2002年6月中

●2002年6月20日(木)

10時45分に起きた。
スイセイはどこかに行っているらしい。朝、戸を開けた所に座って、外を向いて爪を切っている音がしていたが。
しばらくこの島で暮らすこともできるのだなーと思う。
自炊もできるし、部屋には机もあるから、パワーブックがあれば文章をひたすら書いて、ごはんを食べて、汗をかいたらいつでもシャワーも浴びられる。
今、洗濯機のピーーが聞こえたので、洗濯物を干してきます。
入り口の戸を開け放して、枕を持ってきて寝ころぶと、雲がどんどん流れてゆくのが見える。どこまでも青い空に、真っ白な雲だ。
「波照間は風の島と呼ばれているさー」と、昨日良美ちゃんが言っていたのを思い出す。
顔を洗っておじいがいる所に行くと、畑から掘ってきたさつまいもを焼いてくれると言う。朝ごはんを食べてないから私は腹ぺこだ。
おじいは地面に新聞紙をしいて、土のついたままの芋の皮をむき始めた。
皮をむいたら端から切って、塩をまぶして味を薄くつけてから揚げる。
おじいが言う焼くというのは、多めの油で揚げることだった。
木陰の脇にある小さい台所(と言っても、流しがあるだけの小屋。火を使う時には畳の上に段ボールを敷いて、カセットコンロを出してくる)で。
お客さんが来たので油の番をしていたら、おじいが黒砂糖のかけらを2個くれた。
手の平にのっけて差し出す。何も言わずに。
芋は変色しそうなのに、おじいは切ってから洗わないですぐに揚げた。
パパイヤも切ってから水にさらさなくて良いのか聞いてみら、「薄く切る前に洗うのは良いけれど、なんでも、刺し身でもなんでも、大きいかたまりの時にきれいに洗ったら、あとは洗わん方がいいさー。味がぬけてしまうさー」と言う。
その通りだと思う。
おじいは漁師だが、若い頃には大型船のコックもやっていたから、料理がうまい。
「船の中で揚げものは危ないからやらないでしょー?」と聞くと、 「なんでもおいしいのを作ったよ。トンカツでも、ハンバークでも、サシミでもやったさー。」「だから、おいしいから、みんな、太ってしまうさー。」 おじいから教わったことのもうひとつ。
油で焼く(揚げる)というのは、いちばん早い調理方法なのだ。
火をできるだけ長く使わずに料理できる。
それは暑さのせいもあるが、燃料の節約ということもあると思う。
湯を沸かすよりも油を熱くする方が早いし、熱の入り方もぜんぜん早いから。
表面をいっ気に熱で固めるから、おいしさも逃げない。
おじいは今日も木陰で網を直している。
「フエリが入ってるさ。」 フエリとおじいは言う。フェリーが港に着いたという意味らしい。
今日は荷物を運んでいるから、車がよく通るのだそうだ。
と言っても、5分に1台くらいしか通らないのだが。
3時からパナヌファが休憩時間なので、今日もまた浜に連れて行ってくれる。
今日のは、良美ちゃんがみつけて道を切り開いたプライベートビーチだ。
道路に車を止めて崖をつたって降り、森(ここを良美ちゃんが切り開いて道を作った)の中をくぐりぬけると、大きな岩に囲まれたこじんまりした浜があるのだ。
「良美浜」と私が名前をつけました。
麦わら帽子をかぶって岩の上に立つと、帽子を通して海鳴りがして音楽の様に聞こえる。ボーーーエ、ブォーーーエ、ブーーーーエ。
沖縄音階のように、ゆらゆらした音。
陽が沈むまで4人はビーチで語り合う。チャロ(犬)もいっしょ。
飲んでいるわけではないのに、話がぽんぽん飛んで深くなり、さっき何を話していたからこの話になったのか忘れてしまう感じ。
濡れた服、砂だらけの足のまま車に乗って、夕暮れのサトウキビ畑の道をゆっくり走り、良美ちゃん宅へ。
今日、パナヌファは夜の営業を休みにしてしまった。
離れの風呂場でシャワーを浴び、良美ちゃんのムームーのような寝巻きを借りて飲み始め、ビーチでの続きをまた語り合う。
トイレに行きたくなったら、道に出て畑の陰でする。
ビーチにいる時には、海に入って行ってする。
波照間に来たその日から、良美ちゃんに教わってそうしている。

●2002年6月19日(水)

10時半に起きて、ほうきがぶら下がっているのを見つけたから、掃き出してみた。アリや砂や髪の毛が少し見えるけれど、本当はあまり気にならない。
そういえば、夜になるとヤモリもたくさんいるけれど、ケッケッという鳴き声を聞くと、なんとなしに安心してよく眠れる。
そして明け方は、ものすごくいろんな声がする。
いろんな鳥だろうか。動物の声もあるのだろうか。
いつも寝ぼけているので確かめられないが、それがうるさくなくて心地よく、また今日も新しい1日が来ますよーという晴れ晴れした感じだ。
「ぶりぶち公園」という、昔お城があった森に連れて行ってもらった。
良美ちゃんが子供の頃、かけずりまわってさんざん遊んだ所らしい。
森の中で、細長い葉っぱを編んでへびを作ったり、びっくり飛び出る様にぎざぎざの形に折り曲げたのを作ってくれたりする良美ちゃんは、木の名前やその効能や、蝶々の名前など何でも知っていて、インディオの娘みたいだ(これは後からスイセイが言っていた)。
ここには昔お墓もあって、良美ちゃんが子供の頃は人骨がちゃんとそこにあった。昔は風葬だったから骨はとても奇麗で、昔の人の骨が自分たちを守ってくれている様な気がして、暗くなっても怖くなかったそうだ。とても骨を大事にしていた。
それを内地の学者たちが島にやって来て、研究のためにみんな持って行こうとしていたから、良美ちゃんたちは木の上に登って隠れて、木の実を投げたり石を投げたりして攻撃したんだそうだ。「神さまの仕業みたいに思わせようとしたら、すぐにばれてしまったさー。」 ブドゥマリのビーチで、良美ちゃんとベタベタして遊ぶ。
浅瀬のところで、寝ころんだ良美ちゃんのお腹に頭をのっけ、いろいろ話した。時々波がやってきて、ふたりとも流されては大笑いする。
チャロが波に向かって腰を引きながら吠えるのを見ては、大笑いする。
スイセイと順君は沖の方まで泳いでもぐっているらしい。
長い1日だ。
この空を切り取って、東京にいる友だちに送った。
原君に波照間のことを教わって、良美ちゃんのことを聞いて、私はここに2回も来ることができたのに、原君は1度しか来れなくてかわいそうだねーと言ったら、「原君はイマジネーション通信の人だから、実際には来なくても来ている様なもんだからいいさー。」と言う。
良美は32歳。私より12歳も年下なのに、私は良美ちゃんといると同級生か、私の方が年下の様なつもりで話していることに気がつく。

●2002年6月18日(火)

首に巻くタオルは、これからは2本持って来よう。
そして私の背中はまったく痛くない。
肩甲骨の奥の1箇所に、コリコリに固いものがいつもあって、鍼に行ってもそれだけは治らなかったのに、波照間に来てからその塊が消えていることに気がつく。
何というか、ここの空気はただものではない。
ただ暑くて湿気があるのではない。
重く柔らかく、まとわりつくような。
太古から変わらない、強く暖かいものにじわーっと抱かれている様な感じなのだ。重いのではなく、真綿の様にぼんやりと厚みがあるのだ。
自分のすべてを赦され認められていると、何の脈絡もなく実感してしまう。
ゆうべ寝ながら考えたこと。
波照間島に来る時の、ジェットコースター状態が1時間以上続く、耐え難い船の揺れについて。
内臓が上下するような、あの大揺れにいちいち付き合っていたら、ぜったいに吐いてしまう(去年は吐いた)。その揺れをしのぐには、船になってしまえばいい。
荒れた海になってしまえばいいと、途中で気がついた。
首の力をぬいて、頭をぐらぐらさせて。
そしたらそのうちに眠くなってきて、私は顔も体もぜんぶ緩めて半分寝ている状態になり、その間に着いてしまった。
私の無意識に同化させてしまえばいいのだなと思う。
揺れ、エンジンの音、ガソリンの匂いを、不快な異質なものにしないで、同化させて自分の一部にしてしまう。
11時に起き、洗濯をして港にソーキそばを食べに行く。
商店までてくてく歩いて、キャベツ、トマト、ブロッコリー、いちごアイスと煙草を買った。黒ごまきなこドリンクの素をみつける。
山羊の放し飼いの所に座っている時、スイセイがおならをしたら、草を食べていた親山羊が2頭とも反応して、急にこっちを見て「メエーー」と鳴いた。
それまで私らがいることなど知らん顔をしていたくせに。
スズメもカラスも、こっちのは小さく痩せて肉が引き締まっている。
カラスは神さまの使いなのだと、良美ちゃんが去年言っていたことを思い出す。
のどがすごく乾くのは、汗をかいているからだろう。
ペットボトルのサンピン茶(ジャスミン茶)は、いつも持ち歩いている私だ。
民宿の前の木陰で今これを書いているが、おじいは帽子を頭にのっけて昼寝をしている。
そして私は今何をやっているかというと、洗濯機の終わりのブザーが鳴るのを待っているのだ。
お客の男の子が上手じゃない太鼓をたたいているのが、向こうから聞こえている。
「ひとの顔に、ついてくるさー」と、おじいがゆっくり言いながら起き上がった。
ハエのことらしい。
おじいはとてもゆっくり話す。
足の親指に網のたるみをひっかけて、魚が空けてしまった穴のところをかがっている。延々とその作業をゆっくりと、けどきちんとひとつづつやっている。
去年もそうだった。
夜になって、真っ暗な道をてくてく歩いてパナヌファへ。
トゥナンパという葉っぱの千切りを、シークワーサー入りの酢みそで良美ちゃんが食べさせてくれる。スイセイが糖尿だと言ったから、用意しておいてくれたのだ。
血液がサラサラになる薬草なのだそうだ。
ちょっと苦味があり、歯ごたえもあっておいしい。
大きな音がしたからとつぜん雨が降ってきたのかと思ったら、良美ちゃんがじゃが芋を揚げている音でした。
パナヌファで食べきれなかった「アーサーバッポ」(アオサ入りお好み焼き)を、宿の青タオルの若者(太鼓をたたいていた男の子)に「食べなー」とあげたら、「いつも食べ物がまわりにあるんですねー」と言われ、やけに嬉しかった。 

●2002年6月17日(月)

朝7時半に家を出て、いざ波照間へ。
空港の荷物検査はやはり厳しく、スイセイはリュックの中身をすべて見られていた。そしてアーミーナイフを没収された。
チケットの名前が手違いで「オチナイ」(私の本名はオチアイ)と印刷してあったので、「名前は間違えても飛行機はオチナイ方がいいですけどね」と、せっかくスイセイがギャグを言ったのに、係の女の人は完全に無視していた。
忙しいのだ。
空港でも吉祥寺駅のキオスクでも、こんなに朝が早いのに、みんなテキパキと覚醒して働いていることに驚く。
飛行機は大幅に遅れて石垣島に着いた。
大慌てでタクシーに乗り、ぎりぎりで最終の船に間に合う。
空港のおねえさんも、タクシーの運転手さんも、船の時間を気にして親身になって急いでくれた。そして船も出港し始めていたのに、走って来る私たちを見つけて待っていてくれた。
本当に、とてもありがたいことだ。
でも、今はこんなにありがたいと強く想っていても、この想いは、これから始まるいろいろなことが、どかどかと積み重なっていちばん下にくるのだろうなと、船が走り始めてしばらくしてから、海を見ながらぼんやり思った。
波照間の港には、良美ちゃんと順君とチャロ(犬)が迎えに来てくれていた。
ふたりとも、私の頭の中の像よりも真っ黒だ。チャロは同じ。
おじいの宿に送ってもらって、まずは着替え。
じっとりと湿気があって、いるだけで汗が吹き出てくる感じ。
車に乗せてもらって島をゆっくり走りながら、おじいにもらったビールを飲む。
ひと口のどを通るごとに、「はぁーー」とおいしいため息が出る。
サラリーマンのおじさんが、ビールを飲むたびにやるあの「はぁーー」だ。
ビールでもお茶でも水でもなんでも、波照間に来ると、私はそれが出る。
良美ちゃんがそうなのだ。「だって、おいしいからさー」と去年言っていたが、完全に私にもうつってしまった。
だってものすごくのどが乾くし、汗もたくさん出るから、異常においしいのだ。
太陽はなかなか沈まない。
夕方、出来たての豆腐を買いに行った。どっしりと重く、まだ温かい。
パナヌファ(順君と良美ちゃんの店)で、長命草という薬草を下にしいて、どっしりとした豆腐を良美ちゃんが盛りつけてくれた。しょうゆをかけなくても、海水の塩分で充分おいしい。粉を練ったようなじんわりした味。おいしい油のような味がする。長命草は紫蘇のようなハーブのような味。
良美ちゃんのラフテーは、よくあるラフテーのように黒く濃い味ではなくて、白っぽくあっさりこっくりした味。黒砂糖で作ったざらめで煮るのだそう。
酢も入っているらしい。そうすると昆布のぬめりが取れてさらっとするそうだ。
軟骨までとろとろに柔らかいこのラフテーは、どこだかの家のおばあに教わったのだそうだ。
私はシークワーサー入りのビールに氷を入れてもらって、何杯もおかわりをしながらこれを書いている。

●2002年6月16日(日)

朝、目が覚めた時、体の奥の方に現実感の様なものを感じた。
それがむわーっと広がってくるので、寝ていられなくなって早起きした。
なんだろう。体は怠いし、気分もどこか怠いから、いつまでも眠りの世界に浸っていたいというのがいつもの私なのに。
体のどこにも痛みがなく、痛みどころか体があることを感じないような。
思い出したのだが、それは24歳とか25歳の頃の気分だった。
ゆうべ原マスミのライブビデオなんて見たからだろうか。
「夢の4倍」なんか、バンドでやるとやっぱすごいもんだなーと関心しながら見ていた。歌詞がすごいんだ。よく、ああゆう世界を言葉に押し込めたもんだなー、なんて。
そうそう、私の24歳とか25歳とか26歳とかは、原マスミの音楽にぞっこんだったから、ちょっとゆうべは原マスミつながりでその体感を思い出しちゃったような気がする。こういうのを若返ったと言うのだろうか。
それとも、もう旅行が始まっているのか? 屋久島に暮らしていた(去年の8月に亡くなった)山尾三省さんという方の本も読んだからか。
私はエコライフとか地球に優しくとか、声を大にして言っている人たちが苦手だが、この人は大きく違う気がした。有名な方なので、とっくに大勢の方々は知っているかもしれないが、私は初めて読んだのだ。
「水が流れている」という本。
読みながら、体がちょっと浮いたような、きれいな水を飲んでいるような感じになった。読み終わってそのまま寝たから、だから元気なのだろうか。
と、ここまで書いてクウクウで働いて来ました。
ひさびさにけっこう忙しく、とちゅうでバテそうになった。
やはり、24歳なのは気持ちだけでした。
明日からスイセイと沖縄に行って来ます。
夕方の4時過ぎには波照間島に着いて、良美ちゃんと順君に会っている予定。

●2002年6月15日(土)

ゆうべはなんか眠れなかったなあ。頭が次から次へいろんなことを映し出してしまい、いちいちそれに反応して悶々としていた。
ためしに寺門先生の体モード体操をしたら、その後はスーッと眠れたようだ。
その体操というのは寝ながらできる。
まずかかとを台の上(40センチくらいの高さ)にのせて足をのばす。腕を後ろにのばして、足先が少しじんじんしてくるまで(2分)。のばした手を頭の上でつなぎ、もう少し足先がじんじんするまで(もう2分)。ひじを曲げて顔の上で腕を組み、かなり足先がじんじんしてくるまで(さらに2分)。
これは寺門先生の著書「かわいいからだ」を読んで、自分流にやっているのです。目をつぶって体に集中しているので、2分というのを正確にやれないから、私は足のじんじん感を目安にやっている。要は頭に昇っていた血を下げるということらしい。ゆうべは最後の態勢のところで、すでにカクッと寝そうになってしまったほど。頭と体の腕相撲という感じで、この体操をやっても、頭の冴え方の方がぜんぜん強いっていう時には、効き目が薄いこともある。けど、私の場合8割くらいは成功しています。
というわけで、また昨日の続きのレシピ書きをやることにします。
レシピ書きもプリントアウトも終わり、勢いがついて机の前の棚を整理した。
旅行から帰って来たら、収納の取材もあるのだ。
どこを写されるかわからないので。
しかしまさか押し入れは写されないだろう。私の私生活はきちんと収納などしていない。台所や仕事まわりだけは、まあまあちゃんとやっているが。だが、整理整頓の人から比べたら、ぜんぜんたいしたことないっていうか、ぜんぜんだめだろう。
夜ごはんは、ポテトサラダ、つる紫とえのきのおひたし、豚肉とピーマンのナンプラー胡椒炒め、キャベツのみそ汁、枝豆。
テレビを見ながら枝豆ばかり食べているスイセイに、「みいは、ほいじゃがよう食べるのお。」と言われてちょっとムカッとくる。
私だって今日はあんまり食欲がないのだ。
自分ひとりだったら今日みたいな日は何も作らずにで寝てしまうが、家族のためにいろいろ作ってやってんじゃんよーと心の中で思い、ますます食べたくなくなってしまった。何の感謝もされずに、テレビを見ながらぼそぼそとごはんを食べる旦那さんを持った奥さんの気持ちが一瞬よく分かりました。
けど私は、ごはんの前に枝豆を食べたからお腹が空かないのだろう。

●2002年6月14日(金)

月曜日から旅行に行くので、帰って来てからの撮影のレシピのまとめをがんがんやった。起きぬけでパソコンに向かって、すごい勢いでレシピを打ち込んでいたら目がかすんできた。スイセイの朝ご飯をちょっとめぐんでもらって、玄米に卵をかけて食べた。しょうゆの代わりにナンプラーを入れるとおいしいのだが、入れ過ぎてものすごくしょっぱい卵ごはんだった。
スイセイに半分やったら、「しょっぱいのー、みいはほんとに料理が得意なんか?」といやな顔をされました。
3時くらいからスイセイは自分の部屋でサッカーを見ている。
「わーーー」という歓声が窓の外から聞こえ、ハル(大家さんの犬)もそれに答えて遠吠えをしている。日本が1点入ったのだなーと思いながらも、パソコンの指は止まらない。
夕方からクウクウで晩ご飯を食べた。
夜にはまた韓国戦があるので、てくてくと早めに歩いて帰って来ました。スイセイはどんどん速足になって、家に着いたら即テレビをつけていた。

●2002年6月13日(木)

これから渋谷に打ち合わせに行って来ます。さて、どうなることやら。
昨日から雨ばかり降っているけれど、梅雨に入ったのだろうか。
そう言えば、ナンシー関さんが急死したそうだ。またひとり、たのしみにしていた人がいなくなってしまった。
打ち合わせも無事終わって原君宅へ。
今日来ていたのぞみちゃん、いい娘だったなー。
関西系のノリの早口の喋り方で、お母さんによく話しかけていた。
私に話すのと同じ喋り方で、しかも内容も同じようなレベルのことを。
私がお母さんに話しかける時は、分かりやすくゆっくり。そしてお母さんがボケた答えを返して来ると、なんとなく口裏を合わせるようなことを言う。
のぞみちゃんはぜんぜん対等で、おかあさんもそれに答えて、うんうんうんと相づちも早い。そしてちゃんと答えている。たまにボケた答えを返してくると、のぞみちゃんは「お母さんーまたっー!」と喜んで、カラカラとうれしそうに笑うのだ。
のぞみちゃんは最近結婚したのだが、それまでアパートの下のおじいちゃん(まったくの他人)の介護をしていたそうだ。家族も親戚もほったらかしなので、近所の人たちと協力してやっていたらしい。「おむつをどうしたらいいか分かんなくてさー、(手を口にかざして急に小声になり)私の夜用スーパーを2枚ずらしてやってみたんだけど、やっぱもれちゃってだめだったよー。」 そして夜ごはんは、原君作グリーンカレー。グリーンの素はインスタントの素ではなく、香菜とバジルだそうだ。それらをよくすりつぶして、青唐辛子はお母さんが食べられないから入っていない。甘味は玉ねぎとココナッツミルクだし、ブイヨンを使っていないのにちゃんとコクがある。煮込んでから、なすの炒めたのと赤ピーマン、最後に刻んだみょうがまで入れていた。
そして、のぞみちゃんが家から作って来たなすの煮たのとポテトサラダ。
ポテトサラダは原君のカレーに合わせて、ほんのちょっとだけカレー粉を入れてみたんだそうだ。にんじんはシチューに入れるような形に切ってゆでたのだが、じゃがいもといっしょにつぶすのもつまらないし、かといってそのままだとお母さんが食べずらいだろう、うーんと考えて、とりあえず半分に切って混ぜてみたんだそうだ。あー、それらがとてもおいしかった。
つまんない料理、つまんない味と私は言うが、それはほめ言葉なのです。
見た目や目新しさからへたな工夫をするのは、何に対してかわからないが、よこしまな気がする。しかし、それはふだん私がやっていることだがな。
お土産にと買って行った「関鯵の寿司」と「あなご寿司」は、完敗でした。
ちょっと気張って奮発したけど(金にいとめはつけないぜ)、東横のれん街で私はあまり行ったり来りせずに、目についたちょっと豪華そうなのを大急ぎで買った。
やっぱり誰かのために誰かが作った料理というのが、料理の世界のチヤンピオンだろ!というのを味わった。それが今日の私の反省です。
グリーンカレー、うまかったなあ。

●2002年6月12日(水)

テレビの収録だった。
収録の日って、雨の確率が多いような。
お台場の私のイメージは、雨で煙っていて人が少ないさびしい景色。
何十年か経ってばあさんになった時にも、私の頭の中のお台場やレインボーブリッジはそういう景色のままだろう。誰も乗っていなさそうな遊覧船や、広くない海や、そらぞらしい大きな建物や。
子供の時にゆりかもめに乗ってみたかったな。いちばん前に乗りたいんだー!とはしゃぎまわる子供の頃に。

●2002年6月11日(火)

今朝はあまりの良い天気に、早起きしてしまった。
鍼に行く時、夏休みの天気のようだった。
小学生が傘を広げて走っていたから、朝は雨が降ったのだろうか。
空の青さがはっきりし、そして真っ白な雲だ。
とりあえず今日で鍼は終わり。なごり惜しいような気持ちで階段を降りる。
線路にも近いし、居酒屋の上だし、立地条件はあまり良いとは言えないのに、なんでここには良い静かな空気が流れているのだろう。クーラーもつけていないのになんとなく涼しくて、いつも安定した空気がある。この空気が恋しくなったら、また来よう。
ゆうべは本を読むつもりがテレビをだらだら見てしまった。
3時くらいからNHKで動物のテレビをやっていたのだ。
アフリカのサバンナの動物たち。でかいサイが1頭こちらを向いて立っている。こちらを向いていると言っても、目が両脇の下の方についているので何を見ているかは分からないが。目は、まぶたがかぶさっていて、そのたるみだけがびくっびくっと波打っている。体は堅く大きくまったくの不動の体勢。
サイって誰かに似ているなーと思っていたら、それはジミー大西でした。
あの人ってよくサイを描いているけれど、もしかしたらあれは自画像なのかもしれない。私はジミーちゃんを好きです。しかも私は料理界のジミーちゃんとスイセイに呼ばれているのです。
あの、おびただしい数が群れで大地を移動する動物は何という名前だろう。
バッファローみたいな感じで、小さい角が生えている動物。
大群が河を渡るシーンはよくテレビで見たことがあるけれど、最初の1頭が河に入る瞬間を初めて見た。それまで延々と引率しながら大地を歩いていた先頭の1頭が、丘を降りて河の目の前に来たら、なんとなく「どうしようかな」って感じになって、しばらくうろうろしていたかと思うと、突然後ろを向いてひょいひょいっとジャンプして後のグループにまぎれ込んでしまった。
え?渡らないのか?と思っていたら、どこにいたのか分からないような奴が1匹出て来て、ひょこひょこと河の中に入って行った。
したら、その後に続いてどんどん他のも河に入って行って、もうものすごい数のバッファロー?が丘から崩れ落ちるみたいにして河に飛び込むのだ。
河も泥が混ざってアメ色になっているし、丘の地面も削れて土煙がたっている。
河の流れが穏やかだったから流されたりするのはいなかったが、もう1列なんかでなく、10列くらいがだんごのようになってどろどろの河を渡って行く。それを私は延々と見ていた。
最初に渡ったバッファローは特別大きくもなく、どちらかというと痩せて頼りない感じだったけれど、かっこ良かったなあ。
深みにはまった奴の上を踏み台にして、後から後から渡って来る、誰でもないようなグループに入らなくてはならないのなら、私は先頭を行って死んだ方がましだ。


日々ごはんへ  めにうへ