2002年10月下

●2002年10月31日(木)

ゆうべは、けっきょくさんまを皆残していた。お刺し身の日は焼き魚は食べられないということらしい。私だけがひとりで食べた。これからは気をつけるように、ここに書いておきます。
午後からずっとパソコンに向かっている。今は10時半だが、もう限界という感じだ。とちゅう酸欠かもと思い窓を開けたりしながら、けれどけっこう楽しくやっていたのは、本の仕事だからだろう。
しかも、実験で揚げ物なんかやったので、なんとなく胸焼けしている。
夜ごはんはうどんにでもしようと思う。なめことわかめとみぶ菜を入れて。

●2002年10月30日(水)

クウクウのおすすめメニューのミーティング。
あっちゃんとしおりちゃんが中心になって、サクサクと決まりました。
帰りにおいしい魚屋さんで、ぶりの刺し身、しめ鯖、さんまの干物、大粒のあさり、わかめなどを買った。さんまは身が厚くておいしそう。「今朝うちで作ったのよー」と言うおばちゃんの笑顔に誘われて買った。夜ごはんが楽しみだ。

●2002年10月29日(火)

赤澤さんと川原さんと本の作業をやった。
秋の陽の光というのは、とろーっとして身が厚い。リビングにはたっぷりとそんな光がとろとろして、寒いのに熱い。ポカラ(ネパールの)の天気だ。
乾燥度もかなり高い気がしたので保湿気を出し、ついでにストーブも出した。
作業が終わって、川原さんのお土産の泡盛ロックなど飲み始め、大根と油揚げの煮たのや、小松菜のお浸しや、ベトナムサラダ(レタスとサニーレタスに桜えびとアーモンドをから煎りしたのと甘酢だれをかけた)や、ゆうべ作っておいた結び昆布の煮物などつまみながらけっこう飲んでしまい、最後の頃にまたスイセイと喧嘩してしまった。最近の私は生意気なので、よくスイセイに怒られるのだ。

●2002年10月28日(月)

布団の中でずっと「海馬」を読んでいた。うーん、なかなかおもしろいしためになるぞ。1時に起きて風呂に入ったり洗濯をしたりしながら、本のレシピの直しをじっくりやる。あまりにもじっくりやりすぎてまた朦朧とし、(しかし「海馬」を読んでいたら、脳は疲れないのですって。疲れるのは目などだそう)今夜は久々に寿司でもとろうということになった。
風呂にたっぷり浸かって頭と体をゆるめ、スイセイと私は上寿司、りうは鉄火重、あとは納豆巻きとおしんこ巻きを銘々が食べたいだけ食べた。
豚とにんじんと青菜のすまし汁だけは作った。デザートはゆうべのうちに作っておいた寒天に、黒みつやはちみつを好みでかけて食べました。

●2002年10月27日(日)

クウクウの日。
だいたい他の子たちは酒飲みだから、私の顔のスリ傷を見て、けっこう笑い飛ばしおもしろがってくれた感じだったが、リーダーとちいちゃんは本気で「だめだよ高山さん、ちゃんとしないと。酔っぱらったら自転車に乗ったらぜったいにだめ」と一瞬真顔になって言ってくれました。どうもすみません、できた妹たちよ。
新井君は、「すっころんだんすかー」と嬉しそうだった。彼は坂を気分良く下っていてあばらを折ったことがあるそうだ。けど転んだ時には痛さがわからなくて「煙草吸ってて自転車こぎながら転んで、転んだ時まだ煙草くわえてたんすよ。オレってすげーとか思いましたよ」なんて言っていた。「酔っぱらってる時って調子良いから、転ぶ時もオッオッて感じでもういいやー転んでもって思っちゃうんだよねー」と意気投合しながら皿を洗っていた私たちだった。お互いにもちろん反省はしているのだが。
だけど、けっこういい感じに治ってきています。たいしたことなくてほんとに良かったっす。

●2002年10月26日(土)

ゆうべは顔を冷やしながら寝たが、すごく腫れている。
今、こうしてキーボードをたたきながら下を見ると、自分の左頬がぼやーんと見えるくらいに膨らんでいる。ボクサーが殴られたほどではないにしろ、目の下から頬にかけて6センチほどの丸いスリ傷が赤くくっきりしている。
どうしたもんだろう。とりあえず今日は寝たきりで過ごそう。
さっき風呂に入って気がついたが、ひざにも青あざがあった。
ためしに「けっこう私って酒ぐせ悪いかも?」と、りうに聞いてみたら「そりゃあそうでしょ」とあっさりした答え。
夜ごはんは焼き豚と海老の炊込みごはん、クレソンともやしの胡麻和え、わかめと卵のすまし汁。焼き豚としいたけをかなり細かくきざんで炊込みごはんに入れていた私。体と気持ちが弱ると、大きく切ったものが食べられないものなのだと気がつきました。元気のない人にはみじん切り、元気な人には大きな乱切りだ。食べる人のことを見て切り方を変えるというのは、だいじなことだ。
今日、延々と寝ていて変な夢をみた。
大きな施設のような所で大勢の人たちといっしょに洗脳される夢だ。ヘッドホーンから変な音楽や雑音を流して脳のどこかを刺激し、生きてゆくのに大切なやる気や覇気のようなものを抹殺して、無気力な人間にしてしまおうという権力の下に、自分もどういうわけだか迷いこんでいるという夢。私は感覚を遮断して必死に抵抗しているのだが、だんだんにしゅーっとやる気が抜けてゆくのも感じている。もうそれはそれは理不尽であられもなくて、とても怖かった。

●2002年10月25日(金)

撮影は4時には終わり、本のひとり作業も終わったので夕方から「のらぼう」へ。
日本酒をいろいろ飲んだのはまあオーケーだろう。しかし自転車で行ったのがまちがいだった。帰りに転んだんです。
自転車に足をのせたまま顔からアスファルトに倒れたので、頬っぺたを打ちました。みみず腫れのようなすり傷が頬っぺたに。
しかもスイセイと喧嘩したんだよなー。りうは私の頬っぺたの赤いのを見て、スイセイに殴られたのかとマジで思ったらしい。

●2002年10月24日(木)

12時から赤澤さんとまたまた作業。3時くらいで終わり、ふたりでごはんをかっこみました。ゆうべのちくわ青菜炒めとちりめんじゃこの混ぜごはんだ。
そして赤澤嬢は次の仕事へ、雨の中出掛けて行きました。
私は明日の撮影の準備で、これから仕入れに行ってきます。早く用事を終わらせて、昨日買ってきた本をどっぷり読むことにしよう。

●2002年10月23日(水)

テレビの収録。どういうわけだかいっつも雨か曇りなんだよなー、収録の日って。今日は曇りだからまだ良い方だが、ゆりかもめからの景色ってぜんぜんいちどもワクワクしたことない。ぼわーっとした暗い気分でいつも乗っている。緊張もしているのだろう。始まっちゃうといっ気に楽しくなるんだけど、いつもそういう前段階のようなものも、どっぷりと過ごしている気がする。もしかしたらテンションを落として力を溜めるようなことを動物みたいにやっているのかな。
しかし今日は、有元先生にお会いできました。イモちゃんと郁恵ちゃんとディレクターさんが3人がかりで私を連れて行って紹介してくださった。恥ずかしながら私はここで発表しておきますが、いろんな意味で有元さんの大ファンなのです。
有元さんはほんとうに素敵な方だった。なんというか、成熟してらっしゃるのに若々しく、厳しい方だろうはずなのにものすごく気配がやわらかく、そしてほんとうに美しい。私の腕に軽く一瞬さわり、優しくほほ笑みながら「がんばってね」と鈴のようなあの声で言われた時、じーんと嬉しさがこみあげました。
「がんばって」という言葉は案外むずかしいと思う。がんばってと言うと、プレッシャーを感じる人もいるみたいだし、だからあんまり強く言うのもなんだし。けれど有元さんのは、彼女もきっといろいろなことを通り越してがんばってきて、良いことばっかりでなく辛いこともあったんだろうれけどということを、うすぼんやりと私に感じさせる。「私もがんばってきたのよ、だからあなたもがんばってね」と言葉にすると押し付けがましいようだが、有元さんが言うとひじょうにさりげなく、意味が昇華されるという感じ。
そして私が有元さんのファンだということは、同業者としてものの見方や表し方が重なる部分があるということで、おこがましく言わしていただくと、同じ方向を向いているということだから、「お互いがんばって『それ』を伝えましょうね」と言われているような気もする。『それ』って何?と聞かれると、けっこうぼやーっとしてうまく言えないのだが、たとえばそれは料理を作る人の中にもあるし、歌を歌う人の中にもあるし、八百屋さんの中にもある同じものだ。なんか分からないけど体の奥の方にある粘土みたいなものっていう感じだろうか。固くてみっしりとしているけれど、指で押すとちゃんとへこむ。
有元さんからそう感じるのは私の勝手な思い込みかもしれないが、だからひじょうに励まされました。
しかし私も私のファンでいてくださる若い方々に、そんなふうに励ましてみたいもんだ。だって、ほんとに始終やわらかい笑顔なんですよ。そして恥じらいも含んでいるのです。有元さんは今も現役で艶っぽい。男の人はドギマギしてしまうんではないだろうか。私でさえドキドキしすぎて、マジで遅れていた生理が始まっちゃったよー。
帰りに本屋に寄って、糸井さんと池谷裕二さんの対談集「海馬」(今朝新聞の広告欄で目に入った)と斉須政雄さんの「調理場という戦場」を買いました。あと、オザケンの「dogs」も買った。遅れているが、今が私のオザケン時なのだから仕方がない。ウォークマンんでさっそく聞きながらてくてくと歩いて帰りながら、名作「天使たちのシーン」のところでぼろり涙が。有元さんのことを重ねて思い出していたのです。

●2002年10月22日(火)

赤澤さんと本のための作業。
あまりにも込み入った作業だったので、とちゅう意識がもうろうとしてきて頭がストップしてしまい、続きはまたこんどということになった。後で気がついたのだが、ぶっ続けで5時間もやっていたことになる。
干すのをすっかり忘れていた洗濯物を夜になってから干し、今やっとほっとひと息っていう感じだ。頭脳労働ってのは私には向いてないなー。私にとって文章書きってのは頭脳ではないかも。だってぜんぜん楽しいもん。
明日のテレビ収録の練習をひとつ作って、それを夜ごはんとしようと思うが、この間も作ったばかりの料理なので、家族は食べ飽きてかわいそうだがまあ仕方ない。料理研究家の奥さんを持ったら、それは因果というものだ。
早めに風呂に入り、今日は早く寝てしまおう。

●2002年10月21日(月)

雨つづきの今日この頃です。
いつまでも眠れてしまうのを、えいっと起きました。1時です。
ふとんの中で、マー坊の「お遍路さん日記」を読みふける。マー坊は、クウクウのスタッフだったエバ子の彼氏でもあり、中期「まめ蔵」のスタッフでもあり、日本料理の料理人として私の先生でもある弟分だ。
今年の4月にお遍路さんに自転車でまわって来た記録を、皆で回し読みし、読んだ人は感想の手紙を共通の封筒に入れている。これさえも、書きたい人だけが書けばいいし、良いものを読ませてもらったお礼という感じで、誰が考えていつからそうしたかは分からないが、封をしていないし、読みたければ人の感想も読んでも良いのかなっていう風になんとなくなっている。なんかよくわからないが、それって何かの根本っていう感じがする。良いものをありがたいものを誰かに教え、皆で共有するというか。私ももちろんお礼としてマー坊に感想を書かしてもらいました。というか、あまりにも感動して書かずにおられない感じだった。
てらいがなく力みもないふつうの言葉の中に、正直な気持ちが詰まっている。
いちばんショックだったのは、願いごとの中に自分のことが入ってないことだった。ここに書かせていただくが、まずは父親の病気のこと、そして身内や仲間の健康、身体や心の病に苦しむ友人がよくなりますように。そして世界中で権力者の身勝手せいで意味もなく殺されたり傷つけられたりしている人たちの苦しみが、少しでも解放されますように。しかも、これじゃあお願い事欲張りすぎかな、とまで書いてある。とにかく私はまいりました、とだけしか今は書けません。
本を作るなんてチンピラだよなーとつくづく思いました。けど、私はチンピラあたりまえって腹をくくって、本を精いっぱいまじめに作るよマー坊。
昼ごはんはスイセイが白菜たっぷりラーメンを作ってくれました。
本の文章の仕上げを書き上げ、それを持って夜9時からの打ち合わせにクウクウへ出発。おいしかったなー、いろいろ。自画自賛ではなく、若いスタッフたちが作っている料理についての正直な感想です。
集まったのは立花君、川原さん、丹治君、赤澤さん。だんだんに、本の姿形が見え隠れするような。けれど、どこでどう変わるかはしつこい立花君の役割分担なので、私はただただ仕上がりを楽しみに待っていますという感じだ。
帰ってからスイセイにおおざっぱに報告をする。
風呂上がりベランダに出ると、オリオンは真上、満月まであと3日って感じの月がこうこうと照っていた。明日はまぎれもなく快晴にちがいない。

日々ごはんへ  めにうへ