2020年     めにうへ

●2020年2月9日(日)晴れ

6時半に目覚め、カーテンを開けた。
ベッドに寝そべったまま空を見る。
今朝は雲が多いな。
高い方のは青灰色がかっている。
のったりとした大きな青灰色が、薄い灰色と交差する。
そのうち、下の方の雲が茜色に輝き、山の稜線が金色になってきた。
オレンジの光が見えたと思ったら、じりじりと昇り、つるん、ぷりんっと勢いよく出てきた太陽。
眩い光の玉。
玉というか、丸い形の反射板のよう。
反射板の中はうねうねと動き、オレンジなのか、青なのか、黒なのか、分からない色に見えてくる。
こういうの、じっと見ていてはいけないんだろうな。
朝ごはんを食べ、パソコンに向かった。
ピンポンが鳴って、書類が届いた。
12月に撮影していただいた、斎藤くんの写真の束だった。
すごくいい。
冬の光に包まれている。
根を詰めて書いていたテキストの活字の世界と、あの日の実物の世界。
そのずれを前に、ぽかんと立ち尽くしてしまう。
言葉がとてつもなくつまらないものに思えてくる。
海の手前の煙突の煙がまっすくに上り、そのまま雲につながっている。
煙突の向こうは、白銀にさんざめく海。
今朝は風がないのだな。
料理本のテキスト、しばし休もうと思う。
午後、東京新聞に寄稿する短文を書き、仕上げて村上さんにお送りした。
今は5時。
海がまだ青い。
夜ごはんは、豚肉(ロースの厚切り)のみそ漬け、小松菜炒め添え、ひと口がんもどきと菜花の薄味煮(おとついの残り)、みそ汁(豆腐、ねぎ)、ご飯。

●2020年2月8日(土)曇り

6時半にカーテンを開けた。
ラジオを聞きながら、陽の出を待った。
太陽は7時少し前に、ちゃんと顔を出した。
隣のマンションに隠れてもう見えないと思っていたのだけど、あの日はもう昇ったあとだったんだな。
よかった。
今日も今日とて、料理本のテキスト。
窓辺の木の机を、それほどには陽が当たらないところまで移動し、パソコンをのせてみた。
場所が変わると、新しい気持ちでテキストに向かえる。
気づけば4時。
ぐっと集中できた。
夜ごはんは、トマトスープ(人参、ゆり根、小松菜)だけ。
ごはんの前に、塩せんべいをバリバリ食べてしまったし、お昼にはひろみさんの炊き込みごはん(お土産にいただいた)をセイロで温め直し、たっぷり食べたので。
ここでお知らせです。
3月14日(土)に、吉祥寺の「キチム」でトークショーを開くことになりました。
詳しくは「ちかごろの」を開いてみてください。
久しぶりの東京は、どんな様子だろう。
また、川原さんちに泊めてもらえる。
3泊ほどして、赤澤さんたちと料理本の打ち合わせもする予定。

●2020年2月6日(木)快晴、お天気雪

8時15分に起きた。
窓を開けたら、前の建物の屋根にうっすらと雪が積もっていた。
明け方に降ったのかな。
あったかい布団にくるまってぐっすり眠っていたから、ちっとも気づかなかった。
今朝も海が眩い。
太陽が当たっているところが、海から発光しているみたいに見える。
きのうのもそうだった。
海から王冠みたいに光のしぶきが上がっている。
さ、今日もまた料理本のテキストをがんばるぞ。
また2階のベッドの上でやろう。
快晴の青空。
夢中でやっていてふと窓を見ると、小雪がふらふら舞っている。
雪虫みたいな小さいの。
こんなによく晴れているのに。
何度見ても舞っていた。
青空に、雪虫。
たまらなくなり、屋上に上ってみた。
舞ってる、舞ってる。
そのまま階段を下り(運動不足なので)、玄関から外に出た。
舞ってる、舞ってる。
夕方のラジオで、「兵庫県は今日、風花が舞いましたね」と言っていた。
そうかあれは、風花というのか。
夜ごはんは、トンテキ(小さめの豚ロース厚切り)、お土産でいただいた春菊のオイル蒸し&パースニップの塩ゆで、みそ汁(豆腐、ねぎ)、自家製なめたけ、ご飯。

●2020年2月5日(水)晴れ

朝ごはんを食べ、料理本のテキストの続き。
「スカーレット」を見ながらお昼を食べ、1週間ぶりに坂を下りた。
美容院に行き、てくてく歩いて遠くのチーズ屋さん(閉まっていた)へ。
輸入ものばかり売っている大きな酒屋や、銀行、区役所にも行った。
区役所には確かめたい用件があって行ったのだけど、いざフロアーに立ってみたら、ふわふわしてしまい、何をどう聞きたかったのか分からなくなった。
前に来たときと窓口の配置がずいぶん変わっていて、その様子にまず驚いた。
ふわん、ぽかんとしていたら、「今日は何のご用事ですか?」とおじさんが声をかけてくださる。
そんなふうに窓口に案内をしてくれる係の人が、3人くらい立っているのだ。
ますますわけが分からなくなる。
それでも3つの窓口をまわって、聞きたかった用件のひとつは確かになった。
最後に、年金の窓口に行ったのだけど、いつも持っている肩掛けバッグがない。
真っ青になって、さっき寄ったトイレに見にいこうとしたら、さっきのおじさんが声をかけてくださった。
「もしかしたら、お探し物をしてはりますか? 」
「はい」
「それは、厚い布の、茶色いような小さいバックですか?」
「はい、そうです!そうです!」
「お忘れもんみたいやったから、どなたんかなあと思っとったんです」
係の女の人が、ちゃんと預かっていてくださった。
今日に限って、銀行の通帳も入っていたから、ひやっとした。
たっぷり買い物をして、夕暮れのなかてくてく歩き「MORIS」へ。
イギリス帰りのひろみさんが、お土産の鯖の薫製(黒こしょうがまぶさっている)で炊き込みご飯を、今日子ちゃんがパースニップ(白人参)の塩ゆでと、カリフラワーのお焼き(カリフラワーをフードプロセッサーで粉々にして塩を少し、小麦粉を混ぜて団子にし、なたね油でじっくり焼いた)、春菊のオイル蒸しを作ってごちそうしてくださった。
ひろみさんの炊き込みご飯には、ごぼうや人参、れんこんも入っていて、私だったらごぼうはささがき、人参も細く切ってしてしまうのに、ひろみさんのはころころに切ってあった。
大きすぎず、小さすぎず。
ごぼうの香りが立って、鯖の薫製の香ばしさとも合わさって。
薄味で。
すごーくおいしかった。
今日子ちゃんの野菜料理も、じんわりと胸にきた。
3人でたわいないおしゃべりをし、よく笑った。
私はここ1週間、誰ともおしゃべりをしていなかった。
中野さんとは電話で2度ばかしお話ししたけど。
帰ってきたら、足がつっぱらかっていた。
運動不足、おしゃべり不足、人との対面不足。
お風呂に入ってもみほぐしながら、体の中の流れも詰まっていたのかなと思った。

●2020年2月4日(火)晴れ

窓を開けていても春のように暖かい。
ゆうべは、「オペレーション・テーブル」にいる夢をみた。
何度か目覚め、また眠ると同じ夢の続き。
朝ごはんを食べ、料理本のテキストに向かう。
私はもう、何日も外に出ていない。
こもりっきりでずっとテキストを書いている。
数えたらちょうど1週間だった。
途中で、「あー、つまんないよー!」と声を上げた。
「オペレーション・テーブル」での1週間が、あんまり楽しかったから。
気を取り直し、肩の体操をしてまた向かう。
2階のベッドの上に文机をおいてパソコンをのせ、資料をまわりに集めてみた。
今日は海が青いな。
気が散ると、窓を開けて肩の体操。
青い空にはお椀のような白い半月。
今は5時。
ずいぶん進んだ。
もしかしたら私、半分以上書けたかもしれない!
夜ごはんは、トンコツ味の棒ラーメン(煮卵、明太子、ねぎ)、白菜、人参、椎茸、豚こま切れ肉のおかか炒め。

●2020年1月31日(金)曇りときどき晴れ

6時半に起きた。
カーテンを開けると、もう薄明るい。
しばらく見ていなかった間に、太陽の昇る位置もずいぶん動いた。
もうじき隣のマンションに隠れて、見えなくなりそうだ。
そうか、もうそんな季節になったのか。
今朝は、空の光の具合がくるくる変わる。
急に暗くなったなと思ったら、雨まじりの小雪が舞っていた。
寒い、寒い。
そしてまたすぐに光が溢れ、眩いばかりとなる。
窓辺に洗濯物を干しているので、暗くなると窓を閉めにいったりしながら、朝から「SとN」の校正を夢中でやった。
12時を過ぎたころ、今日もまた、まっぷたつに分かれた空。
大阪の街(東)は灰色の雲に覆われているのに、三宮の街(西)の上は見事な青空。
雲は白銀、海も白銀。
手前の海だけ、緑がかっている。
どこかで虹が出ていそうなお天気だ。
「SとN」の校正は、2時くらいに終わった。
記憶が遠くにいかないように、旅のことを記しておこう。
北九州で私は何をしていたかというと、旅芸人の”くちぶえ一座”の団員として、台所を厨房用に整え、みんなのためにごはんを作っていた。
でも、私ばかりが作っていたのではない。
朝いちばんに起きてきた人が洗い物をはじめ、珈琲を淹れ、なんとなく誰かが掃除をしたり、ゴミ出しをしたり。
手の空いている人、作りたい人がいつも勝手に作っていた。
イベント用の料理も、朱実ちゃんと樹くんがずいぶん手伝ってくれた。
私はよく寝坊して、ベッドでうとうとしていると、どこかで誰かが立てる音が聞こえてきた。
中野さんが歯を磨いている音、展示会場を掃除しているらしい音。
どこかで絵を描いてらっしゃるような気配。
3階の部屋で、樹くんがギターの練習をしている音。
朱実ちゃんが下りてきて、「おはようございます!」と明るい声。
私は1階のゲストルームにこもり、動き出したみんなの音を聞いてから、朝風呂に浸かるのが日課だった。
窓から陽光が射込むバスタブには、自分で買ったクナイプ(ハーブの香りの入浴剤)の袋を毎朝少しずつ分けて入れていた。
ゆっくりお湯に浸かりながら、”くちぶえ一座”のテーマソング(「東京キッド」の替え歌)の歌詞を考えたり、今日は何の料理を仕込もうかしらとぼんやり頭を巡らせたり。
広い家(3階建て)のどこかにはいつも誰かがいるのだけど、互いに干渉せず自分のやりたいことを静かに遂行している感じは、十代のころ住み込みのアルバイトをしていた山小屋の空気にも似ていた。
ずっと雨が降って、空気が冷たく清冽で、台所の足下がいつも冷えていたせいもあるのかな。
何の料理を作ったかも、思い出してみよう。
1日目の賄いは、真喜子さんの台所の冷凍庫にぎっしりたまっていた肉類(ハム、ベーコン、豚肉、鶏肉、鴨肉など)をミンチにし、樹くん&朱実ちゃんが玉ねぎを刻んで炒め、スパイスを駆使した「謝肉祭のカレー」を作った。
あ、それは2日目だ。
1日目のディナー(晩ごはんという感じではない)は、樹くんのトマト味のスープ(じゃがいも、人参、樹くん作のベーコン)が鍋に残っていたので、冷凍庫にあった茹でマカロニを朱実ちゃんが加えて煮込み、私がホワイトソースをこしらえてグラタンにした。
バターがなかったので、ホワイトソースはオリーブオイルで作った。
それから、冷凍庫に点在していたイカスミと、炊き込みご飯やおにぎりを集めて真喜子さんがこしらえたのは、真っ黒なイカスミリゾット(にんにくとオリーブイルがたっぷりで、濃厚で、絶品だった!)。
あと、朱実ちゃんたちが若松のスーパーで買ってきた新鮮なハマチのお刺身と、海鮮のり巻き。
翌日は、「謝肉祭のカレー」に、タイのアラ(若松のスーパーで買ったもの)でスープをとって(引き出しの奥からブーケガルニのパックをみつけ出した)、ハマチのお刺身の残りをミンチにして加えたら、なんとなくフランスの漁師町のスープになり、真喜子さんが「マルセイユ風漁師のスープ」と名づけてくれた。
その後、「マルセイユ風漁師のスープ」の残りに何かの肉(忘れてしまった)と、パプリカの粉やクスクスのミックススパイスなど加え、栗原さん(こんど3月に若松で開く、おにぎりのイベントを企画してくださった方)の差し入れのキャベツを刻んで煮込み、「ハンガリアン・グヤーシュ」に。
「ハンガリアン・グヤーシュ」は、料理ライブの日にお客さんに出したら、あっという間に鍋が空っぽになり、鍋の底に残ったのをパンにつけて子どもたちが食べてくれた。
ライブの日に合わせ、毎日こつこつと冷凍できる料理(シガラボレイ、モンゴル餃子)を作り、ソーセージも3種類仕込んだ。
スパイス違い、肉違いを豚腸で2種。羊腸のもはじめてやってみた。
腸が乾くまで、玄関の中野画伯の絵の前に吊るした。
「オペレーション・テーブル」は動物病院だったので、ソーセージからしたたり落ちる肉汁は、もう何十年も前にメスや注射を揃えていただろう銀色のワゴンの、ステンレスのトレイで受けた。
ぶら下げたソーセージは、サーカスの踊り子がお化粧をしている絵にもよく似合っていた。
私が台所でこつこつと仕込みをしているとき、樹くんのギターや朱実ちゃんの歌声が聞こえてきた。
中野さんはいつもどこかで絵を描いていた。
真喜子さんは2階の自分の部屋で、大学の講義のための準備をしていた。
それはまさしく、私がまだ吉祥寺に住んでいたころに、紙版画を教わりに朱実ちゃんの家に行った日そのものだった。
2015年の10月14日、あの日の日記にはこんなふうに書いてある。

みんな、別々の体(指や耳や鼻や目や)と心を持っているのに、目に見える場所ではいっしょにいて、それぞれのものを好きなように作り出している。

あれから朱実ちゃんと樹くんは、緑さん(朱実ちゃんのお母さん)と若松の実家に移住し、私は東京を離れてひとりになり、中野さんともときどき過ごすようになった。
その間の歳月は5年近くあるのだけれど、なんだか紙版画の日のあくる日みたいでもあった。
1月24日、旅芸人のライブペイント ”荒野にて”。絵・中野さん&ギター・樹くん&声と歌・朱実ちゃんの興行。
1月26日は、”くちぶえ一座”のまかないと音楽。私の料理&朱実ちゃん&樹くんの興行。
お客さんに向けて作った料理は、その場に合わせ、自由に変わっていった。
今思うと、私の料理もライブのひとつだったんだな。
ライブ料理のメニューを思い出して書いてみよう。
シガラボレイ(トルコの春巻き)、ハンガリアン・グヤーシュ、パン(当日、厨房の手伝いをしてくださったあんべさん作)、チキンとミートボールのカレー(樹くん作)、平パン(練った生地を、展示会場の手術台の上で伸ばし、中華鍋で焼いた。ふきのとう味噌添え←平パンはカレーに添えるつもりだったのだけど、すでにお客さんのお腹に入り、鍋が空っぽになっていたので)、ソーセージ3種(酢キャベツ添え)、モンゴル餃子&モンゴルだれ(網焼きトマト、にんにく、黒こしょう、レモン汁、オリーブオイル)、鍋焼きローストポーク(豚ロース塊肉はにんにくとローズマリーを突き刺して、粗塩をなすりつけ、冷蔵庫でねかせておいた。肉の周りに玉ねぎと人参をぎっしり並べて鍋蒸し焼き。最後に肉だけオーブンに入れ、脂身をカリッと焼いた)、大かぶらと大根の塩もみ(柚子こしょう、甘口醤油、ごま油)、トマトのサラダ(薄く輪切りにし、おいしい塩をふりかけただけ。朱実ちゃんの友だちのキナコちゃんが作ってくれた)、鯖のマリネ(真喜子さんが塩をしておいた鯖を酢に浸け、にんにくたっぷりのオリーブオイルをかけた。黒と緑のオリーブ添え。残ったオイルはパンに浸して食べてもらった。鯖は、バスに乗ってふたりで出かけた黄金市場でとても新鮮なのを買った)。
これで全部だったかな。
私たちの日々のごはんでは、殻つきのカキもよく食べた。
オリーブオイルににんにくの香りをつけ、白ワインで蒸し焼きにしたもの。
若松のカキはびっくりするほど安い。
殻は小さめなのに身がぷりっと大きく、こたえられないおいしさだった。
真喜子さんは若いころ美術館で学芸員をしていて、今は大学で美術を教えてらっしゃる。
だからか、外国にもよく出かけていたらしい(今もかな?)。
そして「オペレーション・テーブル」は、オープンしてから10年が経つ、古くて頑丈な建物。
これまでいろんなアーティストが展覧会やイベントを開き、ゲストルームにもたくさんの人たちが泊まった。
もと動物病院(今は亡きお父さんが医師だった)の手術室は、タイルも壁も昔のままを活かし、空色(真喜子さんはオペレーション・ブルーと呼んでいる)に塗られている。
ゲストルームの壁もオペレーション・ブルーだし、ベッドのシーツも空色と白の水玉。
バスルームは白タイルにひとつだけ柄のタイルがはまっていて、ポーランドとか、ロシアとか、北欧かどこかのホテルみたい。
シャンプーもどこかの国のもので、髪にやさしく、若草みたいないい香りがした。
真喜子さんの台所は、見た目は日本の懐かしい造りなのだけど、やっぱり外国みたい。
珍しいスパイスが棚や引き出しのあちこちに隠れていて、調味料も鍋もフライパンも本格的なものが何でも揃っている。
物がいっぱいに溢れ、混沌としている(真喜子さんごめんなさい!)台所のおかげで、私はどんな場面でも、そこにあるものを駆使し、即興でおいしい料理を作れるように鍛えられた。
これまで隠れていた、もうひとつの料理の眼が開いたような気がする。
「オペレーション・テーブル」に刺激され、体のなかからずるずるどーーっと出てきたみたい。
夜ごはんは、スパイシー手羽先(新幹線で帰る前に、小倉駅の地下スーパーで買った。手羽先は平らに開いてある)のフライパン焼き、キムチ雑炊(鍋焼きうどんのスープを水で薄め、冷やご飯、卵、溶けるチーズ)ゆで絹さや(大根おろしのせ)。

●2020年1月30日(木)快晴

9時半まで寝ていた。
まだ眠れる、まだ眠れると思いながら。
カーテンを開けると、白銀に光る海。
太陽はもうずいぶん上。
青空に雲がぽかんと浮かんでいる。
北九州の旅からは、おとついの夜に帰ってきた。
中野さんは1泊し、きのうの朝10時ごろに家を出てタクシーで坂を下り、新開地の駅までお見送りした。
本当に、楽しい楽しい1週間の合宿だった。
毎日、いろんなところでいろんなことが起こり、歓びを感じるだけでいっぱいで、どんどん日が過ぎ去っていった。
なんだか毎日が、境目なく続いている感じがずっとしていた。
楽しくてたまらない長い一日を過ごしているみたいに。
真喜子さん(「オペレーション・テーブル」のオーナー)の台所や、中野さんの絵の展示会場のテーブル(ステンレスの手術台)で、朝、昼、晩(ときどき朝と昼が一緒になったけど)とみんなでごはんを食べ、コーヒーを飲み、夕方になると食事の支度をしながらワインを呑みはじめ、お風呂に入り、寝て起きて、1日1日を過ごしていたはずなのに。
展示会場には、歴代のサーカス団員の絵がぎっしり飾られていて、私たち5人もその仲間の団員のようだった(団長は真喜子さん)。

そんなわけで日記がちっとも書けませんでした。
ホームページを開いてくださった方、ごめんなさい。
これから少しずつ、北九州で何をしていたか書いていこうと思います。

今日からやっと、神戸に戻ってきたような気がするので、いつもの仕事に向かおうと思う。
まずは「SとN」のゲラ校正から。
終わったら、また料理本のテキストに向かうつもり。
それにしても海が青いな。
夕方5時過ぎ、オレンジと青が混ざったような不思議な色が部屋まで入っていきた。
外を見ると、まっぷたつに分かれた空。
霧のような雨が、西の方角だけに降っている。
右はオレンジ、左は青。
青の方角に首をまわすと、そこには大きな虹が出ていた。
虹は海から上っているように見える。
雨雲がゆっくりと、青の方に流れていき、靄が晴れた。
すると、海から翼が現れた。
真っ白な雲が、海から立ち上っている。
あそこだけお天気雨が降っているんだろうか。
西を見ると、夕陽の照り返しで、オレンジに縁取られた貨物列車の雲が連なっている。
あんまりでっかい景色なので、写真を撮った。
夜ごはんは、キムチ味の鍋焼きうどん(小倉駅地下のスーパーで買った。豚肉、白菜、キャベツ、人参、ニラ入り。卵を落とし、半端に残っていた溶けるチーズを加えた)、塩むすび。

●2020年1月18日(土)快晴

7時に起き、カーテンを開けた。
今朝は濃い雲がかかって、陽の出を見ることができなかった。
でも、雲の下には濃厚なオレンジの帯。
空の雲にも、そのオレンジが反射している。
窓を開け、ベッドに寝そべったまましばらく眺めていた。
眩しい朝だ。
洗濯物がよく乾きそうなので、タオルケットを洗った。
きのうは朝のうちに病院にいってきた。
もしかすると、アレルギーが関係している咳ぜんそくの気があるかもしれないとのこと。
今は、私のような人がとても多いのだそう。
今年の冬は温暖で秋のようだから、花粉を飛ばす植物が枯れずにそのままあるせいではないかと先生がおっしゃっていた。
新しい薬をもらって帰ってきた。
おかげでゆうべは、それほど咳が出なかった。
今日もまた、料理本のテキスト書き。
これまで見えなかったものが、少しずつ、少しずつ、やればやるほど見えてくる。
点と点がつながって、線路のようなものが見えてきた。
それがおもしろくてたまらない。
去年の撮影の前の日に、立花くんがメールでくださった言葉がある。
「まだ先が見えない暗闇のなかでの動きになるかと思いますが、よい光がさしてくるはずなので信じて進みましょう。不安ですが楽しみもあります」
載せる料理が何になるかも、どんな文を書くかも、台割も何も決まっていない。
ゴールを決めると、出てくるものも出てこなくなるので、何も決めずにただその日のお天気を感じ、作りたい料理をこしらえ、次々撮影していただいた。
赤澤さんは私の口からこぼれる言葉を逃さずメモし、斎藤くんは目に映るすべてを写真に撮り、立花くんは遠くから何かを見通していた。
うん。
立花くん。
私、少し光が見えてきたかもしれない。
迷いながらなので遅々として進まず、まだまだだけど。
明日もがんばろう。
夜ごはんは、ハマチの塩焼き(ゆうべの残り)と焼き椎茸のおろし煮、かぶの葉と豚こま肉の炒め物、ご飯、干し大根の甘酢漬け。

●2020年1月16日(木)曇りときどき晴れ

さっき、いつもの神社まで中野さんをお見送りし、坂を上っていたら、「LUCA (今日子ちゃんに教わった六甲の洋服屋さん)」の店主にばったりお会いした。
「姫路から送られてきた大根と柑橘を、もらってください」とおっしゃる。
マンションの外で待っていたら、長ねぎと、葉っぱがゆさゆさの太った大根、姫柑、紅はっさくを紙袋に詰めて持ってきてくださった。
嬉しくも重たい紙袋を抱え、えっさえっさと坂を上って帰ってきた。
すぐに、料理本のテキストをやりはじめる。
赤澤さんから最後の撮影のメモが届いたので、ちょうどいいタイミング。
点と点がつながって、線路のようなものが見えてきた。
気が散ると台所に立ち、いただいた長ねぎを刻んでごま油でねっとり炒めてみた。
塩をひとふりだけ。
ねぎの油蒸し炒めというところだろうか。
ビンに詰めて、北九州に持っていこうと思って。
調味料として何かと使えそう。
大根に包丁を入れると、みずみずしくて驚いた。
大根を下ゆでした煮汁までおいしいので、半分残し、そこに昆布だしを加えて油揚げと薄味に煮た。
きのう今日子ちゃんがイギリスから帰ってきたから、「MORIS」に持っていってあげようと思って。
残りの1本の半分は、いちょう切りにしてざるに広げて2階に干した。
ここ何日か、いろいろな楽しいことがあった。
中野さんとの新作絵本の打ち合わせもぶじに終わり、宿題をいただいた。
風邪もずいぶん治った。
でも、明日はもういちど病院に行ってこようと思う。
北九州の旅までに、すっかり治しておきたいから。
ここでお知らせです。
北九州の八幡市にある「オペレーション・テーブル」というところで、中野さんは今”くちぶえサーカス”という展覧会をしているのだけど、友人の山福朱実さん&樹くん、私も加わってイベントをします。
朱実さんのツイッターに、詳しいことが書いてあります。
朱実さんのツイッター

「オペレーション・テーブル」はゲストルームもあるので、4人で合宿のように泊まり込む予定。
私と中野さんは21日(火)に神戸を出る。
夜ごはんは、大根と油揚げの薄味煮、九州とんこつラーメン(煮卵、ほうれん草、ねぎの油炒め)、かぶの塩もみ。

●2020年1月10日(金)快晴

きのう1泊だけして、中野さんは北九州に旅立った。
いよいよ明日から、「オペレーション・テーブル」で展覧会がはじまるので。
朝、私も一緒に坂を下り、お見送りがてら「コープさん」へ。
まっ青な空。
旅の空だ。
帰りはゆっくり足もとだけ見て、小股で坂を上った。
セーター一枚だったのに、春のようにあたたかく、しっとりと汗をかいた。
まだ少し咳は出るけれど、ずいぶん体が動くようになった。
風邪が治ったんだな。
帰ったら、りうからメールが届いていた。
午後いっぱいかかって返事を書き、送る。
夕方、りうから返事が届いた。
胸が苦しくなる。
また返事を書いて、送った。
夕闇に夜景のオレンジが瞬いている。
夜ごはんは、カラスガレイのみそ漬け焼き(かぶの厚切り焼き添え)、青じそふりかけのおにぎり(お昼の残り)、じゃがいものみそ汁。

●2020年1月1月7日(火)雨

ゆうべも咳でよく眠れなかった。
もしかしたら、気管支炎にかかっているかもしれないと思って。
それで、朝の受付時間に間に合うように、タクシーを呼んで病院に行ってきた。
ただの風邪だった。
薬をもらったから、もう大丈夫。
熱もないし。
帰ってきてすぐ、きのう作ったかぶの鍋蒸し煮の鍋に、カツレツに添えたゆでじゃがいもと人参、ささ身を加えてクリームシチューを作って食べた。
きっと私は、母の遺品の片つけや掃除を、がんばりすぎたんだと思う。
お正月は休むためにあるのに、ごちそうもいろいろ作って、ふだんよりうんと動いていたから。
今日は薬を飲んで、おとなしく寝ていよう。
静かな雨が降っている。
夜ごはんは、クリームシチュー(お昼の残り)、いちご。

●2020年1月6日(月)晴れ

7時半に起きた。
おとついもきのうも、咳でよく眠れなかった。
寝ようとすると気管が詰まって、息がしにくくなる。
枕を3つ重ねて上半身を斜めにし、膝を曲げると少しはいいので、その姿勢のまま目をつぶっていた。
うとうとしながら私は、新しい絵本の言葉を考えていた。
くり返し、くり返し。
まだ覚えていたので、朝起きてすぐに書き出した。
お昼ごはんを支度しながら外を見ると、窓いっぱいに海が光っている。
金色にさざ波立っている。
ああ私、やっと神戸に帰ってきた。
実際に帰ってきたのは、4日の夜。
お正月に私がやりたかったことは、みっちゃんの孫たちと遊ぶのと、母の遺品を片づけること。
主には衣類の片づけだ。
3日は姉とふたりでやったので、とてもはかどった。
2階の和室が母の衣装部屋になっているのだけど、タンスにも、衣装箱にも、バザーで買ったらしい見慣れない化繊の服がこれでもかと詰まっていた。
しかもたたまずに。
どうしてこんなにため込んでいたんだろう。
父が生きていたころには、もっとずっと質素で、お気に入りの同じ服ばかり着ていたのに。
母が介護ベッドで寝ていたころ、そのなかから私がホームに通う服を選んできて見せると、「ううん、それは首が苦しいからいや」とか、「派手すぎるからいや」とか、「肌ざわりがよくないの」とか言っていた。
多分、いちども袖を通したことのない服がほとんどだったんだと思う。
まだ着られそうなのはリサイクルのゴミ袋に。肌着やくつ下、スカーフ、手編みのマフラー、ハンカチはゴミ袋に。
けっきょく全部で20袋になった。
着られるかどうかも分からない服をため込んでは、また新しく買っていた母。
おしゃれをすることに憧れがあったんだろうか。
もしかしたら母には、何か充たされないものがあったのかな。
母の部屋はできるだけそのままにしておきたいので、目についたところだけ片づけた。
教会用(二カ所)、図書館用など、どこかに出かけるための手提げがいくつも分けてあり、ペン入れや室内履きがそれぞれに入っていた。
靴下の上に履く分厚い靴下や、ティッシュ、使いかけのマスクまで。
教会の手提げには、父の写真と私の若いころの写真が、賛美歌に挟まれていた。
本に書き込まれた棒線、押し花のしおり、おすすめ本の新聞の切り抜き。
割り箸が入っていた袋に、造花やシールが貼つけてあるのも大量に出てきた。
教会学校の子どもたちと作ったんだろうか。
うちわや花火のシールのもあったから、季節に合わせて食事会をしたときのをもらってきて、集めていたのかもしれない。
紙風船、バラの花のロウソク、カルタ、おはじき、ひ孫からの手書きのカード。
母の部屋は壁の上から下まで、うっすらと埃をかぶっていた。
私はマスクをして掃除機をかけながらやった。
呆れたり、ほろっとしたり、笑ったりしながら。
私の知らない母が、荷物のなかに見えてくる。
そこに生きていた母の、確かな記録。
遺品の片づけはおもしろい。
姉は、母の服をずいぶんもらって帰った。
私がもらってきたのは、教会のクリスマス会など外出のたびに着ていたウールの懐かしいワンピース。
ちょうど今の私くらいの歳に着ていたのかな。
どこも痛んでいないし、今の私に似合いそうだったので。
あと、クリスマスツリーの小さな飾りと、サンタがいるスノーボールも。
夜ごはんは、鶏ひき肉のカツレツ(粉ふきいも、ゆで人参)、かぶとかぶの葉の鍋蒸し、たくあん、昆布の薄味佃煮、ご飯。

●2020年1月1日(水)晴れのち曇り

あけまして、おめでとうございます……と、言っていいのかどうか分からない。
喪中なので。
でも母は、そういうことに頓着なかったから、いいんだと思う。
なんだか日記がまったく書けない。
自分の用事ではない、いろいろなことのために動くのが楽しくて。
買い物やごはんの支度をしたり、みっちゃんの孫たちと遊んだり。
その喜びといったら。
咳は出ているけど、わりかし元気だ。
帰省したのは30日。
大掃除をする気満々で帰ってきたのだけど、みっちゃんがすでにやってくれていた。
玄関も、台所も、お風呂場も。
二階の和室も、母がいたころよりずっと整理され、きれいになっていて驚いた。
リビングの祭壇には母の遺影が飾ってあった。
まだ、髪を染めていたころの母。
おしゃれして、にっこり笑っている。
写真というのはやっぱりすごいな。
母がそこに座っているような気がして、何度も振り返ってしまう。
きのうはお昼から、姉の家の餅つき大会に行った。
搗き立てのお餅をちぎり、大根おろしやきなこ、煮切った酒とだし醤油を合わせたタレにつけるのを手伝った。
とてもいいお天気で、眩しくてたまらないなか、庭先で炭焼きの鶏肉や魚(タイやマアジ。朝釣ったのだそう)の頭の塩焼きをつついたり、生ビールをごちそうになったり。子どもたちの成長に驚いたり。
洗い物を手伝って、3時くらいに帰ってきた。
夕方からは、みっちゃんの子供たちとの忘年会。
今年はミホ(次女)の家族と、リカ(長女)の夫の紳君が来られなかったので、リカと娘のリコ、生まれて3ヶ月のアンナちゃん。
ヒロキ(長男)と奥さんのヒロミさん、ユリ、サキ。
ごちそうは、豚の角煮(ゆで卵、にんにく、しょうが)、モツ煮込み(白モツ、コンニャク、大根、人参、ごぼう、豆腐)、 キャベツときゅうりの塩もみ(いりごま)、赤大根の柚子香漬け、たたきごぼう、ごまズケ(ブリ、サーモン、万能ねぎ)、ちらし寿司(自家製おぼろ、干し椎茸の甘辛煮、錦糸卵)、じゃがいものお焼き。
じゃがいものお焼きは、ヒロキに手伝ってもらいながら、子どもたちと作った。
丸ごとゆでたじゃがいもをすり鉢でつぶすのも、クリームチーズを加えて混ぜるのも、もうじき7歳になるユリはとてもうまくやる。
ころころ転がしておだんごにし、コロッケよりも薄くて小さい楕円形に丸めるのは、リコとサキもやりたがった。
リコは今年で3歳、サキは4歳。
小さい子でもなかなかうまいことできるもんだな。
手につかないのがいいみたい。
ふたりとも食べながらやっていた。
おいしいんだ!
これは新発見。
フライパンで焼いてあげたら、喜んで食べている。
ユリは「焼くとこ見たーい!」と言って、私にはりついていた。
いつか子どもたちを集め、「じゃがいものお焼き教室」をしてみたいな。
ゆうべは、なっちゃん(兄の長女)が姉の家に子どもたちを預け、忘年会に参加してくれたのも嬉しかった。
おばあちゃん(遺影)に会いにきた。
そのときだったかな、ヒロミさんがねずみの帽子をかぶった写真をスマホで撮ってくれた。
私もユリたちに混ざって唇をとがらせ、両手を顔の前で握り、「チュー」と言いながら。
そしたらなんと、遺影の母もねずみの帽子をかぶって映っていた。
ちょっと首をかしげ、笑っている。
スマホのこの写真は、実際よりもかなり若く映るので、私も20代くらいになっていた。
遅くなってからだけど、舞美(三女)が来れたのも嬉しかった。
紅白が終わり、「ゆく年くる年」を3人で見て、新年の挨拶をした。
私が寝たあとも、みっちゃんとふたりで積もる話をしたらしい。
今日は、夕方から紳君が来るので(リカたちは泊まった)、ヒロキの家族もまた遊びにくることになった。
ヒロキはきっと、男同士で呑みたいんだと思う。
今夜のごちそうは、帆立のお刺身、しめ鯖、ごまヅケ(細かく刻んで青じそとねぎを混ぜ、なめろうのようにしてみた)、数の子、なます(大根、人参、柚子)、たたきごぼう、赤大根の柚子香漬け、じゃがいものお焼き、大根煮(豚角の残りの煮汁で煮た)、モツ煮込み、ほうれん草のおひたし、鶏の塩焼き(フライパンで表裏を下焼きし、仕上げはグリルで。こうすると皮がパリパリに焼ける)、牛ステーキ(リカ作)、サラダ(リカ作)、炊き込みご飯(干し椎茸、鶏肉、人参)の予定。

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