2003年1月上

●2003年1月10日(金)快晴 春のようにあたたかい

料理グッズの撮影だった。リビングはのんびりと温かい感じ。
「ハナレグミ」をかけ、窓をいっぱいに開けていたら、陽の光が部屋の奥まで入ってきていい感じだった。
そしてここのところずっと来ている鳥。全体に濃いグレーっぽく、頭が黒くてボサボサしたむくっとした鳥。あれはムクドリではないだろうか。望遠鏡でのぞいてみたらくちばしが朱色、お腹のところはほんのり白っぽい。
撮影で使った大根おろしがあったので、塩鮭を焼いてパスタにした。のりをまぶして純和風にしたつもりだったが、スイセイは味がもの足りなかったらしく、粉チーズとタバスコをかけていた。私もまねてみたが、うーんイマイチだ。健康的にオイルも少なめにしたからまずかったのだ。めんつゆか?とも途中で思ったが、すでにしょうゆ、ナンプラー、酢漬け唐辛子といろいろ試しすぎて、何がなにやらわからない。
食べながら、「太陽バンド」のCDをくりかえし聞く。「声いいでしょ」と私。「人がらの良さが出とる声じゃのー。」とスイセイ。確かに。私は畑さんのことをあまりよく知らなかったが、歌っている姿や声やしゃべり方を聞いていて、この人って良い人(清い人)にちがいないと思っていた。思っていたというより、そういう空気が来たというか届いたというか。
というわけで、パスタを食べ終わったらぐっと眠気がやってきた。
明るい部屋の中で、電気ストーブをつけ、毛布をかぶってうたた寝するしあわせ。  このところ、正月が明けたとたんに、皆狂ったように仕事モードにもどり、バリバリ電話がかかってくるからくたびれました。私もやらなければならないことが20日まで詰まっているので、できるだけそれを考えないようにして寝た。
なんと、また夜から打ちあわせ。
今、タクシーで帰って来ましたがもう3時です。でも、太陽に行けたし、畑さんの顔を見れたし、ごぼうハンバーグも食べたし、みどりちゃんにも久々に会えたし、たいせつな本のことだし・・・

●2003年1月9日(木)快晴 あたたかいが夜になってぐっと冷え込む

昨夜のライブはなかなかおもしろかったが、いくつもバンドが出たので、すごいロックが2組続いたところで頭グルグルになり、とちゅうで帰って来ました。「太陽バンド」は、バンドといっても、あの「太陽」の畑さんがひとりでステージに立って、エレキギターを弾きながら歌うのだ。その真っすぐな立ち方と上向き加減に歌う姿が、哀愁というか頼りなさげのかっこ良さというか、色気があって私の好きな感じだった。ギターも独自だしすごく上手で、声も良いうえかわいかった。もらったCDを、昨夜から何度も聞いています。耳の中では「サマータイヨウ」が繰り返し鳴っている状態。つまり、耳について離れないってこと。
今日は早起きして日赤へ。この間の検査の結果を聞きに行きました。
卵巣も子宮も異常なしとのこと。
気分爽快で自転車を飛ばし、とちゅう農家でブロッコリー、キャベツ、里芋を買う。コロッケ屋さんでコロッケまで買ってしまった。あとで、おいしいコロッケサンドを作ろうと思って。
3時半から雑誌の打ちあわせ。さくさくと決まって4時半には終わり、買い物の追加に行って、試作の数々をこなす。
今日はこれで仕事は終わりのはずだったが、丹治君から電話があり、たいせつな打ちあわせ。夜の11時に出掛けました。飲み屋でやると飲んでしまいそうなので、ファミレスでやることに。明日は撮影なので。グッズものの撮影だけど、顔も写るので。

●2003年1月8日(水)快晴

ゆうべは立花君、赤澤さん、丹治君と「のらぼう」で打ちあわせだった。
表紙、すごいびっくりな出来栄えでした。帯も。
調子よく日本酒など飲むが、なんとなくやることがたまっているので、1時くらいに帰ってきました。
表紙のことが嬉しくて、なかなか眠れなかったのだが、明け方いや〜な夢をみた。
すごくリアルなやつ。電車かバスの事故かなんかで、たくさんの人たちが死んでいた。窓ガラスに血がドバッとかかっていて、苦しくてひっかいたような指の跡がたくさんついていた。私は、ものすごく怖かった。人が死ぬってこういうことなんだと思った。たぶん、生れて初めてそう思った。血の色が、すごい鮮やかだった。
ふだんは、人って、きれいな皮膚をかぶっているから、事故だとか体が切れるとか考えもしない。頭の中で考えていることが大部分で、しあわせだったり悲しかったり、それに左右されながら生きているけれど、ほんとうは、人間の体ってものすごく壊れやすい。それを夢の中で実感した。
目が覚めてからも、あのアメリカのビルが崩れた時に、苦しくて飛び降りた人たちがたてていたバーン、バーンという音のことや、原爆のことなんかを、寝ぼけているくせにずっと思っていた。最悪だった。
先に起きたスイセイに白菜を干してもらい、私はもうひとねむり。
午後になってやっと起きだし、明日の打ちあわせのメニューをどんどん決めてゆく。校正のファックスやら長いのがどんどん届いたりして、正月明け全開っていう感じだった。
白菜を塩漬けし、スイセイとりうの晩ご飯の支度をして、夕方から「太陽バンド」のライブを見に行って来ます。

●2003年1月7日(火) 快晴 夕方、細い三日月が

朝から、といっても昼だが、バリバリと仕事モードで動く。
ためていたファックスもどんどん送る。
夕方、買い物に行ったら、細い三日月がくっきりと出ていた。
いつもの八百屋で、小さめのトマトがたっぷり入って200円也。カリフラワーも大きく固くしまったものが150円だった。白菜、しいたけ、エリンギ、いんげんなどたっぷり買う。今日気がついたのが、ここの野菜って、値段といっしょに産地も書いてある。なんとなしに見ながら今まで買っていたが。
七草セットを楽しみにして行ったのだが、売り切れとのこと。「あれがなくたってさ、かぶと大根とセリを入れりゃあいいんだよ。」と、レジのおばちゃんに言われるが、スーパーに行ってみたらありました。
七草をちょっと味見してみたが、ちょっと酸っぱいような草があった。何の草だろう。すずしろというのは大根、すずなはかぶのことだそうだ。
夜ごはんは、七草がゆ、まぐろの中落ち、塩鮭、れんこんのおかか炒め、きのこのフライパン焼き、セリの辛子和え。
このうち、れんこんときのこは撮影用の試作だが、いつも作っているものばかりを、きっかり計量して作り方も極めました。
きのこは、しいたけとエリンギを厚めに切って、フライパンで焦げ目がつくまで焼きつける。油はほとんど入れずにテフロンのフライパンに塗るくらい。味つけは、まだ雑誌が出ていないので秘密にしておきますが、焼きちぢみもないし水分も出ないから、きのこの味がぎゅっと詰まっておいしいのです。
食後には、昨夜から仕込んでおいたお汁粉。乾物入れの中で忘れられていた白玉粉を使って、ツルンとした団子にした。「ちょっと上品すぎる味じゃ。かあちゃんのはもっとあずきがつぶれてドロドロしとったで。」と、なまいきを言うスイセイだった。
正月用に買った柚子があまっているので、白菜の漬物をしてみようと思い、1個を4等分してざるに上げた。明日干そうと思って。
夜10時半から西荻で打ちあわせ。表紙の案ができたらしいので行ってきまーす。

●2003年1月6日(月) 快晴

布団を干し、洗濯機をまわしながら掃除だ。
正月になってから初めての掃除だったので、ほこりがけっこうたまっていた。パソコンのキーボードが薄汚れていたので、ためしにキッチンクイックルで拭いてみました。
送別会の時にもらった花束の花びらを、ポプリもどきにならないかと年末から大量に干しておいたのだが、今日見てみたらなんと綿毛ができていた。
私はおおざっぱだから、雌しべと雄しべも花びらといっしよに摘んでいたのだろうが、ここ1週間の間に、いったい何が起きていたのだろう。綿毛ということは、種だ。
ポプリはやめて、春になったらどこか土のある所に蒔いてみようかと思い、花びらごと紙にていねいに包んでおく。
今日は「松納め」といって、松飾りやしめ飾りを片づける日だそうだ。
雑巾がけをし、ワックスも塗った後でそのことを知ったが、気分的にもそろそろ仕事ノリに移らないとと思う気持ちは、昔の人とそう変わらないものだと、やけに納得しました。
夕方、編集のミキちゃんが原稿をうけ取りにきた。今日が仕事始めなのだそうだ。
さっき、仕事のファックスも長々と届いた。
そして今私は何をやっているかというと、あずきを煮ているのです。
暮れに、NHKの「きょうの料理」でやっていたのがとても分かりやすかったので、メモしておいたのです。
1.あずきは1カップ。あずきを鍋に入れ、たっぷりの水でいちどゆでこぼす。
2.鍋にもどしたあずきに3カップの水を加え、さし水をしながらことこと煮込む。
3.あずきがやわらかくなったら砂糖1カップを加え、火からおろして蓋をし、冷めるまで待つ(ここがだいじ。味がなれて、大違いだそう)。
4.ふたたび温めて、塩をほんの少し加える。
3番までやっておけば、明日にはおいしいお汁粉が食べられます。
子供の頃、近所にあんこ屋さんというのがあって、その近くを通るといつもあずきを煮る匂いがしていた。砂糖が入る前から甘ぼったいような、そう、この匂いだ。
さて、そろそろ連載の原稿でも書き始めようかな。

●2003年1月5日(日) 薄曇り

またまたしっかり寝て、1時に起きた。
正月気分もそろそろ飽きてきたが、薄曇りだったので掃除をする気にもなれない。
ちょっと仕事らしいことでもしようかと思い、こんどやるケイタリングのメニューとスケジュールをおおざっぱに決めて、ファックスを送った。
夜はスイセイに誘われて「ウルルン」を見る。今私が好きな芸能人は、和田という男の子だということに気がついた。ちょっとオカマっぽくしている芸風の子。この間、新年の番組の時に、息を止める競技ですごく頑張り、たしか4分近くも水槽にもぐっていた子だ。終わってからも「えへへ〜」という感じでえらぶらないし、顔も髪形も体つきも好みだ。「ウルルン」でも、もっとずっと見ていたいと思わせる可愛らしさだった。
うーん、明日は連載の文章をやり始めよう。
次の撮影のメニューもそろそろ考えて試作しなくては。
夜ごはんは、塩豚と白菜のコトコト煮、ハムとチーズのオムレツ、ほうれん草のおひたし、ごばうの酢煮、キムチ、玄米、というめちゃくちゃなメニューだったが、スイセイはオムレツが嬉しかったのか「ワーイ!」と喜んでいた。

●2003年1月4日(土) 快晴 実家の2階から富士山まる見え

帰りの新幹線は混んでいた。といっても、120パーセントだというから、ぜんぜん楽勝だろう。入り口のところでずっと立っていたが、荷物も下に置けたし、ちゃんと自分の居場所を確保できていた。ウォークマンからは、たかし君の「ハナレグミ」が。
東京駅から大手町の地下鉄まで歩ける距離だと聞いたが、どうやら反対の出口に出てしまったらしいので、タクシーに乗った。運転手さんはものすごくいやそうだったけれど、ぶつぶつ言いながらも行ってくれた。私の感想ではけっこう遠いじゃんと思ったが、ワンメーターだったので、おつりをくれる時にも、ものすごい感じ悪くわざとしているみたいなつっけんどんさだった。ちょっとくやしかったので、「感じわりいー!」と降りてからつぶやいた。
そして原君宅へ。
お母さんは淡いピンクのモヘアセーターを着て、いつものソファーにちょこんと座っていた。今日はけっこう食欲もあり、唄もよく歌うし、ずっとお喋りしていた。
お喋りの内容は、いちどに5個ぐらいの話をしている感じ。主語があって次にいくのだが、次ではもう別の主語になっていて、テレビで言っている言葉も猿まねみたいに混ざってきて、結末はさいしょからかなり遠くなっている。すごい脳だ。
とちゅうから森下も来て、楽しく原君のご馳走をよばれる。
まずは口取りの、酢ばす、昆布巻き、めずらしいかまぼこ。そして、くわいのグラッセ海苔まぶし。これがめちゃくちゃおいしかったんです。ほくほくしてほの甘く、マヨネーズっぽい味もするので、海苔とも相性バツグン。レシピを聞くと、「くわいをだしで煮て、バターで煮っころがすだけだよ」と言っていたが。次は、卵豆腐をくずし、茹でて小さくしたなめこと和えたもの。これだとお母さんはツーッと噛まずに飲めるのだ。そして鮭、大根、人参、こんにゃく、ねぎの酒粕汁。これはだし汁ではなく、そばをゆでた汁で煮てある。そばのゆで汁は老化防止に効くんだそうだ。だから、そばを茹でたら必ずとっておいて、スープにしたり煮込み料理に使ったりするんだそうだ。うーん、すばらしい。「原マスミの介護料理」という本がマジで出せるほどの、味と工夫の数々だった。
最後は森下がお好み焼きを作ってくれた。やきそば入りだ!おたふくソースだ! 食い逃げのようにして、食べるだけ食べて帰って来ました。スイセイの腰の様子が気になっていたので。
スイセイは寝室で寝ころんだままテレビを見ていた。ここ3日間ずっとそうしていたらしい。りうがカレーを作ってくれたり、お茶をいれて運んできてくれたりして、けっこう親子水入らずで、私がいなくて良かったんだと。腰もずいぶん良くなってきたらしい。寝返りも打てるようになったし、仰向けでも寝られるようになったそうだ。そして、風邪をひいて治る時のように、前よりも元気になってきているのだそう。

●2003年1月3日(金) ざぁざぁ雨、東京は雪だったらしい

昨日は、夕方には実家に着いた。
みっちゃん(双子の兄。私は双子なんです)、姉、姉の旦那、母、姪と甥たちで、正月のご馳走を食べた。ご馳走といっても、姉たちの新年会の残り物だそうだ。しかし、りっぱな蟹や生春巻きまであって、なかなか豪華だった。なのに、西友に行って寿司やら唐揚げや冷凍ピラフなど、さらに買ってくる姉夫婦だった。
最近、近所に西友ができて夜11時までやっているので、とにかく皆西友に行きたがる。「100円均一行くずらか〜」とか言って、用もないのに隣の100円ショップにもよく行っている様子。
どんどん日本酒を飲まされて、けっこう酔っぱらってしまった私。皆が帰ってから2階の部屋で、みっちゃんとさらに飲んでしまった。ウィスキーのロックなんかを。
実は、私とみっちゃんとは、ものすぎゃあー(ものすごく)仲がいいんです。双子の男女だから2卵性なので、顔も性格もまったく似ていないが、子供の頃から私はみっちゃんにめっちゃ依存していて、みっちゃんに似た男の子を好きになったりもしていたのです。今でも眼鏡の男に弱いのは、その名残なんですね。
というわけで、今朝は12時に起きました。二日酔いです。
それでも頑張って物置きの扉を開けてみた。今回は、これをしに帰って来たのですから。
家はひいじいさんの代から続く古い家で、けっこうなボロ家。私が中学の時にいちど改装したが、ほとんどが昔のままの形で残っている。母とみっちゃんだけでは広すぎるし、地震がきたら心配だしというわけで、今年の春、小さい家を新しく立て替えることになったのだ。自分が子供の頃育った家がなくなるのは淋しいもんだが、まあ仕方ない。それで、古い物をたくさん捨てなければならないから、その前に、欲しいものがあったらもらっていってくれということなのです。
しかし、物置の中は入れる状態ではなかった。手前のごちゃごちゃしたものをどけてちょいと覗いてみたのだが、狙っていた蓄音機は、奥の方で埃にまみれ傾いていたし、死んだおじちゃんの古い本は、ボロボロと朽ち始めていた。鼠が何匹かチューチュー鳴いているのも聞こえた。使われない物というのは朽ちてゆくのだ。
なんだか力が抜けて、炬燵に背中まで入り、ずっと寝ころんでいた私。雨の音を聞きながら、猫の腹をさわったりもしながら。
母がメグと呼んでいるから私もそう呼ぶが、猫の名前は「メグミ」という。敬愛している牧師さんの娘と同じ名前をつけたんだそうだ。「メグの息子を井上さんにあげただけどさ、シンちゃんていうさや。おかあさんが「シンジ」って名前を聖書からとってつけてやったさや。信じるっていう字。良い名前だら。」と自慢気な母だ。だがふつう猫を人にやる時って、名前をつけてからやるものなんだろうか。
そう、家の母はちょっと変わっている。前にクウクウに来た時、季節のサラダを食べた母は感心して私に言ったものだ。「なぁみちゃん、あんたはすごいねー発想がおもしろいねー。このサラダはさ、鍋ものの残りをどうしようか考えてた時に思いついただら?」 サラダの野菜はというと、白菜、しいたけ、春菊、セリ、長ねぎ、その他だった。
夕方、雨の中日記帳を買いに出掛けたかと思ったら、「ツタヤ」でビデオを借りてきた母。「感動的って書いてあったから借りてきたさや」と言いながらも、いざ始まってみると内容がちょっと難しかったらしく、「この人は誰だら」とか、「なんで分かっただら」とか、誰ともなくつぶやいている。私はずっと無視していた。
とちゅういちど消してごはんの支度をしていたら、「やーだよー、嬉しいよーお母さん。プロのご飯が食べれるなんて」と喜びながら、台所を行ったり来たりして鼻歌が止まらない。しかも賛美歌だ。
けっきょく、ビデオで泣いたのは私だけだった。
「人を外見で判断したらだめだら、っていう映画だったよね」なんて、終わってから言っていた。「良い映画だったけど、あんまり分かんなかったから、おかあさんはもういっかい見るだよー」とも。母は74歳。昔は、この能天気な母と本気で喧嘩していた。

●2003年1月2日(木) 晴れ 

あー、よく寝た。
体がくだけそうに、ぐにゃぐにゃになりそうだと思いながら寝て起きた。2時です。
ゆうべは雪が降り始めていたから、今日あたり積もっているのかと思いきや、晴天の青空だった。
りうがお雑煮を作ってくれたので、それをささっと食べ、私はこれから実家に帰ります。
スイセイはけっきょく、腰がかなりやばいらしく、四国行きは延期になった。ゆうべは雪も降っていたし、出掛けないことになってよかったかも。

●2003年1月1日(水) 曇り、夜遅く雪

いくつも夢をみて気持ち良く寝くさっていたのだが、「みいよー、我が家のおせちはどうなっとるん?」と、スイセイに起こされてしまいました。
2時半を過ぎていたので、てきぱきと起き上がり、ご馳走の支度をした。
正月料理はもう仕込んであるものばかりなので、ただ器に盛りつけるだけ。
大根と白菜とほうれん草のお雑煮、平目の刺し身、甘エビの刺し身、数の子、満月卵、あん肝のポン酢醤油。家族3人ビールで乾杯して、なかなかお正月気分だ。
玄米餅を焼いて、磯部巻きにして食べたら、お腹がいっぱいにいなり早くも眠たくなってきた。スイセイは腰が痛いと言いながら寝てしまった。私も隣に滑りこみ、ずっと本を読んでいた。毎年のことだけど、我が家は食っちゃ寝、食っちゃ寝の正月だ。
夜はカニを3人で黙々と食べ、また寝室に入る私たち夫婦だった。
お餅の保存法について。我が家では、米屋さんから配達されたのし餅を、翌日ちょっと固くなり始めてから切り分け、片栗粉を軽くまぶしてブリキの缶に入れておきます。廊下の涼しい所に置いておくと、だいたい1週間ほどもちます。カビが生えてきたらそこだけ削って冷蔵庫に入れますが、できるだけそれまでに食べ切ってしまいます。
缶に入りきらないお餅は、切ったその日にビニール袋に入れて冷凍しておくと、忘れた頃においしい磯部巻きやお汁粉なんかで楽しめます。

日々ごはんへ  めにうへ