日誌]

整備中の自転車のタイヤ空気穴が一般的なやつじゃないので、そのための部品を取り寄せ、うちの空気入れの破れたホースを交換し、ようやくタイヤに空気が入れられるようになった。
そして、やっと試乗。
何年ぶりだろう、自転車に乗るの。
太ももの筋肉が驚いている。
まだ問題いくつかあるが、自転車筋トレ兼ねて近所お出かけする道が開けてきた。


■2020-4/2
[野の編日誌]

うちの町内温泉は変わらずコロナ休業中だが、温泉が多いのが山梨のいいところ、一様にコロナ休業するところばかりじゃない。
というわけで、きょうは意を決して別の町内温泉に行った。
きょうは晴天で、春らしさを露天風呂にて味わう。
う、うう、ありがたいことだ。

ここしばらく毎日毎日、テレビもネットもコロナニュースで持ちきり。
恐怖に恐怖している。
ウイルス自体、にではなく、不安感で病むことをおもう。


■2020-4/1
[野の編日誌]

きちんとした雨の日。
それに従い低空飛行しつつ、室内で小物整理して過ごす。

指でつまむほどのサイズの小物は容れ物が必要で、その容れ物についても考える。
小物の容れ物はなんでもいい訳ではなく、中身にふさわしい容れ物を探すところからはじまる。
部品を入れた容れ物と、また、それをまとめる大きめの容れ物。
そして、大きめの容れ物を置く棚、その棚を置く場所、などなど。
容れ物がマトリョーシュカのように連なって、部屋の一角をしめて、やっとその小物収納システムが完成する。
などと、おもい馳せつつ、アー片付け飽きて、投げ出して終わる。

散らかったままの部屋の外では、変わらず雨が降っている。


■2020-3/31
[野の編日誌]

内発する生体エンジン(のようなもの)があって、それを止めてしまうと、もうまったく動かないようになるので、なんとか止めないように、(いつもなら外に出て身体を動かすけど、きょうは雨なので)宿題やらクリップの整理やらで、室内をうろうろする。
その生体エンジンが、自分の中ではいちばん偉いものだとおもっている。

食事についても、いちばん偉いのは食欲だとおもっている。
そろそろキャベツを片付けないといけないからキャベツ料理を予定していても、その寸前にキャベツじゃない料理を作ることがある。

そうゆう自分の中のいちばん偉いものを満足させつついかに現実との折り合いをつけるか、ここに、日日少なくとも5割の力を割いている。


■2020-3/30
[野の編日誌]

整備中の自転車が、だんだん直ってきた。
まだ完璧とは言えないが、歩くよりは速く進めそうなものにはなってきた。
これ、どこまで使うかまだわからんけど、案外うれしい。
オトコの子が新しい乗りものを手にする感じ、か。


■2020-3/29
[野の編日誌]

あさからの雨にみぞれが混じり、雪になるかとおもっていたら昼には止んで、明るい曇り空になった。
気まぐれに歩きたくなり、山の上の公園にはじめて行ってみた。
山の上公園には駐車場もトイレも遊具もあって、それなりに広い。
町の名所なんだろうけど、だーれもいない。
ま、とりあえず、うちの散歩コースに認定する。


■2020-3/28
[野の編日誌]

そうして、都会では土を見ることはなくなりました。
でも、土はなくなったわけではありません。
薄いアスファルトのすぐ下に、たくさんあります。
皮膚のすぐ下に、うんこがあるようにです。


■2020-3/27
[野の編日誌]

土は、きれいなものだ。
土は、食べものを産んで育てる。
腐ったものを捨てても、きれいにしてくれる。
うんこを混ぜても、きれいにしてくれる。


■2020-3/26
[野の編日誌]

その昔、大昔、人に土地がくっついていた。
(否、土地に人がくっついていた。)
それから現代になるにつれて、土地と人は離れるようになった。
野良仕事をしてると、そんなようなことをおもう。
そうゆう、遠ーい記憶をたどるようなことでもある。


■2020-3/25
[野の編日誌]

畑の草取り、草焼きなどして、掃除している。
年々、少しづつきれいになってはいるが、自分の満足の行く状態になるのに、あとどれくらいの作業がいるんだろう、どれくらいの時間がかかるんだろう、とおもう。
これ、あまり追い込むと自分が壊れるので気をつけないと、ともおもう。
息抜き、気晴らし、趣味として、だらだら進みたい。


■2020-3/24
[野の編日誌]

きょう、強い北風が吹くこともあり、気分転換にと町内温泉に出かけたら、ななんとコロナ休業だった。
げっ。
ついに、うちのような田舎にも具体的な影響がやって来たか。
ただま、ウイルス本体が来たわけじゃないから。


■2020-3/23
[野の編日誌]

畑に、野ゴボウの苗が何本も出ていた。
掘ってみると、根の太さ1センチ、長さ20センチ。
こりゃ食えるな。
去年は10月くらいまで収穫できたから、冬以外、食用野菜となる。
こうゆーの、ほかにあるんだろうか。
葉も茎も根も全部食えて、好みの苦味。
植えてないのに勝手に生えるし。


■2020-3/22
[野の編日誌]

東京時代での3月は、春とは言ってもまだまだ寒いという記憶だ。
桜の花見には、ダウンジャケットを着たりしてた。
でも、今年の春は暖かい。
今年の春が特別なのか、東京から山梨に来たから感じ方が変わったのか、わからない。

植物たちはまだその身を潜めて地上は静かだが、地面の下では着々と「位置について」いる。
植物たちが一斉に走り出す前の、気、緩められない、ひととき。


■2020-3/21
[野の編日誌]

修理途中で行き詰まったまま、ほったらかしのスコップがやっと直せた。
こうゆう、壊れたものを直す、というのは、「生きとるヨロコビ」シリーズの上の方。
ポイント高し。
これに気分良くして、工作室(現状物置き)の片付け、ネジの整理など、する。
する。


■2020-3/20
[野の編日誌]

書類整理について、できるだけ大まかに分けてることにした。
ノートやバインダ単位で綴るんじゃなく、ダンボール箱で作った書類入れにぶち込む。
その書類入れを本棚に入れる。

おれが大人になってから、デジタルジャンルができた。
デジタルの良さはもちろんわかるけど、保存するのは旧式の紙媒体にはかなわない、とおもう。
いままで、火事などの災害にあったことは1度もないが、HDDのデータは2度飛ばしたことがある。
あとデジタルデータは(筆記具や紙の感触などの)身体性が少ないから、どうしても自分との関係が希薄になり、その内容も存在自体も忘れてしまいやすい。


■2020-3/19
[野の編日誌]

あさ起きて種々細々雑用してるあいだに、あっという間に日が暮れる。
時間というものが、だんだん大事におもえてきている。
1日も1生も、悔いの無いよう過ごしたい。

筆で書き損じたような雲が、山にかかっている。


■2020-3/18
[野の編日誌]

ひさびさに用事と買い出しかねて街?に出た。
いまだに山梨の土地勘はないが、おそらく甲府近辺では一番の「ショッピングセンター」っていうやつ。
「ショッピングセンター」というより、「ショッピングタウン」。
たとえば、気をつけてないと自分の車をどこに止めたかわからなくなるくらい駐車場がだだっ広い。
ヘルニア事件以来、はじめてたくさん歩き回るということをしてみた。
例の「左尻違和感」が少しあったがおおむね大丈夫、でも用心もした。

ここらへんでは、特段コロナ騒動の影響は感じなかった。
どの店でも店員も客もマスクしてなかったし、納豆もあった。
コロナウイルスは人が多いところが好きらしいので、うちは田舎でよかった。


■2020-3/17
[野の編日誌]

ボロボロ中古自転車の手入れをはじめた。
チェーンが錆びついてまったく動かなかったのを、うちのペンチやプライヤや金槌やら総動員して、やっと動くようになってきた。
自転車全身こんな感じ。

この自転車は、おれだ。
自分を直している。


■2020-3/16
[野の編日誌]

きょうは「春の嵐」っていうやつ。
北から強風吹いて、立て付けの悪い戸鳴らして、外に出しっぱなしの雑貨たちがガシャガシャ騒がしい。
野良仕事できず、ストレス晴らせず。

「天気」と一言で言うけど、その実態は「千変万化」。
それは、「自分」においても同じ。
「千変万化」に変容して捉えようがないのに、さも、ここにその実態があるかのように言う。
「自分」と。


■2020-3/15
[野の編日誌]

ギックリ腰は前触れなくいきなり発生してしまうものでもなく、前触れ、予兆がある。 自分の場合、それは「左尻違和感」。
この「左尻違和感」のときにうまく処置できたら、腰痛には至らない。
というような、自分の腰痛の進み方が、やっとわかってきた。
そうか、「左尻違和感」は、とても大事なシグナルだったんだー。

激痛が走ってから早20日、いまはようやく足重り付けて歩いても「左尻違和感」は出なくなってきた。
なにげにうれしく、空天気よく、ジョウビタキと会話する。


■2020-3/14
[野の編日誌]

春の雨。
(そういえば「春雨」、しばらく食ってない。)
寒い、春になるのを渋っているように見える。
コロナ騒動も、停滞。
おれも気分すぐれず、停滞。


■2020-3/13
[野の編日誌]

それから、片足1kgの重りをつけて30分歩くと、左尻筋肉にツンツン感じるから効いているらしい。
放ったらかしだった自転車も整備して、乗るようにしたい。
今年は下半身の年、大いなる反省の年。

自分の下半身、即ち基礎、土台。
家の基礎直す前に、自分の基礎直せ。


■2020-3/12
[野の編日誌]

いまや人は人工知能を作ったり宇宙に出かけたりするのに、いまだに(むしろ人の移動が便利になるほど)太古からの原始的な病いに悩まされるのか。
コロナ騒動のような危機って、それなりに想定できるのに、どの国も誰も準備してこなかったんじゃね。

ふーん。


■2020-3/11
[野の編日誌]

コロナと311って、似ている。
自然災害でありながら、社会(が問われる)災害。

オリンピック:「人が集まること」で、いい状態にになること。
コロナ:「人が集まること」で、悪い状態になること。
この両極端がニアミス、しようとしている、今年。
どうなる。


■2020-3/10
[野の編日誌]

堪えていたのを吐き出すような、量もたくさん時間も長い雨。
そんな雨の中を、あちこち運転。
ダイナミックにのたうつ季節の脇を、セコセコ動きながらちょっとでも用件減らさんとす。
われ、ただ平穏でなにもないつまらない日日を望むものなり。


■2020-3/9
[野の編日誌]

やっと頭が立ち上がってきた、少しづつ。
それなりに頭がいいときのことをする、絶好調ではないから。

合間に畑、畑がまるで自分の心の中であるかのように、ついきれいにしてしまうし、そうすると気持ちいい。
実物大の「箱庭」、「箱畑」。
「箱地球」。
「箱宇宙」。
そして、「箱自分」。


■2020-3/8
[野の編日誌]

あさから、内省促すような静かで冷たい雨。
それに従い、定位置にて身近な用を順繰りと確かめる。
自分というものと、自分の定位置を確かめる。


■2020-3/7
[野の編日誌]

なんとなく体がだるいのは、ここんとこのクタビレなんだろう。
きょうはヘルニア休めるつもりで、だらだらと動こうとおもうけど、天気気持ちよく土腑分けおもしろく、つ、つい、やってしまう。

それから、「エゾアムプリン」(http://www.amupurin.com/top.html)のアムより、ヘルニア見舞いメール頂戴した。
アムたちは、開拓の先輩、辺境の先輩、北国の先輩で、星の連絡網でもある。
そのアムが、ヘルニアでも先輩だとのこと、いろいろアドバイスをくれた。
アムは「労苦を楽しい」に変えてしまう超能力を備えているから、どんなことをしても年月たっても、いつも、かわいい。
(プリンは絶品)。


■2020-3/6
[野の編日誌]

畑の際に排水U字溝が埋めてある。
その排水U字溝に沿って、土を掘って草の根っこを取り除く。
際というのは、ふだん手入れしにくいから、草や根っこの吹き溜まりになる。
部屋掃除はしないくせに、畑掃除は念入りにする。


作戦名「ヘルニア国物語」。


■2020-3/5
[野の編日誌]

久々に土いじりをすると、すごく楽しい。
土の中にスコップを突っ込んで、全部を取り出し、ほぐして分ける。
ミミズも、冬眠中の昆虫も出てくる。
ミミズの胴体を切ってしまうこと、よくある。
小石や、いらない草の根を取り除く。
手でする。
大人の土遊びだ。


■2020-3/4
[野の編日誌]

枯れ草を燃したり、よく使うシャーペンに、ふつうの消しゴムを取り付けられるようにしたり、足に重りをを取り付けられるようにしたり、など。
ここんとこ留守がちだった「日常」の点検も含めて、雑事粛々。

ありがたく、つまらない「日常」。
そして、つまらなく、ありがたい「日常」。


■2020-3/3
[野の編日誌]

それから、きょうは病院に行って、この前検査した結果の診断だば。
「小さいヘルニア」で、自然に治るだらう、とのこと。で、ひと安心。
医者の診立て、自分の見立てがほぼ一致。
いちおう痛み止めの薬は処方してもらったので、さらに安心。
あー、大事に至らんでよかったー。

まー、これから焦らんで、ゆるゆると立ち上がる、っと。
庭と畑の梅、6本。
その3割ほど、花が咲いている。


■2020-3/2
[野の編日誌]

それから薬飲みはじめて、きょうで1週間。
すごーくゆっくりと痛みが減って、なんとか脚のことを意識せずに過ごせるようになってきた。
ルータ故障に続いて脚の故障、両方とも自分の暮らしの、生の、大きな基盤、そ、それが脅かされた。
他者に脅かされた、というより、自分の構えができてなかった。
「不徳の致すところ」っていうやつ。
これ、そーゆう自分の在り方について省みる機会とするとともに、.心配りのまなざしくれた、ひとたち。
ありがたう。

ところで、久しぶりに畑を見てみたら、野ゴボウが、きれーに、すっかり無くなっていた。
え?
誰か、喰った?


■2020-3/1
[野の編日誌]

その昔、自分の弱い下半身を鍛えるために、足に重りをつけてジョギングしてたことがあった。
それから、いつの間にかかそれをしないようになっていたが、やっぱり重り復活。
足のない人が義足を装着するように、おれにも義足的に(これからずっと)必要なんだろうとおもう。
脚が不自由になることはなにより困るし、神経痛って、なにより(とびっきり)痛い。


■2020-2/29
[野の編日誌]

それから、左脚の腿から膝、スネにかけて、少しシビレてはいるが痛みはなくなった。
(でも寝返り打ちにくいときもある)。
そんで、それに代わるようにして左尻に違和感(筋肉痛になる前兆のような感じ)が発生している。
テニスボール押し付けて尻マッサージしたり、歩く練習やらチョイ野良したり、自己流リハビリ。


■2020-2/28
[野の編日誌]

事務作業自体が苦手ということではなく、ただ土いじりをしてる合間に事務作業をするというのが苦手。
この両方の、速やかスムーズな行き来が苦手。
とおもいつつ、ため息つきつつ事務作業粛々。
ただ、つかの間、スキ見て町内温泉に出かけ風呂に浸かってみて、(まさに湯治)やっぱり神経痛にはいいような気がした。

去年もいまごろ腰違和感があったような気がする。
自分にとって春はそういう季節なのかもしれん。

小梅の淡黄色の花に続いて、別の梅もピンクの花が咲き出した。


■2020-2/27
[野の編日誌]

それから、痛み止めの薬はなんとか効いてくれている。
薬服用前は、歩くなんてもってのほか、ただ立つことも座っていても、寝返り打つのも激痛だったのが、いまは気をつけながらも歩けてはいる。
そういう事情とは無関係に、否、わざとかのように事務用事多々あり、本日はそれに真向かうことにする。

外はゴーゴーと北風が吹き、外壁の剥がれた板をガタガタ揺らして、騒がしい。


■2020-2/26
[野の編日誌]

それから薬が効いて、よく眠れた。
よく眠れることの特段の大切さ、ありがたさを感じた。
また、とりあえず激痛が直近の第一の現実問題ではなくなった。

それから、きょうMRIというタイムマシンのような機械に入れられて、宇宙空間にに排出された、のではなく、(磁力と電磁波で)体内画像を撮影された。
診断は、来週の火曜日。
ネットで調べると、やっぱりおれは体幹が弱いらしい。
そーりゃ困るので、将来に向けての長期懸案とすること、心にす。
まだ、どうにかできるタイミングである、あろう。
きっと。


■2020-2/25
[野の編日誌]

それから激痛おさまらず、夜になり、(「嗚咽」っていうやつ)眠れないまま朝を迎えて、病院に行った。
腰まわりのレントゲンを2、30枚取られたが、さらにあしたMRIを撮影するとのこと。
案外おおげさな処置、おれはいったいこれからどうなるんだろう。

処方された痛み止めの薬を、病院ですぐ飲んで家に帰ってきた。
うーん、全部じゃないが、なんとか痛みが減ってるようだ。
これなら、今晩は眠れるか。


■2020-2/24
[野の編日誌]

あさ、たき火しようとしてウンコ座りしたら、左脚に(息が止まるほどの)激痛が走った。
でまー、例によってネットで調べたら、腰痛ではなく、「大腿神経痛」てゆうのらしい。
去年あたりからの、左脚、左尻から左スネにいくまでの、いくつかの不具合がおもい出される。
たしかに、左脚付け根3センチの筋を揉むと、痛みがやわらぐ。
こりゃ、おれの構造的弱点なんだろうな。
足腰ってのは、暮らしの、生の、先行きの基礎の大前提で、ほかに何もない、ほぼ人力頼りの「野の編」活動の(文字通り)「要(かなめ)」でもある。

と、ほろ苦い春の訪れ。
そいえば先日、頭ちょっと覗かしてたフキノトウ、どうなったか。


■2020-2/23
[野の編日誌]

きのうから強風、春一番らしい。
春は、自然だけじゃなく人にとってもいろんなことが動きはじめるとき、こんな田舎のうちにまで如実にたくさんの用事が押し寄せている。
インターネット障害での遅れを取り戻すべくテキパキと立ち上がりたい、が、なにやら腰痛。
腰痛がこじれないよう、ストレッチしつつキムチを仕込んだり、ネット通販に文具品発注したり。

これから、願わくば(日常生活にとっても支障ありそうな)コロナさん、うちには来んでね。


■2020-2/22
[野の編日誌]

生きものは、そのDNAを子孫に極力正確に伝えようとするが、それでも稀に間違えることもある。
でも、間違えたから突然変異が起きて、生きものは進化した。


■2020-2/21
[野の編日誌]

2月14日(金)、広島から帰って、インターネットしようとしたらルータの故障らしく、インターネットできなくなっていた。
うちのルータはモバイルWi-Fiルータでバッテリで使うのだが、よく見ると、そのバッテリが膨らんで裏ブタが開いて閉まらなくなっていた。
だもんで、バッテリ障害かとおもい、すぐにネット通販で購入し、2月18日(火)に到着したバッテリを取り付けて試してみたが、やはり電源スイッチが入らなく、ルータ本体の故障だということがわかった。
2月19日(水)、新しいルータ購入を検討しようと、近くの家電店に行ってみたが、電話通信との高額なセット契約じゃないとダメ、モバイルWi-Fiルータ単体では売ってくれないのだった。
ふとおもい立ち調べてみたら、ネット通販で同じルータが売っていることがわかり、んで購入することにした。
2月21日(金)、家の裏でたき火をしてたら、遠くで人の声が聞こえたような気がしたので、戻ってみたら念願のルータが届いていた。
すぐに、鼓動が胸を叩くのを聞きながら、接続作業を試して、そして。
やっと、つながった。


■2020-2/13
[野の編日誌]

2、3日、広島行。


■2020-2/12
[野の編日誌]

動脈硬化で詰まりかけの(雨水)排水溝、底になんセンチか積もっていた土を取り除いて掃除。
まるで、自分の動脈硬化を直したようで、気分スッキリ。
あしたから久々の雨らしく、降った雨がどう流れて行くのかを見るのが楽しみ。
ただまー、ここの持病「慢性、雨が降っても、サラサラ流れ出ない症候群」が、はたして完治するのはいつの日か。


■2020-2/11
[野の編日誌]

母屋まわりでいちばん手付かずだった場所。
ここは石積みが崩れた跡のようで、石がゴロゴロ、散乱した古瓦、そのあいだからササなどがボーボー。
そして、近くを排水溝が通る。
てゆ、片付けるのにやっかいなところ。
でも、毎年少しづつ片付けてきて、やっと全体像が見えてきた、ような。


■2020-2/10
[野の編日誌]

ものを直したり作ったりするには、無邪気な意欲もだが、悪意ほどのしたたかさも必要。
じゃないと、自然がものを壊す摂理にかなわない。
(てか、宇宙自体が壊れつつあるんだから、どうせ)。


■2020-2/9
[野の編日誌]

自分の全身の不調の原因が、指先に刺さった小さなトゲだったり、1本の虫歯だったりすることは、ままある。
うちの敷地の不調の原因とおもわれる、小さなトゲのようなところを見つけた。
(雨水)排水溝の、とある箇所が、慢性的に土に埋もれやすい造りで、少々直してもすぐに埋もれるようになっていた。

こりゃ、まるで動脈硬化だ。
(土地は水の出入り、人の体は血の巡り、それぞれ基本的に重要。)


■2020-2/8
[野の編日誌]

土木計画にアイデアがいろいろ浮かんでやりたいこと多いが、それはそれ。
そんなに忙しく動けないので、かえって欲求不満になってしまう。
それじゃなくても、春っていうヤバイ季節に向かうんだから、気を付けんと。

月見上げ 息ととのえる 梅つぼみ


■2020-2/7
[野の編日誌]

テレビドラマなんかの役者をよーく見てると、地の人柄が見えてくる。
役者は虚構を演じようとするが、結果的に自分自身を露出してしまう。
役者が正直か不正直か、を含めて露出してしまう。


■2020-2/6
[野の編日誌]

「そのことがよくわからなくても、ただ現場のそばで見守るようにしていれば、年月を経るうちにだんだんわかってくる。」
ような気がする。


■2020-2/5
[野の編日誌]

あ、あー、てすとてすと。
あ、あー、ただいま山梨時間で17時30分。
北風強まり急速に気温低下中だが、夕刻なお青い空に雲ひとつなく、あと数日で満月となる月、茶碗山盛りのような月、まだほかに一番星なく、たったひとつ、月だけが光っている。


■2020-2/4
[野の編日誌]

庭の土の腑分け、ほぼ初めて。
たぶんスギナだとおもうけど、地下茎の恐るべき密度。
若い女子のように悲鳴を上げて逃げたいのを我慢して、粛々と対応する。
でも、コツがわかって取れるにつれておもしろくなる。
子どもの大きさと重さの石もゴロゴロあって、どうしようかとおもっていたが、人力で動かせないわけでもないようで、少々安堵。

もう、まったく温暖な庭仕事日和、ジョウビタキがこちらを見ている。


■2020-2/3
[野の編日誌]

天気も自分もコンディションいいからか、あれもこれもと「やりたがり症候群」の傾向あり。
無意識にアクセル踏みすぎ、スピード抑えないと。


■2020-2/2
[野の編日誌]

スコップの修理し直そうとして、ドリルでネジ穴を空けようとしたが、うまくいかないので後日への宿題。
雨樋の修理も、部品待ちで後日。
なにごともワンタッチではいかない、メニータッチ。
だ。
宿題満載だが、無理をしない。
ひとつのことに没頭しすぎない。
さらさらと行く日日、メニータッチ。


■2020-2/1
[野の編日誌]

2月に突入。
あさ起き抜けが冷えるだけで、日中は温暖。
雨樋の修理や庭の片付けをする。
雨樋にしても庭にしても区切りはつかない。
区切りがつかない作業だらけの、怒涛の真っ只中。
おれの巡り合わせだ、業だ、星だ。
心静かにする、ようにする。


■2020-1/31
[野の編日誌]

天が、ついうたた寝してしまったあいだに、すっかり冬の天気が緩んでしまいました。
きょう、やっと目を覚ました天は、たいへんなことになってることに気がついて、大急ぎで手に入るだけの北風を集めて、おもいっきり吹かせました。
とさ。

あ、1月終わりだ。


■2020-1/30
[野の編日誌]

試しにものを買ってみる、ということがある。
100円ショップは、心的、経済的に負荷なく試しにものを買うことをさせてくれる。
ここで品物を見てまわるだけでも、ものについてのヒントを得られるから楽しい。
そして、実際に買って、持ち帰り、日常の中に置いてみる。
数日眺めながら、試してみる。
たいていは最初からうまくいかないから、また試す。

と、「考える」が、頭の中から外に出てきて、言葉や絵になったり、店のものを手に入れたり、実際に作ってみたり、する。
「体を動かす」も、「実際に作る」も、「考える」だ。


■2020-1/29
[野の編日誌]

と、一転、きょうは晴れて青空、かつ温暖。
いちばん寒いはずのときに、上着もいらないくらいの陽気。
気持ちがいいからいいけど、こりゃ異常。
天は、かならずつじつまを合わせるから、しっぺ返しを喰らわんよう気をつけてないと。

それはそれで、この前正月だったのに、もう1月が終わる。
天とは別の意味で怖い人の世、人の世の時間が動き出してる。


■2020-1/28
[野の編日誌]

早朝に、みぞれっぽいのをちょっとだけ見たが、それ以外は雨、終日雨。
雪が積もってしまって、道路しばらく凍結っていうのを恐れていたが、そんなんじゃなく、安堵。
どうした、この冬、このまま終わるのか。

この土地に来て、天気や季節にこんなにバラエティがあるのかと感心する。
うちの生態系、生活系のてっぺん、大家さん。
まーこれからも、そこのところをひとつ、どーぞよろしくお願いします。


■2020-1/27
[野の編日誌]

きのう、近所コンビニと郵便局に用事で出かけたついでに最小限の食料と灯油を買っておいた。
今晩から雪が降って積もるらしいから、あー買っておいてよかったー。
冬の寒さ峠のこのとき、食料と灯油の備えは生命線にかかわるから、敏感になる。

ところで、灯油ストーブに灯油を満タンに入れておいて、いつでもすぐにストーブを点けることができる状態にしておくと、寒さを感じにくくなる。


■2020-1/26
[野の編日誌]

冬だから、寒いから、暖かい布団(シュラフ)が気持ちいいから、か、よく眠れる。
果てしないところまで出かけたような眠りの深さ、起きたときの満足感。
この満足感はかなり上質で、これがある限りおれは狂わない、とおもわせる。
冬が、いつもこうだったかわからない。
でも、ほかの季節にはできないだろうとおもう。
動物の冬眠が、わかるような気がする。


■2020-1/25
[野の編日誌]

ここに来てすぐのころ、雨樋なんて見てなかった。
けど、だんだんここの土地や住宅の構造がわかってくるに連れて、雨樋の大事さもわかってきた。
家を壊すものが、大きくて硬いものだけとは限らない。
湿気や少しずつの水でも家を腐らせ、土地を崩す。

というわけで、はじめて脚立を使って雨樋を覗き込んでみたら、案の定積りに積もった塵芥が土のようになって目詰まりを起こし、錆びて朽ちた穴もあちこち。
とはいえ素人職人なもんで、ひどいとこから順々に自分ペースでやらしてください。
こんどの梅雨までにはなんとかしまーす。


■2020-1/24
[野の編日誌]

雨樋修理をはじめた。
長年の懸案、念願の重要事項だったから、うれしい。
機を見計らっていて、やっとその機が訪れた、か。
とはいえ、これは敷地全体の水路計画にもつながるから先は長い。
ま、少しづつ、いちばんひどい状態のところから、だ。


■2020-1/23
[野の編日誌]

デッサンは、輪郭線を最初から決めない。
適当な輪郭線を描いては検討し修正するを繰り返し、何回か繰り返すうちにだんだん輪郭線ができてくる。
文章についても、多くは最初から決まらない。
適当に言葉を置いてみて、検討と修正を繰り返す。
ものを作るときもそんなような、試行錯誤、試行錯誤しながらできてくる。

このやり方は、自分に合っているとおもう。
消去法が好きで、できるだけ結論を後伸ばしにし、結論に確かさを求める。
牛のように、いったん飲み込んだ食べものを口に戻してはまた食べる、それを繰り返す。
そうか、おれは反芻動物か。
肉食じゃなく、草食。
(参考:ウィキペディアの「反芻」)。


■2020-1/22
[野の編日誌]

きょうも、たき火。
たき火は、わりと魂を抜かれる。
この世でいちばん汚いもの(たとえば腐った木片)と、この世でいちばん聖なるもの(炎)とのコントラストだからか。
宗教の儀式になるのも無理はないようにおもう。
ただ、この聖なるものは化けものでもあるので、くれぐれも心して相対しないと身を滅ぼす。

これから工作なんかでも使いたいので、うちに火は必要。


■2020-1/21
[野の編日誌]

庭の古枝片付け、兼たき火、兼クズ炭作り。
風雨にさらされて腐った古枝の中に、腐ってない古枝もあり、もったいなくてそれを燃やすことができない。
なにかの素材として使えるんじゃないかとおもってしまう。
将来、薪ストーブを導入したくはあるが、そのときもいい薪を見るともったいなくおもってしまうんだろうか。


■2020-1/20
[野の編日誌]

大寒の日、でも、なんて寒くないんだろう。
いつの冬だったか室内マイナス8度ていうのがあったから、この冬はとても温暖に感じる。
紆余曲折、試行錯誤、一喜一憂、三歩進んで二歩下がる、そんなの人間だけじゃない、季節もだ。


■2020-1/19
[けふの料理・そんなつもりじゃなかった]

うちを最初に見た夏、背の高いススキに埋もれるようにして母家が佇んでたんだが、そのススキに混じって白百合の花がボツボツと何本か誇り高く咲いていたのが印象的だった。
それまで、そーゆーいわゆる立派な花にまったく興味がなかったけど、はじめて白百合を地続きのものとして認識した。
それ以来、邪魔な草木を抜いても花咲く白百合は抜いたことがない。
中略。
そして先日、庭の手入れをしていいて、つい大きめの球根を掘り出してしまった。
なんだこれ、もしやと調べたら、どうやら食した記憶が少しあるだけのユリ根らしいことがわかった。
これもなにかの因果、聖なる成り行き、食べてみることにした。
幼児のコブシ大3個、中学生のコブシ大2個を、根を取り房を分解しながらよく水洗いする。
これをひと煮立ちしたら湯を捨て、油炒め、味は塩コショウ。
で、おっかなびっくり口に入れてみたら、おいしかった。
おれの苦手な、あの高貴な白百合、食えるんだ。

うちに自生する中で食べられるシリーズの仲間が、またひとつ増えた。
ごちそうさまでした。


■2020-1/18
[野の編日誌]

ものを直すというのは、必ずしもピカピカのきれいな状態を取り戻すことじゃない。
ま、しーていうなら「設定を変える」。
ひとつの場面が終わって、次の場面に移る役者のような感じ、だろうか。
うーん。


■2020-1/17
[野の編日誌]

うちの片隅にずっと転がっていた古いブリキのバケツを直した。
本体は穴が空いていないので、そのまま金槌で叩いて歪みを直す。
バケツの取っ手がなかったから、うちの廃品置き場から適当なぶっとい針金を見繕う。
持ち手に、廃品置き場から自転車のバネを見つけてあてがう。
それぞれ生まれ育ちの違う壊れたどうしが、なんの因果か出会い、組み合わされ、ひとつのものができる。
(そして、いつまでもシアワセに暮らしました、とさ。)


■2020-1/16
[野の編日誌]

庭は、枝打ちした枝やら切り株を積み上げたまま2年くらい手付かずだった。
いま、ようやく遅、遅まきながら、手が入りはじめた。

まー、はじめての環境で、はじめての作業で、なかなか時間が読めない。
おもわぬことも、多々ある。
なかなか、その季節や年で切りがつかない。

雨に喰われてボロボロ、土になりかけの古枝を燃やす。


■2020-1/15
[野の編日誌]

数年前、とりあえずダンボールに押し込んでいたものを、ようやく取り出して片付けてみる。
やっぱり、気持ちにゆとりがないと、ものは片付けられないと、片付けながらおもう。
ま、前より精神状態がマシになってきている、ということか。
その逆じゃなくてよかった。


■2020-1/14
[野の編日誌]

えー、プラゴミを集積所まで持っていって、郵便局で用事をしてから町内温泉に行った。
えー、帰りにホームセンターに寄って、雨樋など少々の買いもの。
帰ってから、町内温泉の白菜を塩水に漬けて、昼ごはんは長芋のぶっかけ丼と、まだカクテキになりきってないカクテキ。
きょうは、ずっと曇天で低気温。
これから今晩、雪との報せも。
空の重さに身をかがめながら一日。


■2020-1/13
[野の編日誌]

夏は植物が暴れまわるので、なんとかそれを抑えるだけで精一杯だが、冬になってようやく主体的に野良仕事ができるようになる。
落ち着いた土地の骨格造りは、植物の小さいこの時にしかできないので、けっこう忙しい。
忙しくて、楽しい。


■2020-1/12
[野の編日誌]

すっかりおろそかになっていた庭を片付けることにして、きょうは山積みの古枝を燃やす。
ただ燃やすだけでなく、クズ炭が燃え残るよう加減する。
(クズ炭は畑に撒く。)
古枝の次は大石、雨樋、などなど。
春までに、庭片付けたし。

そして曇天の向こうに満月 ・

■2020-1/11
[野の編日誌]

メンテナンスついでに、農具の修理。
壊れたスコップをバラして、使える部品を合わせて、別のスコップを作った。
ロボコップのように。

農具は体の一部のようなもので、畑作業の具合に大きく影響するから、なんでもいいというわけにいかない。
そこらへんのホームセンターに並んでいるような農具は、安めだが当たり外れもあるし、実際に使ってみないと良し悪しが判断できないので、少しづつ試しながら確かめて行くしかない。
ロボコップの、ように。


■2020-1/10
[野の編日誌]

畑の縁取り。
(畑の際をとくに手入れすること。)
ほかに、自動車のボディカバーを生地を変えて作り直したり、電気マットが効かなくなったのを直したり、と、結果的にメンテナンスごとの多い日となった。

天気予報で「3月なみ」と言うような、温暖な陽気の日。


■2020-1/9
[野の編日誌]

だってもう、すっかり正月気分じゃなくなっている、世の中は(テレビの中の)。
それが、怖い。

どうも毎年、なにかをし忘れたまま、すっきりしないうちにときが過ぎて先に行ってしまうような気がする。
それで、ふと気がつくと、もう師走になっていたりする。


■2020-1/8
[野の編日誌]

うちの畑からはビニールゴミがよく出てくるが、とき折りバランが出てくる。
弁当のおかずの仕切り、緑のビニールの葉っぱみたいなやつ。
冬の畑、土の中から緑の葉っぱ、しかもゴミ。
誰も意図したわけじゃない、とても悪いジョークだ。
(以前出てきた、こたつ布団よりはマシだが)

こんなこと、誰も意図してそうしたわけじゃないのに、人に大きな影響を与える。
こんなことが、ある。


■2020-1/7
[野の編日誌]

あさ起きると、もうくたびれていた。
きのうのたき火に、魂だけでなく体力も奪われたらしい。
たき火の跡は、灰の下に火がまだ残っているらしく、なま暖かかった。

これから明日にかけて天気下り坂だというので、いまのうちにと午後から買い出しに行くことにした。
外に出ても頭冴えていなく、店内の通路でボーと佇むこと多く、いつものインスタントコーヒーは品切れで、粉末うどんスープは買い忘れた。
おもったより時間がかかっているうちに刻々と気温が下がって来ているが、車のヒーターを点けるとバッテリーに負荷がかかるから嫌だから我慢してたが、やっぱり帰り道だけはヒーターを点けることにした。
パラパラと雨玉がウィンドウを打つ。

すっかり腹減りでうちに帰り、イライラしながら遅い昼ごはんを食べた。


■2020-1/6
[野の編日誌]

抜いた切り株が山のようになっていたのを、そろそろ片付けようと、ひさびさにたき火をした。
なにしろたくさんあるし、切り株は木の塊なので燃えにくいだろうと、短時間じゃ終わらないだろう、とおもっていた。
中略。
切り株の燃えにくさ、に感心した。
燃えるのに、すーごく時間がかかる。
薪ストーブでいうところの、理想的な薪じゃないか。
炭火でいうところの、備長炭。

とうに日が暮れて、あたりは真っ暗でもまだ燃えている。


■2020-1/5
[野の編日誌]

龍に頭をくわえられて夜じゅうを飛び回ったようによく寝た。


ツヅケルちゃんは、日常。
アキルちゃんは、イベント。
ツヅケルちゃんが前に進むための駆動力で、アキルちゃんはハンドルの遊びのような、進路確認と、修正。


■2020-1/4
[野の編日誌]

基本的には平々凡々な、なにもない、つまらない日常を望んでいる。
食事も支度が面倒なので、まとめて作って、おなじものを幾日かかけて食す。
ただ、飽きる。
ずーっとは、続かない。

同じことを続けたいものと、それを阻むもの。
たこのふたつで1組、たぶん。
ツヅケルちゃんと、アキルちゃん。


■2020-1/3
[野の編日誌]

よく晴れている。
世のノイズもないからか、気持ちいい。

気持ちがいいと、言葉少なくなる。


■2020-1/2
[野の編日誌]

凍った土にバチヅルを入れて、切り株を抜いた。
干し大根を漬けて、白菜を漬けた。
洗濯もした。

よーく晴れている。
遠くで、子どもの笑い声が聞こえる。


■2020-1/1
[野の編日誌]

元旦、ちゃん。
ひとり暮らしは、世の習わしと無関係に自由に過ごせるのがいい。
餅を食うでも、神社に出かけるわけでもない。
ただ、いつものように切り株を抜き、米を研ぎ、大根を干す。

きょうは晴れたが、1レベルほど気温が下がった。
冬は、むしろこれから。






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