2025年     めにうへ

●2025年1月19日(日)快晴

きのうは山科から6時台の新快速で帰ってきたのに、家に着いたらもう8時だった。
芦屋で乗り換えをせずに三宮にまわり、夜ごはんのお弁当を買おうと「阪急デパート」の食品街をうろうろしていたからだ。
おかげで夜ごはんも遅くなった。
お風呂に入って、英会話のラジオの再放送を聞きながらすぐに寝たのだけれど、どこかが昂っていたようで、なかなか寝つけなかった。
きっと、山下さんの印象が濃く残っていたからだろうな。
今朝は、9時に起きた。
わざと寝坊した。
日曜日なんだから、たまにはいいじゃんと思って。
トークは昼間だったし、打ち上げもお茶をしながらおしゃべりしただけだったのに、なんだか私はくたびれていたみたい。
きっと、トークのときに、時空を旅したようになったんだろう。
山下さんは、『帰ってから、お腹がすいてもいいようにと思っていた』をよく読んでくださっていたみたいで、話しているうちに、「cut」で連載していたころのことをぐんぐん思い出していった。
今52歳だそうだから、「クウクウ」で一緒に働いていた、山王丸君や仁君たちと同じ世代だろうか。
楽しかったな。
時間を忘れて、いつまででも話していたかった。
いつか、山下さんとラジオとかで対談をしたら、楽しそうだなあ。
山科の「無印」は大好きなところなので、あちこちぐるぐるまわって満喫できたのもよかった。
来週私は、仙台と盛岡のトークイベントに出かけるので、防寒のための軽いダウンやあたたかそうな下着を買った。
「Re MUJI」という、回収された衣服でリメイクされたシャツが素敵で、宮下さんと村上さんと3人で、ああだこうだいいながら選んでいるときも楽しかった。
中野さんにプレゼントしようと思って選んだシャツを、「スナフキンぽいですね」と村上さんがつぶやいたのも、どんぴしゃで可笑しかった。
今朝は、村上さんからお土産にいただいた、西荻窪の「どんぐり舎」のコーヒー豆を挽いて、ゆっくりと淹れ、ベッドの上で飲んだ。 きのうの思い出話の続きで、西荻や吉祥寺の空気を体に入れたかったんだと思う。
さあ今日は、やるべきことがある。
それは本についての原稿書き。
パズルのピースのように、ひとつ残しておいた書きたいことが、喉もとまで上ってきているので、午後から仕上げようと思う。
夜ごはんは、札幌味噌ラーメン(豆もやし、コーン、かつお菜)。
「世界名作劇場」のアニメを見ながら食べる予定。今は、『若草物語 ナンとジョー先生』に夢中。

●2025年1月18日(土)快晴

今朝の陽の出は、すっかり裸になった猫森の木々の間から。
大きいのが、くりんっ!と出た。
海にもオレンジ金色が映って、もうひとつ太陽が。
しばらくすると、海の太陽の方がよく光っていた。
こっちがほんとの太陽みたい。
たいへんゴージャスな陽の出。
もしかして、「ホホホ座」の山下さんは晴れ男なんだろうか。
お風呂から上がると、寝室が光でいっぱいだった。
裸のまま両手を広げ、太陽の光を浴びた。
さあ今日はいよいよ、山下さんとトークイベントだ。
アノニマの村上さんと、12時半に山科駅で待ち合わせなので、まだ時間はたっぷりある。
帰ってきてから気持ちがいいように、あちこち掃除機をかけた。
10時半になったら出かけよう。
夜ごはんは、カニ散らし寿司(三宮の「阪急デパート」で、閉店セールになっていたのを買った。ふわふわのカニの身がたっぷりでおいしかった!)、いつぞやの紅芯大根の塩もみ(ちりめんじゃこ、黒酢)。

●2025年1月16日(木)快晴

6時にラジオをつけ、7時半起床。
カーテンを開け、枕もとの絵の花がいろいろに光るのを見ていた。
冬の朝は、夏ともまた違う光の強さ。
本についての原稿は、きのうずいぶんいいところまで書けた。
一日寝かせ、明日また向かおうと思う。
そういえばこのところ、朝ごはんの紅茶のお湯がなかなか沸かない。
ふだんは、ヨーグルトを食べる前にやかんに水を注いで火にかけておけば、食べ終わるころにちょうど煮立っているのだけど。
なんだか雪に囲まれた山小屋で、お茶を沸かしているみたい。
うちのマンションは井戸水だから、冷たいんだろうな。
これもまた、六甲の冬の風物。
11時半に家を出て、美容院へ。
このくらいの時間に坂を下ると、目の前の海が大きな範囲で光る。
空気はきりっと冷たいけれど、マフラーを巻いていれば寒くない。
盛大に光る海を見ながら、こうして坂を下りられるのもまた冬の喜びだ。
あちこちで買い物し、銀行の用事もすませて2時半くらいに帰ってきた。
お昼ぬきで出かけたので、お腹ぺこぺこ。
急いでハンバーガー(ゆうべ焼いたハンバーグの残り、紫玉ねぎ、レタス。レンコンもオリーブオイルで焼いて挟んでみた。おいしかった!)を作り、かぶりついた。
この間、文子さんと一緒に「コープさん」に行ったとき、京都産の鰆がとってもおいしそうだったので買ってきた。
ねり酒粕も買ったので、白みそと酒、みりんを合わせて西京漬けにするつもり。
鰆3〜4切れに対し、酒粕と白みそは大さじ3、酒とみりんがそれぞれ大さじ1(美容院で見た雑誌に載っていた)。
「いかりスーパー」では地鶏のレバーも買ったから、醤油煮を作ろう。
変な時間にお昼を食べたので、夜ごはんは鶏レバーの醤油煮と、具だくさん味噌汁(大根、油揚げ、豆もやし、溶き卵)だけ。

●2025年1月14日(火)晴れ

6時に起きてラジオをつけた。
カーテンを開け、コーヒーを淹れにキッチンへ。
薄暗い空に、茜色の帯がほんのり。
大阪の方は霧が出ているのかもしれない。
ゆうべ、ベッドの中で『センセイの鞄』の朗読を聞いていたら、いきなり地震警報が鳴った。
どうしていいか分からずじっとしていると、震源地が告げられ、アナウンサーは慌てた声で、九州各地の震度を読み上げはじめた。
しばらく聞いていたのだけれど、心がざわざわするのでラジオは消した。
そのあと、ずいぶんたってからまたラジオをつけた。
こんどは津波情報が流れてきた。
カーテンの向こうでは、いつものように神戸の夜景が瞬いているだろうけれど、誰かのいるところも、私のいるところも、いつどこが揺れてもおかしくないことを思った。
今朝は、あちこち掃除機をかけ、きのうから書きはじめた原稿に向かった。
去年の暮れに書店巡りをした某雑誌の、本についての文章だ。
うーん。ちょっと行き詰まってきたなあと思っていたら、メールが届いて、文子さんが野菜を届けにきてくれることになった。
きのう文子さんは大阪に帰っていたのだけれど、畑をやっている知り合いのおじさんに「道の駅」でばったり会い、採れたて野菜をたくさんいただいたのだそう。
自然薯に紅芯大根、小松菜、おでん大根、かつお菜、香菜。
ありがたいなあ。
元気な野菜を触ったら、詰まりがすーっと溶け、ひろびろした気持ちになった。
夕方、誘い合わせて買い物へ。六甲道の「コープさん」に連れていってもらった。
帰ってきて、駐車場からマンションに戻る道を歩いていたとき、シベリア杉の葉の隙間からぴかっと光が漏れ、沈みかけた夕陽が見えた。
夜ごはんは、マナガツオの幽庵焼き(酒、みりん、醤油、柚子の輪切りにしばらく浸けてから、「くっつかないホイル」を敷いたフライパンで焼いた)、さつま芋の甘煮、薄味のひじき煮、水菜の大根おろし和え(しらすのせ)、豆もやしと溶き卵のみそ汁(白みそ、黒七味)、「ごはんですよ!」、ご飯。
お風呂上がり、空の真上に満月が。
ついこの間まで半分だったのに。早いなあ。

●2025年1月11日(土)晴れ

朝起きてラジオをつけたら、ピーター・バラカンさんの番組がはじまっていた。
もう7時だ!
今朝はよく晴れて、きのうよりもずっと暖かい。
一昨日は、『空気が静かな色をしている』の取材で、京都新聞の行司千絵さんがいらっしゃった。
汗をかきながら、坂を上ってきてくれた。
もう15年以上も前に、いしいしんじさんと池袋の書店でトークショーをしたとき、いしいさんがとても珍しい服を着てらして、それが、とっても似合っていて。
行司さんのお名前は、そのときにはじめて聞いたんだと思う。
そのあと、「クウネル」や「暮しの手帖」の記事を読んで、なんだかおもしろそうな方だな、いつかお会いできたらいいなあと思っていた。
ついこの間、「ホホホ座」の山下さんの本『君はそれを認めたくないんだろう』にも登場してらして、ますます興味が湧いたのだった。
だから、アノニマの村上さんから依頼メールが届いたとき、びっくりした。
行司さんは、やっぱりとてもおもしろい方だった。
インタビューでこちらが話すことを、ひとことですーっと分かってくださる。
審美眼を持っている方という感じがした。
ご自分が話しているときは、下を向いてなかなか目を合わせてくれないのだけれど、私が話しはじめ、本筋に入っていくと、じっとみつめられた。
目の奥でどこか遠くの方を見ているような、独特の眼差し。
その目つきは、私の知っている誰かにも似ているのだけど(確か、ものを書く人だったような気がする)、誰なのかどうしても思い出せなかった。
インタビューもそこそこに、お昼ごはん(ゆで卵入り牛すじ大根煮、薄味のひじき煮、菜花のお浸し柚子みそのせ、ひたし黒豆、蒸しさつま芋とクリームチーズのサラダ、大根の皮の黒酢醤油漬け、赤蕪漬け、おにぎり)を一緒に食べた。
そして、行司さんが今作っている本の話を聞いたり、私の縫った服や手編みのセーターを見せたり。
そうそう、インタビューのときだったかな。いちど窓が真っ白になって、盛大に雪が舞った。
2階に駆け上がり、窓から雪が入ってくるのもかまわずに、ふたりで見ていた。
行司さんと私はちっとも似ていないけれど、どこか外国の辺鄙なところをふたりで旅したら、おもしろいだろうなあと思った。
今日は、原画展のための絵を額縁に入れて、紐をつけたり、値段をつけたり、梱包したりをずっとやっていた。
きのうも私は、ペイントした額縁に、フックをつけていたのだけれど、小さなネジを小さなドライバーで回すのに手こずり、自分の指はどうしてこんなに不器用なんだろうと呆れてしまった。
それでも時間をかけてゆっくりすれば、うまくいく。
料理やお裁縫だったら、細かいことも得意なのにな。
ネジやドライバーは硬いからだろうか。
今月の末、私は『毎日のことこと』のトークイベントのために、仙台と盛岡へ出かける。
仙台では、「エマオ」という施設でお話し会をするのだけれど、すぐ近くの「book cafe 火星の庭」で、原画展も開くことになった。
『毎日のことこと』の原画が中心なのだけど、細かいものが多いので、『日めくりだより』や『帰ってきた 日々ごはん⑥』、NHKのテレビ番組『高山なおみさんの神戸だより 海の見える小さな台所から(夏編)』で使われた絵も飾ることにした。
詳しいことは、「ちかごろの」でお知らせしますので、ご興味のある方はぜひ遊びにいらしてください。
と、ここまで書いていたら、陽が落ちてぐっと寒くなってきた。
西陽が街に当たって、黄色く光っている。
夕方、中野さんからメールが届いた。
きのうお父さんは、辛いカレーをおかわりして食べたそう(中野家の金曜日はカレーの日)。
今日のお昼もカレーがいいというので、カレーにしたんだそう。
そして、晩ごはんはホタルイカと牛カルビ。
ホタルイカ(醤油漬け)はきっと、お粥さんにのせるんだろうな。おいしそうだな。
私の夜ごはんは、ノブさんの手打ちうどんで、野菜たっぷりの鍋焼きうどん(大根、人参、椎茸、小松菜、伊達巻き、落とし卵、ねぎ)にする予定。

●2025年1月8日(水)晴れのち曇り

8時に起きた。
ゆうべは9時半くらいに寝たのに、ぬくぬくの布団から出られず、いくらでも眠れる。
このごろの夜はいつも、電気を消したベッドの中で『中学生の基礎英語1』を聞きながら、ぶつぶつと英文を繰り返す。
そして、FMにチャンネルを合わせ、『朗読の世界』を聞いて眠りに落ちる。
今週の月曜日から、川上弘美さんの『センセイの鞄』がはじまったので、毎晩楽しみにしている。
ゆうべは「月と電池」という章だった。
本で読むのとはまた違う、朗読の時間。
耳障りがいい声だと毎晩聞き、そでない声だと、寝際の頭に沁み入ってこないので、自然と聞かなくなる。
いろいろな回があって、そういうところもいいなあと思う。
きのうは、亜由美さんが七草(西区の浅川さんの畑で採れた、間引き野菜を集めたパック。菜花、赤大根、大根、人参、芽キャベツ、プチヴェール、ほうれん草)を持ってきてくださった。
ちょうどそのとき、文子さんも来ていたので、夕方のひとときをおせんべいなど齧りながら3人で過ごした。
私は、中野家から柚子(お兄さんの実家の庭で採れたもの)をたくさんもらってきたので、柚子みそとジャムにしようと、座卓の上で支度をしていた。
ふたりともめっちゃ関西弁で楽しそうに話していて、それを聞きながらゆっくり柚子の皮を刻んでいるのは、なんだかいい心地だった。
夜ごはんは、できたての柚子みそをのせて七草粥にした。
まだあどけない色とりどりの野菜。昔ながらの七草とは違うけれど、自由で可愛らしい七草粥になった。
今朝は、メールのお返事や小さな仕事をしながら、柚子ジャム作り。
きび砂糖が足りなかったので、文子さんのところにもらいにいった。
お礼にみかんをふたつ持っていったら、文子さんもまた、みかんふたつとウイロウをくださった。
子ども会で配られるお菓子みたいに、ビニール袋に詰めて。
うれしいな。
今日は、文子さんの仕事が終わり次第、買い物に出かける。「無印」で買いたいものがあるので、御影「クラッセ」に連れていってもらう予定。
それまで私は、仙台の「book cafe 火星の庭」で開かれる原画展の支度をしよう。
4時くらいに出て買い物。
塩や砂糖、ケチャップ、マヨネーズ、ヨーグルト、牛乳など、重たいものをいろいろ買えた。お父さんの真似をして、「ごはんですよ!」も買ってきた。
夜ごはんは、七草粥の残り、ししゃも、ひじき煮(いつぞやの)、浸し黒豆、牛すじ大根煮、たくあん、「ごはんですよ!」。

●2025年1月6日(月)雨

ゆらゆらと眠って9時に起きた。
目が覚めたとき、一瞬どこにいるのか分からなかった。
電線の雫が光っている。
今日は雨か。
中野さんの家からは、きのう帰ってきた。
とてもいいお正月で、2泊のつもりが3泊になった。
病気のお父さんが中心の、家族のお正月に、私も混ぜてもらった。
小野(中野家のあるところ)は、とても寒かった。
二日目の朝、コーヒーを持って庭に出てみたら、六甲とは違うキンと冷たい空気。息を吸うと鼻の奥まですーっと通るような。
夕焼けも六甲と違った。
六甲は空や海が雄大で、夕焼けも遠くにある感じがするのだけれど、小野は近くにある。
近くで濃く広がっている。
毎日、楽しかったな。
楽しかったというより、よかった。
よかったというのとも少し違う。
ぴったりくる言葉がない。
お父さんは居間の隣の部屋のベッドで寝ていて、いつもラジオがかかっていた。
文字盤の大きな、時計つきの白いラジオ。
寝ている部屋の引き戸は少し開けてあるので、ユウトク君やソウリン君とこたつで冬休みの宿題をしたり、お手玉をして遊んでいると、ラジオ特有のくぐもった音が聞こえてきた。
話している内容までは分からないのだけど、ニュースや天気予報、交通情報が聞こえてきたり、加山雄三の歌やクラシックがかかったり。
お父さんのベッドから見える居間の柱には、赤い三角屋根の小さな鳩時計がかけてあり、時間がくると、ぽこっと音がして鳩が飛び出し、ぽっぽーぽっぽーと鳴いた。
台所で料理をしていると、鳩時計のぽっぽーと、用のあるときにお父さんが鳴らす、「チン」という呼び鈴の音がする。
とても小さな音なので、私にはほとんど聞こえないのだけど、みんなすぐに反応し、様子を見にいく。
ときどき「今、お父さん5回連続で鳴らしたで」と、お姉さんが笑う。
お父さんは口をぽっかりと開け、ほとんどの時間眠っている。
でも本当は、目を閉じているだけで、いろんな音を聞いているみたいにも思う。
中野さんもそう言っていた。
ごはんの時間になると、お盆に並べたいろんなおかずとお粥さん、デザートの果物を、お母さんかお姉さんが運ぶ。
お粥さんには必ず、「ごはんですよ!」をのせること。硬くて大きいものは食べにくいので、料理は何でも3センチ長さに切ること。お汁はとろみをつけたらのどを通りやすいこと。
いくつかの小さな決まりを覚え、私もごはん作りを手伝った。
そしてときどき、お盆を運ばせてもらった。
それが、すごく嬉しかった。
お父さんも、家族とほとんど同じものを食べる。
1日目の夜ごはんは、茶碗蒸し(椎茸、花人参、銀杏、おせちに入っていた紅白かまぼこ、百合根の代わりに茹でた長芋、結び三つ葉)と、おせち料理(ほとんどがお姉さん作)。デザートは苺(亜由美さんにいただいた)&ホイップクリーム。
2日目のお昼は、ノブさんの手打ちパスタとミートソース(私作)。お父さんはパスタを食べられないけれど、小さな器にミートソースを入れ、チーズをちらしてチンして出したら、お粥にのせて食べていた。「お父さん、どれがいちばんおいしかった?」と中野さんが聞いたら、これを指差したそう。
夜ごはんは、南瓜の煮物(私作)、唐揚げ4種(お姉さん作。鶏肉、ナンコツ、砂肝、ブリ、せんキャベツ添え)、ご飯、なめこ汁(私作。豆腐、三つ葉、柚子皮)。お父さんには、鶏とブリの唐揚げを小さく切り、ほうれん草のお浸しをプラス。なめこ汁のでき立てを私が持っていったと、低い声で「おお」とつぶやいた。
3日目のお昼は、ノブさんのキツネうどん、椎茸と水菜の煮浸し。お父さんはキツネうどんが好きなので、お揚げさんもうどんも3センチに切って薄いとろみをつけ、汁物がわりにした。あとはお粥さん’、ほうれん草のお浸しと即席塩鮭のほぐし身(私作)。デザートは缶詰の白桃。
夜ごはんは、ホットプレートで焼いた日田焼きそば(帰省していたお義兄さんのお土産。せんキャベツの残り、もやし、人参)、辛子明太子のおにぎり、冷凍のカニ爪(さっとゆがいて殻をむいた)、かき卵汁(お父さんのはとろみつき)。
「チン」と鳴って、お父さんはカニをおかわり。
もういちど鳴って、けっきょく8本食べた。お盆を下げるとき、「今日は、何がいちばんおいしかったですか?」と私が尋ねたら、間髪おかずに「カニ」と答えた。
お父さんはとてもよく食べる。
ゆっくりと時間をかけ、3食すべてきれいにたいらげ、食後の果物を食べ終えたら、「チン」と鳴らす。
すると、中野さんが食後のおやつのキャラメルコーンを出してあげる。
中野さんはほとんどの時間、お父さんのそばにいて、「ソウリンがサンタさんにもらった自転車、何色やったと思う?」とか、「前に渋谷のNHKに行ったなあ。お父さん、覚えとるやろ?」とか、小さな話を投げかけていた。
10時と3時のおやつもまた、お楽しみ。
「ぜんざいが食べたい」とつぶやいた日には、中野さんと材料を買いにいって私が作った。
お父さんは、食事をするだけでもとても疲れるらしく、すぐに横になってしまうけれど、ときどき中野さんがリハビリの先生みたいになって、足の屈伸運動をしたり、寝室から居間を通ってゆっくりと歩き、ベッドに戻ったりしていた。
いちど、陽の当たる縁側の腰掛けに座り、ソウリン君とボール投げをしていたっけ。
中野さんが審判になり、5回連続で勝ち負けを決めるじゃんけんもした。
いつもだったら私はすごく弱いのに、お父さんに勝ってしまった。
思い出すときりがないなあ。
さあ、今日からまた、ひとりの生活がはじまる。
朝、洗濯物を干すときに、なんとなくお父さんの真似をしてAM(NHK第一)のラジオをつけてみた。
日記を書きながら、今もずっとつけている。
静かな雨。
霧が出て、窓が真っ白だ。
窓辺のテーブルの上をふと見ると、消しゴムのカスがある。
きのうここで、ソウリン君が冬休みの宿題ドリルをしていたから。
そう。きのうは、お義兄さん、お姉さん、ユウトク君、ソウリン君がうちに来た。
子どもたちがお年玉でラジコンカーを買いたがっているそうで、三宮のおもちゃ屋さんに連れていくというので、私も車に乗せてもらった。
最初は、三宮駅まで送ってもらったら、ひとりで帰ってこようと思っていたのだけど、けっきょく「大丸」の地下でお姉さんと買い物し、お昼ごはんはうちで食べることになった。
メニューは、フライドポテトとハンバーガー(粗びきの合挽肉でパテを作り、具はトマト、レタス、紫玉ねぎ、フライパンで溶かしたチーズ。パテを焼いた肉汁でとんかつソースを煮詰めたもの、ケチャップ、スイートチリソースにケチャップを混ぜたもの、フレンチマスタード。お姉さんに手伝ってもらいながら大皿に並べ、それぞれが好きなものを挟んで食べられるようにした)。
フライドポテトは文子さんと同じフライヤー(年末に私もAmazonで買ったのだ!)で揚げたら、最高にうまくいき、あっという間になくなった。
ユウトク君はパテを丸めたり、レタスをちぎって洗ったりのお手伝い。その間、ソウリン君はお義父さんと窓辺のテーブルに座り、宿題をしていた。

一日中降り続いた雨は、夕方には止んだ。
今は夜景が光っている。
夜ごはんは、ひとつだけ残しておいたきのうのパテで、イングリッシュマフィンのハンバーガー(トマト、紫玉ねぎ、レタス)、チキンポテトサラダ(いつぞやの)、ミルクティー。『ムーミン谷のなかまたち(字幕版)』を見ながら食べた。
新年早々、とっても長い日記になってしまった。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。

●2025年1月1日(水)快晴

新年、明けましておめでとうございます。
9時に起きた。
ゆうべは文子さんたちのところで、お蕎麦を食べながら日本酒もご馳走になったので、ちょっとだけ二日酔い。
そして、初詣から帰り着いたら、お風呂にも入らずバタンキューだった。
今朝はゆっくりと浸かり、髪も洗った。
初、お風呂。
朝ごはんはヨーグルト(洋梨)と紅茶だけ。
ゆっくり、ゆっくり動いて、ささやかな元旦のご馳走を支度した。
今年のはご馳走とも呼べないものだけど。
浸し黒豆、伊達巻き、赤蕪漬け、紅芯大根のサラダ(お皮ごとせん切りにして塩をまぶし、柚子胡椒ドレッシングをちょっと、ちりめんじゃこ。おなますのかわり)、蒸しきぬかつぎ(白みそ)、お雑煮(白菜、大根、里芋、水菜)、磯辺巻き。
記念に写真を撮った。
お正月って、どうしてこうちょこちょこと豆皿に盛ったのを、いろいろ並べたくなるのかな。
NHKのドラマ「正月時代劇」の『いちげき』がとてもおもしろく、夢中になって最後まで見てしまった。
そのあとは、テレビもラジオも消して、コートのボタンつけをしたり、鍋つかみに紐をつけたり。
柱時計がカチコチ鳴っているだけの、静かな正月。
どういうわけか、小鳥たちの声もあまり聞こえない。
明日から中野さんの家に泊まりにいくので、荷物の支度をしたら、あっという間に夕方だ。
夜ごはんは、紅芯大根のサラダ、ひじき煮、磯辺巻き、鍋焼きうどん(ノブさんの手打ちうどん、卵、伊達巻き、水菜、麩、ねぎ)。

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