2015年     めにうへ

●2015年12月31日(木)晴れ

目が覚めたとき、まだのどが痛かったら、もう少し寝ていてもよかったのだけど、なんとなく、おへその指2本ほど上のところから、芋の芽のようなのがぬーっと伸びようとしている感じがした。
それは、薄茶にクリーム色が混ざったような、透き通った芽。
エイッと起きてみたら、風邪はずいぶんよくなっていた。
体もしゃんとしている気がする。
芋の芽みたいなの、私のエネルギーの芽なんだろうか。
今年は風邪をひいたおかげで、大掃除をするのをあきらめた。
仕事部屋の片づけも、途中で放り出したまま。
ずるずるの大晦日だけど、風邪のおかげで、無理矢理ゆるめることができたかも。
朝ごはんを終えて、お正月の買い物がてらスイセイと散歩。
途中、団地のゴミ捨て場で本棚をみつけた。
小学校の学級文庫みたいな、とてもいい本棚。
お父さんがこしらえたのを、兄弟で長年使い続けてきたような、古くて頑丈な本棚。
「どなたか 使ってください」と、子どもの字で張り紙がしてあった。
迷わずにもらって帰る。
ふたりで運ぶのは持ちにくいからと、けっきょくスイセイがひとりで運んでくれた。
もういちど出直し、中央公園まで歩く。
今日の中央公園の原っぱは、子どもとお父さんばかりで、キャッチボールをしたり、サッカーの練習をしたり。
お母さんはきっと、家で大掃除やらごちそうの支度をしているんだろうな。
平たく、すみずみまで陽が当たって、のんびりと気がぬけたような空気。古い年と新しい年に挟まったみたいな、隙間の日。
青空に両手を伸ばし、私は深呼吸した。
今年は、いろいろなことがたくさんあったけど、ようやくここまでこれた。
これもみんな、スイセイのおかげ。
来年も、私はがんばろう。
買い物から帰ってきたら、京都の「錦・高倉屋」さんから漬け物の詰め合わせが届いた!
わーい、千枚漬けもある。お正月にいただこう。
なんとなしにおせちの支度をしながら、なんとなしに掃除もする。
いつもより少しだけていねいに掃除をするくらいで、大掃除ではない。
ワックスも塗らないし、天井のすすも払わない。
玄関のドアまわりだけは埃を払って拭いた。
お掃除ソングは、「テニスコーツ」。
さて、お風呂に入って、「紅白」だ。
スイセイは待ちきれず、ビールや熱燗などひとりで飲んでいる。
つまみは、真鯛の刺身、しめ鯖、ちくわとこんにゃくの炒り煮、京都の漬け物(山芋のワサビ風味漬け、ゆず大根)、ボローニャハム&チーズ。
紅白がはじまる時間から、スイセイと喧嘩がはじまった。
けっきょく「紅白」はまったく見られず、10時半くらいにお蕎麦をゆで、ふたりで食べて、「ゆく年くる年」を見ながら寝た。

●2015年12月29日(火)快晴

風邪をひいた。
12月の頭にひいたばかりなのにな。
熱を計ったら、7度7分。
前回病院でもらった薬がまだ残っていたので、バナナとビスケットを食べて薬を飲み、布団の中でずっと本を読んでいた。
眠たくなるとパタンとふせ、目が覚めたら続きを読む。
本は、覚和歌子さんの『ゼロになるからだ』。
とても大好きな世界。とてもおもしろい。ぴったりくる。
本の中身に、熱の体と夢が混じり合っているみたいな感じになりながら読んでいた。
スイセイはできたばかりの来年のカレンダーを届けに、サンの店「ホーキ星」と、シミズタの「ハコバー」へ出掛けたから、ごはんの心配をすることもない。
夜ごはんは、布団の中で8時過ぎに食べた。
白菜と豚バラの重ね蒸し(豚バラを買ってあったので、がんばって起きて作った)、卵のおかゆ(冷凍してあった茶飯で)、昆布の佃煮(大阪の、おいしいの)。
『ゼロになるからだ』のことは、新年からはじまる新聞連載に書こうと思う。

●2015年12月27日(日)晴れ

今日もまたいい天気。そして暖かい。
きのうの夕方、散歩帰りに図書館へ寄ったら、絵本コーナーの方からどもりの女の子の声が聞こえてきてた。
吸い寄せられるようにそっちへ行くと、4つくらいの女の子が、お母さんに向かっておしゃべりしていた。
とてもなめらかに音を重ね、流れるようにゆっくりとどもる。にこにこしながら。
「マママアアママ じぇじぇじぇんじぇんぶ たんたんたんしかったね」
女の子は、今日あったことぜんぶが楽しくてたまらず、今こうして図書館にいることも楽しくてたまらず、思わず口からこぼれてくるのを、そのまんまお母さんに伝えているみたいだった。
そーっと見ていたら、口のまわりで空気が動くのをおもしろがっているとしか思えないふうに、唇が無理なく開いたり閉まったりしている。
それから女の子は、紙芝居の部屋に駆けていって、友だちとも無邪気に遊んでいた。
たぶん女の子は、自分がどもっていることや、ほかの子たちと自分が少し違うことをまだ知らない。
そんなこと関係ないくらい、毎日が楽しくてたまらないというのが、私にはよく分かる。
私は自分がどんなふうにどもっていたのか、本人だから正確には覚えていないのだけど、なんとなく機関銃みたいに言葉が重なって、飛び出していたんだと思い込んでいた。
でももしかしたら、まだ何も分からずにいたときには、こんなふうだったのかもしれないと思った。
そうだといいな、と思った。
女の子の声は甘くやわらかで、初めて聞くどこか外国の言葉みたいにも聞こえ、女の子の動き方や姿形も、図書館にいるどの子どより魅力的に見えた。
帰りに道、「じぇんじぇんじぇん」と私も真似をしながら歩いてみた。
唇や口の中が規則的に震えて、なんだか気持ちよかった。
ああ、やっぱりどもりって、繰り返しの音を響かせ、声に出すことを無邪気に楽しんでいるんだな、と思った。
鳥が歌っているのとおんなじだ。
というわけで、今日もまた『ロシア日記』ウズベキスタン編の校正。
3時過ぎにはぜーんぶ終わった。
今日もまた、怖いほどにきれいな金の夕焼け。
まだ青がたっぷり残った空を、雀くらいの大きさの鳥が群れになって飛びまわっているのを、ベランダに出てしばし仰ぐ。
遅れて飛んできた鳥が宙返りをひとつして、群れの方へ向かっていった。
あれは私だ。
夜ごはんは、カレーライス(豚バラ肉、玉ねぎ、にんじん、じゃがいも)、サラダ(白菜、大根、きゅうり)。

●2015年12月24日(木)晴れ

晴れているけれど、朝方に雨が降ったみたい。
ベランダの柵や物干ざおに、雨粒が残っていた。
おとついは、とても楽しい夜だった。
「ポレポレ座」が夕方からライブだったので、6時まで打ち合わせをし、佐川さんを誘ってシミズタの「ハコバー」へ行った。
シミズタとはおととしの夏だったかに、山梨のキムラハウスで会ったきりなのだけど、会うとすぐにいつもの空気が流れ、カウンター越しでも何も変わらない。ちっともひさしぶりな感じがしなかった。
私たち、いったい何年のつき合いになるのかな。
サンが「クウクウ」で働いていたころに、はじめて会った。
まだジン君もいて、仕事帰りにそのまま国分寺に流れ、シミズタがアルバイトをしていた店に寄って、朝まで飲んだりしていた。
そのときのこと、『日々ごはん』に書いたかな。
あ、思い出した。もっと前だ。『帰ってから、お腹がすいてもいいようにと思ったのだ。』の中で、焼き肉屋に行ったときのことを書いた。
でも、出会ったのはもう少し前だから、20年くらいになるんだろうか。
あのころはシミズタも20代で、私もまだ30代の半ばだったような。
シミズタのワインの説明を聞きながら、軽いのから順々に飲んで、じゃがいものガレットとか、長ねぎのマリネ柚子風味とか、炙り塩豚とか、パンの盛り合わせハーブバター添えとか、おいしいつまみも少しずつ、いろいろ食べた。
何をたのんでもおいしいし、居心地がいいから、佐川さんもずいぶんくつろいでらっしゃるみたいで、私はうれしかった。
カリニャン。シラー。グルナッシュ。ムールベードル。
これは赤ワインの葡萄の名前。初めて聞いた名前。
音がおもしろいし、外国の子どもとか、絵本に出てくる熊やリスなんかの名前みたいで、私はノートにメモをした。
途中から、仕事を終えてやってきた「ポレポレ座」のきさらちゃんが加わり、ケイスケ(シミズタの新しいパートナー)も来て、立花くんも偶然入ってきた。
きさらちゃんは座って、あとはみんな立ち呑み。
広島カープがどうしたの、ジャイアンツがどうしたのと、向こうの方で顔馴染みらしいお客さんたちと話している立花くんの声を、遠くから聞くのも、なんだかよかった。
こちらはこちらで、お互いの近況から、たわいない話から、深い話から、だらだらと話していたのだけど、私の友だちのなかに、今年の春に出会った佐川さんや、友だちになったばかりのきさらちゃんがいるのが、なんだか不思議なような、ちっとも不思議でないような。
それだけで私はいい気持ちになり、ゆらゆらと酔っぱらった。
「ふあんタスティック」という言葉も、ケイスケが教えてくれた。
何かをはじめたり、知らない場所に出掛けたりするときには、誰だって不安になるけれど、何でも、不安がないといいものは作れないし、いいことも生まれない。
「ふあんタスティック」というのは、ど忘れしてしまったけれど、有名なタレントみたいな人の言葉らしい。立花くんも知っていた。
佐川さんは先に帰ってしまったけれど、私たちは閉店までいた。
終電がものすごく遅れて、待っている間、私ときさらちゃんとでベンチに並んで座っていたのも、約束もしてないのにシミズタとケイスケがあとからやってきて、4人で待っている時間も、じんわり幸せだった。
びっくりするほどの満員電車に押し込まれ、駅に着くたびに、降りる人たちと一緒に私たちも降りたり、みんなバラバラになって、知らない人の体が布団みたいにぴったりくっついているのも、なんだかちっともいやじゃなかった。
電車の中の人たちは、誰も彼もが自分を消している感じがした。私も自分を体の奥にひっこめ、目を伏せて、ただただ揺られていた。
誰もおしゃべりしてなくて、電車の走るゴーーという音だけがしていた。
鳥の群れとか、動物の群れの1匹になったような感じがした。
私たちは電車に乗っている全員で、ひとつの大きな生きもの。私もそのなかの一部で、ただ、そこに立っていればいい。
誰かが苦しい体勢にならないよう、みんなで協力して、降りたり乗ったり、着膨れたコートの体をぎゅーっと詰め込んだり。
満員だけどもとにかく一緒に乗ってさえいれば、いつかは家に帰れるという安心感。
みんな師走の慌ただしい仕事の間をくぐりぬけ、どこかで誰かと飲んだ帰りかもしれない、連帯感。
次の日が祝日だから、余裕があったのかな。
吉祥寺に降りたら、大きな大きな月が出ていた。
湖みたいな空に、青白いような、黄緑白いような、めらめらと生々しいような、だけども透明で冷たい月。
誰もを見守ってくれているような、誰もを待ち望んでいるような、誰もを励ましてくれているような月。
その月に向かって、歩いて帰ってきた。
聖なる夜って、こういう日のことをいうのかもしれないと思いながら。
帰ったら、中野さんから絵の画像が届いていた。
赤と金の衣にくるまれた、嬰児の絵。
「人の望みのよろこびを」という題の絵。

ああ、ようやくおとついのことが書けた。
さて、今日もまた『ロシア日記』ウズベキスタン編の続きにとりかかろう。
夜ごはんは、チキンを焼くつもり。
鍋焼きチキンの玉ねぎを、じっくりじっくり炒めているときに、夕焼けがはじまった。
今日もまた、ビルの谷間に沈む金の夕陽。
ラジオではずっと、クリスマスの合唱曲をやっている。
このチキンのことは、「気ぬけごはん」に書こうと思う。
夜ごはんは、クリスマスの鍋焼きチキン(玉ねぎ、じゃがいも、鶏もも肉)、大根のマリネサラダ、きゅうりのサラダ。

●2015年12月22日(火)快晴

今朝も真っ青な空。
上は雲がまったくないのに、下の方だけに集まって光っている。雪でおおわれた山脈みたいに。
それが、とてもきれい。
どういう具合でこんなふうになるんだろう。
布団を干しながら眺めると、大家さんのどんぐりの紅葉は、小鳥(エナガかもしれない。よく似たのが武蔵野野鳥図鑑に載ってました)が遊びにきていた日よりも茶色がかっているように見える。
毎日は、少しずつ少しずつ先へ進んでいる。
もうすぐクリスマスだものな。
朝ごはんを食べてあちこち掃除機をかけ、10時からスイセイとミーティング。来年の3月のイベントについて。
スイセイはこのところ、本屋さんに置かれるポップを作っている。
それは金のトロフィー。今朝は台になるらしい何かをのりづけして、緑色の鍋で重しをしていた。
私の方は『ロシア日記』の続き。
今日はウズベキスタンのブハラに着いたところから。
その前に、絵本のことをやろう。
夕方から、「ポレポレ座」で佐川さんにお会いするので。

●2015年12月19日(土)快晴

雲ひとつない青空。
香ばしいような空気。
あちこちピカピカしている。
朝、布団を干そうとしたら、大家さんのどんぐりの木にとてもかわいらしい小鳥が、何羽も遊びにきていた。
「わー、かわいいー!」と、思わず声が出てしまう。
雀よりちっちゃくて、黒灰色と白のまだらで、頭がまるっこい、すべっこい、とても愛らしい小鳥。
黒と白の色合いが、シジュウカラほどくっきりしていない。
ささやくような声でピチピチピチと、細かく鳴く。何かをやさしくたたいているみたいな音。
枝にとまる姿も、飛びまわる姿も、蝶々のように愛らしい。
私が鳴き声を真似ても、ちっとも逃げないで、羽ばたいたりしている。
かわいいなあ、何ていう鳥だろう。
どんぐりの木は、今ちょうどきれいに紅葉していて、赤茶色の葉っぱにもとてもよく似合っていた。
さて今日も、きのうの続きの『ロシア日記』。
陽がいっぱいの畳の部屋で、背中を太陽に当てながらやった。
首筋が熱くなり、途中でカーテンをしめたりして。
あぜつさんが仮の文字組にしてくださったのを、改めて校正しています。川原さんの絵も、入れてほしいのを選びながら。
今はまだ、ハバロフスクからシベリア鉄道で1泊したあたり。
とても楽しい作業。
4時少し前、夕陽がいっぱいに差し込んで、リビングのすみずみまでみかん色になった。オレンジ色というより、まさしくみかん色。
畳の部屋に戻って、作業をしていたほんの5分の間に、もとのリビングに戻った。
夜ごはんは、にんじんサラダ、ブロッコリーのスパゲティ(みじん切りのにんにくをオリーブオイルで炒め、鰹の酒盗を加えて軽く合わせておき、ゆでたてのパスタとやわらかめにゆでたブロッコリーを加え、溶けるチーズで和えた。ものすごくおいしくできた)。

●2015年12月18日(金)快晴

ひさしぶりの晴天。
スイセイのシーツをようやく洗えた。
窓から見える木々は葉っぱが落ち、ほとんどが裸になっているけれど、1本だけ濃い緑の葉をみっしりと茂らせている木がある。
あれは、何の木だろう
その葉っぱの1枚1枚が、ビンの底が集まったみたいに光っている。
このことは前にも書いたけど、眼鏡をかけないで見るとふつうにチカチカ光っているだけなのに、かけるとその光が丸くなる。
白い丸の真ん中には、赤っぽい丸がある。その色合いは夏に咲くむくげの花にも似ていて、チラチラと光ったり消えたりしながら、星のようにまたたいている。
風が吹くと、むくげの花の光も、揺れる。
大阪、神戸方面の旅が夢のように楽しく、とても濃いものだったので、このところ私は心がうろうろしていたけれど、『帰ってきた 日々ごはん1』を読んでいるうちに、少しずつ戻ってきた。
日々は毎日続いていて、仕事もいろいろに移り変わって、誰かに会ったり、スイセイのためにごはんを作ったり。
そういう毎日が、私を作ってきたんだな。
つい何週間前まで、この日記の校正にどっぷりはまっていたというのに、なんだか、本当に忘れていた。
日々は、少しずつなんてもんじゃない。毎日、毎日、びっくりするほど違うんだ。
スイセイがパソコンで描いたカバー絵の小さな四角が、きのうはいろいろな色の砂粒に見え、そのうち、その一粒一粒が日々の暮らしに見えてきた。
白い日もあれば、グレーの日も、真っ黒な日もある。
それらがせめぎ合い、規則なく混ざりあい…… そのすべてを、金のトロフィーが飾っている。
金の帯、金のしおりで祝福されている。
アルバムのレイアウトも、見れば見るほどしっくりくるし、小扉に少しだけ暗い影があるのも、まさしく日常だ。
スイセイのおかげで、まるでクリスマスプレゼントみたいな本ができた。
著者の私にとってもだし、『日々ごはん』のことを、ずっと大切に思ってくださっていた読者の方々にとっても。
今日が『帰ってきた 日々ごはん1』の発売日なので、朝ごはんを食べながら、スイセイにお礼を言った。
ずいぶん厚みがあるし、写真のページもいつもの6倍くらいあるので、今回はどうしてもの理由があって1400円にさせていただきましたが、次の巻からはまた、1300円に戻る予定です。
みなさんの手元に届くのは、もうすぐ。
どうかみなさん、楽しみにしていてください。
さて。
今日から、ずっと休んでいた『ロシア日記』の本の作業をはじめよう。
3時からは熊谷くんという青年が、来年のトークショーのための打ち合わせに、名古屋からいらっしゃる。
夜ごはんは、熊谷くんとの打ち合わせの流れで、ささやかな飲み会となった。
鹿肉のサラミ(ポレポレ座の収穫祭で買った、おいしいの)、白菜とにんじんの塩もみサラダ(ディルを刻んだ)、れんこん(りうが送ってくれた茨城の)の厚切りじりじり焼き、れんこんのお焼き(すり下ろして片栗粉と塩を混ぜ、フライパンで大きく焼いた)、ソーセージ&マッシュ大豆(じゃがいもがなかったので、ゆで大豆で作ってみた。とてもおいしくできたので、このことは「気ぬけごはん」に書こうと思います)。

●2015年12月17日(木)不思議なほど暗い曇り

11時まで寝ていた。
こんなにぐっすり眠ったのは、本当にひさしぶり。
きのうは朝ごはんを食べてすぐ、スイセイと散歩に行った。
とてもいいお天気だったので。
景色を見る暇もなく、私はずーっと喋りっぱなしだった。スイセイは「うん、うん」と聞いてくれた。
途中、水道管の大工事をしているところで立ち止まり、地面に深く深く掘られた穴を覗き込んだり、原っぱをつっきりながら腕をまわして、水飲み場で水を飲んだり。
なんだかそういうの、本当にひさしぶりだった。
ゆうべは早めに布団に入り、『帰ってきた 日々ごはん1』を読んだ。
なんだか、まるで知らない人が書いたみたいだった。
旅から帰ってきたら、自分がこれまで何をしてきた人だったのか忘れてしまったみたい。
それで、ハワイ島の水晶のお守りと、京都で百合子さんのお墓まいりに行ったときにお寺で拾ってきた石を、お腹の上にのせて眠った。
眠りながら、いろんなことが体をぐるぐるしていた。
起きてみたら、元気になっているみたい。
今日は、昼間なのに夕方みたいな暗さのなか、あちこちひさしぶりに掃除機をかけ、念入りに雑巾がけ。
部屋の中は不思議な薄暗さで、ふと見るとまだ2時なのだった。
掃除をしながら、筑前煮をていねいに作った。
煮上がってからいちど火をとめ、また煮返すと味がよくしみるし、スイセイは厚揚げの角がくずれるくらいが好きなので。
お正月の満月卵も仕込んだ。
5時になって、ようやく本物の夕方らしく暗くなった。
私、ようやく吉祥寺の家に帰ってきました。
夜ごはんは、筑前煮、塩鮭、大根おろし、ほうれん草と春菊のおひたし、ゆで卵の白身(スイだけ・塩をつけて食べていた)、白菜漬け、たくわん、白いご飯。

●2015年12月9日(水)晴れ

今朝は、7時前にスイセイが起こしてくれる。
おとついあたりから私は、のどがいがらっぽく鼻水も出ていた。
この間、下北沢でのトークの日、風邪をひいている人が何人かいたから、うつったのかも。
「B&B」のトークはとても楽しくて、けっきょくたくさんお喋りしてしまった。
8時過ぎくらいに終わって、20人ほどが台湾料理屋へ打ち上げに流れ、カラオケにも行った。
立花くんや長野くん、川原さんにも久しぶりに会えたし、みんなと一緒にいられるのも本当に嬉しかったのだけど、でも、大阪と神戸のトークのことを思い、体力を温存したくて先に帰ってきた。
サンちゃん、リーダーといっしょに。終電で。
これはけっこうめずらしいこと。
家に着いたら2時近かった。
それで、きのうもおとついも、体を休めておきたくて、寝たり起きたりのろのろと過ごしていたのだけど、なんとなしにひどくなっている気がして、夕方病院へ行った。
やっぱり、のどが赤くなっていたみたい。ウイルス性の風邪だそう。
薬を飲んで、ゆうべは早く寝たおかげで、今朝はスッキリと起きられた。

この日記は今、神戸へ向かう新幹線の中で書いています。
マウスも使わず、指だけで。こんなのははじめてのこと。 
そして私が新幹線のチケットを、1週間も前から自力で予約しておいたのも、はじめて。
いつもだったら編集者にお願いするか、スイセイか川原さん、リーダーか。いつも誰かが、飛行機でも何でもあらかじめ予約をしてくれた。
私はそのチケットだけをもらって、吉祥寺で待ち合わせをして、あとは誰かにくっついてぼんやりついてゆけばよかった。
私は生まれたときから(厳密にいうと、母のお腹にいるときから)双子だったから、いっつも誰かのそばで、誰かに頼って生きてきた。
きのうも朝ごはんの食器を洗いながら、「みっちゃんはやっぱりすごいのう」と、つくづくのように言っていた。
みっちゃんは私と同じ日に、同じ条件で母から生まれてきたのに、生まれてからずーっと私の面倒をみ続けている。
私はいつだって、やりたいことにだけに真っすぐで、自分が好きなものだけ見て、感じて、わがままで。
みっちゃんはその様子を隣でニコニコ見守りながら、手を貸してくれたり、めんどうな雑務を進んでやってくれた。
みっちゃんと別々に暮らすようになってからあとは、最初の結婚の相手。その次は、スイセイ。
私はいつも、パートナーにみっちゃんを求めてしまう病気がある。
でも、これからはスイセイには頼らず、自分でできるところまでやってみようと思っているのです。
どうしてもできないことは、誰かにきちんとお金を払ってお願いしたり、道に迷ったら、誰かに頼んで聞いてもらうんではなく、自分の声と体と心を使って尋ねよう。
じつは去年くらいから私は、そういうようなことをずっと気にしていました。
そして少しずつだけど、できるようになってきていた。
地図が苦手だから、しょっちゅう道に迷ったり、ホームにやってきた反対側の電車に乗ってしまったりもするけれど、間違いにすぐ気づけるようになった。
間違えたら、落ち着いてまた元の場所へ戻って、はじめからやり直せばいいんだから。
ひとりだったら、一緒にいる人に迷惑をかけることもない。
ついこの間まで私は、知らない人に道を聞くのがおっくうだった。
でも、やってみたら、あんがいできた。
そういうときの私は、腹の底から声が出ていて、出てきたその声が、思っていた声よりもずっと明るく朗らかに自分の耳に届き、自分でもびっくりすることがある。
相手に面と向かうと心を決め、同時に自分が声をかけた相手の心のことを思うと、自然とそういう声になるんだと思う。
それは駅でも、スーパーでも、道ばたでも、どこでも同じふう。
年をとったら、できないことが増えるのかと思っていたら、そんなことはないのだった。
できないと長いこと思い続けてきたことが、ひとつ、またひとつとできるようになっている。
この間の読書会では、朗読ができるようになったし。
そういえば昔、「クウクウ」で働いていたころには、大勢の人たちの前で挨拶をするの苦しかった。
「料理の説明をしてくれ」と言われて、マイクの前に立っても、知らない人たちを目の前にすると四面楚歌になり、どもるのを隠そうとして、声が出なくなった。
でも今は、トークシヨーなんかでも普段の声のまま、楽しい気持ちでどんどん喋れるし、遠くから私のために集まってくださったお客さん方に伝えたい、楽しんで帰ってもらいたい。
そのためだったら、はずかしいことでも何でもして見せたいし、自分の知っているいいことを、すべて話したいという気持ちが、泉のようにあふれてくる。

富士山がくっきり見えている。
神奈川のあたりでは、近くの山に隠れたり、上の方だけしか覗いていなかったのに、新幹線がぐるーっと回り込むと、裾野まですべて見える角度にくる。
富士山がスカートを広げた、なだらかな平地には、田んぼや畑、奥の方には茶畑も見える。
そこは富士山の姿がいちばんよく見渡せる絶景ポイントのはずなのだけど、ちょうどそこには製紙工場の煙突が5、6本立って、白い煙をもくもくと吐いているのだ。
そこが、私の生まれたところ。
そうか私は、こんなところで生まれ育ったんだなあ。
だってまさに、絵葉書になりそうないちばん素晴らしい富士山の姿と、それを遮るような煙突の煙。
いいものと、よくないものがいっしょくたにあるところ。
でも、富士山の雪解け水がたくさんあるところ、水がきれいなところだからこそ、紙を作るようになったのだ。
そしてその紙は、日本中の人たちに使われ、ありがたがられている。
それを思うと、けっきょくはすべて、良い。
私の中にもいいものと悪いもの、きれいなものと、汚いものもいっしょくたにある。
もしかすると私、こんなに晴れ渡って空気が透明で、富士山がくっきりと見える日に新幹線に乗ったのは、はじめてなのかな。
だから生まれたところの景色のことを、こんなふうに俯瞰できたのかな。
今日は夕方から、大阪の本屋さんでトークイベントがある。
『実用の料理 ごはん』の中から、炊き込みごはんの実演もやる。
さーて、どうなることやら。

●2015年12月5日(土)快晴

ひとつない青空。
洗濯ものを干しながら見上げると、右の上の方に白い三日月が出ていた。
今日は夕方から、立花くんと長野くんにはさまれてトークがある。
下北沢の「B&B」という本屋さんらしい。
お客さんにお見せする資料を集めたりしながら、ひさしぶりにあちこち掃除機をかける。
最近ずっとかけているのは、「テニスコーツ」のCD。
鼻歌を歌いながらやる。
きっと写真についての専門のことは、ふたりが喋ってくれるだろうから、私はぼんやりしていよう。
でも、ひとつだけ言いたいことをいちおうメモしてみた。
雑巾がけもねんいりにやる。
なんだかドキドキしてきた。いやだなー。
はじまる前にはいつもドキドキして、早く終わんないかなあと思う。
でも、はじまってしまうと楽しくて、いつだってあっという間なのだ。
有山くんや赤澤さんたちもみんな来てくれるから、リラックスしてやろう。
スイセイは留守番。
夜ごはんは、中華屋さんに行こうか、スーパーでお好み焼きを買ってこようかと迷っているらしい。
なんだか嬉しそう。
では、4時になったら行ってきます。

●2015年12月3日(木)雨のち曇り

とても寒い。
けれど、心は熱い。
朝から絵本のことをやる。
きのうスイセイは、絵本のダミー本をはじめて見てくれた。
これまで何度お願いしても、まったく見ようとしなかったのに。
中野さんの絵も、私の物語も、最上級にほめられたのだけど、たったひとつだけ気になることを言われた。
そのことを、ゆうべからぼんやり考えていた。
考えるというより、ひらめきを待つ感じ。
それを手で書いたり、パソコンに打ち込んだり。
ダミー本に切り貼りしたり、はがしてみたり。
何度もプリントをしにスイセイの部屋へ行っていたら、「みいがハアハアして、獣みたいでコワイ」と言われる。
だって、おもしろくてたまらないんだもの。
2時ごろ、木皿さんの『高山ふとんシネマ』の解説文が送られてきた。
私はいきなり涙がふき出し、前が見えなくなった。
欅の並木を見上げながら、ときおり木皿さんの文を思い出し、ふっとこみ上げながら、リーダーの家まで散歩して、お茶をよばれる。
そのまま街で買い物し、ぐるっとまわって図書館へも寄った。
また今日も絵本ずくしだ。
帰り着き、ボルシチの再試作。
夜ごはんは、かぶとキャベツのサラダ、ボルシチ(サワークリーム、ディル)、食パン。
風呂上がりに窓を開けると、夜なのに青空。
白い雲もぽっかり浮かんでいる。
雲間をつっ切ってゆく、赤やオレンジや緑の点滅。
飛行機の形まで見えそう。
今夜はよほど、空気が透き通っているんだ。

●2015年12月2日(水)薄曇り

今朝は、起きてすぐにストーブをつけた。
今まででいちばん寒いかも。
気づけばもう12月。
迷うことなく、冬なのだ。
朝ごはんのとき、窓の外に見慣れない姿をみつけた。
あ、オナガだ。
漆黒のベレー帽に、藤色の羽根を持ったオナガ。
ひどびろと広げた羽根、長い尾を張って飛ぶ姿もとても優雅なのに、ガーガーギシギシと声はきれいでないオナガ。
食べ終わり、すぐにベランダに出て観察した。双眼鏡で。
いつもはヒヨドリくらいしかいないけど、今朝はオナガに加えムクドリもいて、みんなそれぞれはしゃいでいる。
ムクドリは1羽でいるとたよりなく、なんだか不器用だ。
木にとまるのもあまり上手でないし、羽根をバタバタ小さく動かして飛ぶ姿は貧乏ゆすりみたい。
遠くの白い空を、なんとかステッチそっくりに、鳥が渡ってゆくのが見える。
どこか暖かい国へと向かっているのかな。
スイセイは今日、印刷所へ出掛けるので、テーブルいっぱいに資料を広げ、朝早くから作業をしている。
ドキドキしているらしいので、邪魔をしないよう言動に気をつける。
さて。
私は、きのうの続きの『高山ふとんシネマ』文庫作業の続きをやろう。
鬼のいぬ間の洗濯?
3時ごろ、ゲラを出しに散歩がてら遠くのコンビニへ。
きのうも私は、虹の公園へ行った。
帰り道で、山茶花の花びらの新鮮なのを拾って、葉っぱの隣に並べておいた(前に、マリーゴールドが置いてあった10本目の柵の上に。マリーゴールドはもう終わりなので、最近は新しい葉っぱが1、2枚置いてあったりする)。
それがどうなったかなと思って、カメラ持参で楽しみに見に行ったのだけど。
葉っぱも私の花びらも、きのうのままになっていた。
女の子、気づかなかったのかな。
まだ、学校から帰ってこないのかな。
まさかないだろうと思いながら、いつもとは違う柵を次の橋のところからなんとなしに数えていったら、10本目のところに、あった。
いろんな種類の緑色の葉っぱと、枯れ葉の盛り合わせ。
やられた。
女の子は、私なんかとは交信してない。もっとずーっと先をいっている。
私はとてもうれしくなり、写真を撮った。
スイセイは夕方、缶ビールをぶら下げてご機嫌で帰ってきた。
夜ごはんを食べながら、おしゃべりが盛り上がる。
夜ごはんは、塩豚の焼いただけ(出てきた脂で長ねぎ、ピーマンを炒めた)、鹿のサラミソーセージ(粒マスタード)、大根スライス、鍋焼きうどん(私だけ・ごぼ天、春菊、長ねぎ、卵)、ビール。

●2015年11月28日(土)晴れ

今日もまた、雲ひとつない青空。
朝ごはんを食べ、スイセイと打ち合わせ。
これから私が、忘れずにやらなければならないことを、紙に書いてまとめてくれた。
主には、『帰ってきた 日々ごはん』のための、イベントのことについて。
発売までに用意するものやら何やら。
これは、いつもだったら私がスイセイにやっていること。まったく逆転している。
なんだかスイセイは、このごろとてもハリハリしている。
朝も暗いうちから起き、部屋で何かやっている。
スイセイが冴えてテキパキしていると、私は頭がぼーっとし、ゆっくり動きたくなる。
声をかけられても、一瞬何のことやら分からず、ぼんやりしてしまう。
自分のことをやるだけで、せいいっぱい。
あさっては朝日新聞の撮影なので、台所のステンレスを磨いて、包丁も2本研いだ。
ときどきベランダに出たり、メールを書いたりしながら、ゆっくり、ゆっくりやった。
夕方、散歩がてら買い物へ。
帰り着き、その足ですぐに図書館。今日は5時までなので。
子供コーナーへ直行し、棚に立てかけてあるものの中から、7冊借りてきた。外国の絵本もある。
子供たちが、図書館のテーブルの上に何冊も積み上げ、片っ端から読んでいるのを、私もうちで真似しようと思って。
だのに、図書館から帰り着くなり、紙の束を小脇に抱えたスイセイが、待ちかねたように部屋から出てきて、「色校などなど、明日の朝までに確認しておいてください」と言われる。言い方はやさしいけど。
でも私、ごはんの支度の前に、どうしても絵本を読むのら!
夜ごはんは、秋刀魚のかば焼き(網焼きしいたけ&網焼きピーマンをタレでからめて添えた)、かぶの葉のじゃこ炒め、わかめのお刺身(コチュジャンみそ)、かぶのみそ汁(卵を落とした)、白いご飯。
このところ毎晩、風呂上がりに見続けているのは『ハル、孤独の島』。
あぜつさんが送ってくださった。
これは、トーベ・ヤンソンの島暮らしの記録。8ミリの映像が、絵のようにきれい。
トーベはよく踊っている。島の上でめちゃくちゃに踊り、踊りながら降りてきて、カメラを構えているパートナーのトゥーティ(女の人)に抱きつきそうになる手前で映像が途切れるところと、部屋の中で踊っている(音楽は「花のサンフランシスコ」)トーベの影が、夕陽のオレンジ色の壁に映るところがたまらなく好き。
あんまり私が気に入ってしまったので、あぜつさんはDVDをくださるそう。わーい! 私は、この島に住みたいくらい。

●2015年11月25日(水)静かな雨

どんよりとした冬の朝。
細かな雨が隙間なく降り注ぐ。
音がしない。
『Zの本』の作業が落ち着いたし、文庫版『高山ふとんシネマ』のあとがきも書けたので、今日は畳の部屋で『実用の料理 ごはん』をゆっくり眺めよう。
牧野さんに絵を描いていただいて、本当によかったな。
思い描いていた通りの本になったこと、奇跡のように思います。
でも、奇跡なんかではないんだよな。
きっと、綿密な考えや計画のもと、なるべくしてそうなった。
すごいなあ、プロの本作りの人たちは。
そもそもこの本は、『料理=高山なおみ』の反動のようにして、作りたい気持ちがすぐに湧いてきた。
とにかくレシピがたくさん詰まった、実質的な本が作りたかった。
ひと目ですーっと、目に、耳に、心に、入ってくるようなレシピの本になるといいなと思っていた。
だから、『料理=高山なおみ』とは正反対の、すっきりと端的なレシピにしたのだけど、牧野さんの絵が入るページは、読者に手紙を出すようなつもりで書いた。
ここは、作っているうちに、どうしてもそうなった。
料理が苦手だと思い込んでいる人たち、私みたいに不器用だけど、おいしいものが大好きで、誰かに作ってあげるのも大好きな人たちに向けて。
今回もまた糸綴じかがりだから、ちょっとやそっとではページがはずれない。
油や手垢や書き込みやら、使う人がどんどん汚して、自分だけの本にしてもらえるような、教科書みたいにスタンダードな姿になったんじゃないかなあ。
今朝スイセイに、「著者ゆうのは、炎みたいなもんじゃと思うんよ」と言われた。
炎が安定して燃え続け、1冊の本になるためには、たくさんの薪が必要。
「どっちかゆうと薪の方が重要で、その一部として炎があるくらい」と。
本当にそう思う。
手で触れる実物の本を前にすると、著者なんて、風が吹いたら消えてしまうマッチの火みたいに儚いものだ。
さて。
今日は、夕方から横浜の映画館に行ってきます。
『バードピープル』という映画。
東京では封切りを逃してしまったけれど、横浜でやっている小さな映画館をみつけたので。
水筒を持って、遠足気分で行ってきます。
夜ごはんには「トマトソースの残りがあるので、スパゲティでも、うどん(さつま揚げがある)でも、食べたいものを自分で作ってください」とスイセイに言いおいて。
『バードピープル』は、なんだか、かわいらしい映画だった。
私は10秒ほど鳥になって、「フーーーィ!」と叫びながら夜空を滑空した。
10時近くに吉祥寺に着いたのだけど、バスには乗らず、大股ですたすた歩いて帰ってきた。肉まんを食べながら。
ものすごく歩きたかったし、どこまでも歩けそうな気がした。
ここで飛んだら、電線が邪魔そうだなあと思いながら。
セブンイレブンの肉まんって、おいしいな。

●2015年11月24日(火)晴れ

ひさしぶりの晴れ。
洗濯ものをたっぷり干す。シーツも洗って干した。
朝ごはんを食べ、すぐにスイセイと『Zの本』の作業。
昼ごはんをはさみ、ぎゅっと集中してやった。
スイセイが散歩に出ている間に、私は掃除をする。
この間の撮影からこっち、ずっと掃除機をかけていなかったので、あちこち埃っぽかった。
雑巾がけをしながら、部屋の空気を鎮めてゆくような、そんな気持ちで。
ラックにため込んでおいた『実用の料理 ごはん』の原稿の束が、急に気になってしまい、整理をはじめる。
すごい量の紙束。
ホッチキスを取ったり、ふせんをはがしたり、裏紙で使えるものはどんどんよけていった。
よくもまあ、こんなにしつこく赤を入れたもんだ。
そして、赤澤さんはよくもまあ、こんな私にぴったりと張りつき、そのたびに何度も何度も直してくださったものだ。
ありがたく、申しわけないような気持ちで、紙をなでたりしながら、それでもずんずん片づけていった。
鳥たちがよく鳴いているので、途中から窓の近くに座ってやった。
ぽっかり浮かんだ雲が、だんだんに黄色がかって、よく見ると東に流れていっているのを確かめながら、また束に向かう。
日が落ちはじめたころ、散歩がてら買い物へ。
カキフライがどうしても食べたくて、大きい方のスーパーをまず覗いてみる。あんまりいいのがない。
いつものスーパーに、とても新鮮で大粒なのがあった。迷った末、2パック買った。
スーパーから出たら、外はすっかり暗くなっていた。
横断歩道のところで、信号のちょうど上あたりに、まん丸いでっかい月が出ていた。
ついこの間まで、半月より欠けるくらいだったのに。
雨の上でも月は、少しずつ少しずつ、ちゃんと丸くなっていたのだ。
石舞台の公園を通り、いつものように柏の葉と握手した。
料理本がぶじ刷り上がったことや、このところのいろいろな感謝をぶつぶつ伝え、帰ってきた。
夜ごはんは、カキフライ(たっぷりせんキャベツ&タルタルソース添え。ひとり9個ずつくらい食べた)、ワカメとねぎのみそ汁、白いご飯。
あんまり大きな月だったので、今日が満月だとばかり思っていたのだけど、トイレにかけてあるカレンダーを確かめたら、本当の満月は26日らしい。

●2015年11月21日(土)晴れ

よく晴れている。
空いっぱいのうろこ雲。
朝ごはんを食べ、荷物を届けに上水沿いを歩いて、宅配便のセンターへ。
ポプラの黄色い(ほんのりオレンジが混ざっている)大きな葉、何だか分からない厚みのあるつやつやの葉(抹茶チョコレートみたいな色合)、赤い桜の葉を拾った。
なんとなくそうなったのだけど、最近私は、スイセイの散歩にあまりついていかなくなった。
それはきっと、ひとりでゆっくり歩く楽しみを覚えたから。
木を見たり、空を見上げたり、道ばたをじーっと見たり、風を感じたり。そうすると、おしゃべりしている暇がない。
今日は3連休のはじまりの日だと、朝ごはんのときにスイセイが言っていた。
中央公園の原っぱには、その通りたくさんの人たちがいて、あちこちででわらわらと遊んでいた。
紙飛行機を飛ばしているおじいさん、子供に飛ばし方を教えているおじさん、抱っこしたり、下ろしたりして、赤ん坊をヨチヨチ歩かせている小学生のお姉ちゃん、ピクニックに来ているカップル。
空には大きな凧が、高く高く揚がっている。
芝生は、短く刈り上げられた坊主頭みたいにさっぱりとして、広々した青空天井が、原っぱにいる人たちすべてを守っているみたい。
落ち葉を左手に持ったまま、スーパーに寄って、買うものを選び、お金を払って、ずっと左手に持ったまま帰ってきた。
私は、森の近くに住みたい。
お昼を食べ、スイセイと『Zの本』をやる。
私が赤を入れた箇所を、スイセイに確認してもらう作業。
とちゅうから外でやろうということになり、柏の木のある公園へ。
これはスイセイの提案。
ナイスじゃん、スイセイ。
半分くらい進んだところで、もっと広々した場所でやりたいとスイセイがいう。
原稿の束と鉛筆を胸に抱え、中央公園までてくてく歩き、原っぱに座ってやった。
西の空に、金のでっかい陽が沈む。
木の隙間が、オレンジ色に染まっている。
風が冷たくなって、スイセイの集中が切れたので、帰ってくる。
私は図書館へ。
また、宮沢賢治をいっぱい借りてきた。
夜ごはんは、干し白菜と油揚げの薄味煮(くずでとろみをつけた)、ブリの塩焼き(大根おろし)、かぼちゃのポクポク煮、かぼちゃのみそ汁、白いご飯(私だけ卵かけご飯)。

●2015年11月18日(水)曇り一時晴れ

今朝もどんよりかあ……と思っていたのだけど、朝ごはんの支度をしているうちに、陽が差してきた。
窓を開けると、一面に湯気が上がっている。
遠くの方まで、クリーム色の空気。
水気をいっぱいに吸った地面や木々が、太陽の熱で蒸発している。
ゆうべは、よほどしっかり降ったんだ。
なんだか、雪国の長い冬が終わって、春がきたみたいな景色。
鳥たちの声も、森の中で聞こえるみたいにくぐもり響いている。これもやっぱり、水蒸気のせい?
さて、今日も「気ぬけごはん」の続きをやらなくちゃ。
なかなかできなくて、締め切りを伸ばしてもらったのです。
その前に、おとついのことを書こう。
おとついは、川原さんからお誘いがあって、ひさしぶりにふたりで散歩に行った。
千川上水沿いの道を歩いて、畑と川に挟まれた秘密の小道を案内し、虹の公園の丸い岩の上にふたりで座って、お昼ごはん。
カリフラワーのポタージュ(川原さん作)、ひじきの炊き込みご飯のおにぎり(私作)を食べた。
さいしょ、岩の上にはご飯がのっかっていた。
たぶん、近所の人が鳥に餌づけをしているんだと思うのだけど、お釜をひっくり返しただけみたいな山になっていた。
なんだか乱暴な感じがして、いやだった。
ここ、私の基地なのにな。
私たちはご飯をつかんで地面にばらまき(これでも餌づけになるんじゃないかと思って)、岩の上を手の平でこすってきれいにし、座った。
食べ終わってお茶を飲み、いろいろおしゃべりして、こんどは原っぱに寝転んで空を見た。
そのあと、大きな木の公園(夏の間よく通ったところ)へ行き、また上水沿いをてくてく歩いて、中央公園へも行った。
農家の庭先販売でカボチャを買い、パン屋さんへも行った。
横断歩道のところで別れ、私はスーパーへ、川原さんは図書館へ。
なんだか、転校して、しばらく離ればなれになっていた小学生同士の遠足みたいだった。

3時半までがんばっても、「気ぬけごはん」ができない。
前半は書けたのだけど、後半の文がいくらやってもまとまらない。
私は、頭が悪い。
明日は「暮しの手帖」の撮影なので、「紀ノ国屋」へ仕入れに行ったり、あちこち掃除をしたり。
きのうは、おはなしがひとつできた。
散歩しながらとか、お風呂に浸かりながらとか、寝る前にとか、子供のころ見た風景がふと浮かんでは消えたり。
このところなんとなく、私のお腹の中に、泡みたいなのが集まってきていた。
それが最近、中野さんが送ってくださった、ふいっと、たまたま描かれたみたいな絵を見ているうちに、ふつふつしてきて(賢治の言葉を借りると「発酵」なのかな?)。
3番目の絵が届いた次の次の日、つながるつもりなんてなかったのに、ぱたぱたとトランプ合わせみたいになった。
それを順にパソコンに打ち込んでいったら、すーっとおはなしになった。
おはなしの言葉は、指先からするすると出る感じ。
「気ぬけごはん」の言葉とは、違う回路から出てくる感じ。
夜ごはんは、納豆スパゲティ(スイセイ作)。

●2015年11月13日(木)曇り、一瞬だけ晴れ

ゆうべはとてもよく眠れた。
寝る前に、お腹のところに手を当てて、これから先の自分のことを思いながら眠った。
ひとつひとつ、やろうとしていることを頭に浮かべ、どうしてそういうふうにしたいのか、ゆっくりと答えを探していった(半分ねぼけながら)。
ねぼけていたし、自分でもよく分からないのだけど、お腹の中にはぼわんとした温かい塊のようなものがあって、ひとつひとつの答えがそこからにじみ出ている気がした。
頭で考えたのではなく、お腹から出てきた答え。
朝ごはんが終わってからは、畳の部屋で電気ストーブをつけ、『Zの本』のゲラを通しで読んだ。
途中、対話文(この間、打ち込んだもの)の追加の直し(スイセイからの意見)を入れ、「あとがき」も仕上げて、ようやく高野さんにお送りすることができた。
夕方、高野さんからお電話をいただく。
電話口の高野さんは、声が震えていた。
「あとがき」と対話文のことを、心から喜んでくださっているのが、直に伝わってきた。
よかった!
図書館へまわりつつ、買い物。
最近私は、宮沢賢治にはまっています。
今日借りたのは、『雁の童子』と茶色いハードカバーの分厚い詩集(書庫から出してもらった)。
この間借りた、『かしわばやしの夜』と『虔十公園林』は、もう何度読んだか分からない。
風呂上がりに声を出し、布団の上にかしこまって読むのが日課になっている。
『虔十公園林』のなかで、たまらなく好きなところは ーーその杉には鳶色の実がなり立派な緑の枝さきからはすきとおったつめたい雨のしずくがポタリポタリと垂れました。虔十は口を大きくあけてはあはあ息をつきからだからは雨の中に湯気を立てながらいつまでもいつまでもそこに立っているのでしたーー
『雨中謝辞』という杉緑色のハードカバー本も、この間書庫から借りてきた。
茶色く焼けた紙、古い書体の活版印刷、文字の大きさ、余白の入り方。すべてがとても美しく、昔の紙の香ばしい匂いがする。
ここにある詩は、じめじめとしてとてもしつこく、ひどく孤独で、重たいものもたくさんある。
賢治って、世界に向かって謝りながら、雨のなかをずぶ濡れになって歩くような人だったんだろうか。
世界がよくならないのも、その年のお米が不作だったのも、妹が病気で亡くなってしまったのも、ぜんぶ自分のせいにするような。
夜ごはんは、鶏ささ身としいたけのトマトスパゲティ(にんにくと玉ねぎをオリーブオイルで炒めて、白菜も加えて、トマトソースを作った。ゆでたスパゲティをソースでからめ、ささ身としいたけは、軽くソテーしたのを上にのせた)。

●2015年11月6日(金)薄曇り

ぼんやりした曇りだけど、ときおり切れ間から陽が差して、部屋の中が急にパーッと明るくなる。
そのたびにハッとして私は窓を開け、空を確かめる。
ゆうべはスイセイといろいろな話をした。
おでんを作ったので、スイセイはビールを、私は日本酒をちびちび呑みながら。
おもには、これからのふたりのこと。
「これからどうなるのか、みいにも、分からないの。でも、自分の気持ちだけがたよりっていうか……」
「それでええんよ、みい。言葉ではいいようのない実態いうもんがあるんよ。いいようのない実態は、なすがまま、自由にしておればええ。行いは、あとから自然についてくるけえ」
「おれらはこの世に生を受けて、生きるエネルギーのようなものが、ひとりひとりにそれぞれ備わっておるんじゃけど、おれらはの、生きとる間にそれを全うせんにゃならんのんよ。それは、泉みたいなもんなんよ。ひとりにひとつずつある泉。ほいじゃけえ、泉から湧いてくるものがあったら、惹かれたり、どうしてもやりたいことがあったら、いつかはそっちに行ってやらんと、仕方がないんよ」
スイセイは生きもの界の王様のように頼もしく、いいことをいっぱい言ってくれた。
今日は、『Zの本』の校正作業。
いよいよ佳境に入ってきました。
スイセイも自分の部屋で文を書き直したり、対談部分を読み込んでいる。
私もパソコンに向かい、この間の対話の録音を書き起こす。
夢中でやっているうち、あっという間に夕方となる。
夜ごはんの支度がまだだったので、今夜はスイセイが、納豆スパゲティを作ってくれることになった。
7時近くになって、ようやくぜんぶを打ち込めた。1時間半に渡る対話です。
夜ごはんは、納豆スパゲティー、ひじき煮(刻んだ春菊を加えて、炒め直した)。

●2015年11月4日(水)快晴

朝ごはんを食べてすぐ、『Zの本』のあとがきになりそうな話をスイセイとしはじめたので、レコーダーを用意して、録音をしたつもりだったのだけど。
あっちこっちに話が行き交い、また戻ってきたりして、ずいぶん深みまでゆけたと思ったのだけど。
確認したら、まったく録音されていなかった。
ガクッ。
まあ、こんなものかもしれない。
すべては一期一会だ。
干した布団に寄りかかって陽に当たっていると、聞いたことのない鳥の声がする。
「ピチ ピチ ピチ ピチ」と、高く透き通ったか細い声でとぎれとぎれに鳴いている。
声がする方を見ても、どこにいるのかまったく分からない。
お昼を食べて、また声がしたのでベランダに立つと、桐の木の上の方から、とてもちっちゃなすべっこい鳥がさえずりながら飛び立った。
頭も体も細く、めじろよりも小さい。
あれは何の鳥だろう。
今日は読書の日と決め、畳の部屋でごろごろする。
絵本を借りてきたくて、きのう行ったばかりなのに、また図書館へも行った。
最近私は、図書館で絵本をよく読むようになった。
小さい子供たちに挟まれてソファーに座り、ぼろぼろと涙をこぼすこともある。
何度読んでも、いつも同じところで泣いてしまうのは、長谷川集平さんの『はせがわくんきらいや』。
けれども図書館は今日、なぜか休刊日だった。金曜日が休みなんじゃなかったっけ。
夕方、ぐるっと遠まわりして買い物へ。
夜ごはんは、ミニすき焼き(豚肉、豆腐、しらたき、春菊、えのき)、しらす&しょうがじょうゆ、焼き海苔、新米(中野さんが、ご実家で作っているお米を送ってくださった)。
夜、風呂上がりにもういちどレコーダーを確かめていて、思いも寄らない場所に、録音したものが入っていた。
わいっ!

●2015年10月29日(木)薄曇り

今日も朝から『実用の料理 ごはん』の校正。
気が散ると、ベランダに出てのびをしながらやった。
スイセイはまだ風邪が治っていないけれど、アノニマへ出掛けていった。
私もがんばる。
夕方までやって、買い物がてら散歩に出た。
千川上水を歩き、郵便局をまわって、つい中央公園まで歩いてしまう。
きれいに紅葉した柿の葉と、さらに真っ赤な桜の葉を拾って帰ってきた。
最近私は、自然のものをよく拾って帰ってくる。
きのうも、道路でつぶれているカマキリの茶色く透けた羽を拾って、石やら水晶やら、大切な物だけ並べた棚に飾ってある。
今夜もまた、スイセイは外でごはんを食べて帰ってくるそう。
ひとりの夜ごはんは、マッシュポテト、ソーセージ、ほうれん草のバター炒め。

●2015年10月28日(水)快晴

毎日毎日、とってもいい天気。
『実用の料理 ごはん』の色校ゲラがきのう送られてきた。
朝いちでとりかかる。
写真もデザインもとてもすばらしいし、前回、校閲さんが細かなところまでみっちりと見てくださり、赤澤さんともすみずみまで確認したので、安心感を持って進むことができる。
でも、やっぱり、間違いをみつけてしまうのだった。
私は目を皿にして、紙の上を舐めるようにこつこつと進める。また初めのページに戻ったりしながら、行きつ戻りつをしつこく繰り返す。
スイセイはきのうから風邪ぎみで、今朝病院へ行った。
ウイルス性の風邪だそう。
何かポタージュ風のものを飲みたいというので、豆腐をすり鉢であたって、コンソメスープと牛乳でのばし、豆腐ポタージュを作ってみた。
「気ぬけごはん」では豆腐を半丁で作っているけど、1丁分使ってみたら、もったりと濃厚なのができた。すごくおいしい。
じゃがいもとにんじんを少なめのスープで煮て、牛乳でのばし、別のポタージュも作っておく。
続きの校正。
頭がつまってきたので虹の公園へ。
この間みつけたあぜ道のような小道は、川沿いの草取りをしているとかで、通行止めになっていた。
なので、少しだけ迂回して、川と畑に挟まれた大きな木が立っている道をゆく。
この川は千川上水の続きなのだと、今日気がついた(看板があった)。
虹の公園の林の中で、丸い岩に体育座りし、持ってきたぶどうジュースを飲んだ。
風がないので、葉が擦れる音はしないけど、鳥が鳴いていた。
木と木の間に空も見える。
ここに来ると、心が平らになる。
帰り道、千川上水の柵(丸太を象ったコンクリートの柱が、間隔を空けて並んでいる)の1本に、マリーゴールドの黄色い花がちぎってのせてあった。
上の方まで茂っているから、雑草にまぎれて見えないので、歩いている人たちは誰も気にとめない。
1本、2本、3本と丸太を数えていったら、10本目のところにまた黄色い花がある。
そこから先も数えてみたら、次の10本目にもちゃんとあった。
また、10本数えたところには、小さな葉っぱだけが数枚のっていた。
ここは通学路だから、小学生の女の子がやったのかな。
たぬきとか、きつねとかの仕業にも思える。
見たい人だけにしか見えない、黄色い花の秘密の暗号。
さあて、続きの校正にいそしもう。
夜ごはんは、おかゆ(卵を入れた)、鮭の粕漬け、ひじき煮(春菊を細かく刻んで炒め、きのうの残りに加えた)、京都のおいしい塩昆布、のりの佃煮、梅干し。
ラストスパートに突入しているので、お風呂から出ても、校正の続きをやる。
なんとなしにのどがピリッとする。
今は、風邪などひいていられぬ。
スイセイのがうつらないよう、今夜は仕事部屋に布団を敷いて寝るつもり。

●2015年10月27日(火)快晴、風強し

きれいに晴れている。
風がとても強く、空の青さも雲の白さもくっきりとして、日本じゃないみたい。
窓の外では、ビンの底がいっぱい集まってはりついているみたいに、緑の葉の1枚1枚が丸く光っている。
どこもかしこもピッカピカだ。
きのうは4時から絵本の打ち合わせで、佐川さんがいらした。
私の仕事はこれでひとまず手が離れ、あとは、デザイナーさんが入ったものを確認したりする作業があるそうだ。
私たちの絵本は、来年の春くらいの発売だそう。
まだまだたっぷり時間がある。
私はすっかり安心し、佐川さんとふたりベランダに立ち、暮れゆく空を眺めながらワインをぐんぐん飲んだ。
7時半ごろ佐川さんをお見送りしてから、バス停の向かいの公園に落ちていた長い木の枝を拾って、のしのしと歩いて帰ってきた。
とても愉快で、エネルギーがあり余っているような気持ちになり、杖のようにして歩いた。
横断歩道のところで、仕事帰りの人たちにじろじろ見られたけど、私はぜんぜん平気だった。
ダメダメなーみちゃんは、調子がいいとこうなる。
そういえば佐川さんのきのうの服装は、ちびっこ魔女みたいだったな。ほうきが似合いそうだった。
『高山ふとんシネマ』の校正が終わり、ひじきと油揚げを煮ながら、この間試作をしたボルシチのレシピを書く。
その間も、風がピューピュー。
音だけは木枯らしなんだけど、ふと見上げるとあまりに晴れ渡っているので、脳みそが少し揺れるような感じになる。
今日の夕焼けも、きれいだろうか。
夕方、『高山ふとんシネマ』文庫版のあとがきを書きはじめる。
夜ごはんは、ひじき煮(油揚げ、にんじん)、しらすおろし、きしめん(甘く煮た油揚げと小松菜をのせ、おつゆはあんかけにした)。

●2015年10月25日(日)快晴、風強し

7時前に起きて窓を開けた。
新しい空気。
風が渡っていっせいに葉っぱが揺れる。
葉ずれの音はカサカサと乾いてる。
まだ緑色をしているけれど、夏とは完全に違う、黄土色が混じったような緑の葉っぱだ。
朝ごはんを食べ、今日もまた『高山ふとんシネマ』の校正の続き。
できるだけこのときの気持ちのままを出したいから、直すつもりはないけれど、ひとつひとつ読み込んでいるうちに、どうしてものところが出てくると赤を入れた。
これを書いていたのは何年前だろう。
ハワイ島での映画の仕事が終わって、そのあとすぐにはじまった連載だから、かれこれ7年近く前になるのか。
たしか、月に2本のペースで書いていた。
よくやっていたもんだな。
一話一話けっこう深いところまで、夢の力も借りながらもぐっていて、もう、誰か別の人が書いたみたいにいちいち感心する。
1時半まで集中してやって、頭がぎゅるぎゅるしてきたので散歩に出る。
虹の公園へ行く途中に、里いも畑と小川に挟まれた小道(あぜ道みたいな地面)をみつけた。
草木がからまって生い茂り、じゅず玉、へくそかずら……赤いカラスウリもかわいくぶら下がっている。
小道が途切れても、川はずっと続いていて、背の高い大きな木が何本も並んでいる道につながっていた。
ときどき自転車の人とすれ違うくらいで、誰も歩いていない。
風を受け、木がゴーゴーと鳴る。
帽子をとって風に吹かれながら、陽にさらされながら歩いた。
近所にこんなにいい道があったなんて。なーんだ、もっと早く来ればよかった。
虹の公園でコンビニのおにぎりを食べ、林の中にある丸い大きな岩の上に座って、ザワザワゾワゾワ葉が揺れる音を聞いた。
また、同じ道をてくてく歩き、別の道へも遠まわりして歩いた。
帰り着いて、ほっとひと息。ボルシチの試作をする。
夜ごはんは、ボルシチ(牛スネ肉、にんじん、玉ねぎ、キャベツ、じゃがいも、ビーツ、サワークリーム、ディル)、トースト。
ボルシチは、昔「カルマ」の先輩が作っていたのや、「クウクウ」のころに作っていた(ラム肉だったけど)のを思い出しながらていねいにやったら、とてもうまくできた。
ビーツの色も鮮やかに出て、お肉もやわらかく、コクと甘みと酸味が絶妙で、ウズベキスタンのロシア料理店で食べたものよりうーんとおいしかった。

●2015年10月23日(金)薄曇り

きのうスイセイは、2時過ぎに帰ってきた。
酔っぱらって、トイレで座ったまま寝ていた。
よっぽど楽しかったんだ。
今日は朝から、向かいの空き地で草刈りの音がしている。
ガーーギーーガシャガシャ。
雑草に混じって生えていた、野生のニラの匂いが広がって、部屋の中まで上ってくる。
緑のいい匂い。
畳の部屋にシーツを広げ、ほころびを繕っていたらピンポンが鳴って、中野さんから表紙の絵が届いた。
パソコンの画像ではすでに送られていたので、何度も眺めていたのだけれど、実物は、とんでもなかった。
眼鏡をかけてじろじろと、すみずみまで見た。
どんなふうな絵なのかはまだここには書けないけれど、絵の具の盛り上がったところも、指のあとも、かすれも、描かれているものすべてがぴったりと私に重なって、どこにも隙間がない。
これが最後の絵になるのだけど、中野さんは私の物語に裸一貫で飛び込み、深くもぐってくださったのだなあ。
私も、そうした。
そうじゃないと絵本なんてできなかったから。
1時に、てくてく歩いて川原さんの家へ。
夕方、『高山ふとんシネマ』の文庫化のためのゲラが送られてきた。
火曜日には料理本の最終稿が届くから、その前に、明日からいそしもう。
そうそう、料理本のタイトルがきのう決まりました。
『実用の料理 ごはん』といいます。
ごはんものばかりみっちり詰まった、超実用的なレシピ本です。
11月30日には全国の本屋さんに並ぶ予定だそうなので、どうかみなさん、楽しみにしていてください。
夜ごはんは、冷やしトマト、鶏とブラウンマッシュルームのクリームスパゲティ、赤ワイン。
今日は、いろいろなうれしいことがあったので、ワインを開けて、私は夕方からちびちび呑んでいた。
夜ごはんのとき、スイセイとも乾杯して、話をしながらゆっくり食べた。テレビも消して。
そういうの、なんだかとてもひさしぶりだった(外食のときにはよく話すけど)。

●2015年10月22日(木)快晴

とてもいい天気。
あちこち掃除しているうち、衣類の整理をしはじめてしまう。
部屋着やらシーツやら、パジャマやら、もう着なくなっているのに藤のスツールに押し込んだままになっていたのを整理した。
スイセイはきのうに引き続き、アノニマ・スタジオへ。
パソコンで何やら作業をしているらしい。
きのう、村上さんから写真が送られてきたのだけど、女の子たちに囲まれて、うれしそうなスイセイ。
2時からは「暮しの手帖」の打ち合わせ。
1時間ほどで終わった。
干してある布団に手を挟み、陽にさらされる。
ぽっかりと空いた時間、さて、何をしよう。
図書館でも行って、そのままぐるっと散歩に出ようかな。
今夜スイセイは、外でごはんを食べてくるそう。
ひとりの夜ごはんは、なすとピーマンのみそ炒め、納豆、みそ汁(干し大根、白菜、天かす)、玄米。

●2015年10月20日(火)曇り

きのうにひき続き、『帰ってきた 日々ごはん』の作業。
もう最後の校正は終えているので、前回の直しが反映されているかどうかをチェックすればいいだけのに、ついついはじめから読み込んでしまう。そして、どうしてものところだけ赤を入れている。
写真アルバムともつき合わせながら、そこに添えるキャプションもしぼっていった。
2時にはすべて終わり、ポレポレ座へ。
『アラヤシキの住人たち』を見にゆく。
映画館はとてもすいていた。
ちょうど真ん中の席で私はあぐらをかき、首に布を巻いたり、足にパーカーをかけたりして自分の部屋のようにし、くつろいで見ることができた。
くすくす笑ったり、何度もふき出しそうになったりもしながら、ところどころで涙がどっと流れる。でも、パッと出て、すぐに乾く。
気づけば私も、アラヤシキに暮らしているミズホさん(46歳、男)やエノさん(53歳、男)たちの仲間で、そこにいるようなつもりで見ていた。
鳥や動物や、葉ずれや、風や、いろんな音がすぐそこにあったし、雪が降り積もる真冬の空気の重たさも、静けさも、時間がぐーんと伸びるような退屈な感じも、すべて画面に映っていて、ちゃんと感じることができた。
若いころ私は、山小屋で住み込みのアルバイトをしていたから、せんべい布団の重みや、陽に干したときの布団皮の手触り、毎日同じ服を着続けて肌になじんでいる感じが、映像には映っていなくても分かったし、薪で煮炊きする煙の匂いもした。
春、みんなで田植えをしているときに、ミズホさんは苗を持ってつっ立ったまま、ちっとも体を動かさなくて。
目だけで見ていると、何もしていないように見えるのだけど、そこに私もいるつもりになると、鳥のさえずりを聴いているのか、風が頬をなでるのを感じているのか、ミズホさんの内ではきっと、何かが起こっていて。
でも、そういうことさえも、ほんとうはなんにも分からないし、どんなことでも、もうどうでもよくなってしまうのだけど。
いろんな人が、いろいろな方を向いて腰を曲げ、いろいろなスピードで苗を植えているとき、いきなりヤマケン(27歳、男)が植えているそのままの格好で、イタリア語のオペラを歌い出したときには、涙がふき出した。
ものすごく本格的なオペラだった。
うまいとか、へたとか、そういうのじゃなくて。
でっかいでっかい自然に囲まれているから、人間のやっていることはすべてたわいなく、健気でかわいらしく、とても愉快で、愛おしくなるような。そういう声だった。
音楽って、そういうものだよね。音楽って、人も動物も自然も、ごはんもうんこもおしっこもひっくりめた、みんなのものだよね。
ヤマケンが突然歌い出したって、いつものことだからと誰ひとり動じず、淡々と手を動かして田植えをし続けているのもすごくよかった。
終わって、きさらちゃんとベランダで少し呑んだ。
三日月を眺めながら。
きさらちゃんは、この映画の制作進行を受け持った。
きさらちゃんは私よりふたまわりも年が離れているのに、隣にいると気が楽になって、ふたが外れたみたいになって、ついべらべらお喋りしてしまう。
焼きソーセージ&チーズ2種(「アラヤシキ」と同じような「共働学舎」というところで手作りされたもの。ソーセージもチーズもすごくおいしい)、ガーリックトースト。
生ビール、ワイン、ワインでほろ酔いとなり、東中野の川沿いを少し散歩して帰ってきた。

●2015年10月15日(木)晴れ

朝ごはんを食べ、洗濯ものも干して、あちこち念入りに掃除した。
掃除機をかけるのも久しぶり、雑巾がけも久しぶり。
ふと思いつき、仕事部屋の壁の張り紙を整理することにした。
どんどんはがして箱に入れ、本当に好きなものだけにした。
残ったのは、酔っぱらったときにスイセイが言った名言メモ3枚と、私の言ったことのメモ1枚。
「グー、チョキ、パーの中で、いちばん強いのってないじゃん ―― byスイ」
「わざわざのものを作って生きている人。自分のことを、カッパえびせんのように思って生きている人 ―― byスイ」
「そうしたければ、そうしないと、そうはならない。逆にの… そうしようと思ってそうすれば、そうなるんよ ―― byスイ」
あとはつい最近、朝ごはんのときに、食べものが何でもものすごくおいしくて私が言った言葉。
「今日は味蕾(みらい)がよく開いてるわ」
「味蕾が、未来にもかかって、ええのう」とスイセイにほめられた。
それから、昔アムにもらったクリスマス&お誕生日おめでとうの手紙(カケスの小さな羽が1枚貼ってある)と、百合子さんの文の抜き書き「自分に似合わない言葉、分からない言葉は使わないようにしたいと思っている ―― (後略)」。
そうして、すっきりと白くなった壁の上の方に、中野さんが描いてくださった絵を飾った。
12時からは、料理本の赤字のつき合わせ。
ハワイ帰りの赤澤さんはよく陽に焼け、とても元気そうだった。
途中でおにぎりを食べながら、ハワイのお土産のスナック菓子もつまみながら、ところどころで大笑いしながら、ぐんぐん作業した。
3時ごろ、集中が切れてきたので、ぶどうシロップでジュースを作って飲んだ。
5時ちょうどにすべて終了。
赤澤さんが帰ってから私は、たまらなく体を動かしたくなった。頭をいっぱい使ったから。
スーパーへ行くつもりだったのに、遠まわりをしててろてろと歩いていたら、中央公園に足が向かっていた。
原っぱに着いたときには、あたりはすっかり日が暮れていた。
でも、空だけはまだ青く、白い雲も浮かんでいつのが見えた。
空を仰ぎながらのびをする。
お父さんと小学生の娘が、薄闇のなかキャッチボールをしていた。
どこに飛んでいるのかボールはほとんど見えないのだけど、ワンバンウドさせる音と、投げるときの腕の方向だけで探り合てているみたい。 
「お父さん、こんどはこっちに投げて。ここここ、スカートの真ん中へん」
キャッチしたらしい娘。
「おっ、サヤちゃんすげえなーー、やるじゃんかー」
原っぱを横切りながら、そういえば私はもう何年も、こんなふうにスイセイとくったくなく笑い合い遊び合うことをしなくなっていたかも、なんて思った。
夜ごはんは、イカとトマトのスパゲティー(にんにく、アンチョビー、オレガノ、バジル)、にんじんサラダ。

●2015年10月14日(水)晴れ

きのうの日記で、山福朱美ちゃんの字を間違えてしまいました。
正しくは赤い実の朱実ちゃんでした。ごめんなさい。
きのうは、とてもとても楽しかった。
昼間から紙版画をやった。
赤ワインをちびちび飲みながら。
中野さんと私が机の上で熱中していると、奥の部屋で歌の練習をしている朱実ちゃんの声が聞こえてきた。
歌詞は朱実ちゃん、曲を作ったのはギターの伴奏をしているたつる君。
私と中野さんは並んで座っているけれど、それぞれ別の心を遊ばせながら、ぽつぽつとおしゃべりしながら、自分の絵を彫っている。
下の台所では、お母さんがずっと料理を作り続けていて、私もときどき台所へ下り、ボルシチの支度をしたり、ペリメニの生地をお母さんといっしょに練ったりした。
中野さんと朱実ちゃんが刷りに入ったら、たつる君がこっちの部屋に来た。
私は窓辺に移動し、また別の版画を彫りはじめた。
移りゆく空を見上げながら。
ときどき、腹ばいになったりもしながら。
いろいろな果物の樹や、オレンジ色の花々、野菜やハーブがのびのびと育つ庭を渡って、とどく風。
こちらに背中を向けて弾いている、たつる君のギターの音色。
みんな、別々の体(指や耳や鼻や目や)と心を持っているのに、目に見える同じ場所ではいっしょにいて、それぞれのものを好きなように作り出している。
家の柱も、床も、階段も、そんな私たちを揺りかごみたいに抱いていて笑ってる。
そうか、朱実ちゃんのパートナーだった、5年ほど前に亡くなったとしきさんは、朱実ちゃんを守るためにこの家になったのか。
時間よ止まれ、と思った。 
夕方になって、朱実ちゃんの友だちのようこさんや、きさらちゃんもやってきた。
お母さんの料理は、筑前煮、細い筍の煮物、サラダ(緑の野菜がワサワサした上に、庭の名残のミニトマトが赤い実みたいにのっていた)、豆腐入り肉団子(油で香ばしく揚げて、マヨネーズ、醤油、ソースを合わせたタレ)、なすの肉みそ炒め、銀杏ときのこの炊き込みご飯。
何を食べてもおいしくてたまらず、お母さんの味がして、私は自分のペリメニやボルシチを出すのがいやになった。
ほんとうをいうと、おさんどんが楽しいよう工夫がたくさんほどこされたお母さんの台所にいるうち、私は子供みたいになって、料理がちっともうまくできなくなった。
ゆでたじゃがいもの皮をむくのもとてもへたになって、大根のマリネも水っぽく、ボルシチのビーツも、すっかり色がぬけてしまい、煮込みすぎて味がぼんやりしていた。
でも、そんなの、いいんだ。
料理を食べながら、ワインを飲みながら、私たちは何を話したんだっけ。
お母さんの若いころの家族写真を見せてもらって、私はいろいろ空想して。
きさらちゃんがいっぱいしゃべって、げらげら笑って。
ようこさんはなすの炒めものをもりもり食べた(ようこさんの大好物を、お母さんが作ってくれた)。
庭へ出て草の上に寝そべり、夜空を見上げた。
中野さんはひとりだけ、赤くゆっくり流れる星を見た。
私は朱実ちゃんのパジャマを借り、リビングにざこ寝して泊まった(中野さんは上で寝た)。
というわけで、朝帰りをしました。
各駅停車の井の頭線に乗って、朝陽にさらされながら寝不足の頭で帰ってきたら、電車の中の人も、駅を歩く人たちも、バスの人たちも、誰もがゆったりと動いていた。
みんな光る輪郭をまわりに漂わせ、空気に体が溶けそうに見えた。
なんだ、人って、本当はみんなきれいなんじゃん。
朱実ちゃんの家は、自由な教室みたいだった。
そこに集ったみんなから、庭から、家から、私はいろいろなことを教わった。
彫っているときには夢中で、ものすごく楽しかったのに、私の紙版画はなんだか真っ黒で、細かい血管が張りめぐらされたようなグロテスクな絵になった。
朝起きて、新しい目でその絵を見たとき、これまで私は目をそむけてきたけれど、本当は、自分の体の中にこういう毒みたいなものがけっこう淀んでいたのかも、と思った。
中野さんをはじめ、新しく出会った人たちはみんな、私のことを「なおみさん」と呼ぶ。
仕事の名前ではない、本当の名前のような気がして、そのことがとても嬉しい。
夜ごはんは、茶がゆ、塩鮭、水菜のおひたし(ごま油、ポン酢醤油)、京都の漬け物、おいしい塩昆布(村瀬さんにいただいた)、梅干し。

●2015年10月13日(火)晴れ

雲ひとつない青空。 しばらく日記が書けず、開いてくださった方、ごめんなさい。
この1週間は、いろいろなことがどかどかとやってきて、落ち着いてパソコンの前に座ることができませんでした。
まず、月曜、火曜は京都へ行ってきました。
8年ほど前に『きょうの漬け物』を読んでからというもの、ずっとお会いしたかった濱田千香ちゃんに会うことができました。
本の中に何度も登場する憧れの「百練」で、豚しゃぶやステーキや気取らないおいしいつまみをたらふく食べ、呑み、店主のバッキーさんともお酒を酌み交わし、カウンターにたまたまいらしたラッキーさんと、しほちゃん(私のファンの女の子です)とも出会えました。 どこを尋ねたかは、雑誌の取材だったので、ここにはまだ書けませんが、15日(木)発売の号から毎週4回に渡り、「週間新潮」という雑誌のグラビアに毎週載るそうです。
「考える人」のあぜつさんが同行してくださったので、取材が終わってから、ふたりで御所の中を歩いたり、昔ながらの市場で和菓子を買ったり、鴨川沿いを散歩したりした。
新幹線の行き帰りもずっとお喋りし通しで、本当に楽しい旅でした。
帰ってからは、『帰ってきた 日々ごはん』の打ち合わせをし、スイセイと毎日ミーティングをし、料理本の校正もねじりはちまきでがんばった。
ふー。
絵描きの中野さんが兵庫から戻られたのは、11日。
描き直してくださった絵は、「ポレポレ座」におとつい見に行った。
そしてきのうは、「ポレポレ座」にて佐川さんと3人で打ち合わせだった。
中野さんは絵本を何冊も出しているから、当然のことなのかもしれないけれど、「クウクウ」時代にお客さんで来ていた、絵本関係のとても懐かしい人たちが、何人も絵を見にいらしていた。
もう15年以上も前、彼らは毎月いちどか、もっとか、大テーブル(20人くらい座れる)に集っては、いつも賑やかに飲んだり食べたりしていた人たちだ。
ひさしぶりに会った懐かしい人たちは、みんなちっとも年をとっておらず、顔や体つきも、椅子に腰掛ける感じも、話し声も、まったく変わらない。
かえって若返ったくらいに、まぶしく見えた。
あのころには、厨房で鍋を振ったり、慌ただしく皿洗いをしていた従業員の私が、ようやくフロアーに出ていって、みなさんと同じテーブルの端っこに座ることができたような、不思議な感じだった。
なんだか私だけ、時空に空いた穴にはまって、何年も何年もそこで過ごし、ぽかんと地上に出てきたような。
私が大好きだった、もう15年以上も前に亡くなった木葉井悦子さんの話が出たり、「トムズボックス」の土井さんの話が出てきたりもした。
佐川さんと中野さんと私とで作ってきたこの絵本が、ここへ連れてきてくれたんだな。
さて、今日はこれから、「クウクウ」の大テーブルの仲間だった、今は絵本作家として活躍している山福朱美ちゃんの家に、中野さんと行ってきます。
「ポレポレ座」で仲良くなったきさらちゃんもあとで合流するし、朱美ちゃんの友だちも何人か集まるみたい。
私は、ボルシチとペリメニを作る予定。
リュックをかついで出掛けます。

●2015年10月1日(木)降ったりやんだりの小雨

きのうは、絵描きさんと編集の佐川さん、編集長と4人で絵本の打ち合わせだった。
私のダミー本もお渡しした。
なんだか終わってしまったなあ、という気持ち。
佐川さんは、「これからなんですよ、高山さん」とおっしゃるけれど。
きっとここから本になるまでの間には、まだまだいろんなことが待っているんだろうけれど。
今年の春、佐川さんに絵本の宿題をいただいてから、私はずっと旅をしてきたのかも。
絵本の中を旅してきたのか、子どものころから今の私までを行ったり来たりして、旅してきたのか。
実際に、能古島や大阪にも行ったし。
いつもは行かない虹の公園や、古木の公園にもひんぱんに通った。
そして多分、絵描きさんが旅の道連れだったんだろうな。
私たちは別々の場所で、それぞれを旅した。
旅は、ついこの間、ダミー本ができた時点で終わったんだろうか。
あるいは、もっと前から?
いつだったのか私が気づかない間に、終わってしまった。
そんな感じ。
本を1冊作るというのは、猛烈に楽しくもあるけれど、終わりかけはいつでもうら淋しく、ぽかんとしてしまう。
あーあ。いやんなっちゃうなあ。
もっと、さらっさらっと作りたい。
でもそんなこと、私にはできっこないんだ。
ゆうべ、吉祥寺からバスに乗って帰ってきて、空き地の向こうにリビングの黄色い灯りが見えたとき、ああ、ようやくうちに帰ってきたんだなあと感じた。
スイセイはまだ起きていて、自分の部屋で何かをやっていた。
「ただいま」と声をかけたとき、けっこう太い声が出た。
そんなわけで、今日は本のみの虫。
お供は、濱田千香さんの『きょうの漬け物』と、百合子さんの『遊覧日記』。
昼過ぎにごそごそと起き出し、みどりちゃんから教わったレシピで茶粥を作った。
ほうじ茶でやってみた。
胸にも、お腹にも染みわたる味。
絵本が終わったと思ったら、ひきかえのようにして料理本のデザインが上がってきた。
まだ、とてもじゃないけど封筒を開けられない。
絵描きさんは、中野真典君といいます。
今、東中野の「ポレポレ座」のカフェで絵の展示をしながら、畳3枚分くらいの大きな絵もライブで描いています。
大きな絵は、4日(日)に描き納め。ご本人はいちど兵庫に帰ってしまわれるけれど、後半にまた戻られ、展示会自体は10月12日(月)まで開いているそうです。
夜ごはんは、親子丼(鶏胸肉、玉ねぎ、卵。私だけ、ゆかりをふりかけたご飯の上に具をのせた)、水菜のおひたし(ひねりごま)、たくわん、白菜漬け、大根のみそ汁。

●2015年9月27日(日)曇り

9時半に起きた。
のどの痛みも消え、どうにか復帰した。
朝ごはんを食べ、スイセイと写真の作業。
ちょうど終わったころ、アマゾンに注文していたアントニー・アンド・ザ・ジョンソンズのCDが届いた。
やった!
2時半からは、村上さんと打ち合わせ。
夕方、リビングの壁に、洗濯ものの影が映っていた。
黄色だったのが、あっという間に濃いオレンジ色になり、消えた。
その間、CDを大音量でかけていた。
空の色が移り変わってゆくのにも、似合っていた。
おとついの「読書会」のことを書きます。
お客さんは40人くらい。
ところどころで写真やムービーをお見せしたりしながら、百合子さんの『犬が星見た』と、「考える人」で連載している私の「ロシア日記」の話をした。
トークショーは何度もやっているけれど、「読書会」ははじめてなので、私はずっと緊張していた。
喋りたいことをノートに書き出したり、進行の計画を練ったりもした。
どんなふうにすればお客さんたちに喜んでもらえるかなあと、はじまるまで不安でいっぱいだった。
でも、会場の部屋に入ったとたん、シチー(具だくさんのロシアスープ)を煮込んでいる温かい匂いがして、ソファーに座ったり、お客さんの様子を感じたりしているうちに、だいじょうぶになっていった。
私は、みんなの前で本を朗読するのが、子どものころからの大の苦手で、トラウマのようになっていたのだけど、きのうは、やってみた。
ところどころ、お客さんたちにも読んでもらった。
私はきのう、はじめて「朗読」というものの良さが分かったような気がします。
まだ、うまく書けないけど、人の体から出てくる声って、それだけで感動する。
歌よりも言葉の方がさらにその人らしく、生々しい感じがした。
前半に、私が『犬が星見た』の中から少しだけ朗読したのを、川原さんにもあぜつさんにもほめられた。
「朗読って、スラスラと読まれるより、つっかえるくらいの方がよく入ってくる気がした。すごくよかったよ高山さん」と、川原さん。
あぜつさんには、「前に、ドイツに住んでらっしゃる多和田葉子さんの朗読を聞いたことがあるんですけど、とてもよかったんです。ドイツ語だから言葉の意味は分からないんだけど、何かが分かるんですよ。ご自分の書かれたものを著者が読む、書かれたものが声になるというのは、何か独特のものが伝わるんだと思います」というようなことを言われた。
休憩中、スープを飲んで温まりながらふたりからそんな話を聞いたおかげで、なんだか自信がつき、後半はとてもくつろいでやれた。
最後の方で、自分で書いた「ロシア日記」を読んでみた。
ハバロフスクのホテルで、百合子さんが泊まった部屋をこっそり覗きにいくところ。
あのときのことを思い出しながら読んだ。
そしたら、重しがついた太い声で、いちどもつっかえずに読めた。
今までずっと怖かったけど、なーんだ私、人前でもどもらずに読めるじゃん。
もしかしたらそれは、自分の書いた文だからかも。
言葉の選び方も、息継ぎも、どこにも違和感なく、体にぴたりと収まるからなのかもしれない。
ほとんどがクラブの会員の方々や、百合子さんの愛読者で、私のファンは数えるほどだったけど、温かく見守ってくださっているのが伝わってきた。
1冊の本の中にみんなで入っていくような、不思議な連帯感もあった。
手をつないでではなく、それぞれがひとりで、自分の本の中に。
会が終わって、並んでくださった方にサインをして、ひとりひとりと会話して、10時過ぎに終わった。
どこにも寄らずにまっすぐ帰ってきたのだけど、家に着いたのは12時だった。
ああやっと、「読書会」のことが書けました。
今日は、夜ごはんの支度をしながら日記を書いていたので、『まる子』が見られなかった。
『サザエさん』が終わりそうな時間にテレビをつけたら、磯野家は夕飯を食べながら月見蕎麦の話をしていた。
波平は卵を最後までくずさずに食べる。「だからこそ月見というんじゃ」とか、サザエさんは「卵は先にくずして、お蕎麦にからめて食べるのがおいしいんじゃないの」とか。
昔、出会ったばかりのころ、スイセイに月見蕎麦をおごってもらったことを思い出した。
私は蕎麦屋で月見そばなんかいちども頼んだことがなかったし、男の人はたいてい、天せいろとか、鴨南蛮とか、鍋焼きうどんとか、値段のいいものをごちそうしてくれるもんだとばかり思っていたから、スイセイに「みいも月見でええ?」と聞かれたとき、ちょっと驚いて、でも、なんだかそういうのいいなあと思ったのだった。
卵黄とねぎだけがのった月見蕎麦は、清貧の潔い食べ物のようで、ロマンチックな感じがした。
私は波平みたいに、最後まで卵をくずさずに食べ、スイセイはわりと早めにくずして食べた。すごくおいしかった。
あとから聞いたのだけど、スイセイがひとりで蕎麦屋に入るときには、いつも決まってかけ蕎麦かざる。月見蕎麦は奮発したんだそう。
夜ごはんは、鮭の粕漬け、なすとピーマンのくたくた煮、水菜のおひたし、たくわん、土鍋ご飯(佐賀の新米)。

●2015年9月26日(土)雨

朝起きたとき、のどの端っこがピリッとした。
風邪をひいたのかも。
きのうは、代官山のヒルサイドテラスで「読書会」をやった。
とても楽しかったのだけど、ちょっと私はくたびれたのかも。
朝ごはんを食べて、掃除して、買い物だけは行ってきた。
スイセイは、『帰ってきた 日々ごはん』に挟まる写真のことを精力的にやっているけれど、私はちっともついていかれない。
ゆっくりしか動けないし、声も小さくしか出ない。
明日がまた打ち合わせなので、今日は薬を飲んで眠ることにします。
きのうの「読書会」のことも、また、ゆっくり書きたいです。とても楽しかったので。
夕方6時に起き、洗い物をしながら夜ごはんの支度。
私は鍋焼きうどんにのせるかまぼこを切ったのと、水菜をゆでただけ。あとはスイセイが作ってくれた。
夜ごはんは、鍋焼きうどん(かまぼこ、水菜、かき揚げ、卵)、たくわん(美容師さんにいただいた)。

●2015年9月22日(火)快晴

6時半に起きた。
重曹入りの水にゆうべから浸けておいた栗を、朝いちでゆでた。
『リトル・フォレスト』の渋皮煮は、まず、栗拾いからはじまる。
主人公いち子ちゃんのナレーションは俳句のように削ぎ落とされ、音楽的。
同時にとても分かりやすいレシピになっているので、ちょっとここに書いてみます。
ーー栗拾いはクマに注意。長靴と炭バサミで、イガから取り出す。
固くなるので早めに鬼皮をむく。古い栗は、軽くゆでるとむきやすい。
灰か重曹を入れた水にひと晩つけておく。次の日、そのまま火にかけ 弱火で30分煮る。
煮汁はアクでまっ黒。水をかえ30分煮る。また水を替え、30分。
これを繰り返していくと、煮汁が澄んだワイン色になってくる。
途中、スジとワタを取ってキレイに掃除。
煮上がった栗の重さの60%の砂糖で煮詰めていく。
火を止める直前に酒類で香りをつけてもおいしい。
保存する場合は汁ごとビンに入れる。
煮汁のまま2〜3ヶ月おくと、しっかり糖がしみ込んで、ネットリ。私はこの方が好き。渋皮が、まるで餅菓子みたいな食感だーー
今日は、11時から『帰ってきた 日々ごはん』の打ち合わせで川原さんとアノニマの村上さんがいらっしゃる。
渋皮煮を煮ながらやって、おやつに出そう。お昼には栗ごはんも炊くつもり。
渋皮煮はねっとりと、とてもおいしくできたのだけど、私はちょっと煮詰めすぎた。
打ち合わせに夢中で、もう少しで焦がすところだった。あぶない、あぶない。
4人でたくさん話し、すべてが終わったのは3時半くらい。
川原さんがパン屋さんに行くというので、私も一緒についていく。
マキちゃんの家に行く約束があったし、川原さんと自転車散歩をしたくて。
けっきょく、そのままふたりでマキちゃんのところへ行って、ベランダで缶ビールを飲みながら、でっかい空を仰いだ。
部屋に入ってからも、色が変わってゆく夕方の空を飽きずに眺めた。
マキちゃんちは5階だから、床に座ると本当に空しか見えない。
3人でお喋りしながらずっと眺めていて、気づいたら6時を過ぎていた。
帰りにスーパーでさっと買い物をして、6時までに帰れば間に合うだろうというもくろみだったのだけど、ほろ酔いの私はどんどんいい気分になってしまう。
夜ごはんは栗と鶏の洋風煮込み(昼間のうちにバターライスを炊いておいた)を作ろうと思っていたのに。
マキちゃんがワインを開けてくれて、さらに気持ちがたるんでしまった私は、「今日は夜ごはんを作れません」と電話した。 
電話口のスイセイはひどく怒っていた。
この日のために、私たちは何度も家庭内ミーティングをしてふたりで協力し、『帰ってきた 日々ごはん』の準備をしてきた。
「今日は特別な日じゃったのに、なんでみいはそういうことがわからんの。打ち上げをするんなら、オレとのはずじゃろ? そういう大事なことに気づけんゆうのは、オレらの関係もようないゆうことなんじゃないの?」
帰ってきたのは7時半くらい。
スイセイは自分でマルタイラーメンを作って食べながら、また喧嘩になる。
私は私のしたいことを、自由にやりたい。
淡々とした日々が続くと、日常を壊したくなることがある。
人と一緒に暮らすの、私には向ていないかもしれない。
私は夜ごはんを食べそびれ、そのままお風呂に入って寝た。
「みいはええことばっかり『日々ごはん』に書くんじゃなくて、喧嘩して、オレが自分でラーメンを作って食べたり、みいが食べなかったりしたことこそ、ちゃんと書かんにゃだめで」と言われる。

●2015年9月21日(月)秋晴れ

香ばしいようないいお天気。
午前中、『帰ってきた 日々ごはん』の作業をやり、ちょうど終わったころにピンポンが鳴って、絵本の絵のカラーコピーが届いた。
畳の上に広げ、おこんじきさん。
絵と言葉の両方を切り抜き、束見本にペタペタと貼っていった。
バーンとでっかく絵がくるし、ページをめくるとまったく違う色合いの世界がくり広げられる。
途中でいいことを思いついたりもする。
これまでいろんな本のダミーを作ってきたけれど、これは史上最大の楽しさかも。
絵本作りって興奮するなあ。
あんまり興奮するとすぐに蒸発してしまうので、声が出ないよう口をつぐんで、息もあんまりしないようにした。
夕方、縮小コピーのやり方をスイセイに教わって、コンビニヘ。
私は今日、正しいパーセンテージの出し方をはじめて知った。
たとえば1辺が20センチのものを10センチに縮小したいときは、10÷20=5。これをパーセントに換算すると、50%となる。
夜ごはんの支度をしながら、栗の鬼皮をむいた。
夕方の風が入ってくるなか、テレビもラジオもつけずにむいた。
全部で800グラムも。
ひとつ、またひとつとむいているうちに、ようやく心が落ち着いてきた。
夜ごはんは、ピーマンの肉詰め(『きえもの日記』のマキちゃんのレシピは、何度作ってもほんとうにおいしい。このやり方で焼くと、ピーマンの火の通りがちょうどいい。おでんのねり辛しが半端に残っていたので、ソースの仕上げに混ぜてみた。大正解のおいしさ)、粉ふきいも、たくわん、自家製なめたけ、ねぎのみそ汁、白いご飯。
明日は渋皮煮を作るので、風呂上がりに『リトル・フォレスト』のDVD を見直すつもり。

●2015年9月20日(日)快晴

朝からあっぱれな秋晴れ。
子どものころの運動会を思い出すようなお天気だ。
布団と枕を干し、洗濯物もたっぷり干した。。
朝ごはんを食べ、今朝もまた『帰ってきた 日々ごはん』の家庭内ミーティング。
私は、『帰ってきた 日々ごはん』のまえがきを書きながら、写真の整理。
3時半には終わり、買い物に出る。
空、いつの間にこんなに高くなったんだろう。
自転車をこいでいたら、ぐるぐる走りたくなったので、虹の公園へ行った。
上水沿いを走り、わざと遠回りしてスーパーへ。
丹波栗があったので買って帰る。
それほど大粒ではないけど、明日、『リトル・フォレスト』のをお手本に、栗の渋皮煮を作ろうと思って。
夜ごはんの支度を早めに終え、『まる子』に『サザエさん』。
夜ごはんは、ごぼうと牛コマの炒り煮(粉山椒)、鯵の刺身(しょうが、ねぎ、青ゆず)、小松菜と豆苗のおひたし(梅じょうゆ、ごま油)、自家製なめたけ、土鍋ご飯(佐賀の新米)。

●2015年9月17日(木)雨

しっかりとした雨が降っている。
窓の外が白い。
朝ごはんのとき、「今年の秋は、ほんとに雨ばっかりじゃのう」とスイセイががっかりしたみたいな声で言っていたけど、今日の雨は、私にはきれいに見える。
あきらめたような景色。
きのう1日充電したから、きっと私は元気になったんだ。
朝ごはんのあと、『帰ってきた 日々ごはん』についていろいろ話す。
ああでもない、こうでもないと11時くらいまで話していた。家庭内ミーティングだ。
さて、「気ぬけごはん」の続きをやろう。
夕方、明るいうちに切り上げ、散歩がてら買い物へ。
雨がやみかかったいつもの道を、透明の傘をさして歩いた。
金木犀のオレンジ色が、濃い緑の葉の奥に隠れるようにして、チュチュチュチュと咲いていた。
どの葉も、どの葉も、とてもきれい。
雨に濡れた葉は、晴れの日よりも元気そうに見える。
水気を体のすみずみまで吸い込み、せいせいと伸びをしているような。静かな心で。
なんだか、おでんを煮込みたいような肌寒さだな。
なので、おでんの具もいろいろ買ってきた。明日、「気ぬけごはん」を書きながら、朝から煮込もうと思って。
夜ごはんは、れんこん入り大つくね(辛しじょうゆ、青ゆず)、小松菜おひたし(じゃこのっけ)、たくわん、白菜漬け、ゴーヤーの松前漬け、新米、大根のみそ汁(昨夜の残り)。
自分のレシピの「ごぼう入り大つくね」のごぼうを、れんこんに代えて作ってみた。れんこんは薄いイチョウ切りにして、肉だねに加えるとき手で砕くようにしながら混ぜて焼いた。
おいしかったけど、やっぱりごぼうにはかなわない。
今夜もまた、風呂上がりにアントニー・アンド・ザ・ジョンソンズをyoutubeではしごするつもり。

●2015年9月16日(水)天気はどうだったんだろう

朝ごはんだけ食べ、今日は仕事を休みにする。
『日々ごはん』の読書カードや、アノニマでやった『日々ごはんの世界展』のときにいただいた手紙のスクラップを枕もとに置き、朝から布団の中で読みふけった。
顔も洗わず、歯もみがかずに。
そのあと、はじめて読む人になったつもりで『日々ごはん12』も読みふけった。
夕方5時ごろに起きて、夜ごはんの支度。
夜ごはんは、塩鮭、なすのくったり煮(おろししょうが)、白菜漬け、ゴーヤーの松前漬け(三ちゃんのお母さんの)、大根のみそ汁、ふりかけ、新米。
夜、アントニー・アンド・ザ・ ジョンソンズという人の音楽をyoutubeで調べ、聞いた。
ちょっと前に、古い「クウネル」をたまたまめくっていたら、郁子ちゃんがお薦めしていて、ずっと気になっていた。
「歌ってこういうことをいうんだなと思わせられるアルバム。音楽って不思議だけど、その人のコンプレックスとかハンデとかトラウマとかが、あるときぜんぶオセロみたいにひっくり返ることがあるんですよね。だからかな、声に説得力がある」
人の体から出てくる、よけいもよゆうも何もない、音楽そのものみたいな歌声に涙が噴き出す。
郁子ちゃんが薦めていたのは『クライング・ライト』というアルバムです。

●2015年9月11日(金)快晴

ゆうべは、『悪声』を布団の中でも読み続け、もう半分まできてしまった。
なかなかやめられず、夢の中にも侵入してきた。
6時に起きる。
窓を開けると、洗濯したてみたいな青空に、いわし雲。
ひろびろとした秋の空だ。
大自然の猛威を受けるのは、いつも山や川や海が近いところ。
東京がそういうものから免れられていることを、申しわけなく、もったいなく思いながら空を仰いだ。
洗濯ものを山ほど干して、さあ、仕事をがんばるべ。今日も「ロシア日記」の校正の続きをやる。
夜ごはんは、麻婆豆腐(海老入り)、小松菜とじゃこの炒め物、土鍋ご飯(新米)。

●2015年9月10日(木)雨

朝から歯医者さんの定期検診。
ぐるっとまわって吉祥寺で買い物し、歩いて帰ってきた。
お昼を食べ終わったら、今日は仕事をしないことに決める。
いしいしんじさんの『悪声』を送っていただいたので、今日は読書の日とする。
パタンとたたんだ布団によっかかり、ぐんぐん読んだ。
「なんやこれ、めっちゃおもろいやん!」と、関西弁でつっこみを入れたいような疾走感。
夢中で読んでいたら、スイセイが「栃木と茨城がたいへんなことになっとる」と知らせにきて、台風のニュースをはじめて見た。
夜ごはんは、昨夜のカレー、ゆで卵、キャベツときゅうりのサラダ。

●2015年9月9日(水)台風

朝ごはんを食べていたら、窓の外が白くなるほどの大雨。ラジオの音楽も途中で途切れ、そのたびに台風情報が流れた。
こんな日に、家の中で仕事ができることを、本当にありがたく思う。
私は今日から、「ロシア日記」のことをやろう。
「考える人」の連載分に書き下ろしを加え、単行本にするのです。
まず、今までの文をはじめから読んで、ロシアとウズベキスタンを体に注入する。
たたんだ布団を机にして、原稿を広げ、どんな本になりたがっているのかぽやーんと思い描きながら、メモをしたりしながら読んだ。
そのうち、鉛筆で校正をはじめてしまった。
雨は急に大降りになったり、急に止んだり。その間も風はずっと強く吹いていた。窓を開けたら、蝉の声や鳥の声がかすかにした。 
3時から雷と大雨。
きのう磨いた窓に盛んに雨粒がぶつかってくるけれど、なんだかそれが、すがすがしくもある。
4時を過ぎたころ、西の方だけ青空が見えた。
窓をいっぱいに開けて伸びをする。
しばらくしてもういちど見ると、雲の大きな塊がすごいスピードでぐんぐん流れていた。青空もずいぶん広がっている。
雲は二段になっていて、綿を薄く伸ばしたような下の段の方が流れている。
眩しいので、サングラスをかけて眺めた。
明るい中、雨が降ったりまたすぐに止んだり。
どんどん移り変わるので、ひとときも目が離せない。
下の道を、空を見上げながら自転車をこいでいる若いお母さんがいて、ふとそっちを見たら、大きな虹が出ていた。
ベランダに出てしばらく見ていたのだけど、たまらなくなってひとり散歩に出る。
コンビニで小さい瓶ビールを1本買い、虹の公園へ。
(まだ出てる、まだ出てる)と思いながら、歩いた。
公園に着き、今にも消え入りそうな虹を見ながらビールを飲んだ。
帰り道は、反対側の青空を見上げながらほろ酔いで歩く。
夕暮れの薄闇が下りるようとしているこの青を、何と言ったらいいんだろう。湖のよう、でもないし、緑を混ぜたような青? 瑠璃色? 白い雲がぽっかりと浮かんでいる。
ぼやぼやと歩いている間にも、青が少なくなってきた。
辺りもだんだん暗くなる。
雨は降ったり、やんだり。
濡れた草の緑が目にしみる。
私は夕暮れどきにしか見られないこの緑色が、いちばん好きかも。 
こんな絵を、描けるようになりたい。
上水沿いの道ばたに、彼岸花の紅いのが2輪だけ咲いていた。
そうか、今はもうそんな季節なのか。
帽子をかぶって行ったので、最後は雨に濡れながら歩いた。傘はいちども開かなかった。
帰り道、どこかの家から秋刀魚を焼く匂いと、豚肉をにんにくじょうゆで焼く匂いがしていた。
そういえば、この間日記に書いた小さな公園もちょっとのぞいてみたのだけど、木の根もとはコケなんかでおおわれてなどいなかった。
コケは木の幹にあった。
私の目はいいかげんだなあ。
夜ごはんは、カレーライス(豚肉、じゃがいも、にんじん、玉ねぎ)、サラダ(白菜、きゅうり、ピーマン、黒酢ドレッシング)。

●2015年9月8日(火)雨

今朝もまた雨。
しっかりと降っている。
窓を閉めていても緑がはっきり見えるよう、ベランダに出て窓を磨いた。雨に濡れながら。
料理本の撮影もこの間ですべて終わり、絵本の絵も、言葉も、ひとまず出そろった。
なんだか、夏の終わりと共にいろいろ終わってしまったな。
でも、終わったことで新しくはじまるっていうこともあるのだ。
さて、レシピの確認を、最後までぬかりなくやってしまおう。
あとで散歩がてらコンビニへ行って、赤澤さんにお送りしよう。
夕方、あちこち掃除した。
ソファーの辺りだけ、模様替えもした。
雨の日に、体を動かしてすみずみまで雑巾がけをするのは、晴れた日よりもさらに心が静まるのはなんでだろう。
時間がたって、雑巾がけをしたことなどすっかり忘れていても、するっとして気持ちがいいことは足の裏がちゃんと分かっている。
夜ごはんは、ドリア(フライパンパエリアの残りに、白菜、えのき、ソーセージ入りのホワイトソースとチーズをのせてオーブンで焼いた。柚子こしょうを混ぜながら食べた)、きゅうりとにんじんのサラダ(黒酢ドレッシング)。

●2015年9月4日(金)曇りのち晴れ

きのうは岩波ホールに映画を見にいった。
近所でなく、遠くの方まで散歩をしにいきたい気分だったので。
散歩というより遠足か?
『夏をゆく人々』。
とてもいい映画だった。
新聞に小さく載っていた広告の絵が気になり、切り抜いてずっと壁に貼っておいた。
白黒写真だし、手の平に乗るくらいだったから、よく見えなかったのだけど、女の子の頬についているのは蜂だった。花弁かと思っていた。
イタリアの蜂飼いの家族の物語。
DVD になったら、きっと毎晩見続けるだろうな…… というような、静かな映画。
今朝はひさしぶりに晴れ間が出たので、シーツを洗濯した。
さて、「気ぬけごはん」と「天然生活」の校正をやろう。
午後、ベランダに出たら、西の空に灰色の雲がかたまっていた。
布団や大量の洗濯ものを取り込んだそのすぐあと、大粒の雨が降りはじめ、バケツをひっくり返したような土砂降りとなった。
しばらくして晴れ、天気雨となり、またひと雨きた。
今は、洗い立てのような青空に、蝉の合唱。
夏の終わりを祝っているみたいな空。
散歩、行こうかな。
行ってきました、また虹の公園へ。
この間と同じように小道の奥まで侵入し、緑の園や、せせらぎにかかった木橋、牛ぐらいに大きな石のある原っぱ、雨でぐしょぐしょになった草の上を歩いた。
そのまま自転車を転がし、農家の庭先販売で秋なす、西荻の魚屋さんでしめ鯖やら自家製塩辛やらを買って、また自転車をこいで帰ってきた。
ほどよく汗もかき、ようやく気がすんだ。
夜ごはんは、しめ鯖、焼きなす&焼きパプリカ(オリーブオイル、醤油、おろししょうが)、塩辛、しじみのみそ汁、土鍋ごはん(佐賀の新米)。

●2015年9月1日(火)雨一時晴れ

スイセイは朝帰ってきた。
玄関が開いた音がしたのでしばらくして見にいったら、トイレに座ったまま眠っていた。
遊び疲れて帰ってきた子どもみたいに。
気持ちよさそうだから、放っておいた。
この間の恩返しだ。
ゆうべスイセイは、友だちの展示のクロージングパーティーに行った。きっと、よほど楽しかったのだな。
私はそのまま布団の中で本を読んでいたのだけど、ふと起きてパソコンを開いたら、新しい絵が届いていた!
それからはハリハリと動く。
絵描きさんに返事のメールをお送りしたり、電話をしたり、料理本のための文の推敲をしたり、明日の撮影の準備もそろりそろり。
2時ごろ、雨が上がったので、撮影用の仕入れに出た。
自転車に乗ったら、遠まわりをしたくなった。
ぐんぐんこいで、昔、歯医者の帰りに虹を見た公園に向かう。
公園のすぐ手前に、もっこりと背の高い木が固まっているところをみつけ、曲がってみたら、そこも小さな公園なのだった。
中は薄暗く湿っていて、木の根もとがコケでおおわれていた。
根っこがひとつで、途中から2本に分かれている古木も3本以上あった。
さっき、電話で話したときに、「絵本は現実ですよ」と絵描きさんがおっしゃっていたのを思い出しながら、太い木の幹を触ったりして、うろうろした。
私は現実離れしている。
いつもふわふわとして地面に足がついていないと、小さいころから母や姉によく言われた。
触ったり、匂いをかいだり、目に見えないものを見るのが好きで、頭の中で起こっていることを、あとからしつこく反芻したり。
ねぎを刻んだり、ごはんを食べたり、スイセイのくつ下を洗濯したり、ニュースを見たり、そういうのばかりが現実だと思っていたけれど。
そうか、見えないものを見ているのも私の現実なのか?
なんて思った。
そうなると、文を書くことも現実かも。
私は本当にあったこと、感じたことしか言葉にできない。
それは夢で見たことや、夢の中で体感したことも含まれるのだけど、 目に見えるのも見えないのも自分にとってはぜんぶが本当なので、それをその通りにできるだけしっかりなぞって文を書き、本にすると、遠くまで広がって、何月何日とか、何時とか、何歳とかもなくなり、吉祥寺に暮らしている私のことなどぶっ飛んで、普遍になる。
それが現実っていうことか?
あと、文を書いている部屋には冷蔵庫が置いてあって、ときどきブーンと音がしたり、台所からは煮炊きの匂もする。
これも現実。
前に、西荻のギャラリーではじめてお会いしたとき、「僕は見たことがあるものしか描けないんです。夢でみたものや、記憶も含まれますが」というようなことを絵描きさんがおっしゃっていた。
夜ごはんは、しらたきとちくわの炒り煮、小松菜炒め、秋刀魚のお刺身(ねぎ、青じそ、しょうがじょうゆ)、栗ごはん。

●2015年8月30日(日)降ったりやんだりの雨

朝、窓を開けたら、雨の中蝉が一匹鳴いていた。
ジーームミーームミーームと、くぐもったような弱々しい声。
どこからか大きなくしゃみが聞こえてきて、空き地に響いたとたん、蝉の声はやんでしまった。
さて、今日もまた料理本の続きをやろう。
集中できそうだったら、本に挟まる文章も書きはじめるつもり。
夕方までやって、『まる子』に『サザエさん』。
全国の小学生たちは、今日あたり夏休みの宿題の追い込みでたいへんなんじゃないだろうか。
私の方は料理本も順調、おかげさまで絵本も順調なり。
夜ごはんは、じゃがいものバターじょうゆ煮っころがし、手綱コンニャクの炒り煮静岡風(リカにもらったサバ節を仕上げにふりかけた)、ちくわのかば焼きどん(新米なので土鍋で炊いた)、京麩と三つ葉のみそ汁。

●2015年8月26日(水)霧雨

きのうよりも今日はもっと涼しい。
七分袖のTシャツがちょうどいいくらい。
朝から霧雨。
音もなく、空き地にしみしみと降り注ぐ。
緑の草にも、ピンクのサルスベリの木にも、その下に生えているチカチカした白い花の上にも。
風が吹くと、霧雨はカーテンのように揺れる。
私は絵描きさんとやりとりをするようになって、前よりも長いこと外を眺めるようになった。
そういうとき私は、絵描きさんが描いた絵として風景を見ていることに今朝気がついた。
風呂上がりに窓を開け、薄暗がりをぼんやり見ていたりもする。
月も星もない夜の木はシルエットだけで、空との境の葉が揺れているだけなんだけど。
不思議だなあ。
前に、大阪の展覧会を見にいった日の夜、川沿いにあるその画廊のイメージのような夢をみたのだけど、それもまた絵描きさんの絵だったことにあとから気づいた。
そんな気がするだけかもしれないけど。
不思議だけど、そんなに不思議でもない。
たぶん私はそのときから、今作っている絵本の近くにいたのかなと思う。
さて。
今日は、料理本のレシピの赤入れ作業をやろう。あと1週間ほどで撮影だから、試作もやろう。
絵本の中で生きているみたいなふわふわとした自分と、ここにある体とをつなぎとめてくれる料理。
そういうものがあって、私はよかったなあ。
プリンターを借りにいったら、今日はスイセイの部屋もとても静か。青いヒモをつないで何か工作をしていた。
「みいには分からんじゃろうが……」と言いながら見せにきた完成品は、ペットボトルが入れ子になったものに、青いヒモが結んである。
上向きのには半分くらい水が入り、フタをしてあるけど、下を向いた方は空っぽでフタがしてない。ベランダの竿にぶら下げている。
私は当てずっぽうに「気化熱だか、気化水だかの実験」と言ってみた。
詳しくはいろいろあるみたいだけど、まんざら間違ってもいないらしい。
今日はなんだか、夕方の暮れ方が切ないような日だったな。
スイセイに聞いてみると、「べつに、いつもと同じじゃったで」。
夜ごはんは、ポルトガル風フライパンパエリア(塩ダラ、ソーセージ、にんじん)、コンソメスープ(玉ねぎ、にんじん)、食後に塩羊羹(川原さんの諏訪土産)。
夜、絵本の台割が壊れた。
私はきのう送っていただいた新しい絵のことが、朝からずっと気になっていて、でもその絵は話のスジからはずれるものだったから、なんだか怖かった。
物語はもう固まっていて、ページの隙間もないし、動かしようがないと思っていたのだけど。
風呂上がりに外を見ていたら、街灯の光が空き地の水たまりに映っていた。
言葉が浮かんだので、ひと場面をはずし、ページを並べ替えてちょっとはめてみたら、すととんとんと収まった。
前のよりずっといい。
夜遅かったけど、ひらめきが新しいうちに、絵描きさんにメールを送ってみた。

●2015年8月23日(日)薄い晴れのち降ったりやんだりの雨

おとついスイセイと喧嘩をしたので、朝からなんとなく険悪ムード。
むしむしと暑いうえ、半分は晴れてはいるけれど、空の雲が重たい。じっとしていても汗が噴き出してくる。
今日の私みたいな天気。
私とスイセイは、性格も好みも考え方も、似ているところとまったく似ていないところがある。
似ていない者同士が暮らしていくのは、へこみとでっぱりをお互いに補い合うから合理的だし、いいところもたくさんあるのだけど、それぞれの苦手ポイントに気づいてあげられず、傷つけ合ったりもする。
誰かと暮らすというのは、いいことばかりではないと分かっていても、どんよりしてしまう。
山の家にいると、なぜか私たちはぶつからない。
細々とした気持ちのほころびは、山のあなたの遠い空がぜんぶ吸い取ってくれるみたい。
私は夏の終わりのくたびれが出ているのかな。
でも、生活をするというのはこういうことだ。
今日は『帰ってきた 日々ごはん』の校正(校閲さんの直しを確認)をやろう。
4時にはすべて終わった。
校閲さんは、きちんとした日本語(言いまわし)になるようとても丁寧に見てくださったのだけど、チェックをくださったところ、(ママでOK)がほとんどでした。申しわけないです。
もしかすると、『日々ごはん』ならではの文法というのがあるかもしれない。話し言葉に近いような、造語や方言とかもあるし。
『ぶじ日記』のころには、そういうのを気にしていちいち直したり、もとに戻したり迷いながらやっていたのだけど、出戻り娘としては、やっぱりヘンテコに戻ろうと思う。
さて、ひさしぶりに『まる子』と『サザエさん』だ。
夜ごはんは、カレーライス(豚コマ、玉ねぎ、にんじん、じゃがいも、カラーピーマン)、山小屋風サラダ(キャベツ、きゅうり、にんじん、玉ねぎ、ピーマン、トマト)、らっきょう。

●2015年8月18日(火)曇りのち晴れ

15日に実家に帰って1泊し、次の日に山の家へ戻り、最後の1泊。そしてきのうの夕方、東京に戻ってきた。
山の家に行っている間に、すっかり涼しくなったんだな。
ゆうべはクーラーはもちろん、扇風機をつけなくても充分だった。窓も閉め切っていたくらい。

私は両手首と首の辺りが葉っぱの汁でかぶれてしまい、きのう帰ってすぐに皮膚科に行った。
今は両手に包帯を巻いているけど、おかげでずいぶん腫れがひいた。
実家に帰る前の日に、作業手袋がずれているのに気づかず、野ぶどうや薮枯らしのつるを夢中でひっぺがしていたからだ。
ほんのちょっとの露出だけで、こんなにかぶれてしまう肌が情けない。
実家へ帰ったのは1年ぶりだったけど、母はずいぶん元気そうだった。顔色もよく、一緒に外に出掛けたがって、近所の図書館や、日曜日には教会の礼拝にも行った(みっちゃんも)。
教会に出掛ける前にはおしゃれをしたりお化粧をしたり。そういうことが、張り合いになっているようだった。
うちにいるときには、「足が痛い」だの「腰が張る」だのぶつぶつ言っていたのに、外で誰かに会うといきなりシャンとして、顔もいきいきとして、耳が遠いから一方的に話しまくる。
母は根っから社交的。そういうことは、年をとっても変わらないんだな。
そうそう。私が実家に帰った日の夜(15日)、山の家の近くで花火大会があったそう。
夜、8時ごろスイセイが台所でくつろいでいたら、いきなり爆弾が破裂するみたいな音がして、目の前の山のすぐ上に、大きな花火が上がったらしい。
昔風の花火で、本数も少ないけれど、けっこうな迫力だったそう。
この地区では、終戦記念日に毎年川向こうで花火を上げることが分かった。
来年もしもお盆の間に帰れたら、8時までにビールやらつまみやら支度して、月見ヶ丘で花火見物をしよう。
今朝は、山の家で使ったシュラフやら何やらたくさん干した。
洗濯は、やってもやっても終わらない。
ひさしぶりに東京に帰ってきて、ベランダからの景色を眺め、けっこう緑が多いじゃん、と感じた。
でも、山にいたのが長かったせいか、ここのは宇宙ステーションのカプセルの中で育っている緑みたいにも見えた。
鳥たちも、私たちと同じくそこの住人。
山の家の森、山、鳥、川は何もかも野生。
けれど空だけは、東京から見えるのも本物なのだ。
夜ごはんは、なす(直売所で買った秋なす)のオイル焼き、なすのくたくた炒め煮、いかとまぐろの辛し酢みそ和え、いかとまぐろのわさび醤油、豆腐とねぎのみそ汁、たくわん、白いご飯。

●2015年8月15日(土)晴れ

鳥の声で目が覚めた。
ヒーーヒョロヒョロチョロロロロ。
5時半くらいに起き、仕事のメールを送る。きのう書けなかった日記も書いた。
いちど横になり、7時の放送で起きる。
なんとなしに部屋をかたづけ、出掛ける支度をする。
8時半に朝ごはん。きゅうりの塩もみ、チーズオムレツ、ゆでとうもろこし(私/これですべて食べ切った)、トースト、コーヒー(私)、麦茶(スイ)。
今日は、11時16分の電車に乗って、実家に帰ってきます。
パソコンを持っていかないので、日記は書きません。
明日の午後に戻る予定。
では、行ってきます。

●2015年8月14日(木)晴れ

7時のサイレンで起きた。
スイセイはとっくに起きて、朝飯前の草刈り。
私は絵描きさんにメールを送り、こうして日記を書いている。
太陽がベカーッとさしてきたので、洗濯ものも干した。
8時に朝ごはん。きゅうりの塩もみ、トマト、ハム炒め、トースト、コーヒー(私)、麦茶(スイ)。
ラジオからはシベリウス。生誕150年の特集番組らしい。
シベリウスを意識して聞いたことがなかったけど、山の景色に合う。森の音楽という感じがする。
風が吹いて、雲が流れ、木々がひと続きになって静かに波打つような。
ご本人も実直で穏やかな人という感じがする。どうなんだろう。
さて、今日こそは『Zの本』の赤入れをやるぞ。
はじめから読み込み、12時までやった。
とくにスイセイの文が冴え、おもしろくてたまらない。
このところ別の本作りに夢中で、ずいぶん間が空いていたおかげで、誰か知らない人が書いた文を、はじめて読んだ人みたいになれた。
デザイナーさんがレイアウトを本の形に組んでくださったせいも、とても大きい。
昼ごはんは、今日もまたそうめん。スイセイはおとついのカレーを冷たいまま絡ませて食べるのだそう。そうめん、いなり寿司(きのうの残り)、ゆでとうもろこし(私/きのうの残り)。
『Zの本』、5時まで夢中でやり、最後までやり切った。
をはじめて俯瞰して読み込むことができた。
これは、とんでもない本かもしれない。
明日から実家に帰るので、台所裏の草引きをやった。
南天の木に絡まった野ぶどうのツルがしつこく、丈夫でなかなか取れない。
汗だくになってやっていたら、お向かいのSさんが、「精が出ますねー」と声をかけてくださった。
Sさんには本当に申しわけない。
見たくなくても目に入ってしまう、目の前の古びた塀の隙間や上から、薮枯らしやぶどうのツルがいつもはみ出しているのだから。
今は私も邪魔者にしているけど、野ぶどうの実も葉も、本当はとてもきれい。ここに住むようになったら、花瓶にいけて楽しんだり、つるを使ってカゴを編んだりしたい。
汗だくになって温泉へ。
出てきたらへろへろとなる。
ジープに乗り込むとすぐ、「みいよう。空! 羽毛みたいで」。
本当に、頬ずりをしたいようなオレンジの羽毛の夕焼け空。
スーパーで買い物をして帰ってきた。
夜ごはんは、オクラの豆腐和え(私)、冷や奴(スイ)、ハムとピーマン炒め、焼きぎょうざ(生のものを買ってきて焼いてみた)、ビール(スイ)。
私はビールをひと口飲んだら、もう縦に座っていられない。お腹もすぐにいっぱいになってしまった。
寝そべったまま、スイセイとだらだらおしゃべり。おもに『Zの本』のことなど。
8時半に寝床を作って横になる。
スイセイは窓辺でテレサ・テンの特集番組のラジオを聞いている。私は歌声を聞きながら寝た。

●2015年8月13日(木)雨が降ったり、晴れたり

お昼ごはんを食べ終わり、スイセイは昼寝をしている。
雨にもめげず、朝から軒下で作業をしていたようだから、くたびれたんだ。それにゆうべは夜ごはんのとき、ひとりでビールを3缶も飲んでいたし。
私は明け方から、ノンストップで絵本のことをやっていた。
明るくなりはじめのころ、トイレに起きたら雨が降っていて、庭の緑が濡れているのが見えた。
それからもうひと寝入りしようと目をつぶったのだけど、新しい場面と言葉が浮かんでしまい、つながりもまた見えてきて、薄暗いなか急いでノートに書きつけた。
そうなったらもう寝ていられない。
これまで送っていただいた絵がぜんぶ頭に入り、これから描いていただく残りの絵も頭に入ったところで、すんなりとページごとの言葉集ができてしまった。
これって台割?
台割ができはじめたときはこんな感じ。
まず、絵と言葉が1枚ずつ入った箱が、宇宙遊泳みたいにスローモーションで落ちてきた。私はそのひとつひとつに軽く手を添え、落ち着いてほしいあたりの場所に方向をつける。
そうすると箱は自分のおさまりたいところに向かって落下し、静かに着地。
そんなふうにいくつかの箱が同時に落ちてきた。それをパソコンにまとめていたら、スイセイに朝ごはんを催促された。
もう8時半だそう。
いつの間にスイセイが起きたのかとか、何時なのかとか、まったく気にならずにやっていたので、声をかけられたとき、もぐっていた水の中から顔を出したみたいにポカンとなった。
でも、声をかけられても、ちっともいやな感じがしなかった。
東京だったらスイセイに怒られたり、私がムカついたりしそうだけど、山の家にいると、いろいろなことがなだらかにつながっていて、途切れることがない。
どこまでも自由で、境目がない感じ。
朝ごはん/にんじんサラダ、魚肉ソーセージ、チーズオムレツ、トースト(私)、おにぎり(スイ)。
食べ終わってから、言葉集の手書きの束を作った。
絵描きさんに送ろうと思って。
その間、ずっと雨が降っていた。
台所の窓から、裏山に降り注ぐ雨が見えた。
束ができ、封筒に入れて、カッパを着て出ようとしたら、急に雨がやんだ。
雨上がりの道を歩いて郵便局へ。
山道を長靴をはいて、ぐんぐん歩く。
そこからはスイセイに教わった通りに歩いた。川沿いの道を伝ってずっと行けば、車の通りに出なくてすむ。
小学校のプールは澄んだ水が満タンなのに、誰もいなかった。
蝉の声、ハチのブーン、緑の草いきれ。
なんだか私は山の家へ来てからこっち、なーみちゃんに体を侵略されている気がする。
いやいや、思えば「キチム」の打ち上げのあと、酔っぱらって帰ってきた辺りからかも。
郵便局は私だけしかお客さんがいなかった。とても親切。のりも貸してもらった。
速達でお送りし、スーパーで買い物をして、駅で時刻表を調べ(土曜日に電車で実家へ帰るので)、またてくてく歩いて帰ってきた。
帰りは小学校の門から入って、体育館のある裏山の道を上ってみた。ここにも人は誰もいない。椎の木の木陰の坂道で、アブラ蝉が盛んに鳴いていた。
帰りはずっと上り坂だったので、汗ぐっしょりで帰ってきた。
行って、帰って、1時間半くらいの散歩だった。
お腹を空かせて待っていたスイセイのために、そうめんをゆでてやる。 そうめん、うずらの卵フライ(スーパーの)、いなり寿司(スーパーの)、ゆでとうもろこし(私)。
『Zの本』の校正をやろうと思い、レイアウトされた紙の束を持ってきているのだけど、なかなかとりかかれない。
庭の花壇のモシャモシャがどうしても気になり、ツナギに着替えて作業。邪魔な枝を切ったり、つるをひっぺがしたり。
今日は湿気が多く、風もない。玉の汗が流れる。
たっぷり汗をかいて、お風呂場で行水。洗濯もした。
新しい絵が送られてきた。
今朝、私がリクエストした雨の絵。
早い。早すぎる!
夜ごはんの下ごしらえをゆっくりやって、早い夕方、窓から山を仰ぎながらビール。
つまみは、わさび漬け2種&みそ、冷や奴(オリーブオイル、山椒塩)、オクラの豆腐和え(オリーブオイル、しょうゆ)。
わさび漬けがチーズのようにおいしい。「山の家の3色珍味」と日記に書くようスイセイが言う。「(いまのところ)をつけ加えといての」。
今日もまた、6時に子ども放送があった。
声が山に反響し、「帰りましょう ましょう 」と聞こえるのが、スイセイはちょっと泣けるのだそう。
月見ヶ丘(畑の上)で作業をしながら聞いていると、その山びこ加減はさらにすごく、三重にも四重にもなるんだそう。
夕方の水色の空があんまりきれいなので、月見ヶ丘でしばし眺める。
私はここに小屋を立てたい。
水場も何もいらないし、1畳くらいの広さでいいから、屋根とアミ戸だけつけたような掘建て小屋。そこに寝転んで本を読んだり、星を眺めながら寝たりしたい。
「ここは畑用地じゃから小屋は建てられん。テントをはって泊まればええんよ」
そうか! しかもうちの納屋には、すでにテントがあるんだそう(ネットで買ったらしい)。
戻ってきて、夜ごはんの続き。
玉ねぎのオイル焼き(辛みを残したいので表面を軽く焼いただけ)→お皿に取り出し、ピーマンを炒める→軽く炒めて端に寄せ、豚肉を焼く(カレーの残りの豚コマを、きのうのうちにしょうゆ、おろししょうが、ウイスキーに浸けておいた)。
ごはんも麺もないので、主食は柿ピー。
スイセイは今日、雨がいつ降ってくるか分からないので、野良作業は何もしなかったそう。
これまでの焚き火ブロックが壊され、同じ場所にアミアミの金属でできた箱形の近代的な炉ができていた。
「今までのはブロック焚き火炉。新しいのんは、メッシュ焚き火炉(実験中)いう名前」 9時半に就寝。

●2015年8月12日(水)晴れ

スイセイは薄暗いうちから起きていた。
トイレに行った音の次に、草刈り機の音が聞こえてきた。
6時15分に私も起きる。
歯磨きをしながら見にゆくと、畑のススキがもうずいぶん刈られていて、スイセイは下の道で組合長さんと話していた。
私は戻ってきて、コーヒーをいれ、こうして日記を書いている。
スイセイは焚き火。
枝を燃やしながら草刈りをしている音がする。
あ、今、玄関のところに戻ってきたみたい。
朝ごはん/にんじんときゅうりの塩もみサラダ、魚肉ソーセージ炒め、スクランブルエッグ、トースト、ミルクコーヒー(私)、麦茶(スイ)。
私はゆうべ送られてきた絵に言葉をつけ直している。
この家にいると、地面、草むら、花、虫が身近なので、描かれている世界がすーっと入ってくるみたい。
ツナギに着替え、台所裏の草刈り。
きのうのうちにスイセイがあらかた草刈り機でやってくれたので、けっこう楽に取れる。ほとんどが薮枯らし。ドクダミやイネ科の草もあるようだけど、この暑さのせいなのか乾ききって、根もとが枯れかけている。
何も考えず、ただ草を引く。
玉の汗が流れ、目に入る。とても気持ちがいい。
温泉のおばあちゃんが言っていた通り、蚊が本当にいない。
昼ごはん/冷やしラーメン(スイ)、温かいラーメン(私)、きゅうり、わさび漬け。
お昼を食べてふたりして昼寝。
私はお腹がピーピー。ひさしぶりの山だったから、体がびっくりしているのかも。
午後は、ラジオを聞きながら、寝たり起きたりしてぼんやり過ごす。
今が何時なのか、まったく分からない。
高速道路が見えない角度に座り、山を眺める。
風が吹くと、遠くの木も近くの木もいっせいに葉っぱが揺れる。
裏返ったり、波打ったりしながら、全部が海のようにつながって揺れているのを、チャイコフスキーを聞きながら長いこと見ていた。
スイセイが焚き火をしている匂いが、キャンプみたい。
なので床に新聞紙を敷いて、じゃがいもやらにんじんの皮をむき、カレーの支度をゆっくりやった。山を眺めながら。
日暮れどき、今日もまた「遠き山に日が落ちて」の音楽がワンフレーズだけかかり、子どもの声の放送が流れた。
「児童 生徒のみなさん 6時になりました。今日も 楽しく 過ごせましたか?  交通事故に気をつけて 安全に 帰りましょう」 夜ごはんは、カレー(豚こま切れ肉、玉ねぎ、にんじん、じゃがいも)土鍋ごはん、トマト、冷や奴(オリーブオイル、山椒塩)、ビール(スイ)。
私は今夜、ビールをやめておこう。
夜、また新しい絵が送られてきた(描きかけらしい)。
ひえ〜〜〜っという感じの絵。

●2015年8月11日(火)晴れ

朝10時に出発。
今日から1週間ほど山の家で夏休みです。 私は去年、ドラマのロケの合間に2泊くらいしたのが確か8月だったから、ほとんど1年ぶり。
スイセイは去年、秋に柿渋を作る会をやったり、そのあとも何度かひとりで泊まったり、今年になってからは3月に何泊かした。だから4ヶ月ぶりだ。
高速に乗る前のいつものコンビニで、私はたらこおにぎりとジャンボフランク。スイセイはコーヒーとジャムパンを買った。
8時くらいに朝ごはんを食べたんだけど、サラダだけだったので。
11時に高速に乗った。
陽が当たると暑いけど、走ってさえいれば風がくる。
真夏のジープなので覚悟はしていたが、きのう辺りから急に気温が落ち着き、案外と涼しくとても助かる。
高速はやっぱり車が多く、八王子まで30分の渋滞だそう。
それでも、止まることなくちゃんと進む。
道路の上にかぶさるように、夏空が広がっている。
180度空。
でっかいなあ。
どこまでも青い空と、くっきりはっきりした純白の雲。
飛行機の窓から見える雲みたいに、じっとして動かない。
眩しいのでサングラスをかけて見ている。いつまでも見飽きない。
空ってこんなに近かったっけ。
空ばかり見て、緑を見る暇がないなと思っていたら、高尾山の辺りでようやく目に入ってくるようになった。と思ったら、みるみる増えて緑だらけになった。
今は空と緑が1対2くらいの割合。道もすいてきた。
談合坂インターでトイレ休憩。
私もスイセイもここで買い食いするのがしゃくにさわる(何でも高いから)ので、缶コーヒーと抹茶アイス(スイ/ソフトクリームが食べたかったらしいけど、500円くらいするので)を買った。
談合坂を出るとき、「オラのポルシェ、発進!」と、サンダーバードみたいにスイセイが言ったのがおもしろかった。
ラジオでは西田佐知子特集をやっている。すごくいい歌、ものすごくいい声!
2時に山の家に到着。
予想はしていたけれど、どこもかしこも丈の長い草がみっしりとはびこっていた。
庭の木も伸び放題で、花壇の石の境目も、リーダーがきれいにしてくれた畑との境の坂道も、草に覆われて見えない。
台所の裏庭は、塀が低く見えるほどの草ぼうぼう。
やっぱり自然の威力はすさまじい。
私は少し、がっくりくる。
そして、家の中に入ると、乾物入れ(インスタントラーメンやスープ、小麦粉などが入っている箱)がひっくり返され、麦茶が床の上にばらまかれていた。
これは猫じゃあない、野生動物だ。イタチとかオコジョとか?
床にはところどころ足あとがあり、カビも出ている。
けれども、がっくりばかりもしていられない。私は残骸を片づけ、食べ物関係は何もかも捨て(あとでスイセイが燃してくれた)、台所の大掃除に取りかかった。
窓からの景色を見てまたがっくり。
いちばん近くの山の前に、高速道路ができかかっている。
心底がっくり。
割合きれいだったのは(雑巾は真っ黒になるけど)、トイレまでの廊下のみ。
赤澤さんから仕事の電話がかかってきた。
私「今、山の家にいるんですけど、動物が入ったみたいなあとがあって、大掃除中なんです」
赤「えーー? 動物?! アハハハハハ。高山さんもスイセイさんも、やる気の羽が生えてる感じじゃないですか?」
まさにその通り。
掃除が終わり、台所道具もすべて洗って、いつもの山の家に戻ったのは5時を過ぎていた。
スイセイにパソコンのラインを繋いでもらって、お風呂へ。
あれ? お風呂のこと、何て呼んでいたっけ。温泉だったっけ。
夜ごはんは、冷や奴(しょうゆ&塩、オリーブオイル)、ポテトサラダ(スーパーの)、きゅうり&谷中しょうが&みそ、鶏手羽元の塩焼き(出てきた油でなすを焼いて、しょうがじょうゆ)、わさび漬け、まぐろの酒盗、ビール、ウイスキー。
何を食べてもおいしいし、楽しい楽しいとふたりで盛り上がったが、本当をいうと私は今日、山の家のことをはじめてちょっと嫌いになった。
取っても取っても草はしつこく生えてくるし、相変わらず台所で寝泊まりのキャンプ暮らしみたいな私たち。いったいいつになったらスイセイが家を壊したり、建て替えたりする気になるんだろう。
話の途中で、それぞれパソコンチェック。
絵描きさんから新しい絵が送られてきていた。
すごくいい! なんだか、ますますすごいことになってきている。
この人にはきっと、私の見えない先の景色が見えている。
自分がとても小さく感じる。それがとてもありがたい。

そういえば温泉で会った知らないおばあさんが、湯上がりに急に私に話しかけてきた。
「今年は蚊やハエが少ないねえ」
ここらはわりと涼しい地域なのに、今年の暑さはすさまじい。こんなに暑いのは初めてだそう。蚊やハエがいないのも、この暑さと関係があるんじゃないかと。
「ムカデなんてこーんな小さいのでも、かむだからさ。暑いのはいやだけど、蚊もハエもムカデもいないのが、うーんといいさや。助かるさや」
スイセイとのお喋り、もうひと盛り上がりして12時に就寝。

●2015年8月9日(日)晴れだったのかな?

ゆうべは「キチム」の5周年パーティーで、見るものすべてがおもしろく、きれいで、ひさしぶりに大酔っぱらいをしてしまった。
そんなには飲んでないと思うのだけど、おかしいなあ。
リーダーと別れてから、欅の並木道の生け垣で仰向けになった。
でっかい楓の木の葉が夜空に大きく広がっているのが、うごめいている粒子の集まりに見えて、あんまりきれいだから私を置いて帰ってくれと三ちゃんに頼んだのだけど。
三ちゃんは帰らずに、ずっとそばにいてくれた。
私は少し吐いた。
リーダーもまた戻ってきて、私が歩けるようになるまで待っていてくれた。
リーダーは私の自転車に乗って、先に行き、カバンも玄関のノブにかけておいてくれた。
なので私は、そこからは自力で歩き、帰ることができた。
できた妹たちよ。ほんとうにありがたい。
三ちゃんに「帰ってくれ」と言ったとき、なんだかこれって死ぬのに似ているかもしれないと思っていた。
死ぬ方は、あっち側に近づいていて、ちっとも苦しくなくて、私はここからはひとりで行くから、放っておいてほしいのだけど、看取っている人は、この世でもっと生きていてと願っている。
ただの酔っぱらいなのだけど、そんなことを思った。
ふたりのおかげで私は、けがもなく、無事に帰ることができた。
そして、『昨夜のカレー、明日のパン』のギフみたいに玄関で寝てしまった。
トイレに起きたときスイセイが見たら、私は床に仰向けになって、ぐっすり眠っていたそうだ。
声を掛けたけど起きなかったそう。
スイセイがそれ以上は何もせず、放っておいてくれたのも、とてもありがたかった。
だって、ものすごく気持ちがよかったから。
今日は、絵描きさんから畳の半分くらいの大きさの絵が3枚送られてきた。
画像ではすでにパソコンに送ってもらっていたけれど、実物の絵の迫力は、やっぱりはかりしれない。
絵描きさんは、ほとばしるように出てくるものをそのまま描いてらっしゃる感じがする。
それを壁に立てかけ、寝そべって長いこと眺めているうちに、絵と絵のつながりや言葉が出てきた。
今まであった言葉が、実物の絵のおかげでさらに音楽のようになった。
絵が言いたがっている言葉のようなものを、読心術のように読み取っている感じ。
絵に音楽をつけているのか。
それがたまらなくおもしろい。
あさってからひさしぶりにひさしぶりに山の家へ行くので、そろそろ荷物を支度をしなければ。
今回は、抱えている本すべての資料を持っていって、草取りの合間に山の家でも仕事をするつもりです。
夜ごはんは、キャベツときゅうりの塩もみ、スイセイは自分で買ってきたスーパーのタコ焼きとお好み焼き。私はそれらを少しもらいながら、卵のお粥。

●2015年8月7日(金)快晴

今日もまた、暑いなあ。
おとついの撮影は、とても楽しかった。
真夏の陽気にぴったりな料理を、笑いながら、ぐんぐん作っていった。
みんな日に焼けて、「こんなに暑いのに、ぜんぜん食欲が落ちないんだよね」と、みどりちゃんも赤澤さんもおっしゃっていた。
きのうにひき続き、コラムの仕上げと「気ぬけごはん」のチェックをやる。
コラムの方は12時前には書き上がり、無事お送りした。締め切りにぎりぎり間に合った。
ベランダのサンダルが、熱さを通り越してぐんにゃりとなっていた。これは、ここ何十年の間でもはじめてのこと。
お昼を食べて、いよいよアルバム作り。
そろそろお伝えしてもよさそうなので、思い切って発表いたします。
じつは、『日々ごはん』の本を、再開することになりました。
出戻り娘のようで本当に恥ずかしいのだけど、今年のはじめから心を決め、アノニマの編集さんたちと少しずつ準備をしてきました。
このところ私が(まだお伝えできません)と書いていたのは、この仕事のことです。
『帰ってきた 日々ごはん』として、この秋に発売されます。
今日はそこに挟まる、写真ページの切り貼り作業。アルバムと呼んでいます。
畳の部屋に写真のコピーを広げ、夢中でやっていた。気づけば自分のお尻のあるスペース以外、切り抜いたコピーの残骸や紙くずに埋もれて、背中もすっかり丸まっていた。
すごくおもしろい作業。ひさしぶりのおこんじきさんだ。 
4時半にはなんとなく形になった。明日、もういちど見直して、仕上げをしよう。
さんざん暑い日差しを窓から浴びながら過ごした昼間。
どうにか今日一日の仕事を終えることができ、夕方の風に吹かれながらあちこち雑巾がけをするのが、最近の日課です。

遠い山に日は落ちて
星は空を ちりばめぬ
今日のわざを なし終えて
心かろく やすらえば
風はすずし この夕べ
いざや 楽しき まどいせん

夜ごはんは、ごはんだけ炊いて、それぞれが食べたいものを作って食べることにした。
エスニックそぼろごはん(私。コーン、スライスオニオン、香菜、ミント、スイートチリソース)、しょうゆだけの卵焼き(スイ作)、ひじきそぼろ、白いごはん(以上スイ)。

●2015年8月5日(水)快晴

ゆうべは9時には寝てしまった。
きのう仕入れであちこち自転車で走り回ったから、くたびれていたんだと思う。
でも、からだの心地いい疲れ。純粋な。
このごろ私は元気なのかも。
暑さにもめげず、元気、元気。
楽しみなことがたくさんあるからか。
今日は料理本の8月分の撮影だ。
ふわふわしないよう、お腹に重心を置いてがんばろう。
撮影が終わったら、赤澤さんとレシピのご相談をする予定。
夜ごはんは、撮影の残りものいろいろ。

●2015年8月2日(日)快晴

ゆうべも月を見ながら寝た。
なんだかおとついのよりきれいだったな。
完璧な満月よりも、私はちょっと欠けているくらいの方が好きなのかも。
朝方、ずいぶん明るくなりかかったころにカーテンをめくると、色は薄いけどまだ黄色く光っていた。わりと高い場所で。
明るい空の月。
なんだか砂漠に出る月のようだ。
ベランダに立ち、しばし眺める。
時計を見たら4時半だった。
朝ごはんを食べながら、新聞記事をスイセイに見せる。
『今日もいち日、ぶじ日記』の文庫が、読書欄に小さく載ったのがとてもうれしかったので。
そういえば、今朝も明け方おもしろい夢をみた。
「できないときには、できない心でやればいい」というような意味のことを、自分で分かる夢だった。
私は本作りに関わる何かの作業をしようとしていて、でもちょっと体の具合が悪く、気分ものらない。うまくやれなさそうだからやめようかなと思うのだけど…… そのままの心でやれば、そういう状態にそっくりな物ができ上がるし、それもまたおもしろい、という。
へんなの。
布団を干すとき、庭を歩くハルの背中が見えた。
「ハル〜」と呼んでも、耳が遠くなったのか面倒なのか、このごろはもう上を向いてくれない。
ハルはもうおじいちゃんだから、よたよたとよろけながらすごくゆっくり歩いているんだけど、虫が飛んできたら急に動きが早くなって、顔が斜め上を向き、パクッとやった。
さて、今日からコラムをひとつ書きはじめよう。
クーラーは寝るときだけにしたいので、首にタオル(保冷剤を包んである)を巻いてがんばる。
スイセイも真似をして、首にタオルの夫婦。
4時ごろ、半分ほど書けた。
夕方になるといくらか涼しい風が吹き抜ける。
パリッパリに乾いた洗濯ものをたたみながら、ひさしぶりに『まる子』と『サザエさん』。
夜ごはんは、割干し大根の薄味煮、きゅうり&みそ、ピーマンとニラの塩炒め、お茶漬け(塩鮭、たくわん、紅しょうが)。
あとかたづけをしていて、棚の上に立てかけてある「天然生活」の編集さんにいただいた「ふのり」が目についた。
ひじきが紫色になったような海藻。透明感もあるわりと鮮やかな色。
満月の夜に夢に出てきた体をからめとられる海藻は、これだったのかも。最近ひじきも料理に使ったから、合わさったんだな。

●2015年8月1日(土)快晴

ゆうべは完璧な満月だった。
ブルームーンというのもはじめて知った(ひと月のうちにある2度目の満月のこと。青い色の月というのではなく、めずらしい月というような意味らしい)。
カーテンの隙間を少し開けたまま寝て、ふと目が覚めたら満月が覗いていた。
それからは月が移動するのに合わせ、体をずらしながら寝た。月光を浴びないと、もったいないような気がして。月は、黄色くなったり青くなったり白くなったりしていた。
何度も目を開け、(まだある、まだある)と思いながら寝ていたので、朝方おかしな夢をみた。
なんか、海藻のようなもの(紫、黒、茶色のひじきみたいなのが絡まって、大きい姿になっているた)に絡まれるような、体を押し上げられるような。
いやな感じではないんだけど、畏れ多いような怖さがあった。
人の手の届かない、逆らえない力に絡みとられるような。
そういえば、つるつるした丸い大きな石に挟まれそうになる夢もみて、(石かあ…)と思いながら目が覚めた。
月光のせいでそんな夢をみたんだろうか。
さて、今日もまた、料理本のレシピ直しと、5日の撮影の準備をしなくては。
今日も暑くなりそうだ。
1時ごろ、布団を取り込むとき、空き地の上の空気が薄ねずみ色にけぶっていた。煙が立ちそうな空気。
たぶん今日が、今年いちばんの暑さだろう。
ベランダのサンダルは、熱くて素足でははけない。
夜ごはんは、ひじき入りそぼろどんぶり、なすのフライパン焼き(しょうがじょうゆ)、冷やしトマト。

●2015年7月31日(金)晴れ

5時に起きてしまった。
窓を開けると、新しい朝の匂いがした。子どものころのラジオ体操の匂い。
まだ、少しの人にしか触れられてない、新鮮な空気。
大雨で濡れた地面と緑のせいなのか、山の家の朝の匂いにも似ていた。
ゆうべはひさしぶりに『マイライフ・アズ・アドッグ』を見て、ひと泣きし、10時前には寝てしまった。
窓の外では蝉が鳴いている。
まだ、少ない人数(蝉数)だけど。
今日もまた、暑くなりそうだな。
さて、料理本のレシピ直し(これまで撮影した分)をしよう。
午前中、絵描きさんから、今朝描いたという絵の画像が送られてきた。
ゆうべ何かを感じ、朝描いたのだそう。
わーお。
まだ、ブックがお手元に届いていないというのに、まるで中の言葉を見られているかのような絵。
パソコンの前を通るたびに絵を見ながら、ニヤニヤしては、料理レシピをがんばった。
夜ごはんは、タコライス、冷や奴(スイ)。

●2015年7月30日(木)曇りのち雷雨のち晴れ

1時から「天然生活」の打ち合わせ。
編集さんがいらして、すぐに雨が降り出し、あっという間に土砂降りとなった。
打ち合わせが終わるころ、雷が鳴りはじめた。
雷が鳴るたび、編集さんよりも私の方がビクッとしていたくらい。
世間話などしながら少しだけ雨宿りしていただいて、勢いが弱まったころに帰っていった。
きのう受け取ったゲラ(本の形に張り合わせてくださった)を、本を読んでいるつもりになって読み込んだりしているうち、晴れ間が出てきた。
雨上がりの道を、汗をかきながら西荻へと自転車をこぐ。
ここは、昔歯医者に通っていたころよく走っていた道。「のらぼう」の帰りに、酔っぱらいながらひとりでふらふら歩いた道だ。
ギャラリーに行って、またあの絵を見て、2階に上がって、ライブペイント(当日私は見に行けなかったので)の絵を見て、もういちどあの絵を見て、豚ロースの厚切りを肉屋で買って帰ってきた。
ちょっと公園にも寄った。
ここで大きな虹を見たのは、15年くらい前だったかな。そのときのことを『帰ってから〜』に書いたことなんかも思い出した。
なんだかこのところ、若いころや子どもころのことをよく思い出す。これは絵描きさんに会ってからの現象。
夜ごはんは、トンテキどん、切り干し大根の薄味煮、ひじき煮(いつぞやの、煮上がりに黒すりごまをたっぷり和えたもの)冷やしトマト、きゅうり&みそ、なすのみそ汁。

●2015年7月29日(水)曇り

緑がむんむん。
今朝の森(公園の木々)は鳥たちの天国だ。
おいしい水みたいないい声がこだまして、密林のようになっている。
どんな鳥が鳴いているのか確かめたくて、何度もベランダに出てみるが、姿は見えず。
空き地ではムクドリたちが散らばって、虫か何かをついばんでいる。
バーッといっせいに飛び立つとき、ガヤガヤと大衆みたいな声がした。
今、葉っぱの陰のところに、雀より小さな細長っちい鳥が見える(頭も小さい)んだけど、まさかあいつが鳴いているのか?
しばらく日記が書けませんでした。
数えてみたら11日間も。
きのう、そのことを思い出してスイセイに伝えたら、「まあ、日記なんじゃけえ、日記はそういうもんじゃけえ」と言われた。
開いてくださった方、ごめんなさい。
この11日の間に、いろいろなことがあった。
まず、18日は黒磯に出掛けた。泊まりがけで。
みどりちゃんと昌ちゃんと近所の飲み屋に行ったり、早起きして「道の駅」で野菜を買ったり、ロシアの若奥さんの出店のピロシキを買い食いしたり。
みどりちゃんとトークもした(これが目的)。
トーク後の打ち上げは、昌ちゃんが炭をおこして石油缶で肉の塊を焼いてくれた。
あとは、トマトを切って塩とオリーブオイルをかけただけとか、赤い皮のじゃが芋のサラダ(中は黄色いじゃがいも。皮ごとゆでて、そのまま自然にくずれるみたいにドレッシングに和えてあった)、とうもろこしときゅうりの冷やし中華とか、桃とイエローキウイの盛り合わせとか。やりたい人がさりげなく台所に立って、作って、大きな器に盛りつけ、出てきた。
「タミゼクロイソ」は、本当にいいところだった。
住居スペースの、ひろびろとした台所だかリビングだか、境目のない広いところでみんなと一緒に料理したのも、道路に出したテーブルで、昌ちゃんの肉が焼けるのを待ちながら食べたり飲んだりも、お店の展示物をひとつひとつくまなく見るのも、広いトイレに入るのも、何をやっても楽しかった。暗くなったので部屋に入って、ギターで歌ったりもした。
そういうのを、風通しのいいタミゼのでっかい家が抱いてくれていて、なんだかみんなでキャンプに来ているみたいだったな。
私は、知らない人たちと飲んだり食べたりするのがけっこう苦手なのに、その場所にいられることが、本当に幸せだった。
11日の間には、絵本の絵を描いてくださる人も決まった。
西荻のギャラリーに展覧会を見にいって、ある1枚の絵を見て、その絵描きさんに会って、しばらくふたりで話しているうち、すっかり心が決まった(木皿さんのサイン会のとき、大阪のギャラリーに見に行ったのと同じ方です)。
それで、急きょ編集者にも来ていただき「のらぼう」で3人で飲んだ。
その晩夢をみて、1枚の絵がちらっと見えた。
何といったらいいんだろう。ビジョンのようなもの?
これから作ろうとしている本に流れる空気に、一瞬だけ触れることができたような。
たぶん私はその人の絵に、その人の醸し出す何かに反応をして、ひと皮もふた皮もむけたんだろう。
次の朝、寝たり起きたりしているうちに、断片がつながってくる感じがあったので、布団の上でスケッチブックをちぎってバラバラにし、のぼってきた言葉を1枚1枚に書いた。
その紙を場面ごとに分けたり集めたりしていたら、おのずと、本当におのずと、砂粒が集まって山ができるみたいにつながった。
練り上げたつもりのコンテが、あっさりと壊れた。
今はまだ枚数も多いので、これから省いたり、何かと何かがひとつになったり、順番が入れ替わったりもするだろう。
でもそれは、私が小手先でやるべきもんじゃない。
絵ができてきたら、その絵に引っ張られるようにして、できるだけ離れたところからよーく見て、なりたがっている形をじっと見守っていればいいような気がする。
これまで、物語にしなければ、絵本にしなければともがいてきたけれど、私は体裁をとりつくろうとしていただけだったんだ、というのが分かった。
言葉はすでにスケッチブックの中(いちばんはじめの走り書き)にあったし、イメージの断片もちゃんとあった。
スイセイには、どうしてみいは自分ひとりのなかから作りたいものが出てこないのかと不思議がられる。
私はいつも、皮をむいてくれる誰かが必要。『料理=高山なおみ』の立花くんみたいな人が。
スイセイにも何度もむいてもらった。
『帰ってから、お腹がすいてもいいようにと思ったのだ。』『押し入れの虫干し』は、連載中に毎回読んでもらい、ときにはけなされ、ときには「ええで、みい」と判子を押されながらどうにかやってきた。
自分で自分をむかれないのは、もしかすると双子と関係があるのかもしれないな。
それは(ちゃんと見ててね)とみっちゃんに言いながら、切り立った岩場から川に飛び込むようなこと、だろうか。
「なみちゃん、すごいねえ」と、自分のことをよーく分かっている人から本気でほめられないと、出てこないんだろうか。
そうそう、26日には「暮しの手帖」の撮影もした。
終わってから、器のスタイリングとアシスタントをしてくれたマキちゃんちにスイセイと行って、ベランダででっかい空(小さい飛行機が空の端から端までぐんぐん進んでゆくのも見た)を仰ぎながら缶ビールを飲んだり、近所のもんじゃ焼き屋に行ったり。

今日は1時から打ち合わせ。
9月に代官山のヒルサイドテラスというところで、『犬が星見た』の読書会をやる予定なので。
そのあとは、アノニマ・スタジオの編集者ふたり、川原さん、スイセイを交えて打ち合わせがある。
ああ、長々と書いてしまった。
読んでくださった人、ありがとうございます。
夜ごはんは、川原さんと近所のうどん屋で。
とうもろこしのかき揚げ、いぶりガッコのクリームチーズ和え、枝豆の煮浸し、しらすおろし、ぶっかけ冷やしうどん(スイ)、ごまダレうどん(川)、かけうどん(私)、ビール(スイ)、レモンサワー&日本酒(川・私)。

●2015年7月17日(金)雨が降ったりやんだり、のち晴れ

きのうは新聞のインタビューだった。
台風のなか、記者の女の子が新幹線に乗って静岡からいらしてくださったので、私はなんだかものすごくたくさん喋ってしまった。
ちょっと喋りすぎた。
スイセイがまだ帰ってこないので、日記がアップできずに、開いてくださった方、ごめんなさい。
さっき電話があって、今新幹線に乗ったところだそう。
わーい。これでようやく、本物の日常が戻ってくる。
ここ何日か私は、何を作っても食べても、あまりおいしいと感じなかった。
ちゃちゃっと簡単にすませられるのは気楽でいいんだけど。
誰かのために作らないごはんは、味も匂いも歯ごたえも薄い。
寝ていても、眠ってるんだか覚めてるんだか分からないような日々。
スイセイは地面のよう。
いなくなったら、私はどうなるんだろう。
そういえば、唯一おいしいと感じたのは朝ごはんだった。
いつもと変わらない塩もみ野菜のサラダにドレッシングをかけたのと、チーズかオムレツかハム、トーストと紅茶。
いつもと同じお皿に、同じナイフとフォーク、ティーカップ。
何も考えなくても、何も感じなくても作れるごはん。
ひとりで食べてもおいしい、地面みたいなごはん。
人によっては、ご飯、納豆、ぬか漬け、みそ汁かも。
空が少しだけ明るくなってきた。
さーて、そろそろ仕事に戻らんにゃ。
今日もまた新しい本のゲラを読み込むのと、「気ぬけごはん」の原稿書き。
夜ごはんは、トマトソースのスパゲティ(白菜と豚肉入り)。スイセイは新幹線の中で食べなかったコンビニのノリ弁。

●2015年7月14日(火)快晴

今日もまた、暑いなあ。
ゲラ(新しい本の)を読み込むも、気が遠くなりそうになる。
そのたびにごろんと横になり、寝そべりながらまたゲラの中に入った。
たまらなくなると水風呂に浸かり、冷たいお茶をぐびっと飲んで、また向かう。
『真夜中ミュージック』を繰り返しかけながら。
『cocoon』を見た日曜日の夜は、プール帰りの日焼けした体みたいになって、海にさらわれるように眠ったのだけど、案の定夢の中まで劇が侵入してきた。
きのうはちゃんと起きたけど、余韻が抜けず、一日中ゆらゆらしていた。
『真夜中ミュージック』は、そんな私をだらだらと日常へ連れ戻してくれる。
上手でないギターと、上手でない歌声。
誰でも知っている洋楽の、めちゃくちゃな替え歌を、4畳半で真夜中に録音したみたいな音楽(3年前にシバッちにもらったカセットテープを、斎藤くんがCDに焼いてくれた)なんだけど、よく聞いていると、けっこう詩がいい。
ゆるゆるなのに冴えている。
のっぺりと明るく、くだらなくて笑っちゃうほど情けない、下世話な日常。その中に、砂粒ひとつくらいの神聖が混じっている。
そういえば、きのうは夕焼けがとてもきれいだった。オレンジと水色の淡いだんだらで、なんか、やさしい感じのする夕焼けだった。
今日もまた、おそらくそれなりの夕焼けがあるだろう。
陽が傾きかけたころ、あちこち雑巾がけをした。 
だらだらと汗をかきながら拭いていると、その雑巾は、窓から吹き込む風が運んだ一日分の砂埃で、フチなんか真っ黒になって。
でも汚れているのは表面だけだから、冷たい水でごしごし洗えばほどほどにきれいになり、風通しのいいところに干して、明日もまた使える。
日常は、体という気がする。
『cocoon』を見ているとき、私の体は椅子の上でじっとしていた。
脳内では、激しく動き回る目の前の役者さんと一緒になって、激しい運動をしていたのに。
だからきっと、見たあとで、陽に当たりながらたくさん歩いたり、緑の草の上でビールを飲みたくなったりしたんだと思う。
スイセイはまだ帰ってこないから、私はもうしばらく独身気分。
冷蔵庫にあるもので適当なごはんを朝、昼、晩と支度して、『わしも』を見ながらひとりぼそぼそ夕飯を食べる幸せ。
夜ごはんは、とうもろこしの塩ゆで、焼きなすのあっさり白和え(みょうが、おろししょうが、ごま油、塩)、とろろ芋、麦茶、ヨーグルト。

●2015年7月12日(日)快晴

お昼過ぎに待ち合わせ、川原さんと『cocoon』を見にいった。
駅のななめ前が劇場だから、短い道のりだったけど、池袋の街はアスファルトからも熱が上って、とても暑かった。
そしたら劇の中でも蝉が鳴いていて、同じくらい暑かった(と感じた)。
座っている私たちの目と同じか、少し低いくらいの四角い舞台に砂が敷いてあるだけなのに、長い廊下が続く古ぼけた校舎になったり、真っ暗な洞窟になったり、血だらけの壕になったり、灼熱の砂浜になったり。
いろんな景色がよく見えて、汗みたいに涙が噴き出すので、手に持っていたてぬぐいがしんなりした。
舞台の上の女の子たちが走り回ると、私は体を少しのり出し、飛んでくる砂粒を浴びた。
女の子たちは繭(cocoon)の中で生きのびた、ひめゆり学徒隊の化身のようでもあるけれど、電車の中でスマホを操っているような、どこにでもいる女の子のようにも見え、女子高生の体に戻った川原さんと私も、あの中にいて笑い合ったり、歌い合ったり、手をつなぎ合ったりしている気がした。
何度も繰り返す動きや声のせいで、フラッシュバックと間違えるのか、自分の記憶になってしまう。
お芝居ってこういうものだったっけ。
きっと、そういうふうに脳みそや体がなるよう、綿密に作り込まれているんだろう。
いっこちゃんの音楽は、空から聞こえてきた。女の子たちを包む姉ちゃんとか、お母さんとか、蚕が吐き出す糸のようでもあった。
ああいう世界を見せてくれる人たちというのは、生の体と心をさらし、私たちを代表して端っこまで行ってくれる。
この人たちは夕方からの回でまた、いちばんはじめから作り直し、あっちへ行かなければならない。
劇が退けたとき私は、ひとりひとりに頭を下げ、本当にご苦労さまですと感謝してまわりたかった。
焼け出されたようになって、川原さんと一緒に外に出て、「なんだか、どこにいるんだか分かんないような感じだね」と言い合いながらふわふわと電車に乗って、井の頭公園のはずれの野原まで汗をかきながら歩いた。
なんだかむしょうに、緑の草の上に座ってビールが飲みたくなったので。
野原で蚊に刺されながら、お芝居のことや、ほかのこともたくさん話し、夕方になったのでまたたくさん歩いて、餃子やきゅうりを買って川原さんちへ行った。
順番にシャワーを浴び、川原さんは私に新品のパンツをくれた。
そのパンツは肌色で、絹でできていた。
夜ごはんは、焼き餃子(川原さんがパリッパリに焼いた)、きゅうり&味噌、ゆでオクラ(ナンプラー+水)、ミニトマト2種、ひしお、ビール、梅酒の炭酸割り。

●2015年7月10日(金)曇りのち晴れ

ひさしぶりに鳥の声で起きた。
鳴いているのは1羽だけみたいな、かすかな声だったけど。
その声を聞いて、ああようやく雨が上がったんだなと分かった。
朝から大洗濯大会。
念願のシーツも洗って干した。雑巾がけもした。
今日はおとついにひき続き、11時から料理本の撮影だ。
おとついは、ひさしぶりにみんなに会えたのがうれしく、話し声がぜんぶ耳に入ってきてしまい、気がビュンビュンしてしまった。
私は緊張するといろんな情報を拾おうとして、自分が揺らぐ。
流れていって、まわりと一体化しそうになっちゃうような、そういう体質なんだと思う。
みんな大好きな人たちだから。
撮影が終わってから、シバッちが作ったスピーカーを斎藤くんがつないでくれたのだけど、音が大きくくっきり聞こえすぎ、びっくりした。
とくにベースがすごい。体に響いて心臓がドキドキした。怖いくらいだった。
ためしに今朝、またつけてみたら、普通にすごーくいい音。
きっと心の芯が、下っ腹に落ちたんだ。
今日はエプロンの腰紐をしっかりしめ、肝っ玉おばちゃんのようにどっしりと料理に向かおう。
毎回毎回、撮影のたんびにゆらゆらしてしまうけど、これが自分なんだから仕方ないべ。
窓をいっぱいに開けていると、風がよく通る。
晴れた日って、こんなに気持ちがよかったんだな。
さーて、そろそろみんながいらっしゃる。

●2015年7月4日(土)曇りのち雨

午前中はどうにかもちそうな空だったので、洗濯ものを外に干していた。
午後にはやっぱり降り出し、しっかりとした雨になった。
まあ、梅雨なのだから仕方がないけれど、布団も干せないし、シーツも洗えないのがつらいところだ。
きのうは雨が朝から降っていて、なんとなしに気分が重く、布団の中で読書の日にした。
低気圧のせいか血のめぐりが悪く、胃袋も重苦しいので、ずっと腹巻きをしていた。
本は、木皿さんの『6粒と半分のお米』。もう全部読んでしまったのだけど、もういちどはじめからかみしめながら読んだ。
この本を読んでいると、自分の立っている地面ごと、そこにつながる根っこごと、励まされているような気持ちになる。
一本気で融通のきかないうっとうしい私の手をむんずとつかみ、引っ張り上げられるような。
3時ごろ、めずらしくスイセイもやってきて、小一時間一緒に昼寝した。
スイセイはこの気候で、ぐーっとしめつけられるような気分になったのだそう。
子供のころ私は、猫と一緒によく寝くさっていたのだけど、隣でスイセイが寝ていると、ちょっと似たような感じになった。
降り続く雨の音を聞きながら、いつまででも寝ていられる。
スイセイはこういう日、(うちには屋根があって、ほんとにえかったのう)と思うのだそう。
「じゃって、鳥や動物は、びしょびしょに濡れたまま過ごさんとならんのんで」
さて、今日もまた、新しい本のためのパソコン仕事。
3時半までやって、雨の中スーパーへ。
夜ごはんは、親子丼、焼きなすの豆腐和え(おろししょうが、青じそ、みょうが)、広島菜、大根のみそ汁。

●2015年6月30日(火)曇り

うすぼんやりした空。
でも暗いわけではなく、ときどき晴れ間もちらりと出てくる。
朝から向かいの空き地で草刈りをしている音がする。
ブーーーン、ブイーーーン。
休むことなく鳴っているが、ちっともいやな感じではない。かえって落ち着くくらい。
これは、電車やバスに揺られ続けているうちに、うとうとしてくるのと同じ現象なのかも。
『Zの本』を読み込んでいるうちに、校正などはじめてしまった。これはまだ借のデザインで、ゲラでもなんでもないのに。
スイセイに話しかけられ、首を上げたら、肩がすごく凝っていて驚いた。夢中になってやっていたのだ。
空き地の草刈り、朝は水色のシャツを着た痩せたお兄さんがひとりでやっていたのだけど、12時ごろ下を見たらふたりになっていて、お弁当を広げていた。
1時半になっても、まだ草刈りは終わらない。痩せた方のお兄さんが、ひとりで黙々とやっている。
窓から青々しい草の匂いが上ってくる。うーん、いい匂い。
さて、お昼を食べたら、新しい本(ごめんなさい、まだお知らせできません)の校正をやろう。
夕方、こないだと同じ、おいしい水みたいな鳥の声がする。
チュルチュルチュルチュル。
私はベランダに立ち、体操をした。雑草の緑の山を、軽トラに積み込んでいるふたりの様子を眺めながら。
夜ごはんは、トマトソースのスパゲティー(スイ)、納豆スパゲティー(私・お皿の隅っこで、トマトソースをちょっと混ぜるのも試してみたら、なかなかおいしかった)、山小屋風サラダ。
山小屋風サラダというのは、キャベツときゅうりを塩もみして、さらし玉ねぎとトマトを加え、マヨネーズで和える。昔山小屋でアルバイトをしていたときに、カレーライスと一緒に出していたもの。ものすごくひさしぶりに作った。

●2015年6月26日(金)曇りのち小雨

朝からじめじめむしむしするので、『Zの本』のことでついスイセイにつっかかってしまった。
こういう日は掃除をするにかぎる。
あちこち念入りに雑巾がけをしていたら、ラジオから天気予報が流れてきた。
今日は湿度が70パーセント(80パーセントだったかな?)あり、いつ雨になってもおかしくない空模様だそう。
1時から「暮しの手帖」の打ち合わせ。
天気予報の通り、小雨が降ってきた。
打ち合わせは1時間ほどで終わり、『Zの本』で使うかもしれない写真をコピーしに、遠くの方のコンビニまで散歩した。小雨のなか、ビニールの透明傘をさして。
路地に、クチナシの真っ白な花が咲いていた。
なんだかやたらに懐かしいような匂いだった。
夜ごはんは、豆乳とチーズのリングイネ(豆腐屋さんで買った固まりかけている豆乳を、ふつふつと温め、溶けるチーズを混ぜてからめた)、キャベツと白菜とソーセージの蒸し煮。
豆乳とチーズのリングイネがとっても不思議な食べ物になった。
できたてはクリーミーだったのに、じわじわと固まってきて、ソースは完全にぼろぼろとした豆腐になった。スイセイとふたりで呆れ、残してしまう。まあ、たまにはこういうこともある。
今、これを書いていたら、「こんどは冷たいスパゲティーに、常温でええから豆乳をからめてほしいのう」とスイセイが言いにきた。
たぶんそのソースにはみそを合わせるとおいしそうだ。こんど、真夏の暑い日にやってみよう。

●2015年6月24日(水)晴れ

今朝は、ゆうべの大雨で大洗濯されたみたいな青空。
きれいに晴れている。
というか、ゆうべは本当に大雨が降ったんだろうか。雷も鳴っていたんだろうか。寝る前の天気予報ではそう言っていたけれど、ぐっすり眠っていたので、定かではない。
このところずっと、『今日もいち日、ぶじ日記』の文庫版を本棚に立てかけ、眺めている。
いきいき、ぶりっとした茎の太い菜の花の、佐々木美穂ちゃんのカバー絵。
日が傾きはじめるころの水色にグレーが混じった空のことを、緑が映えるなあと何度も日記に書いていたのだけど、まさにその色を背景に、菜の花がもりもりと描かれている。
そのことに気づいたのは、きのうかおとつい。
こういうことってあるんだな。
この文庫本は、今週の土曜日に発売だそうです。
夜ごはんは、ししゃも、豆乳(豆腐屋さんで買ってきた豆乳を飲もうとしたら、なぜかトロトロに固まっていて、薬味をのっけ冷や奴のようにして食べた。濃厚でものすごくおいしかった)、厚揚げと豚肉のピリ辛煮、トマト、枝豆の炊き込みごはん、豆腐とねぎのみそ汁。

●2015年6月23日(火)晴れ

今日は1時から絵本の打ち合わせだった。
絵コンテをお見せしながら説明をしたり、これまで描いた絵を見ていただいたり。プレゼンのようなことをした。
ひと通り資料をお渡しし、持ち帰っていただいた。
私はとてもホッとし、自転車であちこち走りまわった。いつもの道でなく、遠出をしたい気分だった。なんだかサイクリングみたいだったな。
東伏見の小さな商店街で、お豆腐屋さんと製麺屋さんをみつけた。もめん豆腐に厚揚げ、豆乳、ぱりぱり麺、ラーメンと生そばを買った。
そのあと、いつものところではない大きい方のスーパーへも行き、たらふく買って帰ってきた。
なんか、このところ冷蔵庫の残りもの料理みたいなものばっかりだったから。
きのうは夏至だった。
1年のうちで昼間がいちばん長い日。
そういえばこのところ、夕方の7時になっても空がまだ明るかった。それはいつも、夜ごはんを食べ終わってニュースを見ている時間なのだけど、天気予報の前にちらっと写る空がまだ明るいのを見ると、私もベランダに立ち、空を眺めた。テレビと同じ空かどうか確かめるために。
夜ごはんは、剣先イカのバター炒め、冷や奴、焼き厚揚げ、薬味盛り合わせ(みょうが、青じそ、ねぎ、おろし新しょうが、柚子こしょう)、きゅうり&みそ、新しょうがの炊き込みごはん(お昼に炊いたのをおにぎりにした)。
食べながらスイセイが、「今日のんは、山の家みたいなごはんじゃのう」とつぶやいた。
ほんとうに。
私はきっと、山の家が恋しいんだ。
スイセイは今、やることがいっぱいあるし、ジープも車検に出さなければならないから、山の家どころではない。

●2015年6月21日(日)降ったりやんだりの雨

このところちょっと肌寒い日が続いている。
夜も涼しく、とても助かる。
おとついは、スイセイの経理の仕事が終わったので、ようやく絵本の相談ができた。
私はもう絵を描くのをあきらめた。
でも、へたな絵を何枚も描いたことで、頭だけでは分からなかった無意識みたいなものが上がってきた。
それは、本の中に流れる肌触りや音程のようなこと。
表そうとしたんじゃないのに、勝手にそういうものが現れてきた。
うまく描こうとせず、出てくるままに描いたのがよかったのかも。
アーチストブックもどきを見せながら、全体の流れを伝えているうちに、物語が立ち上がってくる感じがあった。
スイセイにも励まされた。
光が見えてきたので、絵コンテのようなものも書きはじめた。
きのうは何をしていたんだっけ… そうそう、朝ごはんを食べてすぐ、スイセイと図書館に行ったんだった。絵の勉強のために。ふたりして本棚の間に座り込み、画集をいろいろ見た。
今日も朝から絵コンテの続きをやる。畳の部屋でぐっと集中。
外は降ったりやんだりの雨。
よく見ないと分からないくらいの小雨。とても静か。
夕方、晴れ間が出てきた。
テレビでは『まる子』。ちょっとくすんだ水色の空に、濡れた緑が映えている。
夜ごはんは、かぼちゃのフライパン焼き、みそ味牛丼(牛こま切れ肉、しらたき、しめじ、玉ねぎ、)、大根ときゅうりのせん切りサラダ(黒酢ドレッシング)。

●2015年6月17日(水)薄い晴れ、のち曇り

不思議な天気。
東の空は灰色の重たい雲なのに、残りはぜんぶ晴れている。
今日も暑いなあ。
あちこち雑巾がけをしているうちに、汗びっしょりになった。
髪を短く切ったら涼しくなるのかと思いきや、そんなことはない。結んだり、アップにしていたころの方がずっと涼しかったな。
首すじの短い毛が汗で濡れるなんて、子どものころ以来かも。
夏の子どもだ。
きのう私は、物語のすじを考えながら絵を描いていて、苦しくなった。
あんなに描きたかったひらめきも、色あせて、つまらないもののように思えてきた。
へたくそな絵の方に引っ張られ、物語まで小さく小さくしぼんでしまうような。
うーん、最悪。
頭がぐるぐるするとお腹がすかないので、ごはんを作ってもぜんぜんおいしくできないし。
今日からまた、出直しだ。
絵のことはひとまず忘れ、料理本を作るときみたいにアーチストブックを作ってみようと思う。
今日は3時から、スイセイと『Zの本』のデザイナーさんのところへ行く。
それまでがんばろう。
デザイナーさんに会えるのが、すっごく楽しみ。
何か本の卵の卵のようなものも、できているかもしれない。
今、窓を見上げたら、西の雲がおしよせてきて、すべてが曇り空になった。
夜ごはんは神田の「味坊」にて、「クウネル」の戸田ちゃんと。
羊肉の串焼き、餃子2種、香菜ときゅうりと青唐辛子のサラダ、板春雨の炒めの、落花生とセロリの和えもの、ビール。

●2015年6月14日(日)薄い晴れ

今日は12時まで寝てしまった。
きのうのいろいろを反芻しながら、ゆらゆらと眠っては覚め、また眠った。
そしたら夢をみた。
木でできた茶色い三角形の部屋の、奥のとがった角のところに、おかっぱの女の人がむこうを向いて座っている(カードのようなものにスタンプを押している)。私が立っているところには、壁を切りぬいただけの大きな大きな窓があり、そのずっと下を広々とした川が流れていた。
川は黄緑と水色が混ざったような透き通った色で、ダーダーと平らに流れている。水際には豆粒ほどの子供たちがいて、足を浸けたり水かけっこをして遊んでいる遠いはしゃぎ声が、窓のところまで上ってきていた。
たぶんそこは、きのう行ったギャラリーだ。
もちろん実際の場所とは違うし、飾られていた絵も違うのだけど、目には見えない感触のようなものが、夢の中の風景と一致していた。
焦げ茶色と青、緑、水色、子供たちの赤と白のシマシマや黄緑色の服。
忘れないうちに、こんどその絵を描いてみよう。

きのうは、とても楽しかった。
木皿さんのサイン会では、おふたりを前に私はとても緊張してしまい、うまく声をかけることができなかった。
尊敬している、本当に好きでたまらない人の前に立つと、言葉なんかなくなってしまうんだなと分かった。
「あー」とか「うー」とか叫びながら、体をすり寄せていきたいような気持ち。
サインをしていただいてから、ああ言えばよかった、こう言えばよかったと悔やみもしたけれど、これでよかったような気がする。
  トキコさんは、ひとりひとりの人を迎えるたびに、「どうもすみません!お待たせしてごめんなさいねー!」と大きな声で伝え、「ワーッ!」と驚いたり、うなずいたり、笑ったり、時間をかけてたくさん会話をしてらした。
トムさんもときおりボソッと何かつぶやいたり、遠くを見る目で並んでいる人たちを見渡していた(私には見透かしているみたいに見えた)。
サインもとっても込み入って、ページからはみ出すくらいに大きいし、自作の消しゴムハンコまで押して、ひとりひとりと写真も撮って、大盤振る舞いだった。
大盤振る舞いというのともちょっとちがう。
木皿さんのおふたりは、脚本や文章を書かれるのと同じように、面と向かったひとりひとりに自分たちを差し出し、発散し、同じ場所に立って、何かをやりとりしていた。
そうか。サイン会って、そんなふうにしてもいいんだ…… 。
私はケチだったなあ。
私のサイン会でも、感極まって涙をこぼしてくださるファンの方がいる。
そういうとき私は手に力をこめ、握手をすることぐらいしかできなかったのだけど、その人の近くまで出ていって、腹から声を出し、感謝の気持ちをせいいっぱい伝えてもいいんだな。
私にはまだ照れがある。
こんな自分が書いたものでも、感動してくださる人がいることを、信じがたいと思いたい。
でもたぶん私は、自信がないことを盾にして逃げてるんだ。
そんなことも思った。
サイン会が終わって、控え室にもおじゃまさせてもらった。
トキコさんはまた別の本にもサインをしてらして、その合間にときどき誰かとおしゃべりしたり、冗談を言って笑ったり。
私はトムさんのすぐ隣に座って、ニヤニヤし通しだった。
おふたりと同じ部屋の空気を吸っていられるだけでうれしく、ああ、本当に来てよかったなあ、この喜びは来てみなければ分からなかったなあと思った。
そのあと、ひとりでギャラリーに行った。
方向音痴の私は、いろいろな人に道を尋ねながら、地下鉄を慎重に乗り継いでそこまでたどり着けたのだけど、誰もがみなとても親身に教えてくださった。
「北浜」という駅のことを「北裏」と間違えて尋ねてしまったのに、私がよほど心細そうな顔をしていたのだろう、気づけば隣に立って、駅順が書かれた案内板を一緒に探してくれたおじさんもいた。
大阪というところは、東京みたいにせかせかしていない。
それに新幹線でも地下鉄でも、東京と違って乗り換えの案内がとても分かりやすい位置に、目につきやすい文字で書かれているような気がした。
階段の手すりの下に、大きな字と矢印が貼りつけてあったり。
それはきっと、はじめての人でも迷わないよう、掲示板を貼る係の人が心を砕いているからだろうな。
ギャラリーは大きな川沿いにあり、とても落ち着いたところだった。
そして絵は、想像していた通りのものだった。
ひとつひとつを見てまわりながら、私はまたもやドキドキしてしまった。
このときのことは、いつかまたゆっくり書きたいと思います。

今、三ちゃんが京都の賀茂茄子(お母さんが送ってくださった)をおすそわけに来てくれた。
今年もまた紫紺色の、電気の玉のようにまん丸い、大きなお茄子の時季がきた。
あとで、りうのかぼちゃと一緒に天ぷらにしよう。
夜ごはんは、蕎麦(みょうが、ねぎ、ワサビ)、ちくわ、かぼちゃと賀茂茄子の天ぷら。

●2015年6月12日(金)雨のち曇り

きのうとは打って変わって、しとしとと静かな雨。
じめじめするけれど、梅雨なんだから、こういう日があるのもけっこうけっこう。
今日は「ロシア日記」の校正をやった。
そのあとは、7月の撮影のレシピ書き。
絵を描かないと決めると、とたんにいつもの私らしい時間の流れになる。
この1週間はほとんど描いていた。
朝ごはんを食べ終わって描きはじめると、あっという間に時間がたって、気づけばお腹がグーグー鳴っている。
2時くらいにお昼ごはんをかっこみ、また続きをやる。
楽しいから夢中でやってしまうのだけど、夕方になるのが早すぎる。
前の日に色を塗ったのが、乾くとまたぜんぜん違う色合いになっているのもおもしろく、色鉛筆を重ねたり、その上からまた絵の具を重ねたり。
それが次の日になると、また違う感じになっていて。
絵って、自分で描いているのに、自分じゃない人が描いたみたいになるのがおもしろいな。これは文にはなかったことだ。
さて、明日は大阪の本屋さんへ行く。
木皿さんの新刊『6粒と半分のお米』のサイン会があるのです。トムさんもいらっしゃる予定だそうなので、おふたりにはないしょで、こっそり列に並ぼうと思う。
そのあとは、小さなギャラリーに、気になる方の絵の展示を見にいく予定。
ひとりで遠足気分だ。
新幹線のなかで、絵本のアイデアをまとめるのも、とても楽しみ。
夜ごはんは、焼き肉どんぶり(牛カルビ、なす、ゴーヤー、キムチ)、くずし豆腐とねぎのみそ汁。

●2015年6月7日(日)晴れ

洗濯ものを干しながら、途中で思い立ち、絵本の主人公の女の子の顔を描きはじめた。
泣いている顔も描いた。
鉛筆と画用紙の束を持って公園に行き、原っぱでクローバーとブタクサを描いた。
途中の道でも、ツユ草がおもしろい形だったので、座り込んで描いた。 
絵を描くっておもしろいな。
じーっと見ていると、細かいところまですごくよく見えてくる。眼鏡もかけてないのに。
葉っぱって、こんなふうになっているのか… とか、葉脈も葉によってこんなにいろいろなのか、とか。
私は今まで、こんなふうにはものをよく見たことがないのかも。
公園の原っぱに同じように座っても、ぼんやりとたくさんのものをいちどに見ていた気がする。
目で見ていた、というのとは少し違うのかも。感じていたというか。
絵を描こうとすると、目玉でじーっと見る。
ふだんだったら、急に立ち止まって何かを見入っていると、変な人に思われやしないかとまわりの目が気になるけど、絵を描いているときは、帽子をかぶって下を向いて集中しているから、まったくまわりが気にならない。
ときどき、歩いている足が近寄ってきて、絵を覗きにきたんだなと分かるけど、私の絵なんてどうせ素人でうまくないから、見られてもぜんぜん平気。
今の願いは、早く山の家に行って、畑や庭で思うぞんぶん絵を描きたい。古畳の上にビニールシートを敷いて、汚れてもいいようにツナギを着て、絵の具で好きなだけ塗りたい。
てなわけで、公園から帰って、料理本のレシピ直しをやり、『まる子』を見ながら夜ごはんの支度。
夜ごはんは、大根と青じそのサラダ、カツオのなめろう、韓国風まぐろ中落ち、焼き海苔、ごはん。

※能古の島から帰ってから、5月22日の日記のつづきを少し書き加えました。

●2015年5月30日(土)ぼんやりした晴れ

朝からパソコン作業。
ひとくさりやって途中でやめ、新しい本のための校正をやる。
(ごめんなさい。この本については、まだ秘密です。もうしばらくしたら詳しくお伝えいたします)
夕方まで夢中でやった。
空は大きく、広く、薄い水色にシャーシャーとハケで描いたような雲。
おいしい水みたいな透き通った鳥の声もする。
チュルチュルチュルチュル。
何羽かが集まってさえずっているらしい。
ベランダに出てみても、緑に隠れているのか姿は見えない。
夕暮れどきの水色にグレーが少し混じった空気って、緑が映えるなあ(これって、前にも書いたっけ)。
夜ごはんは、うどん(じゃこ天&わかめのっけ。福岡でうどんを食べそこねたので、3年前に食べた味を思い出しながら作った)、ひじき煮(ひじきは能古の島産)、かぶの葉のおひたし)。
能古の島であったことを、日記に書こうとしているのですが…… みなさん、もうしばらくお待ちください。

●2015年5月22日(金)東京はぼんやりした晴れ、風強し

川原さん、リーダー、三ちゃんと一緒に、吉祥寺発10時20分のバスで、羽田へ。
12時半の飛行機で、いよいよ能古の島へ出発です。
きのうは、「紀ノ国屋」に買い物に行ったついでに川原さんのところへ寄って、ハワイの地ビールをベランダで飲んだ。
前夜祭ならぬ前日祭。
ものすごくいいお天気だったし、キラキラして緑もきれいだったから。
ふたりとも、気持ちはもう能古の島に行っていた。
そうそう、きのうの明け方はものすごい雷だったんだ。
もう本当に、うちの前の建物の避雷針に落ちたんじゃないかと思うくらいの凄まじい音だったし、怖くもあった。
でも、半分寝ぼけながらその感じを味わっているのが、どういうわけだか心地よく、穴ぐらで寝こけているみたいだった。
外では荒々しい自然が猛り狂っているのだけど、オラのほら穴はあったかくて安全…… みたいな。
24日は雨が降らないといいな。
では、「南の島カレー150皿」をがんばって作りつつ、「ノコノコロック’15」に酔いしれてきます。
行ってきまーす。

   ・・・・・・つづき

3時ごろ、福岡空港に到着。
リーダーとトイレに行く途中、迎えにきてくれたシバッちを発見(私たちを探している様子だった)。
水色にグレーが混ざった半袖シャツのシバッち。
そのシャツも、陽に焼けた顔も、黒い髪の毛に黒いヒゲ、黒ぶち眼鏡もまったく変わらないから、姿を見たとたん3年前に別れた日にギューンと巻き戻されたみたいになった。
離れていたこれまでの3年間が煙のように蒸発し、あの日につながった。
だから、シバッちと再会しても、ちっとも懐かしくなかった。
そのあと、車に乗って糸島方面に仕入れに向かった。
道路を走っているときも、山の中を走っているときも、窓の景色がぜんぜん変わっていない。
だから、やっぱり懐かしさは感じない。
車の中での会話。
川原「シバッち、お昼ごはん食べた?」
私たちは飛行機に乗る前に、カツサンドやお弁当を食べておいた。
シ「夜、いっぱい食べちゃうんで、昼は食べなくていいんです。食べると、やる気がなくなるんで…… 」
そのあと、仕入れがすんで、フェリーで島に着いて、「ノコニコカフェ」で祥子ちゃんに会ったときにも、やっぱりちっとも懐かしくなかった。
なんでだろう。
能古の島で過ごした3年前の記憶を、カラカラに乾燥させ、小さく小さくしてしまいながら、私は仕事をしていた。大勢の人たちに会い、ウズベキスタンにも行き、文もたくさん書いて、料理の仕事もやって、本も何冊か作った。
それが2人に会ったとたんに、もどされたのかな。
ふえるワカメ現象だ。

   ・・・・・・

能古の島での3泊4日の出来事で、私がメモをとっておいたのは上の日記だけ。あとは、あまりに楽しく、めまぐるしく、まったく何も書けませんでした。
今年は3泊ともシバッちと祥子ちゃんの家に泊まり、白いリムジン(軽トラ)にも、海辺の公園にある公衆便所にもお世話になり、薪で焚いたお風呂にも入りました。
「ノコノコロック’15」も、とっても楽しかった。
これは、帰ってから思ったことだけど、その日のことをずっと待ち遠しく思っていたみんなが、ひとつの場所に大勢集まって、ひとりひとりが楽しくてたまらない息を吸ったり吐いたりしているから、なおさらぐんぐん楽しくなってしまうのかも。
なんか、そこにいるだけでにやにやして、飛び跳ねたくなるような。
いつもより声が大きくお腹から飛び出し、体も早く動いてしまうような。
私は、絵本を書く宿題があって、でもカレーのことでいっぱいだから、そのことはただぼんやりと頭のすみっこにおいていただけなのに、2日目の朝起きたら、描きたいことがずるずるっと上ってきた。
3日目には、耳や目や鼻の穴が開いたようになった。
小学校に入る前のなーみちゃんに、体を占領されたような感じだった。

●2015年5月17日(日)晴れ

暑すぎもせず、カラッとしていい陽気。
最近、さらに髪を短く切って、なんとなしに気持ちが軽くなったような気がする。
スイセイには「ワカメちゃん」とか「なみちゃんに戻ったのう」とか言われています。
なみちゃんというのは、幼稚園から小学校に入ったばかりのころの私。まわりのことなど何も気にせず、いきいきとがむしゃらに、はなべろ感覚で生きていたころだ。
うれしいな。
朝ごはんを食べ、買い物にも行ってしまう。
お昼に試作をしようと思って。
帰ってからは、「気ぬけごはん」の作文。5時までやって、ずいぶん書けた。
今は、『サザエさん』を見ながらこうして日記を書いている。
太陽の下もいいけれど、青にグレーが混ざった夕暮れの空にも、新緑はとてもよく似合う。
来週はまた火曜日が料理本の撮影だから、心を下に置いて、明日は掃除をしたり買い物したり支度をしよう。
無理をせず、ひとつひとつの料理をじっくり作って、斎藤くんに撮っていただこう。
それが終わったら、いよいよ能古の島。
今年もまた、「ノコノコロック’15」でカレー(今年は南の島カレーです)を150皿作ります。フェリーで海を渡るのも、「ノコニコカフェ」のふたりに会えるのも、今からとても楽しみ。
5月24日(日)の「ノコノコロック’15」、よろしかったらみなさんも遊びにきてください。
夜ごはんは、平目のお刺身(半分はごまヅケにした)、水菜とにんじんのさらだ、鶏と根菜の汁かけごはん(里いも、にんじん、ごぼう、豆腐)。

●2015年5月10日(日)晴れ、夕方曇り

今朝、トイレに起きたとき、カーテンの向こうがもう明るくなっていた。
時計を見たら5時半くらいだったので、この時計は電池がなくなって止まったままなんだ…… と思っていた。近ごろはこんなに早くから明るいのだろうか。それとも私が寝ぼけていたのか。
あちこちすっきり掃除をしてから、「ロシア日記」の続き。きのうから畳の部屋のお膳の上でやっている。
新しいパソコンになってからというもの、気軽にあちこち持ち運べるのがとてもうれしい。今までは充電機能が壊れていたので、コンセントにコードをつなげないとならなかったし、移動するたびに「時間設定が間違えています」という表示が出るのでめんどうだった。
畳の部屋でやると、ひろびろとした気持ちになる。目の位置が下の方になるからか、部屋も広く感じる。窓の空も大きく見える。
今は、ウズベキスタンのダルバン村から、車でバザールに行ったこきのことを書いている。
夕方までやって、『まる子』と『サザエさん』だ。
そういえば、『ハイジ』を見ていて最近気づいたのだけど、ロッテンマイヤーさんの声は、『サザエさん』のフネの声と同じ人なのかも。
夜ごはんは、チャンプルにするつもりだった豚肉とゴーヤーで、しょうゆ味のスパゲティー(にんにく、リーダーからいただいた新玉ねぎ)、うどときゅうりの辛し酢みそ。

●2015年5月8日(金)快晴

朝ごはんを食べてすぐ、ひさしぶりにスイセイの散歩についていった。日焼け止めだけ顔に塗って帽子をかぶり、大急ぎで出た。 ゆっくり走るスイセイの後ろから、大股歩きでついてゆく。
途中、農家の自動販売機に100円玉を入れてうどを買う。
今は緑だけでなく、あちこち花盛りなのだな。上水沿いには野イバラの白い花、名前が分からないピンクの花、栗の花もムーンと匂っている。サクランボも小さい実ができている。中央公園ではクローバーの花が咲きはじめていた。
せっせと歩いていたら、首の後ろに汗をかいた。
寝てばかりいると、内にこもってどんどん具合が悪くなる。たまにはそういう気分になるのも悪くはないけれど、外に出ないとそればっかりになってしまう。
こんなふうに毎日体を動かしていたら、気持ちも健やかでいられそう。
山の家に住むようになったら、ちょこちょこと庭に出たり、畑に出たり、太陽の下で草を抜いたりしたい。それだけで体の中がいきいきしそうだ。
スーパーに寄り、初ガツオと生しらすを買ってきた。
行って帰ってきただけで、はつらつとした気持ちになった。一年で、今がいちばんいい季節なんだから。
帰りがけに、いつもの石舞台の公園へも寄った。ついこの間まで芽のような葉っぱだったのに。柏の葉っぱがすっかり普通の大きさになっていた。そうか、今は柏餅の季節なのだ。
さて、「ロシア日記」の続きを書こう。
夜ごはんは、カツオのヅケどんぶり(みょうが、青じそ、おろしにんにく、ねぎ、レモン)、生しらす(しょうがじょうゆ)、うどの薄味煮、うど皮のきんぴら、豆腐のみそ汁。
今夜もまた、『アルジャーノン』を見るジャーノン。

●2015年5月6日(水)天気は分からない

先月ひいたばかりなのにまた風邪をひいて、ずっと寝ていた。
この間、リーダーが風邪気味だって言っていたから、もらってしまったのかも。
ひさしぶりに『犬が星見た』を出してきて、読みながら、船の2段ベッドによじのぼっては昼寝する百合子さんみたいに眠った。
ゆらゆらと眠って、目が覚めると汗をかいている。
熱が下がったので、午後にはずいぶん楽になった。
それでも、薬を飲んでまだ寝ている。
いちど起きて、「銀座百店」のエッセイをがんばって仕上げ、お送りした。
担当の編集さんから、すぐにメールが届いた。
世の中はもう動いているのだろうか。まだ連休のさなかなのかと思っていたのだけど…
スイセイは、お父さん鳥みたいに食料をいろいろ買ってきてくれた。いつもの黒い肩かけカバンから出てきたのは、ヨーグルト2種、バナナ、黄色い蒸しパン、カステラ、うどん、天ぷら、納豆。
今夜は、奮発して天ぷらうどんを作ってくれるそう。
私はもう少し眠ろうと思う。
夜ごはんは、天ぷらうどん(かき揚げ)、バナナヨーグルト。

●2015年5月3日(日)晴れ

今日は、布団の中で「ロシア日記」の注入をしていた。「考える人」を枕もとに積み上げて、ウズベキスタン編をさかのぼり、飛行機に乗るところから読んだ。
顔も洗わず、ごはんも食べず、ウズベキスタンのお土産のビスケットが冷蔵庫にあったのを思い出し、紅茶だけいれて、かじりながら。 とちゅうでヨーグルトがあったことも思い出し、食べた。
小岩井乳業の「生乳100%ヨーグルト」にきび砂糖を少し混ぜて、パックごと。それがなめらかで、ものすごくおいしかった。ウズベキスタンで毎朝食べていた味と、ほとんど同じ味がした。
そうか、こういうのが日本にもあるんだな。私はブルガリアがお気に入りだったから、知らなかった。
ちょっと起きてメールをしたり、布団に戻ってうとうとしたり。
また起きて続きを読んだりしながら、ときどき目を上げた瞬間に、鳥が羽を広げてふわーっと窓を渡るのが見えたり。
4時になったので起き上がり、こうして日記を書いている。
きのうは、とても楽しかった。
川原さんとリーダーが来て、まず3人で買い物にいって、帰ってすぐにベランダで緑を眺めながらビール。
私がラッキョウの皮をむいている間に、ふたりで協力してカレーの試作をしてくれた。
チキンとトマトとにんじんまでは決まっていたのだけど、ゴーヤーとオクラを上にのせるアイデアも、ふたりが出してくれた。
ごはんにはココナッツミルクとターメリック、甘夏の葉をところどころちぎって、切り目を入れて炊いてみた。
炊き上がりは、柑橘の匂いがするような、しないような。でも、なんとなしに爽やかな香りがするような。
カレーもごはんもとてもおいしく、明るい色合で、「南の島カレー」にふさわしいものができた。
それから、スイセイも加わってみんなで飲んだ。
私はそれほどには飲んでいないのに、すぐに酔ってしまい、撮影の話などしているうちに、どうやら自分は今、かなり無理をしていることに気がついた。
朝の10時半からスタートして、終わるのが7時半なんて、がんばりすぎだ。
なんとなく私は、ゆうべはじめて自分の体や気力の変化のことを、きちんと確認したような気がする。
頭ではなく、体で。
私は今、更年期のまっ最中なんだもの。
次回からの撮影は、この体とこの心に合ったやり方で、ひとつひとつ料理に向かい合いながら、無理をせず楽しく正直にやっていこうと思う。
夜ごはんは、キムチチャーハン(目玉焼きのっけ)。

●2015年5月2日(土)快晴

このところ、本当に芯からいいお天気が続いている。
ベランダの緑もみずみずしく、風にそよいで、ひとりで見ているのがもったいない。
だから、用もないのに何度も出て、ぼーっとあたりを眺めたりしている。
大家さんのジャスミンの甘い香りが、プーンとのぼってくる。
鳥たちもいつもより多く集まって、よくさえずっているような気がする。
眠たくなるような、いい天気。
きのう、「銀座百店」のエッセイがだいたい書けたので、今日は「ロシア日記」の仕込みをしようと思うのだけど、もしかすると川原さんがカレーを作りにくるかもしれない。
「ノコノコロック」のカレーの試作だ。
今年は、能古の島の柑橘の葉を炊き込んで、ごはんに香りがつけられないだろうかとぼんやり考えている。
島の甘夏の葉(農薬がかかってない)を、祥子ちゃんとシバッちが送ってくれたので。今はさらしにくるんで冷蔵庫に保存してある。
ああ、緑が萌えると、桜の花見みたいにうずうずするな。

●2015年4月26日(日)快晴

きのうの撮影は、7時半に終わった。
とてもくたびれ、足のつけ根が痛くて、最後は立っていられないような感じになったけど、みんなでひとつのものを作り上げている空気に引っ張られ、気づいたら薄暗くなっていた。
みどりちゃん、斎藤くん、赤澤さん、編集さん、リーダー、みんなのおかげです。
それにしても、若いころとは確実に変わっている私の体よ。疲れやすいし、気力も集中力も長くはもたない。
年をとるっていうのはこういうことだから仕方がない。でも、そういう年代になったからこそできる本を、今私たちは作っているような気がする。
今朝は何度か目を覚ましながらも、疲れをとろうと思って12時まで寝ていた。夢もたくさんみた。
起きて、スイセイの布団カバーやらシーツやら、盛大に洗濯する。
大家さんのどんぐりの木は、緑の葉っぱの勢いが旺盛で、花簪はほとんど隠れてしまった。
今年は花簪が光るのを見られなかったな。たぶん、水曜日の夕方だったら見られたんじゃないかと思う。
それは絵描きさんがいらした撮影の日で、西陽の当たる時間、ふと窓の方に顔を向けたら、開け放った窓から黄ばんだ空気が見えていた。
それは分かっていたんだけど、ベランダに立とうなんて思いつきもしなかった。楽しすぎて。
畳の部屋に寝そべり、紅茶をいれて読書。
川原さんにもらったクッキーがたまらなくおいしい。
本は湯本香樹実さんの『夜の木の下で』。3日分を楽しんだ神経の火照りが、本のなかに吸い込まれていく感じ。 
スイセイは今日山から帰ってくる予定だったけど、車が混んでいそうだから明日にすると電話があった。それに、ずいぶんくたびれてもいるらしい。おとつい電話したときには筋肉痛で一日中寝ていたと言っていた。
私は、もうしばらく独身気分が味えるのがうれしい。
あとで、散歩がてら選挙に行って、『まる子』に『サザエさん』だ。
夜ごはんはなし。クッキーとせんべいを食べたので。

●2015年4月22日(水)快晴

これからまた、この間の続きの料理本撮影がはじまる。
今日と明日やって1日休み、翌日の計3日間の予定。
ドキドキするので、塩を炒って心を落ち着けた。今日は絵描きさんがいらっしゃるので。
やることのリストも、あまり見ないようにしている。なんでかというと”そのとき”を楽しみたいので。
旅に出るときや、映画を見るときに、できるだけ前情報を入れずにおきたいのと同じ感じ。
きのうスイセイは、朝ごはんを食べて山の家に出掛けていった。
私の方は、ずいぶん前から着々と撮影準備を進めておいたので、急ぐことなく仕入れに出掛けたり、包丁を研いだり、掃除したり。床にワックスも塗れた。
スイセイが留守なのはとても助かるのだけど、きのうは何をしていてもとりとめがなく、時間が指の隙間からこぼれ落ちてゆくようだった。
夜は、いつものように『ハイジ』を見て寝た。
その前に、新しいパソコンで動画が見られるようになったのがうれしく、ひさしぶりにアムプリンのホームページを見ていたら、「春の堅雪通勤ムービー」というのをみつけた。
部屋の窓からカトキチが撮影したらしい。カトキチは休みの日だったのかな。
朝は、赤いソリを抱えたアムが、大きなもみの木しか見えない真っ白な丘のてっぺんにあるプリン小屋まで歩いて登り、夕方になるとソリにまたがって、シューッとすべって帰ってくる。
帰りのところなんか、まるでハイジがおばあさんの家に行くときとそっくりでびっくりした。
景色もいっしょだし、スピード感もいっしょだから、何度も再生して大笑いしながら見た。
「雪がかたまってからでないと、おばあさんのところへは行けん」とおんじがハイジに言いふくめていたのと、「うらの丘をすべれるのは、春のかた雪シーズンだけなのだ」というアムの言葉が合体し、私はとても感心した。

さーて、そろそろみなさんがいらっしゃる。
今日も一日がんばろう。

●2015年4月17日(金)晴れのち曇りのち雨のち晴れのち曇り

朝方は晴れていたので、洗濯をたっぷりしながら朝ごはんを食べているうちに空気の色が変わってきた。
うーん、春の空は分からないものだ。新聞の天気予報を見たら、夕方から雨が降るらしい。
月曜だったか火曜だったか、せっかく書いた日記を飛ばしてしまった。心当たりは何にもないんだけど、新しいパソコンはちょっとだけ勝手が違うから、たぶん私がどこかを押してしまったのだと思う。
その日は『きえもの日記』が届いて、仕事の途中に読みはじめたら止まらなくなった。
アリヤマ君のデザインがすばらしく、「まえがき」を読み、もくじを見て、本文に突入した。
もう自分が何を書いたのかほとんど忘れているので、誰か知らない人の体験記をはじめて読んでいるような感じになって、何度か涙が噴き出したりもした。
仕事でも何でも、やりたいことに向かうと無我夢中で、身も心も使い果たしたがるこの性分。
この人は、本当にどうしようもない人だと思った。
最近、私は図書館で借りてきた『アルプスの少女ハイジ』を毎晩見ていて、この間スイセイが布団に入ってきたときに、1話だけ一緒に見た。
「この子はどうしょうもない娘なんじゃのう。ほいじゃがおれは少し哀しい。なんでかいうと、この世ゆうのはその反対のことの方がたくさんあるから」と言っていた。
『きえもの日記』の中の私は、ちょっとハイジみたいでもあった。
今日は曇っているのか晴れているのか分からないような天気。
ときどき雲間から光が差すと、イチョウの木の若緑がパーッと明るくなる。大家さんのどんぐりの花簪も、ずいぶん伸びてきた。
さて、今日は『Zの本』のアーチストブックの切り貼り作業をやろう。
今、ピンポンが鳴って、サイン用の『きえもの日記』が届いた。宅配便のお兄さんは、100冊分の本が詰まったダンボール3箱を積み重ね、3階まで運んでくださった。
いつもと変わらない、さわやかな感じで… すごいなあ。
私も、自分の仕事をがんばろう。
切り貼りをやっているうちに、いいアイデアもどんどんわいてきて、畳の部屋中散らかしながらやっていたのだけど、1章分をやって頭が変になりそうになる。
これは集中力がいる。手を動かして切り貼りしながら体で気づいたひらめきを、頭がすくい取って形作るような感じ。
感覚だけでなく頭にも余裕がないとできないし、おもしろい作業なので一気に終わらせるのがもったいない。
お昼を食べてから、買い物がてらマキちゃんちに器を借りにいった。
スーパーにいる間に雨が降り、外に出て、歩いている間に天気雨となり、着いたら上がった。
マキちゃんちの窓からでっかい空を眺め、コーヒーを飲みながらおしゃべりしたのが、せいせいとしてとても気持ちよかった。
雨上がりの道をてくてく歩いて、最後は石舞台の公園を通って帰ってきた。
夜ごはんは、いろいろちらし寿司(たくあん、そら豆、笹かまぼこ、新しょうがの佃煮、いり卵、たらこ、みょうが、青じそ、)、大きなかぶの薄味煮、あさりの潮汁。
今日の昼間は半袖でもいいくらいの暖かさだったのに、夕方、忘れ物をしてもういちど買い物に出たら、風が冷たくとても寒かった。
晴れのち曇りのち雨のち晴れのち曇り、初夏から冬へ、1日の間にいくつもの天気と季節がめぐった日であった。
今夜は山Pの『アルジャーノンに花束を』を見るのが楽しみ。

●2015年4月9日(木)ぼんやりした晴れ

朝ごはんを食べ、ひさしぶりにスイセイの散歩についてゆく。
太陽は出ているけれど、風が冷たい。
最近私は、ガスの火をつけっ放しのことがよくあって、この間もスイセイに注意されたばかりだったのだけど、おとつい、お昼に作ったスープの鍋をついに焦がしてしまった。
スイセイの分を残して自分の分だけよそり、弱火にしたまま畳の部屋で仕事をしていた。
そんな話をしながら歩く。
料理なんて、いちばん何でもなくやっていることなのに、そういうところからボケていくんだろうかと、さすがに少しショックだった。
「私は火を消さずに料理をよそる癖があるんだよね。それはクウクウのとき、いつでも次の料理がすぐに作れるよう、ガスの火を弱くしたままつけっ放しにしていたから。ずっと火の近くにいるから、厨房ではそれでいいんだけど、そういう記憶が体に染みついてしまっているんだと思う」と私。
「年をとると注意散漫になるし、視力も衰えるから、今のうちに何か策を考えんにゃだめで」とスイセイ。
うちのガス台はロジェールというメーカーで、すべてが白っぽい。把手も白く、横になっているのか縦になっているのかひと目では分かりにくい。
これからは、私もいちいち確認するよう気をつけるけど、とりあえず目印の赤いシールを把手に貼ってみようということになった。
(これがとってもいい感じ。見ようとしなくても自然と赤が目に入ってきて、気をつけるようになった)
桜はもうすっかり散ってしまったとばかり思っていたのだけど、まだ少しだけ残っていて、はらはらはらはら風に舞う。
花弁が落ちて白くたまっている上水沿いの小道を、子犬をカゴに乗せた自転車のおじいさんが、向こうからゆっくらゆっくら走ってくる。
その上から花吹雪がいっせいに舞う。白痴的なええ景色。
いつものパン屋で、食パンの大きいのと焼きたてのクリームパンを買った。
中央公園の山桜の大樹は、今が満開で、白い花がだんごになって咲きほこり、こぼれ落ちそうだった。
途中で別れ、私は買い物へ。
さあ、今日もまた「文庫本のあとがき」の続きをやろう。
夜ごはんは、ブロッコリーのおひたし、ポキ丼(まぐろ、サーモン、アボガド)、かき卵とねぎのみそ汁。

●2015年4月8日(水)みぞれのち小雨

朝起きてカーテンを開けたら、雨粒が大きく白かった。
そして、朝風呂に浸かっている間に、ふらふらと舞う雪となった。雨も混じっている。
「今日はみぞれじゃのう」
そうか、こういうのをみぞれというのか。
桜も散って、ついこの間まで長袖では暑いほどの初夏の陽気だったのに、真冬に逆もどり。
でも、たまにはこういうのも悪くない。
『今日もいち日、ぶじ日記』が文庫になるので、ゲラの束を読み込む。
畳の部屋にパソコンを持っていって、「文庫本のあとがき」も書きはじめた。
まだ降っているかどうか、ときおり立ち上がって(座った目線では白い空しか見えないので)窓を確かめた。
小さいお膳の上で書いていると、なんだかままごとのよう。作文の宿題でもやっているよう。
お昼の天気予報で、「東京都心では5年ぶりに降雪を観測しました」と言っていた。『今日もいち日、ぶじ日記』に出てくる4月17日が、まさにその日だった。
そうか、もう5年もたったんだな。
夜ごはんは、サラダ(レタス、にんじん、ミニトマト)、オムライス(炊飯器で炊いたチキンライスに卵をかぶせた)。

●2015年4月5日(日)雨

しとしとと静かな雨。
冬に戻ったような寒さだけれど、心は落ち着いている。
なぜかというと、暇だから。
1回目の料理本撮影(4日間)もぶじ終わり、たっぷりとした時間のなか次の撮影に思いを馳せるような、そんな日だ。
先週は日記をアップできなくて、開いてくださった方ごめんなさい。
25日の日記は書いてあったのに、次の日から怒濤の撮影期間で、なんだかぽかんとしてしまったのです。
期間中は風邪をひいて病院に行き、まる1日寝込んでしまい、撮影を延期させてもらったりもした。
花粉症でのどが荒れていたところに、ちょうどひいていたスイセイの風邪がうつったらしいのだけど、今思うと知恵熱だったのかもわからない。
ひさしぶりの撮影でみんなに会えたのがうれしく、張り切りすぎたのだ。
ところで私は今、新しいマックでこの日記を書いている。スイセイがきのう1日かかってつないでくれた。
何をするのでも、今までのマックよりうんと速い。
漢字の入力も確実(今までは、必要な漢字を選ぶのにけっこう時間がかかった)だし、キーボードの感触が弾むようで、びっくりする。
こうして書いている間にも、旗みたいなのが立って、どんなメールが誰から届いたのか画面の端っこで知らせてくれる。
なんだかすごい。
「すごーい、未来みたい!」とスイセイの部屋に伝えにいったら、「未来なんじゃなくて、みいだけがずっと江戸時代におったの」。
考えてみると、新品のパソコンなんて生まれてはじめてだ。
今までずーっと、スイセイのお古か中古パソコンを使っていた。
おとつい、川原さんとお花見に行ったのも楽しかったな。
まず、誘い合わせのはじまりがすごかった。
私は朝から「お花見散歩に行かせん?」とメールをしていたのだけど、返事がないから仕事中なのかな? と思っていて… そしたらその何時間か後に、川原さんも保険センター(健康診断に来ていた)の窓からうちのベランダを観察していたのだそう。私をお花見に誘おうと思って(送ったメールにはまだ気づいていない)。
私のケイタイにかけてもつながらないから(充電するのをすっかり忘れていた)、もしかしたら撮影の最中かもしれないと思ったらしい。
それでもあきらめきれず、マンションの下まで来て、車が停まってないのとかも確かめて、でもケイタイに出ないのは何か用があるんだろうと、仕方なくひとりでお弁当を買いにいって、市営グラウンドまで歩き、桜の下に腰掛けた。
そこではじめて私のメールをみつけ、お昼ごろに電話(ケイタイではない方)をくれたのだった。
私は私で、川原さんにお花見弁当を食べてほしくて、竹の子を煮ようとだしをとりはじめていた。
メールや電話なんかより、よっぽど確かな私たちの以心伝心。
しかも川原さんも風邪の治りかけで、ふたりして鼻声。私より2日ほど前にひいていたらしい。
グラウンドの土手でゆっくりとお弁当を食べ、杏の漬け込み酒をちびちびなめながら、おおいかぶさる桜を寝転んで眺めた。
たらたらと桜並木を歩きまわって中央公園に行き、原っぱのこちら側から桜の樹を俯瞰した。
裏口から出て、川原さんが食パンを買って、私は店の外で待っていて。
また公園に戻って、桜の樹の近くをゆっくり歩いて。
コンビニで私がおやつを買って、川原さんは待っていて。
最後に石舞台のあるいつもの公園を通って、ああ、よく遊んだなあという気持ちで時計を見たら、もう4時近くになっていた。
ああ、ようやく花見の日の日記が書けた。
今日は日曜日か。
買い物に行かなくても冷蔵庫に何やかんやあるので、あとで、『まる子』と『サザエさん』を見よう。
夜ごはんは、鶏のクリームスパゲティー(しいたけ、かぶの葉も加えた)。

●2015年3月25日(水)晴れ

うちの杏はきのうから満開、公園の向こうの白木蓮の大木も満開だ。
布団を干そうとベランダに出たら、お隣のマンションの杏の花弁がいっぱい散っていた。
こっちの杏は南向きだから、先週が満開だった。
それにしても花粉がすごい。
きのうは、高野さんとの『Zの本』の打ち合わせがぶじ終って、買い物にいって、帰ってきたら、ものすごく目がかゆくなった。
涙は出るは、鼻水は出るは、鏡を見ると目が真っ赤。
顔を洗ってどうにか収まったけど。
こんど、目を洗う液体を薬屋さんで買ってこよう。
ありがたいのは、寝ているときには何ともないこと。
とくにこのところ、ものすごくよく眠れる。
春眠暁を覚えずだ。
今日は、朝から明日の撮影の準備。
レシピを分けたり、仕入れをまとめたり、台所を磨いたりといそいそとやっている。
包丁研ぎと窓拭きはきのうのうちにやっておいた。
あとであちこち掃除をしたら、買い物にいってこよう。
夜ごはんはもやしラーメン(ホープ軒のを買ってみた)&餃子(冷凍してある)の予定。

●2015年3月21日(土)曇りときどき晴れ

朝ごはんを食べ、ひさしぶりにスイセイの散歩についていった。
曇ってはいるけれど、散歩道はぷーんといい匂い。ピンク、白、黄色、あちこち花ざかりだ。
自動販売機の無人売り場で、泥つきにんじんを買った。
せっかくウドもあったのに、買えばよかったなあ……と思いながら上水沿いの道を歩く。
こぶしの白い花が咲きほこり、道ばたには毛の生えた蕾がたくさん落ちていた。
雲間から陽が差すと、がぜん春。
この陽気に誘われて出てきたらしく、中央公園には老若男女いろんな人たちがいた。
フリスビーをしたり、ボールを蹴ったり、走り回ったり、体を伸ばしたり。ひとり黙々と歩いているだけのおじいちゃんもいる。
ここはいくら人がたくさんいても、自由でいいところなのは変らない。
それはなんでなんだろうと思いながら、原っぱをつっ切った。
こんなに広々としているのに柵がないし、近所の人たちばかりが集まって、ひとりひとりが好きなように心からくつろいでいるからかな。
途中でスイセイと別れ、私は買い物。
お彼岸なので、いつもの和菓子屋さんでおはぎを2つ買った。
帰ってきたら、うちの杏の花が出かけるときより5つ、6つ多く開いていた。
昼ごはんの休憩をはさみ、スイセイとふたりで『Zの本』の対談部分の読み合わせ。
夕方まで集中してやった。
夜ごはんは、韓国風のお刺身丼(ホタテ、中落ち、温泉卵、菜の花のナムル)、かぶと油揚げのみそ汁、食後におはぎ。

●2015年3月16日(水)ぼんやりした晴れ

空気がぼわーっとして、春のように暖かい。
朝から「気ぬけごはん」の仕上げをやっていたら、散歩から帰ったスイセイが、私の部屋へ来るなり「今のう、そこのところでのう」と話しはじめた。
怖い顔をしているので、何を言われるかと構えていたら……制服姿のおかっぱの、肌もつるっつるのかわいらしい顔をした女子中学生ふたりが、「ではサラダバー」とさりげなく言い合って、角の信号のところで別れたんだそう。
わー、なんてかっこいいんだろう!
最近の子どもたちの言葉のセンスって、すごい。教わりたい。
「気ぬけごはん」はお昼にはでき上がり、ぶじお送りした。
今日は、3時から河出の中山さんと打ち合わせがあるので、あちこち掃除をしていたのだけど、私の提案で急きょ「キチム」でやることになった。
お昼を食べたら行ってきまーす。
「東急」で調味料などいろいろ買って帰ってきた。いよいよ来週から、新しい料理本の撮影がはじまるのです。
スイセイは友だちと西荻でごはんを食べるそうなので、私はいそいそと自分の分だけ夜ごはんを用意する。
最近は、畳の部屋のお膳の上にまな板を持ち出し、夕方の子ども番組を見ながら野菜を切ったりするのが気に入っている。
きのうは餃子のキャベツ、ニラ、にんにく、しょうがを全部切って、ひき肉を合わせてねり混ぜるのも、皮に包むのもやった。
畳の部屋のしかも小さなお膳の上というのがいいみたい。
ふわふわと楽しい気分でやれるし、心が落ち着く。
今気がついたんだけど、ままごとみたいだからなんだと思う。
夜ごはんは、にんじんと油揚げの炊き込みご飯、クリームコロッケ(東急で1コだけ買った)せんキャベツ添え、ほうじ茶。

●2015年3月13日(金)晴れ

ちよじとヤーノのところに、赤ん坊を見にいった。
赤ん坊は、会う前に頭の中で思い描いていたよりもはるかに小さくて、たまらなく可愛かった。
ときどき目を薄く開けたり、小さな唇をすぼめたり、顔がくしゅっとなると、眉間やおでこにびっくりするほど皺がよる。
やわらかくて、こわれそうで、はじめは抱っこするのもちょっと怖いような感じだったけど、いちど抱いたらもう離せなくなった。
ソファーに腰掛けて、ずっと抱いていた。足の間に乗せて左手で頭を支えたり、私のお腹の上に乗せたり。
赤ん坊は、抱っこしている間にも、じわりじわりと成長していっているみたいな気がした。私の目が慣れたせいもあるかもしれないけど。
赤ん坊の生命力はたけのこみたい。
陽の差し込む白っぽい部屋で、スイセイ、ヤーノ、ちよじ(ノンアルコール)とビールで軽く乾杯した。
ベビーベットで静かに静かに眠っている赤ん坊のことを、ときどき眺めながら、ちよじが出産したときの話を聞いた。
スイセイはりうが生まれたときのこと、りうがそよを生んだときのことなど、急にいろいろ思い出したみたいに話していた。
また井の頭線に乗って、中央線に乗り換え、こんどはますみつ君の国立の展示会場へ。
展示会場についているキッチンで、サンがごはんを作っているそうなので。
私はワイン、スイセイはビールを飲みながらくつろいだ。
春野菜のアンチョビ・クリームソース、鶏レバーとラムレーズンのぺースト、豚肉のパプリカ煮、レンズ豆とほうれん草のカレー。
サンの料理は何を食べてもとてもおいしくて、私は目をつぶって味わった。
途中でキッチンに入らせてもらい、洗い物を手伝ったり、サンの赤ん坊の最近の写真を見せてもらったりした。
お客さんもみな知っている顔ばかりで、なんだか子ども(体は大人なんだけど)同士が集って、お店やさんごっこ、お客さんごっこをしているみたいだったな。
帰りしな、もういちどますみつ君の作品をよく見てまわり、私はそうしても欲しくなった牛革の頑丈そうな鞄を買った。

●2015年3月10日(火)晴れ一時雨

空がまっぷたつに分かれている。
東の空は晴れ渡っているのに、西の空は黒い雲。
『リトルフォレスト』でいち子ちゃんが見上げたのも、みごとにまっぷたつな空だったけど。
こんなことってあるんだな。
きのうの天気予報で、晴れマークと雨マークが並んでいたのは、こういうことだったのか。
おとついから書きはじめた「飛ぶ教室」の原稿も、もうほとんど仕上がった。
子どものころのことを書いているので、原稿というより作文という感じ。
スイセイにはまだ見てもらってないけれど、見せたら必ずや直し事項が出てくるから、躊躇している。
締めきりは明日なので、もう少しねかしておこうかな。
しばらくして風が出て、ぽつりぽつりと雨が降り出した。
雲におおわれた一ケ所だけ、水色の湖がある。
その湖も、あっという間に隠れてしまう。
そのあとまた晴れてきて、ハルの鳴き声がしたのでベランダに出た。
こんどは天気雨。
光の色、暖かさ、下の道を行き交う人たち、これはまさしく春の匂いだ。
それからも空の模様はめまぐるしく変り、夕暮れの雲は黄金色。
その雲も、見る間に色が失せてゆく。
あんまりドラマチックなので、とろろ芋のすり鉢を持ち出し、畳の上でずっとすっていた。
おかげで今夜のは、特別にふわっふわのとろろ芋ができた。
こんな日は川原さんとベランダで、昼間から夕暮れまでの空の鑑賞会をしたかったな。白ワインでもチビリチビリ飲みながら、ダウンジャケットを着て。
夜ごはんは、とろろ芋、赤魚のみりん干し、白菜のおかか炒め、白いごはん、豆腐とねぎのみそ汁。

●2015年3月7日(土)降ったりやんだりの小雨

きのうは、りうがそよを連れてきてくれて、スイセイと4人で動物園に行った。
お弁当を持って(『昨夜のカレー、明日のパン』のギフのと同じおかず)。
ひさしぶりに会ったそよは、すっかり女の子らしくなっていた。
「アタシも髪を切ったの」なんて言う。
5才なので、来年の春には小学校に上がる。
井の頭動物園は、遠足の子どもらがいるくらいで、ずいぶんひろびろとしていた。
動物たちもお昼ごはんを食べ終り、昼寝の時間。
冬から春に切り替わる、でも冬の方がまだ多めの、シカの毛みたいな茶色っぽい景色。曇り空だったけど、少しだけ晴れ間も見えたりして、寒すぎもせず暖かすぎもせず、なんだかちょうどいい日和だったな。
動物園の端っこには、コーヒーカップやメリーゴーランドなどささやかな遊具があって、ロシアの音楽みたいにもの哀しいしい曲がかかっていた。
ゆっくり回るバンビの乗り物に、そよと並んで乗った。
「みいばあと乗りたい」ってそよがつぶやいたのを聞いたとき、驚きと嬉しさが同時にこみ上げた。
そよもりうも、動物にはそれほど興味がないみたいだったけど、私もスイセイも大人だから、そんなにはワクワクしないんだけど。花の匂いがところどころでするなかをたくさん歩いて、最後にソフトクリームを食べた。何をしても楽しかった。鼻の下が長ーいカピバラも見れたし。
井の頭公園でピエロが見れたのも、とてもよかった。色褪せたスポンジでできた鳩が飛ぶところでは、感動して涙が出た。
そんなこんなを思い出しながら、今日はのんびり校正をやった。
『きえもの日記』の最後の校正。
おとつい通して読み、はじめてのつもりで眺めまわしたら、レシピ以外では直すところがほとんどなかった。
もうこれで、思い残すことは何もない。
窓の外は、雨が降っているのかいないのか分からないような、びしゃびしゃとした冬の冷たい景色だけど、心はあたたかく落ち着いている。
この本は、4月にみなさんのところに届きます。
どうか、楽しみにしていてください。
今朝は、『昨夜のカレー、明日のパン』のDVDボックスも届いた。
校正が終ってからブックレットを読んで、1話と2話のDVDを見て、特典映像も見て、ラストの「おまけのおまけ」を最後まで見たら、ああ、終ったんだなあと思った。
ドラマの仕事は、これですべて終ってしまった。
夜ごはんは、にんじんサラダ、タラとブロッコリーのスパゲティー(にんにく、玉ねぎ、豆乳)。

●2015年3月2日(月)晴れ、暖かい

朝起きたら、ちよじから「生まれました」のメールが届いていた。
おとついの日記に私は35時間と書いたけど、そしてそれは陣痛がはじまってからの時間だとなんとなしに思っていたのだけど。
実際には分娩室に入ってからの時間で、36時間半かかったんだそう。
途中で意識がもうろうとなって、自分が何をしている途中だったのか忘れてしまうこともあったけど、ぶじ自然分娩で生まれてきてくれたんだそう。
ちよじ、よくがんばったなあ。 「もう3日間寝ていないけど、わたしも元気です」
りうのときもそうだった。
陣痛で眠れなくて、分娩でももちろん眠れなくて、生んでからも眠れない。
かわいくてたまらないから、ずっと見ていたくて、眠るのがもったいなかったとりうも言っていたっけ。
すぐにでも会いにいきたいのをぐっと我慢し、あちこち掃除した。
ひさしぶりに念入りにやって、鏡や洗面所の流しまわりまで磨いた。
4時ごろ、「ロシア日記」のゲラを届けに遠くのコンビニまで散歩。
玄関を出たら、杏の蕾がピンクになりかかっていて驚いた。
ついこの間まで、枝も枝先も境なくこげ茶色だったのに。
いつもの道を、腕をぐるぐる回したり伸ばしながら歩いた。
どこからかほんのり沈丁花の匂いが届く。コブシの蕾もずいぶん膨らんで、天を差していた。
いつもの無人野菜の農家でほうれん草を買う。
ちよじがうちに居候していたころに、スイセイと3人で引っ越し先のアパートを捜したことなど思い出しながら歩いた。
そのアパートはコンビニの近くにあり、ノッポの木が1本だけヒョロッと立っていた。ダチョウの首みたいに。
郵便局で切手を買い、ぐるっとまわって買い物をして帰ってくる。
夜ごはんは、いわしの南蛮漬け、ほうれん草のおひたし(しらすのっけ)、しめじ入りなめたけ(試作)、白菜漬け、たくわん。

●2015年3月1日(日)冷たい雨。

8時に起きた。
木皿さんの帯文は、ずっとねかせておいたのをゆうべ寝ながら反芻して、ようやくできてきたような気がする。
朝ごはんを食べ、今日は『昨夜のカレー〜』の茂原監督との対談原稿(本屋さんにフラーヤーとして置かれます)のチェックから。
それが終ったらまた『Zの本』だ。
やることはたくさんあるけれど、ちゃくちゃくと前に進んでいることが、とても落ち着いたいい気持ち。
帯文は、スイセイに見せたらまだ不評だった。なのでもういちど練り直す。
うーん。まだできない。
4時半までやって、ようやく『Zの本』の推敲が終った。
ひとまず高野さんにお送りする。
ふー。あとは、「ロシア日記」と『すてきなあなたに』の校正だ。
窓の外では、木のてっぺんに鳥が1羽だけとまっている。
雨が降っているから、時々ぶるっと体を震わせたりして。
夜ごはんは、ロールキャベツのグラタン(豆乳で。ほうれん草も入れた)&スパゲティー。

●2015年2月28日(土)晴れ

先週は、ずっとバタバタしていて日記が書けなかった。
いつもながら開いてくださった方、ごめんなさい。
『きえもの日記』がほとんど脱稿したので、このところはずっと『Zの本』の推敲作業に向かっている。
ずいぶん形になってきた気がする。
ひと仕事やってから、キチムへ遊びにいった。
満席ほどではなかったけれど、いい感じにお客さんがいっぱいで、自由なあたたかな感じがあった。
お客さんたちは、目が会ってもお互いに会釈するくらいで、私は奥のソファーで「ロシア日記」の校正をのんびりやっていた。
厨房から、カチャカチャと食器がぶつかる音が聞こえた。
お客さんたちはひとりで本を読んだり、いっしょに来ている人と語らったり、みんな同じものを食べたり飲んだり。
奈々ちゃんの写真に囲まれて、好きなように自分の時間を過ごしていた。
3時間くらいいて、今帰ってきたところ。
郁子ちゃんも、インタビューでたまたま奥の部屋に来ていて、終ってからひさしぶりに話ができた。
サンと直美ちゃんの合作ランチも、ものすごーくおいしかったな。
「トネリコを思い出すような味だ」って私が言ったら、サンは、「オレはクウクウとか高山さんのことを思いながら作ったんですけどね」と言っていた。
そうか、今分かった。
「はなべろ読書記展」に合わせて作ってくれたのか!
生まれてすぐの、サンの赤ん坊の写真も見せてもらった。
「ちょうど今、ちよじも生んでるところ」とサンが言って、その30分のちくらいに、ぶじ生まれた!
ちよじはきのうから陣痛がはじまって入院し、35時間かかって生んだのだそう。ヤーノも隣にいるらしい。
うーん。うれしい。
うれしくて涙がにじんだ。
サンは今週の月曜日。ちよじは今日。
両方とも男の子だから、また和楽たちのように、従兄弟どうしみたいに転げ回って遊ぶんだろうな。小学校の入学も、声がわりするのもいっしょだ。
クウクウの第二次ベビーブーム。
展示を見にきてくれた人たちの感想ノートを読んで、その筆跡を見て、涙がにじんでいたところに、サンの赤ん坊の写真を見せられ重ねてにじみ、ちよじの知らせでまた、追い討ちをかけるようににじんだ。
サンも、直美ちゃんも、リーダーも、奈々ちゃんも、郁子ちゃんも、ただふつうにありのままにそこにいて。
とり立てて楽しそうでもなく、つまらなそうでもなく、淡々と自分の仕事をしていて。
派手なものも特別なものも何もなく、ただそこに在る。
なんだか私はうれしかった。
「クウクウ」のころ、私もこの場所で、こんなふうに働いていたんだっけ。
陽が沈む前のまだ明るい通りを、自転車をこいで帰ってきた。
こーいうののことを、幸せというんじゃないだろうか。
夜ごはんは、ロールキャベツ(ゆうべ煮ておいた)の辛しじょうゆ添え、かぶとかぶの葉の煮びたし、しらす、納豆、白菜漬け、辛し菜漬け、白いご飯。
明日から私は、また自分の仕事をがんばるべ。

●2015年2月15日(日)晴れ、風強し

このところ外に出掛ける日々が続いて、人にもたくさん会って、たいへんおいしい料理も食べて、とても楽しかったのだけど、私はちょっとくたびれた。
今日はひとりでゆっくり過ごす。
スイセイが広島に帰っているので、部屋も心も静か。
ごはんは好き勝手に、お腹が空いたときに作って食べた。
明るい光がいっぱいの部屋。
布団が敷きっぱなしでも、ひとりだとちっとも散らかった感じに見えないのはなぜだろう。
空気が動いてないからかな。
白いシーツの上で、『きえもの日記』の最終校正をしたり、あとがきの仕事をいただいている本のゲラを読んだり。
ときどきごろんと仰向けになり、太陽に顔を向けて目をつぶった。
窓の外ではビュービューと風が吹いている。
夜ごはんは、白菜と揚げの葛よせ(たなかれいこさんのレシピで。塩も酒もだしもまったく加えないというのに、白菜から純粋な水分がたっぷり出る。そのおいしさといったら!)、雑炊(あんこう鍋の残りのスープに牛乳を足し、ごはんを煮て、卵でとじた)、海苔のつくだ煮。
夜、お風呂から出たら、玄関の床がざらっとして、雑巾が真っ黒になった。
今日はとてつもなく風が強いから、玄関ポストの隙間から砂嵐が入ってきていたのだ。
毎年、春がくる前に一度か二度こういうことがある。
春の兆し。

●2015年2月5日(木)雪、夕方にはやむ

天気予報はほとんど当たり。
8時半には雨粒に氷の塊が混じり、9時ごろから雪になった。
窓には雪。耳にはスウェーデンの賛美歌。
畳の部屋で、料理本のためのおこんじきさんをやった。
けれど、畳に座っている目線の高さからは、ただの真っ白い空(くう)が見えているだけ。ときどき立ち上がり、舞う雪を確かめながらやった。
降っても降っても、積もらない。
お昼を食べ、2時からは「ロシア日記」の続きをやる。
暑い暑いウズベキスタンのことを書いているのに、雪景色が似合う。
ときおり窓を眺め、またパソコンの画面に戻る。
5時には上がってしまった。
今日の雪は、どういうわけかまったく積もらなかった。水っけが多い雪だったんだろうか。
夕方、水道の水が氷りそうに冷たかった。
手がかぢかんで、北海道のアムたちの水道を思い出した。
夜ごはんは、塩豚(厚切りロース)のトンテキ、粉ふきいも&菜の花とほうれん草炒め添え、肉なし豚汁(ごぼう、豆腐、ねぎ)、納豆のみそバター炒め、白いご飯。

●2015年2月3日(火)快晴

この間は、木下恵介の恵の字を圭と間違えて書いてしまった。
失礼しました。
朝から「ロシア日記」の続き。
亀のスピードだけど、徐々に前に進んでいる。
途中まで書いては、思い出したことをまた戻って書き加えたり、直したりしながらやっているので。
1時半くらいにお昼を食べ、目薬をさして目をつぶり、またすぐに向かう。
4時までやった。
今はウズベキスタンのダルバン村で、民宿のお嫁さんにブロフ作りを教わっているところ。
どうにか8割くらいは書けた。
明日は、隣の奥さんにナン(お盆みたいに大きいパン)を教わるところから書きはじめよう。
早めに夕飯の支度をして、お風呂にも入ってしまう。食べる前に豆まきをしたいので。
慌てて入ったので、お風呂の腰掛けに新しくヒビを入れてしまう。
この腰掛け(プラスチック製)は、去年だったかおととしだったか、すでに私がヒビを入れ、スイセイが釣り糸で縫い込んで修繕してくれたもの。
「またみいは乱暴に座ったんじゃろう」と怒られると思って、早いめに謝ったら、「ええで。形のあるものは壊れるけえ」と優しいのだった。
スイセイも今、お風呂に入っている。
出てきたら豆まきをしよう。
今夜は、7時からものまねのテレビがあるのがすごく楽しみ。
夜ごはんは、ラムのから揚げ(キャベツ、青じそ、ミニトマトの甘酢和え添え)、豆腐とねぎのみそ汁、キムチ、白いご飯。

●2015年1月31日(土)晴れ

春のように暖かい。
雪が溶けはじめている向かいの空き地は、塩田のよう。
完全に溶けた四角い水たまりに青空が映って、風が吹くとさざ波立つ。
きのう、河出の中山さんんが送ってくださった木皿さんの日記(「波」に連載してらっしゃる)を、今朝も何度も読む。
朝ごはんを食べながら、スイセイにも読んでもらう。
12月に対談に行ったときのことなどが書いてあるのです。
さーて、今日も「ロシア日記」だ。
どこにも出掛けずに、ずっとパソコンに向かっていた。
目が疲れたら目薬をさし、温泉枕(レンジでチンしてあたためる)を目の上にのせて2分ほどすると、驚くほど恢復する。
夜ごはんは、肉ギョウザ、煮込みラーメン(ゆうべのシャブシャブのスープにごまみそダレを溶いた。キャベツ、ほうれん草)。

●2015年1月30日(金)雪、午後にはやむ

雪だ!
朝ごはんを食べ、食器を洗い終った(朝ごはんの分はスイセイの係)スイセイは、めずらしく窓の外をしっかりと眺めて「立派な、ええ雪じゃのう」とつぶやいた。
あたり一面まっ白で、音がしない。
吸い込まれそうに静か。
こんな日は、北欧の賛美歌のCDがよく似合う。
くり返しかけながら、パソコンに向かった。
今日は「ロシア日記」の続きに没頭しよう。
きのうのうちに買い物に行っておいたから、どこにも出掛けなくていいのが嬉しい。今夜は鍋ものにする予定(きのうから決めておいた)。
川原さんともメールをし合う。
向こうが見えないほど降っていた雪も、1時過ぎにはやんでしまった。
がっくり。
せっかく白い窓を眺めながら「ロシア日記」にいそしもうと思っていたのに、『Zの本』の構成案をまとめたり、レシピ書きを夢中でやっていて、雪が弱まった瞬間も気づけなかった。
でも、雪が降ってこんなに喜んでいるのは、外に仕事に出なくてもいい私みたいな人と、川原さんと、小学生だけだろう。
下の公園では、ランドセルを背負った男の子がひとり、積もった雪の上をひと足ひと足、こっそりこっそり、足あとをつけながら歩き回っていた。
授業中からずっと、ここに来ることを決めていたにちがいない。
夜ごはんは、しゃぶしゃぶ(豚肉、ほうれん草、豆腐、えのき)、大根おろし、万能ねぎ、ポン酢じょうゆ、ごまみそダレ(にんにくがなかったので、ラーユに入っている香味類をすくい出し、すりつぶして加えた)。
食後に、小津の『晩春』を見ながら、栗蒸しようかん(私)とどら焼き(スイセイ)。
半分まで見て、あとは明日のお楽しみだ。
このDVDはうちの図書館で借りた。
きのうとおとついは、木下圭介の『夕焼け空』を半分ずつ見た。

●2015年1月23日(金)快晴

起きたときには物干竿に雨の滴がついていたけれど、少しずつ晴れてきた。
朝ごはんを食べながら窓を眺める。
空の下は雲がかたまっているけれど、上の方にくっきりと青空が見える。
その青がぐんぐんと増え、晴れ上がった。
朝ごはんを食べるとすぐ、スイセイと散歩に出た。
ひさしぶりの散歩。年末以来かも。
私は今、とても暇なのだ。
赤澤さんとの打ち合わせが延期になったし、『Zの本』の原稿もまだ戻ってこないので、ぽかんと空いている。
それにしても中央公園で仰いだ空は、一点の曇りもなかった。
白いビルはすみずみまで真っ白で、木々の葉は奥まで緑色。このところの雨で縮こまっていた葉を、のびのびと広げているような。息をして盛り上がっているような。
原っぱの真ん中に立ち、青い空めがけて伸びをした。
「今年最初の、春の日じゃのう」とスイセイ。
本当にそう。汗ばむので、上着を腰に巻いて歩いた。
スイセイと途中で別れ、私はスーパーへ。
帰り道でふと思いつき、眼科へ寄った。
このところ目がやたらに疲れやすく、充血することもあったので。
目薬を買って帰るつもりだったのだけど、薬屋はもう通り越してしまったので。
視力検査や眼底検査、ほかにもいろいろ調べてもらい、どこも悪いところはな
かった。網膜もきれいだそう。ドライアイでもないらしい。
疲れ目によく効く目薬をもらって帰ってくる。
帰ってから試してみたら、じゅーんと潤って、なんだかとてもいい具合。思い切って診てもらってよかった。
今日は、「ロシア日記」の下ごしらえをする。
これまでの連載を読み、日記をめくって、記憶の注入をする。
明日から書きはじめよう。
締めきりにはまだうんと早いけど、そのうちドドドッと仕事が入るだろうから、今のうちにやっておこう。
畳の部屋は、陽が当たっている間は、ストーブをつけなくてもずっと暖かかった。
夜ごはんは、なめこ入りきのこスパゲティー、白菜と赤かぶの塩もみサラダ(黒酢しょうゆドレッシング)。

●2015年1月21日(水)曇りときどき雪

朝起きてすぐ、窓の外を見たスイセイは「アイルランドじゃのう」と言った。
本当に。どんよりした空の色と、いかにも冷たそうな空気。目をこらすと、白いものがふらふらしている。
道ゆく人たちも、コートのフードをかぶって着膨れている。
朝ごはんを食べながら、今日は芸能界の話題で盛り上がる。
山ピーがどうしたの、亀梨くんがどうしたの。
私は洗いものをしているスイセイの脇に立ち、まだ話が終らない。
今日は1時から河出の中山さんがいらっしゃって、『きえもの日記』のつき合わせをやる。
それまでにはたっぷりと時間があるので、念入りに掃除し、ワックスも塗った。
掃除をしているとき、本格的に雪が舞っていた。
それを眺めながら雑巾がけをするのは、気分がよかった。
こんな寒さの中をいらしてくれる中山さんのために、スープを煮ながらやった。
冷蔵庫にはみごとに何もなかったのだけど、冷凍庫に手羽先の羽の部分と、手羽元を3本だけみつけたので。
大根、白菜の芯、白菜、もち米も少し加えて、塩だけでことこと煮ている。ちょっとサムゲタン風だ。
中山さんは、前回も台風の日にいらしてくださった。ありがたいことです。
今、終ったところ。
去年の暮れからずっと抱えていたゲラをお渡ししたので、すっかり心が軽くなり、散歩に出る。
まずは図書館へ。何のあてもなく、ひさしぶりに気ままに見てまわった。1時間ほど。
キーンとした寒さの中をもう少し歩きたくて、コンビニでコーンの缶詰めを買いがてら、向かいの中華屋さんで生の餃子を買って帰る。
夜ごはんは、みそラーメン(白菜、キャベツ、玉ねぎ、コーン、メンマ、ゆで卵)、焼き餃子。
餃子は、皮が厚く具もたっぷりで大きく、修二(『野ブタ。をプロデュース』の)のお父さんが山盛りに焼いたのにそっくりだった。大満足なり〜!

●2015年1月18日(日)快晴

今日もまた、空が青いなあ。
あちこち念入りに掃除して、『きえもの日記』の校正の続き。
陽がいっぱいの畳の部屋でじっくりと向かう。
それにしても、鏡に映る私の目はお岩さんのよう。
このところ毎晩毎晩『野ブタ。をプロデュース』を見ては、笑ったり泣いたりして、そのまま寝入ってしまうからだ。
すでに1話から10話までひとまわり見て、今は2周目だというのにまだ泣ける。
はじめてDVDを見たとき(リアルタイムでは見られなかった)より、今の方がさらにピンとくるのはどういうわけなんだろう。
特に山ピーがおもしろくて、かわいくて好き。
自分の高校生時代のことを思い出したりもする。
あのころに戻りたいわけじゃ決してないんだけど、おばさんになった私からふり返ってみると、あのころにしか楽しめないことがいっぱいあったのに、私はその半分も味わいそこねていたような……なんだかなあ、なんて思う。
早く大人になりたくて、青くさくやわらかい自分がいやだった。
まだまだ子どもなんだから、「マジのすけ!」とか「そうだっちゃ」とか言って、もっとバカみたいなことを、明るいのも暗いのも、いっぱいやっておけばよかった。
でも、そんなもんだ。
そのとき当人は精いっぱいで、それなりにいっしょうけんめいだったんだから。
これから私がもっと年をとって、よぼよぼのおばあちゃんになって今くらいの自分をふり返ると、やっぱり同じように思うんだろう。
学園ドラマを見て、切ないような、胸苦しいような、こんな気持ちになるのははじめてだ。
それにしてもこのごろはずっと、木皿さんのてんこ盛りの日々だ。
じつは、『昨夜のカレー、明日のパン』のDVDが発売されることになったのです(この日記がアップされる予定の19日が公表解禁)。
ささやかながら、私もそこにつくブックレットのことを去年の暮れからずっとやっていて、今日も最終チェックをしていたのだった。
『きえもの日記』の校正も、いつまでもやっていたい。
明日こそは「気ぬけごはん」の原稿の仕上げをやらねば。
夜ごはんは、鮭の南蛮漬け(本のための試作)、ひじき入りいり豆腐、大根と青じそのみそ汁、いくらのしょうゆ漬け、白いご飯。

●2015年1月11日(日)快晴

ゆうべは眠たくて、どうしても目を開けていられず、隆明さんの番組を見ることができなかった。
スイセイはひとりで見ていた。目をキラキラさせて。
朝ごはんを食べながら、どんなだったか教えてもらう。
1時間半の番組だったらしいけど、「ぜんぜん時間が足りんかった」らしい。
それでも、子どものころや若いころの写真も映ったそう。
ああ、私も見ればよかった。もっと早い時間に再放送をしてくれないだろうか。
今日もまたいい天気。
そして今日も、きのうの続きの「おこんじきさん」をやる。
2時くらいに終ったので、押し入れの襖の穴に和紙を貼りつけ修繕してみた。
この穴は、もう3年くらい前から空いたままになっていた。
そして和紙といっても、それはお正月の箸が包まれていた紙。ゆうべから紅茶に浸して染め、ベランダに干しておいた。
野菜のくり抜きを当てて鉛筆でなぞり、花びらの形に切り抜いて、ずらしたり重ねたりしながら張った。
のりはきのうの残りの、砕いた鏡餅を煮溶かしたものだ。
うちのおばあちゃんが障子の張り替えをするときには、小麦粉を水で溶いて鍋で煮たのをのりにしていたなあと思い出して。
鏡開きのお餅で作ったのりなんて、縁起がいいじゃない。元旦に使った箸袋の和紙だし。
私はこういう、貧乏くさいことをずっとやりたかった。
さあ今日も、『まる子』に『サザエさんだ』。
夕方、カーテンを閉めようとしてしばし見とれる。
沈みかけた太陽の光で、西の空にぽっかり浮かんだ雲が、下の方だけオレンジ色に染まっているのだった。
夜ごはんは、ちぢみほうれん草と豆みょうのじゃこ炒め、納豆スパゲティー(スイセイ作)。

●2015年1月10日(土)快晴

このところ、毎日とてもいい天気。
パリパリに乾いた洗濯物をとり込むとき(だいたい3時ごろ)、雲がひとつもなく真っ青な空にいつも驚く。
よほど空気が乾燥しているのだ。
そんななか、陽の光だけで暑いくらいの畳の部屋で、「おこんじきさん」の日々。
今年からはじめる料理本作りのための「おこんじきさん」だ。
いつものように畳いっぱいに資料を広げ、頭をふわふわ遊ばせながら、整理もしながら、ひらめいたことを走り書き。
整理されてゆくスッキリさは大掃除にも似ている。楽しいので夢中でやっている。
ゆうべ、寝る前に鏡餅(うちはいつもいちばん小さいサイズ)を裏返したらカビがはえていたので、水に浸けておいた。
ひと晩浸けておくと、自然に入ったヒビ割れから水がしみ込んでボロボロと簡単に砕けるので、中の方のカビもうまく取れる。
今朝は起きてすぐ指でカビ取りをし、ぜんぶきれいにして、また水に浸けておいた。
鏡開きは暦の上では1月11日らしい。
1日早いけど、お汁粉を作ろうと思って。
今は、『リトル・フォレスト』で主人公のいち子ちゃんがやっていたのを思い出しながら、小豆を煮ているところ。
思い出すたび台所に行って、びっくり水をさしながら、また「おこんじきさん」に戻る。
小豆って、こんなにいい匂いだったっけ。何度もゆでているけど、心して嗅いだことがなかった。
『リトル・フォレスト』では、乾燥する前の若い豆を畑から採ってきて、ゆでて甘く煮たり、スープに加えたりしていた。
生の小豆をゆでると、どんなにいい匂いがするんだろう。
そういえば『リトル・フォレスト』の試写会を一緒に見にいった川原さんは、「私でも、いろいろ作れそうな気になった」と言っていた。
本当に。
私も映画を見てからすぐ、はっと汁(スイトンのようなもの)を何度も作った。
粉に加える水の加減や、混ぜ方、ねかしておいた生地のやわらかさ、鍋に落とすときのちぎれ具合が、見ているだけで体に入ってくる。
レシピも……というか、それはいち子ちゃんのナレーションとして、見ている者の耳に届くのだけど、説明でないところがとてもいい。 音楽のようなレシピ。
ムダなく的確なのに、言葉の並びや息継ぎが詩のように美しい。
凍み大根のレシピなんか、あんまり心地いいので、試写室の暗闇のなか私は急いでメモをとった。
雪の上を散歩するときの言葉も、すごくよかった。暗唱したいほどだった。
言葉も、風景も、心も、何もかも、この映画のすべてがレシピの素になっているんだと思う。
ほかの映画を私が知らないだけかもしれないけど、料理を柱においた映画の中ではピカイチじゃないかなあ。
そしてこの映画がすばらしいのは、自然と共に生きること、自給自足のこと、料理について、ちっともたいそうぶっていないところ。
私が試写会で見たのは『リトル・フォレスト冬・春』で、来月に封切りされる。
すでに去年の夏には『夏・秋』編を上映していたそうだけど、私はどうして何にも知らなかったんだろう。
たぶんドラマで走りまわっていたから、世間のことが入ってこないよう目と耳にふたをしていたんだと思うけど。
今夜は、夜11時から楽しみにしている隆明さんの番組があるので、「それを目標にして今日一日を過ごさんにゃ」と、今スイセイが言いにきた。
夜ごはんは、キャベツオムレツ(合びき肉、キャベツ)、豚汁、のりの佃煮、野沢菜漬け、白いご飯。

●2015年1月2日(金)快晴

なんとなしにのどが痛いので、今日は寝て過ごすとスイセイに伝え、しょうが湯を飲んで布団にもぐった。
ご馳走続きで胃袋が重いし、体もだるいような気がして。
私はきっと、年末に大掃除を張り切りすぎたのだ。
26日から頬っかむりにマスク姿で、朝から晩までやっていた。
大晦日も『紅白』がはじまるぎりぎりまで掃除したり、ご馳走を仕込んだり。
布団の中で、寝たり覚めたり。
目をつむったまま、『きえもの日記』のまえがきの仕込みもやる。
明日から書きはじめよう。
4時によくやく起き上がり、お風呂に入った。
スイセイがリビングにやってきて、カニの歌を歌っている。
「カニ食べいこうー、カニ食べいこうー」
今夜のご馳走は、蒸しズワイガニ、牛肉のみそ漬けサラダ添え(白菜、キャベツ、にんじん、ルッコラ)、真鯛の昆布じめ、いくらおろし、磯部巻き。
寝る前に思い出したのだけど、今年は満月卵を出すのをすっかり忘れている。11月から仕込んであったのに。

●2015年1月1日(木)曇り、ひとときの雪

明けましておめでとうございます。
10時に起き、朝風呂にゆっくり浸かって朝ごはん。
スイセイとご馳走をつまみながら、年賀状を読んだり、日本酒をちびちび飲んだり。
窓の外は、元旦には似合わないどんよりした灰色だ。
ふと目をこらすと、ふらふらと白いものが漂っている。
そのうち、和紙を細かくちぎったような粉雪になった。
元旦の献立は、真鯛の昆布じめ、数の子、なまこ酢(黒酢、薄口しょうゆ、柚子皮)、たたきごぼう、黒豆(去年三ちゃんのお母さんにいただいた味を思い浮かべながら、古い常備菜の本も参考にしながら、うす甘く煮てみた。ふっくらととてもうまくいった!)、お雑煮(白菜、大根、ほうれん草)、赤かぶの千枚漬け、磯部巻き(撮影で作ったのを冷凍しておいたいくらとチーズを挟んで食べた)。
朝ごはんが終ったら、スイセイは自分の部屋へ。
私は畳の部屋で、アノニマ・スタジオの村上さんが届けてくださった『日々ごはん12』の読書カードを読む。
窓には小雪が散らついている。
もう5年前に出た本だけど、最終巻となった『日々ごはん』に向けてのみなさんの熱いメッセージ。
細かな文字でぎっしりと書き込まれた言葉を、少しずつ読んだ。
声を出して笑ったり、涙が噴き出したり。
その中から、(コメントをホームページ、広告などに使用しても『可』)とあるものを、少しだけ抜き書きさせていただきます。
「日々はあわただしくすぎていきますが、日々ごはんをよむと、一度たちどまり、一瞬一瞬を大切にしたくなります」
「人は変っていく、変ることは悪いことじゃないということに気づきました」
「日々ごはん、ずっと読んできました。その中で高山さんの日常や考え方からじんわりと影響された何かがあるのは確実です。それは『正直に生きていくこと』として私の中に小さなかけらが集って、もう私のものとして存在しています」
「日々ごはん1〜12を読み、ときおり出てくるスイセイさんのことばに、涙が出るぐらい感動します。特に8巻のP291『どんな時でもの、だーれも自分のことなんか誉めてくれんし、認めてくれんのんで。でもの、世界でたったひとりだけ認めてくれる人がおるの。それは、誰でもないこの自分。ほいじゃけ、自分の面倒は自分でみんにゃあ。そんなの当たり前じゃん』と、12巻のP10『生きとる人はの、自分のやりたいことを一生懸命やればええんよ。役目じゃけえ、先に死んだ人はの、それを喜んでくれると思うで』心に深くしみ入り、毎日読み返しています。スイセイさんにも心よりお礼申し上げます」
最後にもうひとつ。
どうしても全文を引用させていただきたいカードがあります。
私はこれを読んだとき、本当にありがたく、もったいなく、これから先自分に何が起こっても、いつでもここに戻ってこようと思いました。この葉書を書いてくださった方、ありがとうございました。
「私は摂食障害という病気になって、もう17年。食べることを楽しむことから一番遠くに来てしまい、戻りたくても戻れない道のりを、ずっと歩んできました。本を読むことがスキで、高山さんの『帰ってから〜』に出会い、ずっと読み続けてきました。
食べることと闘うように生きてきた私にとって、食材を生きものとしてとらえ、愛し、心を添え、心を込める。食べものの力を、信じている。そういう強くて愛情にボーボーと毛が生えているようなワイルドでたくましい力が、高山さんにはある気がした。
体と心がバラバラな私が、いつしかひとつになって、高山さんの料理から、ことばから、湯気を感じ、匂いを感じ、味を感じ、いつもおなかいっぱいになって愛でみたされていた。本当は、本当は、食べることで生きたい。私は高山さんの料理で何度も生きられたから」
ぜんぶ読み終わり、資料を広げて仕事にとりかかった。
まずは『きえもの日記』のデザインが上がってきたのを、じっくり読みながらページをめくって、本全体の匂いのようなものを確認。 そのまま木皿さんとの対談原稿の校正。
映画『リトル・フォレスト』のコメントも書く。
今年は、お正月にやっておかねばならない宿題がいくつもある。
私はそれがとても嬉しくありがたい。
夜ごはんは、数の子、厚切りハムとホワイトアスパラのサラダ(白菜、キャベツ、にんじん)、黒豆、なまこ酢、お雑煮、磯部巻き。

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