2003年8月中

●2003年8月20日(水)曇り、ちょっと雨

休みの間にインタビューの仕事を1本入れた。
こんなに色が黒くて、顔写真はだいじょうぶだろか?とも思うが、あまりに暇なので。
今日はずっと「ゲド戦記」を読んでいる。
とちゅう、中休みでロールケーキを作った。
最近スイセイはおいしいロールケーキに憧れているのです。
夜ご飯は、ちくわ、こんにゃく、じゃが芋、にんじんの筑前煮。銀だらのみそ漬け、モロヘイヤと貝割れのお浸し、冷や奴、麩とねぎの味噌汁、玄米。
デザートに、ワクワクとロールケーキをに食べましたが、まあまあの出来だった。
白砂糖をきらしていたので、きび砂糖で作ったのが良くなかった。
ロールケーキは、できるだけ普通のシンプルがいい。

●2003年8月19日(火)雨と曇りのくり返し

どうやら疲れはぬけたみたい。
次の撮影のレシピ書きをやってしまう。
午後になって一瞬晴れたので、お土産を持ってしおりちゃんのところに遊びに行く。
和楽(赤ん坊)は、成長していた。
顔つきがしっかりしてきたし、体も5センチくらいは大きくなっている。
まだ生まれてから20日くらいなのに、すごいなー。
しおりちゃんが新しく引っ越したマンションに初めて行ったが、いい感じだった。
台所も適度に物があって、おいしそうなものがどんどん作れそうな雰囲気。
なんか、小学生のやんちゃ盛りな和楽が、台所からベランダまで駆け回っている様子が目に浮かびました。
きっと、あっという間にそうなるんだろう。
そして、これからクウクウの娘たちが、あと4人も赤ん坊を産むのです。
家の大テーブルに、小学生のちびっこたち(クウクウで働いている娘の子供たち)がずらっと並んで、おやつを食べているという夢を、5年前くらいに私は見て、それを本にも書いたことがあるけれど、正夢になったなー。
高山のおばちゃんだぜ。
帰りにおいしい魚屋さんに寄って、さよりのお刺し身、ぶりカマ、すじこを買う。
帰ってからは図書館へ。
「ゲド戦記」の新しいのがあったー。嬉しいー。
夜ご飯は、さよりの刺し身、ぶりカマ塩焼き、モロヘイヤ納豆、ポテトサラダ(スーパーの)、豆腐の味噌汁、玄米。
風呂から上がるといつも私は裸みたいな格好で、窓を全開にして涼みます。
冬でもそうです。
この時間って、私の波照間だなーと気がつきました。
波照間ではいつも、シャワーを浴びるとムームーみたいなのを着て、道路っぱたに涼みに出るのです。
皆もビールを飲んだり、道路に寝そべったりしてだらだらしているんです。
さーて、今日は早く布団に入って本でも読もうぞ。

●2003年8月18日(月)曇り

放っておいたらまだまだ眠れそうだが、12時にどうにか起きました。
蝉が鳴いている。
曇りの日にも蝉って鳴くものだっけ。
東京はずっと雨だったから、今のうちにと必死で鳴いているように私には聞こえる。
スイセイは徹夜だった。
昨夜遅くにミシンで何か作っていたし、キーボードの上に牛乳をこぼしたそうで、分解までしていたらしい。
朝、キーボードのコマ(?)がバラバラになってタオルの上にかわいく並んでいた。
どうしても直らないので、これからキーボードを買いに行くと言って、ふらふらと出掛けて行ったが、だいじょうぶだろうか。
帰ってきました。
しかし、間違えて差し込みが合わないのを買って来たらしい。
すぐに取り換えに出掛けて行った。
帰ってきました。
ビールをひと口飲み、「まるで、このひと口を飲むために徹夜したみたいにうまいのう・・」なんて言っている。
私の方は、ずっとパソコンに向かって日記を書いています。
波照間の日記、ふり返って書いているのですが、すごく長くなってしまい、読んでくださっている皆さま、申し訳ないです。
そして、9月、10月分の仕事の電話もぼちぼちかかってきている。
とにかく、カーッと晴れてほしいんだが、どうやら明日も曇りらしいではないか。
夜ごはんは、私は焼きそば。
順君のお好み焼きの味を思い出してしまい、猛烈に食べたくなったので。
あの時けっこう残したあれを、今、まさに食べてえー。
スイセイは、鷄と小松菜のことこと煮、しらすの卵焼き、玄米。

●2003年8月17日(日)雨、寒い

11時に起きた。
「みいは24時間寝てたのう」とスイセイに言われる。
気持ちも体も遠くまで行ってきたので、もどすのにまる2日かかったのだ。
いや、まだ完全にはもどっていない。
だって、まだこの家がよそよそしいんだもの。
今日、引っ越してきたみたいな感じ。
スイセイの家に泊めてもらっているみたい。
スイセイにも少しトキメク・・・なんじゃこりゃ。
風呂に入り、洗濯もし(雨なのに)、部屋じゅう掃除する。
そしてスイセイと食料の買いだし。
そうやって、少しずつ自分の匂いをつけてゆく感じだ。
明日から仕事だったら無理やりもどしたと思うが、夏休みをあと1週間とっておいて正解でした。来週いっぱいかけて、ゆっくりもどせばいいのだから。
そういえば昨夜、ひさびさに夢をみた。
チャロ(良美家の犬)の可愛らしい顔が、目の前に出てくる夢だった。
「チャロー」と夢の中で叫んだ。
今日の夜ごはんは、ゴーヤ、もやし、小松菜、チクワ、豚肉のチャンプル。
もずく酢、ムキガレイの煮付け、生アオサの味噌汁、玄米。
生アオサ、石垣のスーパーで買ったのだが、香り高くものすごくうまい。
季節ものだろうか。もっと買ってくればよかったな。
食べ終わってからスイセイとウルルンを見る。

●2003年8月16日(土)雨、寒い

ひたすら眠って、起きたら4時でした。
昨夜は3時に寝たので、13時間寝たことになる。
波照間では寝るのがもったいなくて、たぶん平均睡眠5時間くらいだった。
しかも、いつも体の中か頭の中のどこかが起きている感じの、熟睡できない1週間であった。
しかし、それにしてもこの寒さはどうだろう。
まるで秋の終わりの雨の日だ。
セイリだし腹もくだしている。
けれど気持ちは、ずーんと落ち着いた自信に満ちている。
そして鏡の中の私は誰?っていうくらいまっ黒。
スイセイが玄米を炊いてくれてあったので、キャベツ入りのカレー(きのうスイセイが作ったと思われるカレーに新しくキャベツが入っていた)をかけて軽く食べる。
今、ニューヨークの停電についての新聞の見出しを見ました。
たまには大都会の人々も、サバイバルしてみたらいいさー。
これから私はもういちど寝ます。
長そでのパジャマに、毛布と掛け布団で。
風呂にも入らずに。
というか、帰ってからまだいちども風呂に入っていない私だ。
風呂に入ると、波照間が消えちゃいそうでなんとなく淋しいのだ。

●2003年8月15日(金)曇りがちな晴れ、蒸し暑い

うんこがしたくて目が覚める。
7時半です。
ナナ子さんの料理を食べてから、体の中が大忙しで動いている感じがする。
これでぜんぶすっきりと出た、と思う。
良美ちゃんちのトイレは水洗でないから、どのくらいのものか確認できなかったのが残念だが。
寝起きのちばちゃんを見ているうちに、ちばちゃんのアフリカ顔に気がついた。
今はショートの金髪だが、もっと短くして、もっと日に焼けると、すんばらしくかっこいいと思う。ちばちゃんはまだ若いけど、ごっつ姉御の素質ありだ。
順君がパナヌファで朝ご飯を作って、運んできてくれる。
ポークを焼いたのと目玉焼き、キャベツの千切り、きゅうりとトマトのサラダ。
その上にフライパンで焼いた食パンがかぶさっている。
バリ島のホテルみたいな、とってもアメリカンな朝食。
チアキ、ちばちゃんもいっしょに、良美どんの家の縁側に座って皆でおいしく食べる。
そして、そろそろ私は帰りの支度だ。
荷物をまとめたり、ひさびさにちょっと化粧したり、いつもの髪形にまとめたり。
ちあきなおみの「星影の小径」をエンドレスでかけながら、のんびりとやる。
帰ったらカラオケで熱唱しようと思うので。
バッチリ支度してパナヌファに行くと、チャロ(犬)が私のことをじっとみつめ、ジャンプしながら吠えまくる。
帰ることが、なんでチャロには分かっちゃうんだろか。
頭を撫でているうちに、ぼろり涙が・・・。
泣くのはいやなのでぐっと我慢した。
チアキは、私が買ってあげた袖無しの白いブラウスを着て泣いていた。
私と良美どんも、つられてちょっともらい泣きだ。
順君と、車の中から固い握手をして別れる。
民宿のおじいは、満面の笑みで手を振っていた。
私、おじいがあんなに笑った顔を初めて見ました。
ちばちゃん、かつこ、良美どん、チャロに見送られて、12時50分の船に乗る。
さらば波照間島よ。
飛行機を待っている間、空港の待合室で猛烈な眠気が。
ひょっとして私ってくたびれているんだろうか。
なんか、何もかも終わったーという感じ。
もう、何にも興味がない感じ。
待合室の人々が、ぜんぶ後ろを向いている人に見える。
というか、顔がない人に見える。
目の焦点が合わないし、気持ちの焦点も合わない。
ただひたすらぼーっと眠いのだ。
「文芸春秋」を買ったので、飛行機の中や乗り継ぎの待ち時間の間ずっと、芥川賞の「ハリガネムシ」をむさぼるように読み、活字中毒の毒を一気に吐きだす。
おもしろくもつまらなくもない小説であった。
10時に羽田着。
空港のトイレでセイリになりました。
すべてすっかり終わって着地した・・という感じ。バッチリです。
12時に家に着き、スイセイに八重山そばもどきを作ってやり、ちょっとだけ飲んで、風呂にも入らずすぐに寝た。

●2003年8月14日(水)ぼんやりした晴れ、蒸し暑い

12時の船で石垣島へ。
「金城商店」という、合羽橋がひとつに集まったような店で、金だらいやザルを買いあさる。ここ、すごいんです。
食器でもなんでも埃だらけだけど、店じゅうに積み上げて、通路がない感じ。
アジアっぽくて、ちょっと興奮します。
船を待っている間、酔っぱらっているわけでもないのに、3人でどうでもいいように思えて、しかしたいへん意味のあるような話で盛り上がる。
良美ちゃんって、何かを話そうとしていて言葉に詰まると、「どうでもいいさー、どうせぜんぶいっしょだから」とよく言うが、良美ちゃんの言うことってぜんぶ実感だから、何を話していても、木の話でも虫の話でも霊の話でも、ひとことで言うと哲学的なのだ。すんげーおもしろいの。
そして、3時半の船で波照間へ。
船はぜんぜん揺れなかった。
こんなことってあるんだ。
船を降りてすぐ港のトイレに駆け込み、またうんこだ。
隣に入ってきた人が、「アラ、エッサッサー」とかけ声をかけたと思ったら、シャーッと勢いのある放尿の音がした。
さすがだなぁー島の人は、と思って出たら良美どんだった。
帰ってからすぐに「ブドゥマリ浜」へ。
留守番していたチアキが、パナヌファの休憩時間にどこかの浜から帰ってきたのを拾って、いっしょに行く。
チアキは、袖無しの紺色ワンピースに麦わら帽子、自転車に乗って、まるでプールから帰ってきた高校生みたいに見える。
ずっと書くのを忘れていたが、チアキって家の娘のりうによく似ているのです。
たぶん同い年で25歳だけど、ふたりとも高校生ぐらいにしか見えない美少女です。
人見知りで、あんまりお喋りしないけど、時々はっきりした純粋な意見をボソッとつぶやくチアキが、私は可愛くてたまらない。
だから留守番のチアキのことが気になって、石垣島で白いブラウスを買ってきた。
浜から帰って、今夜は良美家に泊まることになる。
良美家ってすごいんです。
森の中に家があるみたいな、ドメスチックなとこなんです。
チャロも部屋の中で寝るし、布団なんかなくてゴザの上でゴロンと寝るのだ。
もちろん全部開けっ放しなので、めっちゃ涼しいんです。
シャワーを浴びて良美ちゃんとだべっていたら、順君が呼びにきた。
今日は、パナヌファ営業はなし。
私とちばちゃんが明日帰るので、お好み焼きパーティーなのでーす。
いやー、順君の太鼓がすごかった。
私は外で寝そべって聞いていたが、のりうつったみたいな激しさだった。
別に飲み明かすでもなく、1時くらいに爽やかに寝ました。
なんとなく、私の心はもう帰り支度をしているような気がしながら。

●2003年8月13日(火)曇り、西表島は涼しい

7時半に目が覚めた。
いつものランディさん一家の元気な声が聞こえないのが淋しいけれど、がんばって起きました。
ちばちゃん、良美ちゃんといっしょに、9時50分の船で石垣島へ行く。
石垣島で、昼ご飯に入った「ボサノバ」に貼ってあった、手足を縛られた豚が船の上に転がされている白黒写真。
じっと見てしまった。
豚は、これから自分が殺されることを知っている。
なんだかずしんとくる写真だった。
ふーっ、と思う。
さっき豚の足を煮込んだそばを食べたばかりの私だ。
そしてまた船を乗り継ぎ西表島へ。
昌子さん(良美ちゃんと順君の友だち)が迎えに来ていて、車であちこち案内してくれる。
西表は5年ぶりだが、ずいぶん様変わりしていた。
新しい建物が建ち、道も増えて、観光客もいっぱい歩いていた。
「どんどん山が削られてさ、山の内臓みたいなのが見えるんだよ。辛いよー。何でそんなことをするんかね、ここの人たちは」。
昌子さんはよく喋る。
ガラガラのよく通るだみ声で、運転している間じゅうずーっと喋っていた。
いろんなことを私たちに教えてくれるのだ。
昌子さんはもともと東京の日の出村の人だそうだ。
話の中にコウイチ、コウイチとよく出てくるが、コウイチロウさんというのは旦那さんで、3年前に病気で亡くなられた。
彼も北海道の出身だけど、あちこち旅をした末に、西表島をたいそう気に入ってここに暮し、昌子さんと結婚して米を作るようになった。
昌子さんの家は、風呂場から海が見える。
シャワーを浴びて浜に出てみたら、犬がひとりで散歩していた。
砂浜に鼻で穴を堀り、大きなカニにちょっかいを出したりして。
私の鼻をいちおう舐めまわし、無関心そうにまたプラプラとどこかに行ってしまった。
一面にひろがる、鏡のように平らかな光る海。
そして浜から降りると大きな祠や畑があり、鴨や鶏や猫がいる昌子さんの庭だ。
ここが不思議な家で、昌子さんは「もぐりの民宿」と言う。
たぶん、料金はとらない。
若い人たちが2人泊まっていたが、どうやら彼らは農作業の手伝いをやっているらしい。
昌子さんを慕って、いろんな人たちが集まってくるのだ。
「夕陽貸します、猫つき」というのが、もぐり民宿のキャッチフレーズ。
昔コウイチさんが考えたそうだ。
良美ちゃんや順君の話を聞いても、コウイチさんはかなり素敵な男だったと偲ばれる。
そして、彼は昌子さんのことを可愛がっていたんだろうなー。
ところで、私たちは何で西表に来たかというと、吉本ナナ子さんという女性がやっている「はてるま」に料理を食べに来たんです。
ばななさんや原君に、「みいは、ぜったい行くべきだよ。ナナ子さんの料理を食べるべき」と、何年も前からずっと言われ続けてきたのです。
「はてるま」は大原港のそばにあるので、近所の民宿をとっていたのですが、急きょ昌子さんの所に泊めてもらえることになりました。
しかし、西表はめちゃくちゃ大きな島で、ナナ子さんの所と昌子さんの家は島の正反対の場所にある。車で2時間くらいかかるんです。
7時半の予約に合わせて、5時くらいに出発した。
昌子さんは、相変わらず喋りっぱなし。
その話がいちいちおもしろく、声のトーンも心地いい。
途中ちばちゃんがおしっこタイムで車を停めたら、海の方の空にでかい虹を発見。
しかし虹なんかでは驚かない、西表の山々と森と海とでっかい空の景色なのだ。
ナナ子さんの料理は、すんばらしくおいしかった。
まず、「ゴーヤを皿の上にしいたグルクン(魚)の南蛮漬け」 グルクンが船形に揚がっていて、そこにサコナ(長命草)の千切りがこんもり山盛りにのっている。ゴーヤはシャキシャキで苦味が薄く、サコナも野菜のように食べやすい。
その洗練された味と、素材の姿の斬新さ。
次は、「モーイ豆腐(海藻を固めたもの)、レタスと三つ葉添え、ハーブソース」 モーイ豆腐には、にんにくやら唐辛子が隠し味で入っていた。
海藻だけではない何かの旨味も混ざっている。ハーブソースは何が入っているんだろう。
マヨネーズのような味噌のような味が遠くからして、やさしいのに旨味がある。
次は、砂肝の辛煮、ピパーチの葉が入ったバッポ(お好み焼き)、にんじんときくらげの卵蒸し(?)の盛りあわせだ。
砂肝は、「どこどこの砂肝です」と早口でおっしゃっていた。
ナナ子さんは、料理をサーブする時つっけんどんだ。
決して冷たいわけではなく、心がこもっていないわけでもない。
有名なシェフのいる店みたいに、わざとらしくうやうやしくなんかない。
ナナ子さんの方が、ずっと本当のような気がしました。
料理を全部書いているとたいへんなことになるので割愛しますが、「魚のマース煮」というのが、まるでプロバンス料理みたいだった。
マース煮って、魚を水と塩だけで煮る料理らしいが、ナナ子さんのは、オイル(バター?)やにんにくとマジョラム、タイムで、豆腐といっしょにこっくりと煮てあった。
しかも、すごくコクがあるのにしつこくないんです。
そのソースにご飯を混ぜて、またはパンにつけて食べたいって感じ。
最後の方に出てきた、冬瓜と島かぼちゃの煮物は、ものすごく薄味。
いっしょに出てきたもちもちの黒米ごはん(この黒米が、わが昌子さんの田んぼで作ったもの)の滋味をひきたてていた。
料理って「ぬき」も大切なのだ。さすがだ! 書ききれないほど、食べきれないほど出てきました。
ナナ子さんは、「ここに1年暮らしてみて、季節ごとの素材のことがどうにか分かってきて、やっとコース料理ができるようになったさー」と言っていた。
海畑と書いて「いのふ」と読むそうだが、毎朝、素材を「いのふ」から採ってきて料理するそうです。
「グルクンなんかでも、大きさがいろいろだからさー、料理法がちがうさね」とも言っていた。
近所の八百屋の野菜の大きさが違うどころではない。
海や畑から採ってきた、いびつで元気な土着の素材が、どうしてこんなにも洗練された料理に生まれ変わるのだろうか。
私はナナ子さんの手の平をじっと見た。
つるつるピカピカした、綺麗な手だったなー。
帰りの車の中は、皆絶好調だった。
昌子さんは、「命、無責任に、預からしてもらいます・・」なんてドスをきかせた声で言って、猛スピード(しかし、メーターはなんでか60キロだ)でぶっ飛ばすのだもの。
ちばちゃん、良美どん、私は叫びっぱなしで大笑いだった。
「ごめんねー、私喋ってばっかりいて。ナナ子さんの料理ゆっくり味わえなかったんじゃない?民宿に泊まればもっとゆっくりナナ子さんと話せたのに、家に泊まるんで良かったのかしらー」なんて、しおらしいことを昌子さんが言う。
私はすでに、姉御のようでいてどこかかわいらしい昌子さんのことを大好きになっていたので、必死になって即座に答えた。
「今日の、今日は、今日しかないから、これでいいんです!」 これって、通訳すると一期一会っていう意味だ。
あー、長い一日であった。
夜、うんこが出た。
波照間に来てからずっと便秘だったのだが、ナナ子さんの料理はやっぱりすごい。

●2003年8月12日(火)晴れ、ちょっと涼しい

明るくなってしばらくすると、鳥や山羊や牛や蝉たちがいっせいに鳴きだす。
これが7時。
で、お向かいのランディさんの旦那さんとモモちゃん(6才の娘さん)の、愛らしく元気な声がしてくる。
そしてしばらくすると、ランディさんの明るい声がする。
私は8時の音楽が鳴ってから、ぼちぼち起き始める。
今日の朝ご飯は、丸ハ印のママソーセージだ。
昨夜もらって帰ったおこわはダメになっていた。
ちばちゃんがもらったのは、仏壇に供えていたおこわだったが、もらって食べたらこっちはぜんぜんだいじょうぶでおいしかった。
波照間島では、仏壇にあげるご飯は、朝、昼、晩のぜんぶを新しく交換する。
そして、下げてきた料理は家族が食べる。
仏壇がある部屋は、ひと晩じゅう電気をつけたままだし、線香も絶やさないようにするので、女連中はあまり眠れないのだそうだ。
良美ちゃんは実家に2泊していたから、かなり睡眠不足だと思う。
私が子供の時、お供えもののご飯を食べるひいばあちゃんのことを「いやだー、汚い」と思っていた。
蝿もたかっているし、線香の煙でガビガビになっているご飯なんてよく食べられるもんだと思っていた。
波照間では、先祖さまを家族のだいじな一員として、お盆の間いっしょに暮らしているのだ。そのことが私にもよーく分かった。
ひいばあちゃん、私やっと分かったよ。
今朝の八重山新聞の1面にムシャーマの記事が載っていた。
新聞の写真を見ながら、民宿のおじいが教えてくれたことを通訳すると・・。
「ミルクというのは女の人。その後ろで踊りを踊ったり、唄を歌ったりしている人たちは、皆ミルクの子供(子孫)たち。ブーブサという道化役は酔っ払いで、仕事もせずにフラフラ遊んでばかりいる男(夫?)。ブーブサは行列の間をフラフラと行ったり来たりして、時々ちょっかいを出したりしているけれど、決してミルクよりも前には出られない」 10時半にちばちゃんとパナヌファヘ。
今日はお疲れの良美どんをゆっくり寝かせてやるために、チアキ、ちば、私の3人で開店前の仕込みをやるのだ。
昨日はムシャーマのため店を閉めたので、カレーがだめになっていた。
急きょ、「エスニックそぼろご飯」を私が仕込んでメニューに加える。
しょうが焼き用の豚肉を包丁でミンチにして、にんにく、島唐辛子、ナンプラー、オイスターソース、はちみつで味つけ。
仕上げに黒こしょうと、サコナ(長命草)をたっぷり刻んで入れた。
サコナが香菜の替わりのハーブだ。
赤米入りごはんの上に豚そぼろと目玉焼きのっけ、キャベツの千切り、トマトときゅうりのマリネ、紅芋の天ぷら添え、玉ねぎと麩のみそ汁つきだ。
オープンと同時にランディさんたち御一行がやってきて、お客さんはあっという間に満席になった。
仕込みだけのつもりが、ガンガン働いてしまった。
ひさびさにクウクウの厨房を思い出した。
忙しくなると血が騒いで、めちゃめちゃ頑張っちゃうんです。
腰が痛いっす。
3時からは休憩なので、また西浜に行く。
パナヌファシスターズだけなので、水着なんか着ずに、タンクトップとパンツで皆泳ぐ。良美どんなんか、乳焼きしたいと言って、すぱっとトップレスだ。
陽が沈むまで、ビールを飲みながら泳ぐ。
宿に帰るとランディさん一家はもういなかった。
石垣島に別のお祭りの取材に行ったのだ。
別のお客さんのビーチサンダルがあって、なんだか私は淋しい。
シャワーを浴び、ひとりてくてくパナヌファに行く。
ひたすら皿洗いを手伝う私だった。
今日のパナヌファの夜営業は8時まで。
「満月だー」と良美ちゃんが叫ぶので外に行ってみると、出たばっかりのでっかい満々月だった。
満月踊りを踊りながら、月の方にずんっずんっと近寄ってゆく良美であった。
今夜のご飯は、「混ぜ混ぜジューシー」良美作だ。
実家の父が作った、シャコ貝煮の汁、魚の(マース煮)塩煮の汁、パナヌファのナンコツラフテーの煮汁という豪華だし。
そこに、スーチカ(塩豚)のはしっこ、にんじん、ピパチー(沖縄のこしょう)の葉を炊き込んだめちゃうまご飯だった。
キャベツ、にんじん、鰹の薫製(父が作った)のサラダはポン酢味。
なぜかきゅうりの醤油漬けが入っていたが、それがまた妙においしかった。
夜中の12時になったので実家へ行き、先祖さまを送る儀式をやった。
すでにものすごく長い日記になっているので、その様子はここでは割愛します。

●2003年8月11日(月)朝ちょっと雨、快晴のち天気雨

昨日、お墓まいりに行って帰ってから、私はぐんぐん元気になった。
良美どんは、お墓の中に私を呼び入れて、先祖さまに紹介してくれた。
「東京にいる私の親友のみいさんです。ムシャーマの間いっしょにいるので、よろしくお願いします」と。
良美どんの隣に座って私も拝んだ。
「呼んでくださってありがとうございます。いっしょに過ごさせてください」。
そうしたら、とても近しい親戚のような気持ちになった。
良美ちゃんの実家に帰る時、私も先祖さまをおぶっているような心持ちで帰って、缶ビールを1本もらって飲んでいるうちに、ポーッと酔っぱらってしまった。
パナヌファに帰ってから、ジョッキをゆっくり飲みながら、渡さんの「私の青空」、ニーナ・シモンをかけて夕方を過ごす。
それで、パナヌファの入り口のところに座って、べろんべろんに泣いてしまった。
私の体は空っぽで、外を眺めているだけで泣けてくる。
自分が、ぐんぐんと島にくっついてゆくのを感じるのだ。
ボールペンが書けなくなった。
これからはシャープペンを持ってくること。
忘れないようにここに書いておきます。
順君は、ランディさんたちを連れ、あちこちを車でまわっているうちに、霊的なものをどんどん感じ始め、最後の墓参りではビンビンに感じてしまったそうだ。
そういえば順君はお墓の中には入らなかったけど、私の脇でぽーっと突っ立っていた。
帰ってから、「あのなー、オレめっちゃ元気になったわ(順君は大阪出身)」と言っていた。
さて、ここまでは昨日の話。
今日は11日でムシャーマ(ムーシャマではないと順君に教わった)の日です。
波照間は人口500人のとても小さな島だが、3つの集落に別れています。
その集落ごとに踊りの行列があって、それぞれが中央の広場に集まってくる。
阿波踊りは、同じ音楽の行列だけど、ムシャーマの行列はとんでもない。
7つくらいの踊りや芸能が、それぞれの音楽(三線と唄、笛や太鼓)をひきつれながら歩いてくるのだ。
だから、1箇所に座って眺めていると、目の前をいろんな音楽や踊りが無秩序に流れて、ハレーションをおこす。
つまりそういうものを神様に奉納するということだそう。
私はチャロを連れながら、ぐるぐるとあちこちを廻って、いろんな部落のを眺めた。
先頭を歩く、白くて福々しいお面をかぶったミルク(弥勒菩薩からきているらしい)の顔も、集落ごとに微妙にちがう。
ミルクと目が合うと、福をもらったようなありがたい気持ちになりました。
さて、午前中は行列で、午後からは舞台で奉納の踊りがあるという。
昼休みにてくてくと歩いて宿に帰り、横になったとたん爆睡してしまった。
シャワーを浴びてさわやかに出掛けたけれど、私が復帰した時には、もうすべて終わっていました。ガクッ。
良美どんの漁師の男役の踊りも、良美ちゃんの兄さんのも見逃した。
しかし、ものすごい眠気だったのです。吐き気がするほどの。
けれど最後の行列には間に合いました。
こんどは中央からそれぞれの集落に帰ってゆくという行列だ。
順君の三線は、ロックのようであった。
良美ちゃんも男まさりの着流しで、惚れちゃうよって感じ。
ふたりが時々目配せしながら流してゆく姿は、超かっこよかった。
とちゅう、ものすごい晴れているのに、シャワーのように雨が降ってきました。
それを広場の中央に立って眺めていたら、ものすごく贅沢な気分になった。
自分が神様で、人間界のお祭りを眺めているような、ゆるやかで気らくーな気分だ。
終わってから、実家でご飯をおいしくよばれる。
冬瓜、ソーキ、昆布、ちくわの煮物と、切り干し大根のチャンプルー、魚の味噌煮(味噌汁のようなもの)、おこわ(波照間の小豆は黒っぽいので、もち米は赤飯のような色ではなく、茶色っぽく染まってシックだった)。
どれも薄味で、素材の味をとってもだいじにしている。
残ったおこわをお握りにして持って帰る。
宿に帰ったのは11時。
先に帰っていたちばちゃんが、道路に座って皆とだべっているのに参加する。
ムシャーマの何が良かった誰がかっこ良かったなどと、だらだら喋っていたら、降り始めの雨みたいなのがポツリポツリと降ってきた。
「降ってきたね」と言うと、皆は「降ってませんよ」と言う。
良美どんがニヤニヤしながら、「みいさん、そういうことあるんだよ。私もそんなことあったさー。それは良いいことだからヨ、よーく味わっとけ」なんて言う。
なんだかありがたーい気持ちになり、道路に大の字になって空を仰いだ。
シャワーを浴びて、1時くらいに早々と寝る。



日々ごはんへ めにうへ