2002年12月下

●2002年12月31日(火)

ゆうべは、3時の声を聞いて帰って来た。
なんだか楽しい夜でした。あっちゃんとサン、私とヤノ君でカップル同士みたいだった。
皆、ガンガン飲むという感じではなく、おいしい料理とおいしいお酒をちびちびいただきながら、話はあっちこっちに飛び回り、今年もいろいろあったけど良い年だったねー、また来年も頑張ろうねー、と言葉にして言いはしないが、全員がそういう気分だったと思う。何をしゃべっても楽しく、思わず目じりが下がってにやにやしてしまう感じだ。
帰りは、ヤノ君とてくてく歩いて帰って来ました。ささやかに光る星空を見上げながら。
今朝はそんなに二日酔いではなく、爽やかに起きました。
クウクウで床の修理をしているマスターと男の子たちに、おにぎりとコロッケを差し入れし、おいしい魚屋さんに正月用の買い出しに。
風呂の掃除をしたり、鍋を磨いたり、お雑煮のだしをとったりしながら紅白を見る。
後半の10時くらいからスイセイとりうも集まり、ビールを飲みながら、本格的に紅白にじっくりとはまる。細川さんと、香坂なんとかいう演歌の女の人がすばらしく、ちょっと泣いた。石川さゆりは、カメラを睨みつける歌い終わりの顔が、女の凄みを表していたんだろうと思うが、ギャグになっていた。せめて、1番の終わりではやらないで、2番だけにしておけばよかったのに。トリだったから気合いが入っちゃったんだと思うが、同じことを2度やったらだめでしょうに。しかも、エンディングで泣いていた。も〜、だめじゃんいしかわ〜、と笑い楽しむ私。
紅白を楽しみながら、揚げ出し豆腐(クウクウの残りものの豆腐としいたけで)、生湯葉(りうが撮影で行った築地のおにいさんにもらってきた)、まぐろの刺し身(おいしい魚屋さんで、正月用にお造りにした本まぐろの切り落としを買った)、ハムのマヨネーズ添え、ほうれん草のおひたし、茄子のもみ漬け(クウクウの残りもの)京人参とマッシュルームのサラダ(これもクウクウの残りもの)。
12時5分くらいに蕎麦も無事ゆで上がり、「ゆく年くる年」を見ながら3人で食べる。
この間の送別会の時に、みんなにもらった花がだめになっていくのが辛いので、蕎麦をいちばんに食べ終わった私は、花びらをばらばらにしてざるに干したりしていた。乾かしたら、ポプリもどきになるのではないかと思うので。

●2002年12月30日(月)

2時集合なのに、起きたら1時過ぎでした。スイセイにお願いして掃除機をかけてもらっている間に、バタバタと風呂に入る。
斉藤君、立花君、丹治君の男組が集まって、ポートレイトの撮影が始まった。
「二日酔いなんです〜すみません」と正直に伝えると、「いいんですよそのくらいの方が」と、理解のある立花君だ。理解か? Tシャツにだぼだぼしたパンツで部屋着のような格好をしていたので、「着替えた方がいいかなー、紺色のタートルとかにしましょうか。口紅も塗った方がいいかなー」などと聞いても、「いいんですよそのままで」と動じない立花君であった。
斉藤君は、ファインダーのむこうで笑っていた。厳しくねらっているんだけど、あのラテン系の、奥の方からじわっと笑っている完ぺきな笑顔で、「高山さん、そう、そのままもう少し気持ちを低くしてみて」などと、低い声で言ってくださる。目は、じーっと私をみつめたまま。もしかして、二日酔いでなかったらノックアウトしていたかも。ドキドキしちゃってどうしようもなかったかも。後でりうに報告したら、「キャー、そんなこと言われたら恋しちゃうじゃん!」と頬を赤らめていた。
撮影は1時間ほどでさっさと終わり、おでん屋「たかやま」に。
美穂ちゃんからいただいたおいしい日本酒をちびちび飲みながら、ちょっとした打ち上げになった。おでんは、かなりおいしくできていた。最近私はおでんの作り方を極めたような気がする。これは、下田さんの旦那さんがやっている店「晩酌や」さんで教わったのだが、昆布とかつおのだしに酒と塩のみで味つけ、あとはひたすら弱火で煮てゆくというもの。「晩酌や」さんのは、シチューを煮るような電気式の煮込み鍋でやっていたので、ぜったいに沸騰させることはない。たぶん80〜90度くらいではないだろうかと思い、その火加減を工夫して煮てみたのだ。このやり方だとスープもまったく濁らないし、じゃが芋もくずれないし、それぞれの素材の味が際立っている。これで2回続けて成功したので、「みいよー、料理の道に進んでみるかの」と、スイセイもご機嫌だ。
茶めしもおいしくできた。私の茶めしは色が薄い。酒、塩、薄口しょうゆちょっと、ごま油ちょっとで味を薄くつけ、昆布をのっけて炊くだけです。
皆さんが帰ってからもちびちびと日本酒を飲み続け、良美ちゃんのCDをエンドレスでかけていた。良美ちゃんの歌声って、やさしいーんだこれが。ぜんぶが子守歌みたいなんだ。すっかり良い気分になって、そのまま布団に入る。
夢をみていたらすごくいい所でヒラリンから電話。めげずにまた寝て、もうひとつ夢をみていたら、またもやいい場面でこんどはヤノ君に起こされる。もちろん飲みのお誘いだ。「ううん、今日はもう行かないよー」と答えながらも、気がついたら化粧をしている私だった。サンもいたからだ。サンは、最近店を始めたばかりで休みがまったくない。「今夜は皆と飲みたい気分だったんです。だけどいいですよ、またいつでも会えますから」なんて、そんなことを言われたら、のんべい仲間の仁義が許さないではないか。この間だって、サンが働いている店に行って、自分ばっかり気持ちよく酔っ払い、しらふのサンはべろべろな私をタクシーで送ってくれたのだから。夜の11時にタクシーを飛ばしている私は、すっかりオンナ寅さんであった。

●2002年12月29日(日)

クウクウ最後の日。
さすが年末。どんどんお客さんがいらっしゃって、大忙しだった。
レンジを磨いていても、洗いものをしていても「最後の・・・」と、ついその言葉がよぎってしまうのを、黒板消しでばさばさと消すような感じで働いた。
川原さんとスイセイとりうが、予告なしで来てくれた。岡田君も来てくれた。
明日は撮影だし、送別会はもうやったのだから、まったく飲むつもりがなかったのに、焼酎を1杯飲んだらついつい例の「ルリカケスラベル」ラム酒を飲み初めてしまい、ユミちゃんが泣き始め、私の送別会とはまるで関係のないところでそれぞれ盛り上がり、けっきょく朝7時くらいに帰ってきた。
おいおい、どうすんだよー。明日は撮影ではないですか、しかも顔の・・・と、とりあえず顔も洗わずに枕につっぷす私だった。

●2002年12月28日(土)

おもちの配達で起きました。いつものお米屋さんのハンサム君が、玄米餅とのし餅を持ってきてくれた。玄米餅は去年初めてたのんだら、おいしかったのです。お雑煮にはむかないようだが、焼いて食べるとすごく香ばしいのです。
雑誌に連載していたのをファイルにまとめて最初から読んでいたら、次に作りたい本のアイデアがどんどん出てきた。けれど、それはまだ秘密にしておきます。
早い夕方から買い物に出掛け、正月用の料理を次々と仕込む。
伝統的な「おせち」は作りませんが、わが家の正月料理というのが毎年決まっているのです。今年はスイセイもいないし(1月1日の夕方に、四国へ旅立つのだそうだ)、私はひさびさに実家に帰ろうと思っているので、ほとんど実家へのお土産を仕込むという感じだが。
まずは、満月卵(味噌漬けの卵黄なので、味がしみるようほんとうは12月の頭に作る予定だったが・・・)、ごぼうの酢煮、なまこの韓国風(酢、しょうゆ、にんにく、コチュジャン、ゆず皮に漬ける)、煮豚、塩豚、大根と赤かぶのゆず香漬け。
広島の美穂ちゃん(造り酒屋「富久長」の)からおいしい日本酒とカキを送っていただいたので、今夜はぶりぶりのカキフライを作ろうと思うが、残りの カキをオイル漬けにしてみようかな。
そして、関西風のおでん。ポートレイトの撮影で、丹治君、斉藤君、立花君が30日にいらっしゃるので、食べさせようと思っているのです。う〜、男ばっかり、それも大好きな3人が揃って来るなんて。私は今からわくわくなのです。仕事で来るんだろうが!とつっこまれても、嬉しいことは嬉しいのです。

●2002年12月27日(金)

快晴だったので、洗濯をし、掃除機をかけていたら元気になってきた。
今年の仕事の書類なんかを、捨てる前の箱(スイセイに教わった整理術で、ごみ箱に直行する前に一時非難させておく箱のこと)にどんどん入れてゆく。今回の本のための膨大な書類は、別の箱にしまう。川原さんのイラストの下書きや、赤澤さんとやりとりしたレシピの山や、立花君のラフスケッチなど、とてもじゃないが捨てられない。次の本作りの反省点をみつけるのに役に立つからというのもあるが、いやー、皆の努力の結晶だからなーと、演歌チックになってしまう私だ。
そして、新年の仕事の企画書をファイルに分け、今夜はクウクウでごはんを食べようということになりました。これからスイセイと出掛けます。りうは、卒業制作でやることがあるらしいので、ひとり留守番だ。

●2002年120月26日(木)

ものすごい目が腫れているのは、昨夜帰ってから大泣きしたからです。
尋常じゃなく腫れているんです。顔の上の方に線がひいてあって、線の隙間から目玉がのぞいている状態。お岩さんどころではなく、両目の上下が腫れているのだ。すごくブスだと自分でも思う。スイセイに「負けたボクサーみたいな顔になっとる」と言われた。
二日酔いだから、喋るのも動くのもカバのようにゆっくりな私の頭を、さっき起きてきたりうが撫でてくれました。
昨夜、何があったかというと、まず私の誕生日でした。そして、クウクウを今年いっぱいで辞める私のために、クウクウを貸し切って送別会を皆がやってくれたのです。
昔、クウクウで働いていた子たち、「まめ蔵」の子たち、昔「まめ蔵」で働いていた子たち、これから全部を引き受けてやっていってくれることになっている、今働いているクウクウの子たち、韓国から来ているミョンエとその旦那、「カルマ」の丸ちゃんとメグ、 焼き芋屋のベンちゃんと彼女のキョウちゃん。
もう辞めることはずっと前から決まっていたし、もうとっくに私は次のステップに入っていて、クウクウシェフでなく料理家高山なおみとしての心意気が始まっていた。厳密に言うと、今年の3月くらいから。そして今までこのホームページに「クウクウはなんておいしいんだろう。なんて体も気持ちもあたたかくなる料理なんだろう」と、メールをくださったたくさんの方々が食べた料理は、私でなくてクウクウの若い子たちが作っていたのです。レシピも、私のものは数少なく、彼らが自分で作り出したレシピなのです。だからすっかり安心していたし、というか、まだ不安はあったけれど安心しようと努めていたというのがほんとうだろう。で、クウクウを辞めることは、自分自身の中ではとっくに消化しているつもりでいたのです。
ぜんぜん泣く予定ではなかったのに、なんでこんなに大泣きしてしまったかというと、帰ってから皆が書いてくれた「よせ書き」を読んだからなんです。やられました。
私がが辞めることを、ひとりひとりがどんな風に受け止めてくれていたかがよく分かりました。今年の初めに私が「辞めることになると思うよ」と発表した時、不安だし淋しいしとビービー泣いて「辞めないでー!」と叫んでいた子たちが、もうすっかり自覚していて、自分の足で立って自分の料理を作り始めている。ホール係の子たちも、自分の力こそがクウクウという店を盛り上げ作り上げていっていることを、ひとりひとりすっかり理解していることが分かった。辞める上司に向かって「おめでとう!」と心から言えるスタッフなんて、ちょいとそこらにはいないのではないだろうか。
そして、今夜のパーティーでスーパーバタードッグの「サヨナラから」を初めて聞きました。「サヨナラから始まることが、たくさんあるんだよ」ってやつ。
というわけで、泣くのも全部出し切ったし、酒と煙草で体はヨレヨレなので、玄米でお粥を作った。マッキーに昨日もらったにわとりの卵を1個入れて、塩だけの味。
夜ごはんは、寿司をとって家族3人で食べました。
なんとなしに、それぞれの年末年始の予定など話し合い、年の瀬だな〜という雰囲気だった。家の夫婦や家族のあり方について、前にスイセイが言っていた。それは「ドミトリー」という感じだと。言えてるなーと最近よく思う。
ドミトリーというのは、安宿の相部屋のこと。何人かの旅行者で同じ部屋をシェアすることだ。それぞれは自分のいち日いち日を過ごしていて、夜部屋に帰ってきたら、その日にあったことを報告し合ったり、気が向いたらご飯をいっしょに食べたり、朝までお酒を飲んだりもする。誰とも話したくない時は、同じ部屋の中でもシュラフひとつにくるまって、さっさと寝てしまう。もしもその部屋のひとりがほんとうに危機のようなことになった時には、それぞれの予定や生き方をかなぐり捨ててでも、命がけでその人を助ける。
と、まあそんな感じだろう。
ゆうべ私はひとりで泣いていた。もしかしたらかなり長い時間だったし、吐くように泣いていたから、泣き声は聞こえていたかもしれないが、スイセイもりうも気をきかせてなのか、様子を見に部屋から出て来なくて、私をひとりにさせておいてくれた。
ところで、「アルゼンチンババア」はおとといの夜中に読みました。ほんとうに掛け値なく、すんばらしい本でした。本の造りも中身も。内容は、荒唐無稽な話というか、とんでもないとも思える話の展開なのに、すごく身近でいとおしく、生々しくさえあった。露骨な言葉とか分かりやす過ぎる言葉というものから、想像力は生れないと思う。たまにそういう読み物を読んでしまうと、私には、それが言葉の権力とまで感じる時がある。
かけ離れたように思える物語が、実はものすごくよく知っている現実に重なる時、ぼーんと心に響くんだな、私は。
いしいしんじさんの「トリツカレ男」もその後読んだが、この人の話もそうだった。やっぱり、すんばらしかった。たとえ話というか、たとえっていうのは、最高につきつめられた真実っていう気がする。「ぶらんこ乗り」も「麦ふみクーツェ」も。

●2002年12月25日(水)

早起きしてメディアファクトリーへ。上がってきた色校をチェックしに行く。
これが正真正銘いちばん最後の直しなので、気合いを入れてやった。気が散りそうになると、森下に昨夜教わったように、トイレに行き、コーヒー(しょっぱいお茶と森下は言っていた)を飲み、気持ちを下の方に下げて、厳しくて優しい、自分ではない別人格になったつもりになって原稿を読み込んでいった。森下は編集者だからいつもそれをやっているけど、「なかなかむずかしいんだよね、良い仕事をやってる時ほど、すぐに感情が混ざっちゃうんだよー」と言っていた。
立花君も隣の部屋にこもって、写真の色具合だとかなんとか?私にはよく分からない作業を、気合いを入れてやっていらっしゃる。
さっき、一瞬だけ顔を出してくれたが、私はものすごくずーっと立花君に会いたかったのを思い出した。他のスタッフたちは作業の段階でさんざん会っていたのに、いつも私だけは会わせてもらえなかったのだ。なんでかというと、私が著者だから。
今日だって、編集者さん立ちあいの下だったから、まるで刑務所の面会みたいだった。言いたいこと、褒めたいことが山ほどあったのに、立花「どおっすかー?」私「いいよーすごく」立花「いいっすよねー、やっぱし」と、会話はこれだけであった。
立花君は、ちょっと痩せたように見えました。あの人の本の作り方は、実際に身を削るような方法だと思う。頭も心も体も時間もフル活動だ。それは、上がってきたゲラのすみずみまでにじみ出ているから分かる。
私はデザインについて何も知らないが、なんというか、本のデザインてこういうことなのではないかと、立花君の仕事ぶりを見ていると思わされる。ほんとうのデザインとは見た目のことだけではなく、その本が発する伝えたい言葉のようなものを、ぜんぶひっくるめて捉えて、手で触れ目で見える現物に作り上げる作業なのだ。だから立花君は、私の次に(いや、客観性というのも入るから私以上かも)、本全体のことを把握している。レシピもすべて。料理作れるようになっちゃったんじゃないの?っていうくらいに。
私は自分がしつこい蛇女だと知っていたが、立花君なんか蛇がたまげるほどのしつこさなんだ。妥協しないんだもの。
立花君はまだまだ作業があるようだったので、キヨスクで買ったミントタブレットを応援の気持ちをこめて渡し、私はテキパキと電車に乗って吉祥寺へ。
7時からクウクウで送別会があるので。

●2002年12月24日(火)

クウクウは原マスミのディナーショー。毎年恒例のクリスマスパーティーだった。
ばななさんが、ものすごい大きなお腹で来てくださった。ヒロチンコも、ハルタさんも。
大きいお腹のばななさんを見て、触らしてもらって、私は感動した。何に感動したかというとですね、よしもとばななという人間が、腹をパンパンに腫らして、いっこの生命を育んでいるという現実に。というか、ばななさんを通じて、腹を腫らし胃を持ち上げ腸を分けてもなお元気でいらっしゃる、たくましい全世界の妊婦さんたちに、感動しました。
たかのてるこちゃんも相変わらずのテンションで、元気そうでうれしかった。3月にまた新しい本が出るので(幻冬舎から)、お互いの本を交換し合うことを約束した。
ばななさんが、「最後の頃は(腹の膨らみが)ここまで降りてくるんだって」と言いながら太ももの付け根を両手で触っていたら、てるちゃんは「ぎょえー、ここまでか?」と驚きながらも、がに股でビキニラインをなぞるコマネチ!の格好に、ついなっていた。その芸人魂は大阪人の血なのだろうか。尊敬の気持ちです。

●2002年12月23日(月)

ひさびさに良い天気だったので、洗濯したり布団を干したり、そして大掃除だ。
まずはリビングの本棚から。
昼ごはんを作るのがめんどうなので、ピザなんかたのんでしまった。3年ぶりぐらいだろうか。わが家はいろいろ入っているのが好きでないので、昔から変わらずドミノのアメリカンスペシャル・ラージサイズだ。
台所の棚も床もごみ箱もどんどんみがき、いらない物を整理してゆく。しかも、今日どうしてもやらなければならないわけではないので、余裕たっぷりの気分。
こんなクリスマスの前の日に、のんびりと家で包丁など研げるなんて、去年はまったく想像できなかった。毎年23日というと、クリスマスライブの準備で、夜中3時くらいまでなんだかんだやっていた。年末の疲れがたまって、背中などぱんぱんに張っている頃だ。今は、クウクウの子たちが全部引き受けて、着々と準備を重ね、今夜も飾りつけなどやってくれているのだ。ほんとうに、なんてありがたいことだろう。
夜ごはんは、りうがラーメン屋さんでもらってきた焼き豚のくずで、卵ときくらげ(乾物の整理のため)と白菜の炒め物、れんこんのきんぴら、大根の味噌汁、玄米。
れんこんのきんぴらは、さっとサラダ油で炒め、酒、薄口しょうゆ少々で少し煮て、最後におかかをまぶしてみた。器に盛ってからすりゴマをふりかけたら、ぷーんといい感じ。
「ちから麦」という雑穀の使い残しが出てきたので、フライパンで香ばしく煎ってみた。煮出すお茶の中に混ぜてみようと思って。
今夜は、早めに風呂に入って早く布団に入ろう。またまた、ばななさんより本をお送りいただいたのだ。「アルゼンチンババア」です。まるでクリスマスプレゼントのような豪華本だ。

●2002年12月22日(日)

あー忙しかっただ、クウクウは。
満々席って感じで、パーティーも2組あったし、なんか皆さん大人数でいらっしゃるのです。世の中はほんとに年の瀬なんだな〜。
私の今年は、いつもと違ってけっこうのんびりムードなので、へ?もうクリスマスかい?っていう気分です。クウクウのことは、もうすっかり若いスタッフたちに任せているので、こんなにゆっくりさせてもらえて、ほんとうに感謝です。
注文していた「トリツカレ男」が来たし、ばななさんから「バナタイム」も送っていただいたので(わーい!)、明日はじっくりと読むことにします。

●2002年12月21日(土)

またまた二日酔いだ。
ゆうべは「のらぼう」でもけっこう飲んだのに、もう一軒はしごして丹治君を連れ回してしまった。本澤さんまでお呼びしてしまい、編集者さんは年末でお疲れなのに、いかんなーと今日になって反省する私だ。酔っぱらっている時ってやたら調子が良くなって、まわりが見えなくなるのが悪い癖だ。すごい自己中心的。
西荻から歩いて帰る時に、チラチラと自分で光るモールがかかった木があった。昔のクリスマスツリーにかかっていたようなやつ。塀越しに電柱の光に反射して、控えめに光っているその様子が、ささやかだけどとても奇麗で、思わず写真を撮った。最近は、やたらチカチカと電飾を飾り立てていて、どうも私はあれが嫌い。けれど今見てみたら、暗すぎてあの美しさがちっとも写っていませんでした。
夜ごはんは、土鍋で炊いたカキごはん、ほうれん草のおひたし、わかめと卵の吸い物。

日々ごはんへ  めにうへ