2005年6月中

●2005年6月20日(月)いちおう晴れ

布団を干しながら、今日もハルの頭を上から眺める。
腹ばいになって、耳だけあちこちに動いているハルよ。
月曜日の朝は、アップした自分の日記を読むのが楽しみだ。
もちろん私が日々あったことを書いているのだが、アップされたのを読むと、それはもう私ではない人のものになっている。
私の暮らしだけど、ちょっと違う。
架空というほどではないんだけど、フィクションになっている。
次元が違う世界の連続ドラマみたい。
でも自分のだから肌に合うし、興味深くもある。
そんな感じだ。
昨日の続きのレシピ書きと、フランス日記をやる。
夜ごはんは、イカとセロリの炒め物、めかぶ、カレー、みょうがの味噌汁、もち米入り玄米。
どうしてカレーまで作ったかと言うと、それは『おじゃる丸』のせいだ。
スイセイは、このアンバランスな献立をけっこう喜んでいた。
毎日ごはんを作って食べていると、完ぺきな献立に飽きがくる。
お皿に盛ったカレーライスではなく、茶わんのご飯にカレーをかけて、いい加減な気持ちで箸で食べたりするのがおいしい時もあるのだ。

●2005年6月19日(日)ぼんやりした晴れ

洗濯物を干している時、ベランダのすのこの熱さでだいたいの気温が分かる。
昨日は、日差しが強かったからよく焼けていて、つま先で歩いた。
今日は、足の裏(最近、足が冷えるので)が温かくてちょうどいい。
下の階のお父さんが3回連続の大きいくしゃみをしたかと思ったら、カラスがカーカーと鳴く、のどかな日曜日だ。
日曜日って、空気がいつも静かだな。
さてこれから、一昨日の撮影のレシピを書いてしまおう。
そしてまたフランス日記再開だ。
夜ごはんは、ひじきと蒟蒻の炒り煮、砂肝とじゃがいも炒め、鮪の刺し身、つまみ菜のおひたし(梅種しょうゆとだし汁を合わせた)、大根の味噌汁、きび入り玄米。
ごはんが終わって、ラッキョウの塩漬けを仕込む。

●2005年6月18日(土)快晴

昨夜は楽しかった。
2時くらいに私だけつぶれてしまったが。
あまりに眠たくて、ひとりこっそり寝室で寝ていたら、片づけをしてくれている音が聞こえてきた。
台所で、女の子たちが口々に話ながら片づけている音が、「クウクウ」みたい。
子守歌のようにその音を聞きながら、スーッと寝入った。
スイセイに聞いたら、私が寝室に入ったのを合図みたいにリーダーが立ち上がって台所に行き、皆もわらわらと自然にそれを手伝うみたいになり、そのままお開きになったんだそうだ。
シェフ時代から私は、すぐにいい気持ちになって酔っぱらい、泣いたり笑ったりしたかと思うと、いちばん先につぶれてしまう。
その後片づけをいつも皆がやってくれるのだ。
前は、合唱しながら片づけていた。
靴屋の小人たちみたいに。
朝起きてみたら、すっかり片づいて、布巾を煮沸消毒までしてくれてあった。
そして、ナツコが来ていた。
スイセイとナツコはふたりで菓子パンの朝ごはんを食べ、ジョギングをしに行った。
私は、一日中脱力して過ごす。
昨日の撮影のポラを眺めたり、ベランダから覗き込んで、ハルの写真を撮ったりして。
畳の部屋で寝ころびながらヨガもやる。
夜ごはんは、ソーミンチャンプル(ゴーヤ、しし唐、豚肉)、じゃが芋とちくわのかき揚げ、おすまし(お昼の蕎麦の大根おろしを入れた)。

●2005年6月17日(金)曇り一時晴れ

朝7時に起きてしまった。
テンションが上がってしまい、寝ていられなかったのだ。
ゲラの直しをひとつやってファックスし、あとは掃除したり、今日作る料理の盛りつけイメージをおさらいしたりする。
それでも時間が余ったので、皆のおにぎりを作る。
11時から本の撮影。
久家さんは、昨夜アリヤマ君たちとサッカーを朝まで見たそうだ。
眠そうな顔をして、ベランダでぼうっとしたりしていたが、気合いが入ってつい上がってしまうテンションを下げるために、わざとそんな風にしているように私には見えた。
だって、カメラを覗き始めると、ただものでない緊張感が辺りに走って、久家さんの顔つきも一変するのだ。
そしてまた合間になると、ベランダに座って煙草をふかしたり、空を見たり、ものすごーくテンションの低そうな、ゆるい表情になっている。
みどりちゃんのスタイリングも、今までとぐっと違う。
撮り上がったポラ(ロイド)を眺めては、にやにやしてしまう。
すごくいい。
私は私で、気がつくと息を詰めて料理を作っていて、そのたびに深呼吸しながらやった。
実際の素材のことをよく見て、器を見て、感じながらライブで料理していると、頭の中で決めていたイメージがどんどん壊れてゆく。
それがおもしろくて、心の中で興奮した。
リーダーは、そういう私の邪魔をまったくしないマイペースなアシストで、暇になるとフライパンの底をピカピカに磨き上げてくれたりした。
4時半くらいに終わり、ざっくりミーティングをしてさわやかに解散。
ひさびさにリーダーに会ったので、懐かしさあまって飲み始める。
いちど事務所にもどって作業をしているちよじを誘い、ナツコとあっちゃん、最後にはヤノ君も来て、ひさびさにクウクウ長屋の飲み会となった。
ちよじは、久家さんの助手として働くようになってから、1年3ヶ月たったそうだ。
写真家になりたくて大阪から上京し、うちに居候していたちよじが、今は久家さんのところで頑張っていて、こうして私の本の撮影現場にもいる。
思い返してみると、そのことがすごく嬉しくありがたい。
「クウクウ」がなくなった今も、私のかけがえのない重要なシーンに、こうしてリーダーが参加している。
夜ごはんは、スイセイがもんじゃ焼きをしてくれることになった。
リーダー、スイセイ、ちよじとホットプレートを囲んでもんじゃをジュージュー焼きながら、感極まって涙がぼとぼとこぼれる。

●2005年6月16日(木)明るい雨

昨夜、寝る前に読んだ「クロワッサン」の倫子ちゃんの記事がとても良かった。
夢にもそれが影響していたような気がするが、朝、寝起きの頭でふと、だいじなことに気がついた。
「撮影するときって自然に体が動く。撮りたいと思う本能で動いています。こういう写真を狙いたいと、私の欲求が先走りすぎてもよくないし、ぜんぜんないのも困るし、なんなんだろう。いろんなものと調和していると、向こうから見せてくれるときがあるんです。自分が見たいと思ったものは、実は一部でしかなかったりするので、待つというか謙虚でありたいと思う」(記事から抜粋させていただきました)。
『野菜だより』の撮影の、たしか夏野菜の日に、私も同じようなことを感じたのを思い出した。
感じたというかひらめいたというか、(ああ、そうなのか)と、何かの秘密が分かったように気がついた。
料理をする時に、こうしてやろうとかああしてやろうとか、狙いながら作っていたらそこまでの料理しかできないけど、ある時料理をしながら、ふっと自分でも驚くような瞬間があった。
気がついたら、自分は野菜の下にもぐりこんでいた。
上に立つんでも、横に並ぶのでもなしに、自分の存在が野菜で隠されるような感じ。
その日の天気や、スタッフのテンションや、いろんなことを感じながら作っていたら、そうなった。
本の撮影が始まって、今までにないことをやろうと張り切るあまり、ちょっと私は頭でっかちになっていたかもしれないな。
と、そのことに気がついたのです。
明日は、2回目の本の撮影だから、ぎりぎり間に合った。
今日はゆっくり買い物をして、明日の支度をのんびりやろう。
夜ごはんは、タイカレー(茄子、冬瓜、しし唐、赤ピーマン、黄ピーマン、エリンギ、鶏肉、豆腐)、残りものの白和え(ナムル3種、れんこんと舞茸の炒り煮で)。
9時から自分が出ているテレビを見るのと、あの納豆のドラマ(『笑う三人娘』)が今日で最終回だから、それまでに風呂に入って忘れずに見よう。

●2005年6月15日(水)雨

11時より撮影。
今日はすごくカット数が多くて、休憩なしでやったけれど、6時までかかってしまった。
ふー。
ひさびさに、スポーツしたみたいな疲れだ。
体をほぐすようなつもりで、寝転がったままヨガをやる。
夜ごはんは、撮影の残りものいろいろ。
けっこうくたびれ度が激しく、何も書くことが思い浮かびません。
でも、なんだかほの幸せ。
この感じは達成感からくるものなのか?。
今夜は、もう風呂に入って、11時からドラマ(NHKの、朝食に必ず納豆を食べる家族の)を見て、本でも読んで寝るだけだ。

●2005年6月14日(火)曇り時々晴れ

明日からまた雨が続くらしいので、いくら少なくても洗濯機を回す。
昼ごはんを食べ、夕方までには原稿を1本書き上げた。
もう10年も前になるけど、沖縄に初めてひとりで行った時のことを書いていた。
その場面の写真を撮ったような気がして、昨日からずっと探していたが、ぜんぜんみつからない。
もしかしたら写真は撮らなかったかもしれない。
でも、私の頭の中には、昨日からずっとその1枚が映っていた。
頭の中の写真を頼りに書いていたら、そのうち映像になって動き出した。
ベランダに出て、パリパリに乾いた洗濯物をとりこむ時にも、また少し思い出した。
書き上げてお送りし、明日の撮影用の買い物に行く。
やせるヨガをやりながら夕方のテレビを見る。
そして今日もまた、ベランダに仁王立ちして深呼吸をする。
しかし、終わってから醤油せんべいを4枚も食べてしまった。
梅酒のホワイトリカーと氷砂糖が余っていたので、グレープフルーツを漬けてみた。
残りの房をはずして、スイセイのおやつ用にタッパーに入れて冷やしておく。
夜ごはんは、鶏のももとじゃが芋の鍋蒸し焼き、ほうれん草のバター炒め、大根ときゅうりの塩もみサラダ。

●2005年6月13日(月)快晴

カラッと晴れ渡っている。
ハルは、日陰に寝そべっている。
ベランダがよく焼けて、熱くて裸足では歩けない。
梅雨の声を聞いてからこっち、ずっと雨が降らないなあ。
次に撮影する本のメニューを絞ったり、原稿書きに必要な昔の写真を探したりしているうちに、5時になってしまう。
まだ日が出ているうちに買い物に出る。
やっと気に入った青梅をみつけたので、買う。
夜ごはんの支度をしながら、梅酒を漬けた。
うかうかしている間に、熟した南高梅も出てきている。
夜ごはんは、有頭海老の塩焼き、いなだのフライパン焼き、れんこんと舞茸とちくわの炒り煮、小松菜とほうれん草のお浸し、きび入り玄米、みょうがと葱のかき玉汁。
えびの塩焼きにかぶりついて、スイセイはたいそう喜んでいた。
今日、古い写真を探していた時、タイの屋台で海老にむしゃぶりついているスイセイの写真を見ていたから、ついスーパーでりっぱな海老に目がいったのだと思う。

●2005年6月12日(日)晴れ

昨夜は、「のらぼう」の子たちと、偶然会えたヒラリンと、皆でカラオケに行った。
マキオ君は仕込みがあるので1時間ほどで帰ってしまったけど、残りのメンバーで朝まで歌った。
楽しかったなあ。
始発で帰ってきて布団を敷いてすぐに寝たのだが、頭の中ではずっとスピッツの「ロビンソン」がかかっていた。
昼には起きて本のことなどやり始めるが、どうにも集中力が続かず、干してあった毛布をずるずると巻きつけてまた寝てしまう。
どうせ使い物にならないので、今日は休日ということにする。
6時に起きて『ちびまる子』と『サザエさん』を見る。
まる子の家の夕飯は、煮込みうどんが鍋ごと出てきて、「わーい、今夜はうどんだー」なんて家族中が喜んでいた。
おかずは他に何もないんだけど、鍋から直接お椀によそりながら皆で食べていた。
それがすごくおいしそうだった。
というわけで、今夜のうちのごはんはインスタントラーメンだ。
豚と新玉ねぎのしょうが焼き(「のらぼう」で食べそこねたメニューを真似して作った)小松菜炒め添え、サッポロ一番塩ラーメン(私)、屋台棒ラーメン(スイセイ)。

●2005年6月11日(土)ぼんやりした晴れ

お昼を食べてから、あちこち出かける。
まず茅場町のギャラリーに大竹伸朗さんの展示会を見に行く。
銀座に回って真ちゃんの展示会を見て、恵比寿の「タミゼ」にも行った。
新しくオープンしてから初めて行ってみたが、素晴らしいことになっていた。
店自体はもちろんそんなに古いわけではないのに、置いてあるものたちの歴史が充満しているからか、その部屋ごと遠い昔の匂いがする。
木や金属や白い器や麻布や紙が、何百年の歴史をたたえてそこにある。
なのに内装とまったく違和感がない。
たぶん昌太郎君は、こういう古いものたちがひっそりのびのびと、居心地よくいられるように、内装も音楽(フランスの聖歌隊の合唱がずっとかかっていた)も照明も、それに合わせてやったのだ。
時々、シーンとした中に水の滴る音が聞こえてきた。
もしかしたらそれは、排水の具合で、どこかで水が漏れているのかもしれないけど、そういう音さえも効果音になっていた。
窓の向こうに少しだけ緑があって、葉が風に揺れている。
麻布時代の「タミゼ」でも感じたけど、タルコフスキーの映画を思い出す。
スイセイは、「切のうなるのう」と何度もつぶやいていたが、私も同じだった。
古い生活用品というのは、いろんな人の残像がぼーっとまとわりついている。
細かいひびが刻まれたフランスの白い皿を見ていると、朝ご飯にオムレツを食べていた農夫の姿が浮かんでくる。皴だらけの手に握られた銀のフォーク、背中を向けて料理するおばあちゃんの大きいスカート、使い込まれた鉄のフライパンが見えてくる。
そういう時私は、それがどんな感じのオムレツで、どんな味がして、どういう作り方をするのかも想像している。
この器にスープでゆでたじゃがいもや人参や塩豚の固まりを盛りつけたら、どんなに綺麗だろう……と思いながら、その料理が置かれていただろう古い木のテーブルや、湯気が見えてくる。
ひとつの器からくみとれる人々の暮らしや、人生みたいなものに、私は切なさのようなものを感じるのだろうか。
でも、たぶんそこまで想像させてくれるようなこの空間を、しつこく作りこんだ昌太郎君に対して、感じるのだと思う。
ちょうど昌太郎君が店にいない日だったから、ますますそういうことが浮き彫りになって見えたのかもしれない。
なんか、人間てすごいなーという素直な感動でいっぱいになった。
というわけで、ひさびさに「のらぼう」にごはんを食べに出かけることに。



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