メモ・ 2018

そして、自分のクローゼットにTPO設定無数にぶらさげてある という設定


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■2018-12/31

[野の編日誌]
コクピットまわりの整理、配線などの片付け。
もはやコクピットなくては生きていけん。
正面にパソコン、テレビ、サイドに電熱コンロと灯油ストーブ。
正面のディスプレイのむこうには部屋の窓があり、外の実景を覗くこともできる。
「巨大土地型ロボット・ノノヘン」の頭部、まさにコクピット。
「頭デジっかち症候群」の、溜まりに溜まった情報の整理せんと。


ってまー、なんとか「オリヂナル・カレンダ2019」できました。


綱わたりするものどうしがハイタッチ


■2018-12/30

[野の編日誌]
あさ6時、室温1.4度。
でもうちの地区はなんとか朝日が昇ってくれる、吹雪の日本海側には申し訳なし。
寒さ厳しいときは、日中の明るくあったかい時間帯がとても貴重。
無駄のないよう丁寧に過ごしたい。

この寒さの中でも、山の方でシカが鳴いている。


■2018-12/29

[野の編日誌]
あさ6時、室温1.5度。 てゆうことは、外は氷点下。
パソコン本体、キーボード不調。
シャーペンが壊れたので修理を試したが直らず。
この0.9ミリ芯のシャーペンに替えて、2ミリ芯のシャーペンを使うことにした。
2ミリ芯だったら芯折れの心配なさそうだし、機構は単純でトラブルが起きにくいだろう。

おれらの暮らしは、とっても複雑な機構の上で成り立っている。
機構の複雑さと耐久性は反比例する。
あまりに耐久性がないものたち、もおうんざり。


■2018-12/28
[けふの料理・そばと餅]

年末に近づくに連れてどうもそばが恋しくなり、年越し前の早めに食ってしまう癖がある。
というわけで、きょうは「たぬき・きつね・あさり入り汁そば広島風」。
で、当然お餅も12月の安売りを買い込み、とうに食べはじめている。
じゃ正月はどうするのかと言えば、食べたいときだけぼちぼち食べる。
買い込んだお餅を食べ終わるのが、春になることもある。


■2018-12/27

[野の編日誌]
懸案の間仕切りカーテンを、透明ビニールシートで作った。
布で言うところの「縫いしろの始末」を、はじめて熱接着によってやってみたらうまくできた。
透明ビニールはけっこう好物なので、これで工作の幅が広がることがスンゴイうれしー。
すでに室温が冷蔵庫並みだがまだ序の口、このカーテン、役に立ってくれるか。


■2018-12/26

[野の編日誌]
ひとは体の具合を良くするために注射を打つ。
注射器の針を刺す。

ひとは我慢をすることでより高い望みを手にするやり方、「ジャンプ方式」を覚えたが、でも、これができないことが往々にしてある。


■2018-12/25

[野の編日誌]
いまのうちにと、樹木の剪定をはじめる。
現状4、5メートルある梅とスモモを、3メートルにするのが目標。
採れる実の量は少なくなるが、手を伸ばして採りやすくなる。
さあ、この大胆な素人剪定に樹木たちどう反応するか。
荒っぽかったらゴメン。


■2018-12/24

[野の編日誌]
不定形の、流動するものに汎用性を与える「型」。
「からだ」は「型」。
「言葉」は「型」。

そうして「型」を通して、誰もが誰もと触れ合えるようになる。


■2018-12/23

[野の編日誌]
もし、重力がなかったらとおもうとゾッとする。
おれは幽霊のように宙を漂わんといけん。
果てしない宇宙の広さに狂わないでいられるのも、地面があるおかげだ。
おれの、ギックリでメタボの胸焼けする「からだ」も。
みんな。
どうも、ありがとう。

冬至明け、おめでとう。


■2018-12/22

[野の編日誌]
きょうは、冬至。
うちの設定する実質「大晦日」。

たとえばうんこが香水の原料であるように、闇も光明の原料だ。
冬至、おおいなる「闇なたぼっこ」の日。
これをきちんと過ごしてから、つぎの新しい年を迎える。
(てかカレンダ作らんと)。


■2018-12/21

[野の編日誌]
「幻魔大戦2018 広島編」。
案の定、見上げるほどの巨大な肉食獣の群れの中、七転八倒してきた。
相手の爪が頬をかすめたこともあったが、なんとか致命傷には至らんかった。
し、こちらの装置しかける糸口、いくつか。
そうしてすっかりくたびれて、帰路ローカル線の揺れに寝落ちしそうになりながらも乗り過ごすことなく、ぶじ最寄りの駅に降り立った。
夕刻、この帰還兵を出迎えるものはおろか、そもそも構内にも駅前にもだーれもいないまさに無人駅、いつものように無音の家路をひとり歩いた。


■2018-12/14

[野の編日誌]
「幻魔大戦2018 広島編」にて、数日留守。


■2018-12/13

[野の編日誌]
文を書くときには、白い紙の上にまずおもいつくまま言葉を置いてみる。
そして、頭の中のおもいと、紙の上に置かれた言葉とを見比べると、たいてい誤差、不具合を感じて、その誤差、不具合を調整してるうちにだんだん文ができてくる。
それは、白い地面を耕してるような感触があるので、「文を耕す」とでも言いたい。
またそれは、最初だけきっかけがあったら、ひとり会話のようなことが延々と続けていられて、やがておお大きな作物が白い紙から出現するような、不思議さもある。


■2018-12/12

[野の編日誌]
将棋は、たえず戦局の全体を見ながら、ひと駒を打つ。
局面によっては、ひと駒が全体を大きく変えてしまうことになる。
プロのひとって、全体とひと駒のつながりが、よーく見えてるんだろうね。


■2018-12/11

[野の編日誌]
懸案。
すぐにはどうしていいかわからないけど、気になること。
頭の中に「懸案トレー」があって、発生した懸案はそこに入れておく。
そうすると時間が経つうちに、いつのまにか懸案の方向性ができていることがある。
これ「寝かせる」っていうやつで、意識が寝てるあいだにもかかわらず意識外でもものごとを進めるなにかが行われてるらしい。
考えることの主体は、じつはこの意識外のほうにあるのかもしれない。
畑を耕すときも、鍬を土に入れるたびに懸案もほぐしているような、ほぐれていくような感じがある。
畑を耕すことも、考えるということなのかもしれない。


■2018-12/10

[野の編日誌]
多角形の角の数が少ないと、角は尖る。
では、多角形の角の数が増えると、角の尖りかたが減って、あたりがやわらかく、あるいは鈍くなる。
この多角形を、文章全体とする。
角を文の各要素とする。


■2018-12/9

[野の編日誌]
生きものは、もともとそんな風になりたいとおもってその形になったんじゃない。
環境のほうが先にあって、その環境に合わせた形作りをしただけだ。
生きもののと環境、互いに作用し合うので両者は一見対等にもおもえるが、生きもののと環境のサイズと時間軸の桁違いをみると、やっぱり環境のほうに主体があって、それに生きものが合わせてきたと言うのが順当だろう。
遠大な時間軸の中を、生きものはなんとか環境に合わせるよう進化を続けてきたが、それができなかったものは滅びる。
化石など滅びたものの名残りはかろうじて見つけられたのであり、なお見つけられず土に還りつつあるもののほうがずっと多いだろうし、すでに土となってその跡形さえわからないものはさらに多いだろう。
いまを生きているというものの都合上「進化」という言葉が使われるけど、「淘汰」の歴史、滅びたものの歴史というほうが実態にふさわしい。
おれらだって、たまたま生の崖を歩き続けられてるだけで、その足取りを間違えるといつでも落ちてしまいかねないことに違いはない。


■2018-12/8

[野の編日誌]
えと、たしか武士の時代のころ、武士がなにか大きな間違いを犯したことの責任の取りかたの一つが「切腹」だったとおもう。
そいでまー、その当人が自分で腹を切るんだが、やっぱり簡単なことじゃないから上手くいかないこともよくあり、中途半端なままで死にきれず、その場で苦しみもだえている。
と。
じつは、そんなことのために介錯人が近くにいて、苦しんでいる人の首をはねて、即死させてやる。
狩猟でも、獲った動物のとどめをすぐに刺すことに似ているかもしれない。
で、たしかそんなときに「武士の情けじゃ」というセリフを使うんだったとおもう。
「武士の情けじゃ」。
「ぶしのなさけじゃ」。
これを、なにごとも中途半端に終わらせず、するんだったら徹底してやり抜け、という意味と捉えて、うちでは重宝に使っている。


■2018-12/7

[野の編日誌]
ひとは、自分の状況をいいほうに見たがる。
自分にとって悪いことは、否定したがる。
でも、そのことで問題の発見が遅れると、事態はさらに悪化する。
望むことの逆方に進んでしまう。


■2018-12/6

[野の編日誌]
まーまー、まーまー。
と。
息をふかーく吸って、止める。
そして。
ゆっくり、吐く。


■2018-12/5

[野の編日誌]
重いタンスでも下に隙間3ミリがあれば バールで持ち上げることができる


■2018-12/4

[野の編日誌]
「夢は叶う」という慣用句がある。
ただ「夢」というのは単独のものではない。
あくまでも対語「実態」とのセットであり、「夢」と「実態」の差を無視してしまうとかならずしも「叶う」とは言い切れなくなる。
「夢」と「実態」との間の距離を測り損ねて、「夢は叶う」ことができなかったもの、それはその逆よりも多いだろう。
中略。
そうして、「夢は叶う」ことができなかったものの傷ついた気持ちは行き場をなくして、宙をあてどなくさまようことになる。
悪霊、のことだ。


■2018-12/3

[けふの料理・野ゴボウの葉、茎の炒め煮]
それから毎日のように野ゴボウを食べている。
と言っても、まずは葉、茎を先に食べつくす作戦。
野ゴボウの地上部は、1本の根元から大きな葉、長い茎が10本くらい放射状に広がる大げさ造り。
まず地上部をなくして、土に埋まった根だけにすると、後々掘り出しやすくなる、ので。
野ゴボウの葉、茎だけでも食べ応えがしっかりとあり、元々豊かじゃないうちのごはんのおかずとしては、じゅうぶん上等な主菜となっている(ちなみに副菜はもちろんない)。
こんなものが身近に埋まっていること、あの有名な農ワールドへの誘いか。
なりゆきのいただきもの。
「いただく」を、パソコンで漢字変換すると「頂く」が出る。

日ごろお世話になっているお隣さんに、野ゴボウの葉を差し上げる旨伝えてみたが、鼻から遠慮風拒絶。
でもよ、この野ゴボウ。
あんたたちの土地の、あんたたちの先祖が植えたんだよ。


■2018-12/2

[野の編日誌]
口から出てくる尊いものでも おなじものが尻から漏れ出ると汚いものになる


■2018-12/1

[野の編日誌]
たとえば悪霊というのは、なにもあっちの世界にだけいるんじゃない。
こっちがわのそこら辺にも、うろちょろしてるのがおれには見える。
逆に、こっちのそういうのを元にして書かれたのがあっち物語なんじゃないか。
おれは、あっちのこともすべてこっちに置く。
こっち側、いま目前のこここそがすべてだ。
あの世もこの世も地獄も極楽も、ここにすべてがある。


■2018-11/30

[野の編日誌]
ひと、ひいては生きものすべて、たいへん複雑な造りのものだ。
その造りの複雑さは、かれらを取り囲む環境の複雑さに対応しようとした結果なのだからいたしかたないし、ある生きものが他の生きものにとっての環境となってしまうように環境も生きもののように育つので、環境、生きもの両方の造りの複雑さもそれに連れてさらに増していく。
あーやれやれ。

うちのガラケーの取説は、ガラケー本体の何倍もの大きさ重さだ。
ガラケー毎日使い続けてても、取説に書かれてる機能のせいぜい1割も使ってないんじゃないか。
使いこなせないほどの機能って。
それなに。


■2018-11/29

[野の編日誌]
朝から簡単じゃない案件2種対応のため、長いメール文送信、長時間電話など。

世は必ずしも安泰とおもっておらず、そりゃ、そこで暮らすひとについても言わずもがな。
たとえ道が舗装してあったとしても、次元をズらすとケモノみち縦横に走り、クレバスあちこち。
とくにこれから、ひとを惑わす師走、すでにその気配あり。
喰われぬよう落ちぬよう、まずは、その先の新年まで用心、用心。


■2018-11/28

[野の編日誌]
連日の秋晴れ。
空が高い、っていうやつ。
日中温暖で風なく気持ちよく、いくらでも外にいられる。
枯れたシソの種でも採ろうかとおもったが、そのたいへんさにくたびれて途中で投げ出した。
室内に戻って、たまった用事とにらめっこ。

ひとは年末のひと月だけで、この年の全部の気持ちの清算をしようとするのだろうか。
どの用事も粘りっ気があって、スイスイ、スイセイとはなかなかはかどらない。
おれのいちばんうれしくない12月、これからだ。


■2018-11/27

[野の編日誌]
したがって。
「真実」という言葉の中に、必ずしも真実が入っているわけじゃない。
「愛してる」と言われても、ホントにそうだとは限らない。
違うもの、反対のものが入っていることさえありうる。

言葉は、万人が使うために規格化された言わば既製品なので、すべての個個人にピッタリとは合うわけじゃない、むしろそうおもっといたほうがいんだろう。
と。
個個人それぞれに合わせるためには、スソ上げ、肩パットなどの「相違工夫」が欠かせない。


■2018-11/26

[野の編日誌]
言葉は型だ。
目には見えない実態を型に入れて、顕在化する。
小豆アンコを木型に押し込んで和菓子を作る、ようなこと。
具が同じでも、型を変えることでいろんな和菓子ができる。
(ところで、うーんとしばらくおれは和菓子を食ってない、好物なんだが。)

では、和菓子の木型にごはんを入れたらどうなるか。
はたして、(どれだけ和菓子のように見えたとしても)それを和菓子だと言えるだろうか。


■2018-11/25

[けふの料理・野ゴボウの炒め煮]
畑に自生するゴボウの名を、「野ゴボウ」とした。
おそらくホントの野生種でもなく、むかし畑に植えられた普通ゴボウが野生化、先祖返りしている途中段階のものとおもわれる。
試しに抜いてみたが、畑の硬い粘土質と根曲がり、「根の枝分かれ」?により普通ゴボウのようにスッポンとはきれいに抜けず、根が途中でちぎれたが、全部取るのはサッサとあきらめた。
しかも、この主根のいちばん太いところ7センチ。
・野ゴボウ2本分、2、30センチの葉っぱ十数枚、茎十数本、根いろんな太さ長さ数本、これらを一晩水につけてアク抜き。
・それらを適当おおまかカットしても、うちの大鍋から溢れるほどの大量。
・葉っぱ、茎、根と3回に分けて、オイル多めでしっかりと炒める。
・炒めて量が減った全部を合わせても1.5リットル鍋いっぱい。
・これを灯油ストーブの上に数時間放置、フタをしとくと具自身の水分で煮える、そのときはじめて味付けに醤油だけ適当に加える。

そして、ごはんのおかずとして食ってみた。
うーん、あれ?
うまい、じゃん。
とくに葉っぱにフキ系の苦味があり、これ好物なりや。
茎も皮が硬めだが、口のいい運動にはなる、食えないことはない。
根も芋のような食感、柔らかく甘みさえある。
昨今のヘッポコヤングには無理かもしれんが、フキ系が好きなおれら大人にはイケる。
「野ゴボウ」、あと十数本埋まっている。
どうやら、「年末(前の)ジャンボゴボウ宝くじ」に当たってしまったようで、おれはゴボウ長者となったらしい。
やれやれ。


■2018-11/24

[野の編日誌]
たとえば、ガラケーのカバーを作るとする。
まず100円ショップで適当な小袋を買い、これを解体する。
うちのガラケーに合うように解体素材をさらにカットしたりする。
足りない部品をほかからも調達し、付け加えたりもする。
そして全体を組む、縫ったりする。
で、オリヂナルガラケーカバーの出来上がり。
と。

文を作るときも、こんな感じ。
既製品をバラした言葉を使ったり、身のまわりに落ちてる言葉を拾ったりする。
言葉はあらかじめどれも新品のまま「24色の色えんぴつ」のようにきれいな箱におさまっている、わけじゃない。
たいていは使いこまれてて、好きな言葉ほどちびくれて、くすんでいる。
かたやほとんど使われることがなく、いつまでも減らない言葉もある。
その言葉の使われ具合や減り具合も意識しながら、文を作る。
おれはね。


■2018-11/23

[野の編日誌]
うちの畑に、もしかしたらゴボウかもしれない植物が自生している。
わりとまとまった場所に10本以上。
30センチもある大きな葉っぱが一箇所から数枚広がる、否が応でも目に止まる。
えっ?おまえ、食われたいのか。
夏場から目についてたのだが、結果的にいままで放置してた。
このごろ、ようやく畑の草たちがおおかた成長を止めて枯れはじめたというのに、ゴボウかもしれない一群だけが青々と残っている。
しかたない。
おれはビビリで知らない野の草なんか食うのハードルが高いんだが、上着の裾つかまれて離されないんじゃしかたない。
ま、やってみるか。


■2018-11/22

[野の編日誌]
文は、「理」と「情」でできている。
「理」は伝えたい用件内容そのもの、「情」は用を伝えやすくするためのカバー、潤滑油、いわゆる文体や口調。
人でいうところの、裸身と衣服の関係。

世の中もまた、「理」と「情」でできている。
ものごとを具体的に動かすためには、そのものがどうやったら動くのかという「理」がわかっていないといけない。
加えて、ものを動かすことの周辺に対する配慮、手当てが「情」、だろうか。

「世の中」と一言で書けても、実際には膨大な人の数、膨大な要素の数の集合なわけで、人や要素それぞれが互いに意思疎通するための道具が文、というわけだから、世の中も文も「理」と「情」構造が似ている?同じ?なのも至極当然。

なーんてことを仮説として考えてみる、当分のあいだ。


■2018-11/21

[野の編日誌]
広島の実家から、とうに使われなくなってた物干しハンガーをもらって帰ってきた。
35センチの輪っかに12個ほど洗濯バサミがぶら下がったやつ、全身金属、サビが出てるが表面だけだ。
どっこも壊れてない。
洗濯バサミのバネはいまも強く、かつ掴みが平らなので洗濯物を傷めない。
うーーん、じゃすと ぱーふぇくと。
昭和年代の、そう、おれと同じくらいの年、の量産製品。
(そのむかし、有名メーカーのプラスチックの物干しハンガーが、短期間で紫外線劣化し、しまいに壊れたことに呆れた。
「日の光に弱い物干しハンガー」とは、なんて悪いジョークだ。)

つづき。
やがておれが死に、愛着あるこの物干しハンガーとともに棺桶に入れられ焼かれるが、物干しハンガーは燃え残り、それを子が拾い、さらに末長あーく使いつづけた、とさ。


■2018-11/20

[野の編日誌]
午後2時。
だが、もう日暮れかとおもわせる例年の空模様「アイルランド曇天」の中、山梨基地にぶじ軟着陸。
室温11度。
主の帰りを待ちきれんかったか、留守のあいだにずいぶん気温低下していた。
すぐに、ただちに、まず。
なにを差し置いても豆炭あんか着火し、それから呼吸整え、荷ほどき、コクピットの各機能に通電し、ただいまを告げる。

「巨大土地型ロボット・ノノヘン」、の、真っ黒い眼球部の奥の奥、に、ほんのりと小さく明かりが灯った。


■2018-11/14

[野の編日誌]
あさ6時、ようやく外がほの白じむ。

その昔、やっぱり夜明けにアジアのあるバス停に突っ立ってたことがある。
自分の荷物を詰めたバックパックと身ひとつ。
タイムマシンで未来からやってきた人が未来からの指令に脅かされるように、おれもバックパックに脅かされている。
「気まぐれに違うバスに乗ってもいい。」
それが、おれのお守りだ。


■2018-11/13

[野の編日誌]
あした、おらの実家、広島に帰省することになった。
(「帰省」って、こんな意味があるんだ。
省:セイ・ショウ(シヤウ)・かえりみる・はぶく
1.自己の内心をよくみる。かえりみる。 Google辞書より)

東京からだと電車気分で広島まで行けるけど、ここからだと乗り換えも多いし、遠くに感じる。
もういまから道中の食料やらサッサと歩く練習やら、支度いろいろ。


■2018-11/12

[野の編日誌]
豆炭火鉢の実験。
ごはんを炊く土鍋(2合炊き、フタが付いているのもいい、安売りしてたのを衝動買いした)が遊んでいたので、これを暫定火鉢の器とする。
これにいままで取って置いた豆炭の灰を、鍋の半分のとこまで入れる。
そこに火をつけた豆炭を置く。

この火鉢のサイズだと、豆炭2個が許容量か(これ以上の量だと、器自体が熱くなって危険)。
ミニマル豆炭火鉢はかわいらしいし気が楽でいいんだが、使い続けるとなればサイズをどうするか、懸案。
きのうは豆炭のかけらで試したが、数時間火持ちし、水1カップならあっためることもできる、餅も焼けそう。
火鉢というものの初体験、部屋の暖房としては非力だが、生火を眺めることによる心的暖房効果は大きい。


■2018-11/11

[野の編日誌]
ここのところ、午前中は晴れるが、午後曇る。
晴れ間が見えるともったいないような気がして、梅干しやらチーズを日に干した。

元持ち主が置いていった使い古し針金の整理。
ありがたく頂戴するが、かさばるのがやっかいなので、建物の外壁に陳列風に並べることにした。
長年の懸案だったので、ひと安心。
それと、豆炭で火鉢(のようなもの)をする練習をはじめた。

のどかな、秋の日。


■2018-11/10

[野の編日誌]
パソコンのキーボード不具合、前触れなくキー2個が押しても反応しなくなった。
だども中古キーボードのストックがあったので、パソコン作業中断、とはならんかった。

それから、このブログアップするためのソフトが期限切れとかで使えなくなった。
更新しても、期限切れダイアログがなくならず、英語表示もよくわからず、理由不明のまま別のソフトに切り替えた。

パソコン関連のトラブル2種、それぞれあっても年1回レベルなのが、ぬあんで同じ日なんだ。

秋暮れて日暮れて われ途方に暮れ


■2018-11/9

[野の編日誌]
冬の前の静けさ。
豆炭あんかはないと困るが、灯油ストーブつけるほどじゃない。
だども、油断しとられん。
もう、すぐそこには怒涛の師走が、そのつぎには極寒プレミアムが控えている。
まだ動きやすいいまのうちにと、あたり見回しオロオロ。
オロオロ。


■2018-11/8

[野の編日誌]
少し前は、東京からこちらに向かいながら山々を眺めては、そのようすで季節を感じていたが、いまはもうその山々の内側にいる。
うちのトイレの小窓から、あたりの山、紅葉だらけなのが見える。


■2018-11/7

[野の編日誌]
布団のシーツなど縫いたかったが、電動ミシン不調。
モーター故障の可能性あり、分解しないとなんとも言えないが、分解するエネルギー、いまはなし。
ほかの用事に向かう。

日日使い続けているものはすり減ってゆき、やがて壊れる。
それを追いかけて修繕する。
きちんと直して、つぎの修繕がちょっとでも先延ばしになるようにする。
その繰り返し。
繰り返し。


■2018-11/6

[野の編日誌]
理由どうしが会話をはじめると、エンジンがまわり出し前に進みはじめる。
ものが上から下に落ちるようなことだから、手助けはいらない。
不安定だったものが、どっかと腰をすえて安定するところがあり、そこに着くとひと区切り。

おれはそれを見守っているだけだ。


■2018-11/5

[野の編日誌]
いま、自分がここにいて、このまわりにあるもの。
あるとおもうもの。
ものが「ある」のは、ものの理由だが、「おもう」のは、自分だ。
自分の理由だ。
そうして、ものの理由と自分の理由が会話をはじめる。


■2018-11/4

[野の編日誌]
それから、「豆炭あんか」と付き合っている。
「豆炭あんか」の気持ちよさは生きもののようだとおもってたが、ものが燃えるときの炎も生きもののようだから、豆炭も燃えていることをおもえば、さもありなん。
(「豆炭あんか」は、そのコンパクトな形の中でものを燃やしているのだ。)
豆炭は生きものと同じく、個体差、個性さまざま。
着火しにくいやつ、熱がだんだん冷めて立ち消えするやつ、日日安定して使いこなせてはいない。
いちおう体験学習中なので、できるだけ個性の理由を調べて問題を解決するようにはしている。
やっかいだが憎めない。
調子いいときの気持ちよさ、たとえばあぐらの上に体温の高い生きもの(猫か赤ん坊、硬いけど)を乗せてるような気持ち良さは、ほかに替えがきかない。


■2018-11/3

[野の編日誌]
「灯油ストーブラック」設置に伴う、その周囲の整理。
ここはコクピットで、パソコンがあり1日の長時間を過ごすようなところ、なので、自分が動きやすいように、居心地がいいように調整する。
もはや、ここは自分である。
オーダーメイドで服をあつらえるように、自分の義手を自分で作るように。


■2018-11/2

[野の編日誌]
メタルラックを使って、「灯油ストーブラック」を作った。
幅60センチ、奥行き60センチ、高さ90センチ。
このメタルラックの中に灯油ストーブを据えて、ぐるりとまわりにいろいろ置けるしくみ。
灯油ストーブ周辺の熱すぎない熱を、保温や乾燥などにも活用しようという魂胆。


■2018-11/1

[けふの料理・食品乾燥]
きょうは、買い出しの日。
で、帰るとすぐに食品の乾燥をはじめる。
油揚げ、鶏胸肉、ウインナ、チキンナゲットなど。
それぞれ袋を開いてひと晩放置し、まずは荒く乾かす、この時期だから常温でオッケー。
早く乾かしたいときは、灯油ストーブの天板から浮かして熱すぎない熱気を当てる。
水分を荒く取ってやると、冷蔵保存するにしても日持ちが、うーんと伸びる。
と、おもう。

最近の乾燥ヒット。
ピザ用チーズを乾燥させたのだが、これはうまい(それぞれの店や品によるとおもうが)。
大きめのボトルに入れ替えてそこらへんに置いて、駄菓子のように気まぐれにつまんでいる。
油揚げはきちんと乾燥させると、硬ーくなって、せんべいのようになる。
こうなったら、常温保存でも大丈夫だとおもう。
そいで、これをテキトーにちぎって煮物なんかに入れとくと、まるで肉のような食感になり、食べるたびに驚く。


■2018-10/31

[野の編日誌]
保温トレーでアイロンができることを発見した。
保温トレーに布生地をのせて、水スプレーし、木の板で押さえる。
ホントのアイロンより手間も時間もかかったが、布シワは伸びる。

アイロンせんといけんような服を持ってるわけじゃない、使うとしても年に1回。
保温トレーは、表面温度150度で80ワット。
500ワットのアイロンより経済的でいい。
コーヒーの保温もできる。


■2018-10/30

[野の編日誌]
それから、「豆炭あんか」は欠かせぬものとなり、豆炭に火をつけることが昼下がりの日課となった。
その豆炭がきっかけで、外でちょっとした直火を使えるようにと「モバイルたき火 2018」というのを作ってみた。
豆炭には、紙くずや段ボールの端くれで火がつくことがわかっているが、いかに少ない材料で、短時間に火をつけられるか、というのが当面の目標。
きのうはカセットガスコンロの弱火で6分を記録したが、さあ新登場「モバイルたき火 2018」の威力はどうか。


■2018-10/29

[野の編日誌]
ようやく、工作室の細かい整理をする意欲が出てきたらしい。
たとえばネジ、3、4、5、6、8、10ミリのサイズ別に分けて、それぞれの箱に入れて棚に並べる。
いままで、そうゆうことができんかった。
細かい、込み入ったことって、エネルギーがいるんだ。


■2018-10/28

[野の編日誌]
ここで暮らし2年余、四季をふた回りした。
さすがに暮らしスタイルの基礎ができつつある。
当初はとまどいながら、おっかなびっくりしはじめたことが結果的に形となり基礎となった。
確からしい基礎があると、次はその上に積み重ねたらいいので、気が楽。
ぬかるみに足取られたかとおもったが、この道でよかったらしい。
いまのところ。


■2018-10/27

[野の編日誌]
なにかにのめり込んでは、ほかが見えなくなり、まわりが散らかる。
きょうは、意識的にリセットの日とする。
片付け各種、洗濯、散髪など。

日が短いので、運動会のそういう競技のように慌ただしい。


「自分」は実体ではなくイメージである、とする。 ■2018-10/26

[野の編日誌]
あれから、「豆炭あんか」は立ち消えしていない。
というわけで、シュラフに替えて、「豆炭あんか」コタツ専用の布団を作ることにした。
キャンプ用、安敷き布団を分解、中身のスポンジは朽ちてボロボロだったので捨てて、布生地だけ洗う。
生地の端がほつれはじめているので、手洗い。
ほかに、エスニック風羊毛っぽい壁掛けだか敷物だかわからない生地などを、使う予定。

あらたまってものを作るときは、丈夫にするようにしている。
自分の寿命より長持ちしてほしい。
壊れたとしても直しやすいもの。
同じものを何度も作りたくない。
だって、めんどくさいから。


■2018-10/25

[野の編日誌]
天気良く、まさに秋晴れ。
豆炭、クズ炭、雨に濡れたゴミ、ショウガ、敷きマットを天日干し。

コクピット脇に、電気器具の「集合スイッチ」コーナーを設置せんと、こまごま作業。
火の扱いもそうだが、電気の扱いもトチると大ごとになる。
「集合スイッチ」は、個別のスイッチが点灯するので、どの電気器具を使っているのかが、まとめてわかるというもの。
コクピットが、ホントにコクピットらしくなっていく。


■2018-10/24

[野の編日誌]
「クズ炭」、どうも火付きが悪いとおもってたら、こいつも湿気てた。
ぎゃー。

叫びたくともとおい空


■2018-10/23

[野の編日誌]
田舎でひとり住まいのいいところ、夜明けから大工仕事はじめても誰からも文句を言われない。
コクピット脇の扉を、こっち開きからあっち開きに付け替え。
これで、こっち側が広く使えるようになった。

コクピットの「冬じたく 2018」。
このたびは「豆炭あんか」が新に加わわわりそうだし、「灯油ストーブ・ラック」を作ろうとおもう。
(だから、こっち側を広くした。)
前よりマシな冬が過ごせますよーに、凍死しませんよーに。


■2018-10/22

[野の編日誌]
それから、「豆炭あんか」は消えることなく、なんとかひと晩を共にした。
やっぱり「豆炭あんか」はすごくいい。
室温11度と今朝はとても冷えたが、布団の中、ももで「豆炭あんか」を挟んでいると湯船に浸かっているようでもあり、布団から出るのが苦じゃなかった。
電気暖房器には真似できない、生きものに近いやわらか温さがある。

というわけで、とりあえず在庫の「豆炭」全部を乾燥させてみることにした。

食品から、「豆炭」などの燃料、洗濯もの、布団、カビる室内、シロアリ床下、などなど。
おれは、「乾燥」に捕まってしまった。


■2018-10/21

[野の編日誌]
それから、昨夜も「豆炭あんか」は立ち消えした。
おもいあまって、ついに灯油ストーブに火をつけた。
未明のこと、室温は13.5度だった。

古い「豆炭」、湿気てたかもしれないとの仮説を立て、きょうの「豆炭」を灯油ストーブの上に2時間ほど乗っけて乾燥させた。
そして、よりていねいに「クズ炭」の火で炙った。
さーて、どうなる。

赤いトンボと緑色のトンボが、交尾(まさに交尾)をしていた。
じっと見てると、そのままの形で飛んで行った。


■2018-10/20

[野の編日誌]
それから、昨夜も「豆炭あんか」は立ち消えした。
真夜中に「豆炭あんか」が消えてしまうと、未明から朝にかけてが余計に淋し寒い。

きょうは、まず全体がボロボロと形崩れつつある「豆炭」10キロの中でもより、マシなものを選ぶことにした。
そいで、単価数円の「豆炭」の着火にカセットコンロ20分かけるというのはどうなんだということで、うちの自産「クズ炭」を試してみることにした。
中略。
「クズ炭」両手のひらの分量で、1時間ほどかかってなんとか着火した模様。

「クズ炭」は、樹木の邪魔な枝をわざと完全燃焼させずに炭の粒にしたもので、いままでは畑にばらまく用の土壌改良材だとおもいこんでいたから、「クズ炭」に気づいたことはラッキーだったかもしれない。
そうか、「クズ炭」は燃料でもあるか。
「クズ炭」と言えど曲がりなりにも炭の仲間で、炭としてなら用途は多い。
「豆炭」計画の細ーい道が急に村道につながったような、でもまだ人の住むところには遠いような。


■2018-10/19

[野の編日誌]
それから、「豆炭あんか」が夜のうちに立ち消えしてしまったり、「豆炭」になかなか火をつかないことに悩まされたりした。
なんじゅう年もほったらかしだった「豆炭」の使用法は、さすがに現代のインターネットでは見つからない。
こういうときは、ただひたすら考えられるすべてを実際に試していくしかない。

たいけん、体験だ。


■2018-10/18

[野の編日誌]
驚いた。
「豆炭」は、なんと火持ちのいい燃料だろう。
「豆炭あんか」は表面温度50度くらいで、丸一日あったかかった。
昼はシュラフの中に入れてコタツとして使い、夜は布団の中に入れて寝た。
いま、この少ーしづつ寒くなってきているとき、こんな旧式の頼りなげなものでも頼もしく感じる。

「豆炭」は小さいのに身がつまっていて、ゆっくりした燃えかたなので、火が長持ちする。
かつ安い(近所で当たり前のように売られている)。
これは、うちのエネルギー計画の方針とも合う。
元持ち主が少なくともひと冬分置いていってくているので、当面「豆炭実験」し放題だな、と。


■2018-10/17

[野の編日誌]
高火力より低火力、高出力より低出力、の方。
いかにエネルギーを節約しながら、望む効果が得られるかに興味を持っている。
うちの元持ち主が残した「豆炭」の着火実験をした。
数十年まえの古ーい「豆炭」は、カセットコンロで20分かかって、ようやく着火。
親切なことに未使用の「豆炭あんか」も「使ってください」とでも言わんばかりに置いてあり、最小限のなりゆきで、これに装着してみる。


かつてのキッチンの隅、安床板材の上に半畳の畳2枚を並べて、ここに布団を敷き寝床としている。
ただ、ここで寝起きを繰り返すうちに畳それぞれが動いて、すき間ができるのが具合悪く気になっていたので、畳2枚を囲む木の枠を作った。
これでれっきとした1畳。
これを「うちのベッド」と名づけよう。


■2018-10/16

[野の編日誌]
畑の草刈り。
トラ刈りだが、散髪終了。
これから冬にむけて草たちがまだ伸びるのか、どれだけ伸びるのか、見もの。
低くなった畑の中、人の背丈ほどの桑だけが10数本、帰りそびれたのか突っ立ている。
これらの枝を落とすまえにと、少し葉をもいでみた。
どうだ、桑茶になってみるか。
と、問いかけ中。

山のほうでシカが鳴いている。


■2018-10/15

[けふの料理・乾燥ゴーヤ]
日夜、実験を重ねてきた乾燥ゴーヤが、ついにできた。
当初は日に干したり風を当てたりもしたが、仕上げ乾燥は「保温トレー」でだった。
うちの「保温トレー」は、電力実測100ワットくらいで、トレー面の温度実測150度くらい。
そこにゴーヤ千切り入りのザルを置くが、諸々工夫してゴーヤを包む空気が50度くらいになるようにする。
それで、10時間ほど。
2本分のゴーヤが、片手で持てるほどの量になり、力を加えたら折れるほどの硬さになった。
これで常温保存可能になった。
「味」見の「味」は、苦「味」が際立って美「味」。
(ゴーヤの苦味を弱めるレシピあるが、どうしてそうするのか、おれにはわからない。)

これは、いままでより一歩進んだというひとつのデータであり、「うちの乾燥システム」完成までは、なお研究を要す。


■2018-10/14

[野の編日誌]
うちの硬い土に負けないように当たり前のように「バチヅル」を使ってたが、草を刈るには「三角ホー」のほうが向いていることがわかってきた。
危ない。
「バチヅル」を長年使い続けてすっかり馴染んでて、このままじゃ体にくっ付いてしまうところだった。
「バチヅル」と「三角ホー」では体の使いかたが大きく違う。

「当たり前」に頼りすぎると、迷い道に進むことがある。
土よりもおれの頭のほうが、よっぽど硬いぢゃないか。

バチヅル:https://blog.goo.ne.jp/garagebuilder/e/dde85cb02909148aeefb5b6c82fddc08
三角ホー:http://blog.livedoor.jp/korowapagu/archives/1316780.html


■2018-10/13

[野の編日誌]
草たち、勢いがない。
やっと成長あきらめたか。

草は手のかかる煩わしい相手でもあるが、激しい季節をともに過ごした隣人でもある。
その生命力には、ただただ呆れた。
どうぞ、しっかり休んでくれ。
その間に根っこを掘るから同じやつにはもう会わんかもしれんが。


■2018-10/12

[野の編日誌]
このごろは夕方5時にもなると、持ち上げてたヒモが切れたみたいにストンと日が落ちる。
あ≫ー。


■2018-10/11

[野の編日誌]
「もの」を作るとき「もの」の中に入る、「もの」になること。
それは小説家や役者も一緒だ。

映画「Scanners 1981」Movie CLIP。
https://www.youtube.com/watch?annotation_id=annotation_7780683052&feature=iv&list=PLZbXA4lyCtqqDawyPt1wZPeUdh_xWlU7i&src_vid=7lAIabgWtbI&v=yKNauUKkW9Q


■2018-10/10

[野の編日誌]
まず、白い画面におもいついた言葉を、置く。
宙に浮かぶほこりをひとつ、つまむように。
深い理由はいらない。
白に置いた言葉を眺めて、気に入らなかったら消す。
あるいは、変える。
どのように変えるのかは、どう気に入らないかによる。
そういうことが種になって、続けてさえいればやがて育つ。

工作は、文と似ている。
工作も、些細からはじめる。
身近な材料、で作ってみる。
すぐに気に入らなくなるから変えてみる、やり直す。
そういうことを繰り返して繰り返す。
無駄になる材料がたくさんできる。
(ここが文と違うところで、工作の材料は消すことができない。)
くたびれたら休むが、本当に作りたかったらまた手が動きはじめる。


■2018-10/9

[野の編日誌]
「もの」を作るとき、自分が「もの」になること。
大きい「もの」を作るときは自分を大きく、小さい「もの」を作るときは自分を小さくする。
「もの」の中に入ること。
「もの」の目で見ること。


[野の編日誌]
頭が工作モードになっていて、アイデアが湧いてくる。
大きいアイデアでもなく、すごく細かい「気づき」のようなこと。
なにかものを取りに行く途中に気づいて、ほかのものを手にしたりしている。
落ち着かない、ということかもしれない。

秋の虫が、ささやかに鳴いている。


■2018-10/7

[野の編日誌]
たいへんよく晴れて、日中は30度にまで気温上昇した。
湿気た塩を日光の力で乾燥させる実験。
てか、ビニール袋に入ったままの塩を、火の当たるところに置いただけ。
1日では目を見張るほどの効果はなく、なお実験継続中。
コクピットすぐ横の扉について、開けるでも閉めるでもなく中途半端な位置のまま止まっててほしい問題、暫定装置装着してみたが、開け閉めするときの音気に要らず、なお様子見。
スーパーなんかでもらう傘入れビニールの底を抜いて筒、吹流しにして、木の枝にぶら下げてみると、風を受けてとても面白い動きをするので合格。
しばし育ててみることにした。

きょうは、そういう日だった。


■2018-10/6

[けふの料理・冷凍コロッケの直火焼き]
自分だけのために揚げものをするには油がもったいないような気がして、まだ揚げものをしたことがない。
冷凍のコロッケをいままでは炒めたり、スープの具にしたりしてたが、きょうは試しに直火焼きしてみることにした。
電子レンジもないので冷凍状態のまま、電熱コンロの熱源から4センチ離した網に乗っけて、強火モードで10分。
ちょっと表面を焦がすくらい。

と、バッチシ成功。
コロモはカリカリ、中までよく火も通り、商店街で買い食いする感じになってる。
そうか油がいらんのか、またレパートリーできた。


うちの、あり合わせのプラケース(だいたい100円ショップの)を使って、冷蔵庫内引き出しを作った。
庫内が引き出しで8割ほど埋まり、銀行の貸金庫のようでかっこ良し。
いままでは食材をどれも密閉容器に入れていたが、中には冷蔵庫内で乾燥させたい食材もあるので、それはオープンな容器に入れる、ということも考慮した冷蔵庫整理、一段落。
あ≫〜、さっぱりした。


■2018-10/5

[野の編日誌]
あさ、冷蔵庫の中を整理しようとして乾燥中だったピザ用チーズの容器を不用意に引っかけてしまい、容器冷蔵庫から飛び出し、中身を床にぶちまけてしまった。
あ≫〜。
すぐ床板にじかに触ってないチーズをひろい上げて救出したが、五分の四はあきらめて掃除し、庭の生きものたちにくれてやった。

世の中で、これ以上の不幸ってあるだろうか。
まー、冷蔵庫に乱雑にたくさんのものを入れてた、っていうこと、反省。
けっくきょ結局、冷蔵庫内の寸法を測り、きちんとレイアウトし、食材それぞれをきちんとした容器できちんとしまうこと決意。
暮らしの活力の素、食材を長持ちさせたいうちにとって冷蔵庫は必需品であること、あらためて認識せり。

梅の葉が、散りはじめている。


■2018-10/4

[野の編日誌]
工作中、金網を曲げるのを失敗、金網自体が弱くて、切れた。
1日かかって、2回とも。
ショック。

まーただ、金網を曲げる極意にずいぶん近づいたので、良しとしよう。
またこんど材料選びから、やり直しだら。


■2018-10/3

[野の編日誌]
昭和年代の工業製品(家電や自動車なんか)は、もっと耐久性があった。
いちおうの完成品だった。
人は、何十年も使うものとして熟慮の上それを手に入れ、夢を託した。
同じものを何十年も使い続けるとまるで自分の一部と化し、愛着も湧く。
家電や自動車は、そういうものだった。


■2018-10/2

[野の編日誌]
うちの番号をどこで知ったんだか、知らないとこからケータイのセールスの電話があった。
ガラケーからスマホに買い換えることを勧められた。

そもそもケータイ自体、昔はなかった。
おれの世代の途中に出てきた。
ポケベルも、仕事で持たされたが嫌だった。
ケータイも、人より5年遅れてイヤイヤ持った。
仮にスマホを持っても、OSが頻繁に変わるし、機種も耐久年数が短い。
LINE、面倒みたいだし、使用コストも高い。

すいません。
将来への検討課題とさせてください。


■2018-10/1

[野の編日誌]
あれから真夜中、暴風と豪雨に起こされた(いちおう寝てた)。
インターネットの気象情報によると、台風、けっこう近くまで来たようで、近隣地区もうちの町内も警戒情報出ていた。
なんていうか、うちは地形的にそんなに危険なわけでもないから避難はしなかったが、暴れ龍が通るのを感じながら夜を過ごした。
「厳粛」というのかもしれない。

夜明けてあたりを見まわしたが、大きな実害見当たらず、ひと安心。
そして暴れ龍の置きみやげ、快晴。


■2018-9/30

[野の編日誌]
台風接近中。
今晩が山。
この前の21号とコースが似てるので、落ち着かない。
これ書いてたら停電、部屋真っ暗、5分で通電、ラッキー。
早よアップせんと。


■2018-9/29

[野の編日誌]
朝から、細いけど切れず、止まない雨。
とても静かで、当たったすべてを眠らせるような雨。
ここと世界とを分けてしまう雨。
ここからロケットを発射しても、いまなら気づかれないだろう。


■2018-9/28

[野の編日誌]
過ごしやすい気候になってきた。
そいで10月か。
2018年。
今年は季節や天気を、睨むようにして見て過ごしたから、感慨がある。
ような気がする。
いろいろあったけど、10月まで来たか。


■2018-9/27

[野の編日誌]
パソコンディスプレイの前を飛んでいた蚊に殺虫スプレー。
噴霧ジェット見事に命中し、ディスプレイに張り付いて動かず即死の模様。
マウスポインタで触っても動くことなし。

ある秋の、日暮れどきのこと。


■2018-9/26

[野の編日誌]
電気ストーブも電気コンロも、どっちも熱を発する電気器具だ。
それぞれメーカーが想定した使い方によって、ストーブとコンロに分かれている。
でもそうじゃない使い方をしたいとき、たとえばストーブで料理をしたいとき、コンロで部屋をあっためたいとき、どうすりゃいいのか。
というわけで、うちにある足元をあっためる暖房機「フットヒーター」言うのを分解してみた。
これから「フットヒーター」の中身をむき出しのまま、使用電力と温度との関係を調べる。

まー、ちょっと早い目の「冬じたく」と言えなくもない。


■2018-9/25

[野の編日誌]
うちの上隣りに耕作放棄地がある。
そこの持ち主は7、80代のおばあちゃんで、もう畑仕事はできないという。
「だから落合さん、草刈ってくれんか。」と、Uさんに言われた。

なんていうか、それまともに引き受けてしまうとたいへんなことになる、とおもったが、なんとなくうなずいておいた。
暇なときにボチボチすればいいんだし、うちに接するところをきれいにできる。
ただまー、そういう話を持ちかけられたこと自体、地元コミュニティの皮1枚分、内側に入れたような気もしないでもない。


■2018-9/24

[野の編日誌]
秋の家まわり草取り大会。
ススキとツユクサと名前のわからない草草、サボってた間に胸の高さ、隙間なく密集。
でも、以前のススキだらけよりマシ。
次の標的はつる植物。
つるもしぶといしほっといたら建物を痛めるが、今年はなんとか間に合ってる。
まー、いたらないこと多々相変わらずだが、なんとか「去年よりマシ」。

夜、中秋のなにやら雲間からこっちを見ている。


■2018-9/23

[野の編日誌]
秋の暮らし片付け大会。
料理の道具を整理したり、ゴミの出し方を考えたり。
しばらくぶりに家の裏を見てみたらススキボーボーで、すぐに取ったり行水もしたり。
50メートル上空からうちを見下ろしながら、あれこれあっちこっちと用事に励んだような日。

まだ暮らしのシステムができてないので、なかなか日常が定まらない。
・・

■2018-9/22

[野の編日誌]
いつしか、筋肉痛が出るのが運動した翌日ではなくなった。
年取るとともに翌々日となり、いまは、もっとかも知れん。
いま、自分がどうしてくたびれているのか、わからない。
秋バテ?
けさは久しぶりに寝坊した。


■2018-9/21

[けふの料理・コンニャクの乾燥]
コンニャクを冷凍すると水分が出て肉のようになるのだが、もっと微妙な水分調節ができないかの実験。
いまのところ、コンニャクを入れたザルに扇風機の頭を突っ込んで風当て中。

ものを乾燥させるには、風、熱、除湿などの方法がある。
乾燥させたいものによって効果的な方法は異なる、たとえばタンパク質はちょっとした熱で変質するので熱の温度が問題。
電気代がかからないように、かつ速く乾燥させたいこと。

きょう終日、秋雨、弱いながら途切れない雨。
そもそも乾燥の実験するのに向いているとは、とてもおもわれない日。


■2018-9/20

[野の編日誌]
秋雨、秋の長雨、そういう昔からある言葉通りの天気。
型通りの天候、地味に感心する。

日日の暮らしの中に、型、パターンを探してしまう性分が自分にある。
パターンを見つけては名前をつける、ような。
昆虫採集のように、パターンをピンで刺して、名札を添えて、種類別に分けて行く、ような。
この世が森羅万象であること、一期一会であることに異存ないが、どうしてだろう無意識にそうしてしまう。
じゃないと生きていけないレベルの、おそらく人間の基本的な。


■2018-9/19

[けふの料理・危うい料理]
・ここ数日、干していた大根、いや放ったらかしにしてたら黒斑点がソバカス状に発生し調べたらカビらしいことわかったが、身の内部までは浸透してないようで、表面だけ薄く切り捨て、残りを塩に着けた。
そうか、やっぱりいまの時期、天日干しは難しいか。
でも味見すると歯ごたえよく、甘味と辛味が濃くなり、干すことの意味少しわかった。
・買ってから数日、冷蔵庫に入れてなかった豆腐のパックがパンパンに膨れ上がっていた。
インターネットで調べると豆腐の乳酸菌が発酵したらしい。
たしかに味の変化はそうでもないが、食感がチーズ方向に進んでいる、ような。
ここは分かれ道、だとおもったが結局ゴーヤと一緒に煮て食った。

食材は、油断すると毒になる。
食べ物と毒との境目には、はっきりした線が引かれているわけじゃなく、こういう体験を重ねて覚えていくしかない。


■2018-9/18

[野の編日誌]
夜明け時なら気温低く、野良作業も不快じゃなくなりつつある。
この間、夏休みしてたせいでさすがに草がよく茂っているが、そんなにやっかいでもない。
「三角ホー」という草取り鍬で、一気に地表面を削る。
今年は電動草刈機を使わなかった。
このまま冬まで、人力で通せそう。
人力は長ーい電気コードがいらない、気が楽。

電気器具は、慣用句に似ている。
ある状況のときに、つい反射的に使いたくなるもの。
たとえば、トーストを焼くならトースターとか。
でも「トーストは、トースターじゃなくても焼くことができる」。


■2018-9/17

[けふの料理・保温トレイ]
ずーっと前から軒下で干しっぱなしの桑葉を、保温トレイでさらに乾燥させ、最後はすり鉢で粉にした。
保温トレイは電力が弱いのでとんでもなく時間はかかるが、それはほったらかしにできるということだし、焦げる心配がないので気が楽。
それにやっぱり自然乾燥より乾燥精度が高い。
(乾燥機として手に入れたわけじゃないけど、)いい道具を見つけられた。
この調子でいろんな葉っぱや食材を乾燥するのに使っていこうとおもう、楽しみが増えた。


■2018-9/16

[野の編日誌]
つい先日、出先で車が動かなくなり、ロードサービスを呼んだことがあった。
原因は車のバッテリー不調で、まったく運転手の責任、日日の雑事にかまけてメンテナンス怠ってたことの当然の結果。
大工のノコギリが切れないようなことだ。
反省して、いくつか手当て打つ。


[けふの料理・梅プレーンジャム]
うちには「保温トレイ」という電熱器の弱いのがある。
これ、トレイ部が80度にしか上がらない。
これにうちの「梅プレーンジャム」4リットルを入れた鍋を乗せて、2、3日放置しといたら、やっと水分がとれて、1リットルくらいの量、粘土くらいの固さになってきた。
ここで小さい容器に移し替えて、蓋をせずに冷蔵庫に入れておく。
たぶん、冷蔵除湿によって乾燥が進むだろう。
目標は水分ゼロの粉にすること。
つづく。


田舎では車への依存度高く、そういうちょっとしたトラブルでも ■2018-9/15

[野の編日誌]
糸のように細くて切れない雨、終日。
無理に畑に出て、草取り。 雨で土が濡れて柔らかいので、手でも抜きやすいセイタカアワダチ系?、背丈ほど、背が高い順から引っこ抜く。
やっぱり去年とは植生が違う、が、まー去年より楽。
毎年、「去年よりマシ」になるかどうかは、自分次第。

雨が降っている。


■2018-9/14

[けふの料理・乾燥]
いま、うちでは食品の乾燥が流行っている。
行きつけのスーパーは近くになく、しょっちゅう買い出しに行くのは面倒、でも冷蔵庫は小さい。
という環境ながら、食材を長持ちさせたいことと、おいしくさせたいことなど、じゅ、じゅく熟慮の結果、乾燥に行き着いた。
食材を生で食う、煮る、焼く、それ以外にも調理法があったのか、と自分ではこの発見に驚いてるが、世の中ではどうなんだろう。
・食パン:買ってすぐに袋を開けて放置し、食パンの湿気を取る。トーストでしか食べないので、早く焼くため。
・大根:縦十字に切って、長いままを扇風機の風に当てる。適度に乾いたら塩漬けにするつもり。
・鶏胸肉:でかいまま全面塩胡椒して扇風機の風に当てる。表面だけ乾いたら冷蔵庫に移して引き続き冷蔵除湿。日持ちしてほしいことと、ハムに近づくんじゃないかという希望的実験。
・ソーセージ:買ってすぐ表面だけから焼きして水分を減らして、冷凍保存。調理時間短縮になることと歯ごたえ固めが好みだから。
ほかにも、コンニャクの水分を適度に取る実験、梅プレーンジャムを、もしかすると粉にできないかの実験など。


■2018-9/13

[野の編日誌]
その、つまり、ゆるーい夏バテだったのかもしれん。
って、いまだからおもう。

季節の激しさと、それに順応しようとする身体性のすごさをおもう。
これから、夏の反対側の季節に向かう。


■2018-9/12

[野の編日誌]
野良、草取り、ちょっとづつ再開。
すき間なく草だらけなのは同じだが、去年まで畑の王者だったススキの量が減って、その分ツユクサが増えつつある。
耕作の参考書によると、その方がいいらしい
初心者の耕作でも、畑が変わりつつあるということか。

夏は、四季の頂上のような気がする。
夏を過ぎると、下り道を歩いているような気がする。


■2018-9/11

[野の編日誌]
たとえば、きょうなんか天候についての過不足をまったく感じない。
気温、湿度、ちょうどいい、というより意識することもない。
これ、理想的なんじゃないんだらふか。
こちらに来て天候観察をはじめたのだが、こんなこともあるんだ。

これが秋か。


■2018-9/10

[野の編日誌]
きょうはなんとなくの気分で散髪したり、たまったプラゴミを出したり、郵便局に出かけたついでにと、つい温泉に入ったりした。
身ぎれいにしたいような日だった。
秋はやっぱり我に返る、素に戻る、ような気がする。
とおーい遠いところ。
遠洋漁業から帰ってきたような感じ。


■2018-9/9

[野の編日誌]
「時間」。
時が過ぎるのも、自然現象。

あー、かくして、いち日が終わり季節が変わる。


■2018-9/8

[けふの料理・いつでも冬ボックス]
この冬、室温が冷蔵庫内の温度と大差なかった(室温の方が低温のときもあった)ので、冷蔵庫のコンセントを抜いていた。
そうだ、冷蔵庫というのは冬の環境なんだ。
冷蔵庫は、「どこでもドア」ならぬ「いつでも冬ボックス」というわけか。
というわけで、夏でも作れる保存食、実験2種開始。
1・「乾燥チーズ」
チーズの栄養価高く味も好きだが、なにぶん高価だし一度にたくさんは食べられない。
ピザに乗っける用のチーズなら安いが、量が多い。
それら諸問題解決のため、ピザに乗っける用チーズ(450グラム)の袋を開封したまま、冷蔵庫にて放置。
適度に乾燥したら密閉容器に移して、冷蔵庫外、平温保存とする、したい。
2・「干し肉」
肉、好きだが、10日置き買い出しなので、生肉の鮮度問題から解放されるべく。
鶏胸肉、肉全面に塩胡椒し、下面にだけペーパータオルを敷き、冷蔵庫に入れておく。
1日置きくらいに肉の上下をひっくり返し、ペーパータオルが濡れてたら交換する。
どこまで乾燥しきるのかを見てもみたいが、途中でも食べたくなったら食べる。
現状、魚類は缶詰のみだが、生魚でも試してみたい。


■2018-9/7

[野の編日誌]
自然災害と、それに付随するインフラ障害。
一般市民には二重の災害となる。
自然災害は読めんが、インフラ障害については個人的に多少は支度をしておくことができる。

ともあれ、きょうは自分の買い出し。
「おれはおれの米を研ぐ」。


■2018-9/6

[野の編日誌]
台風のつぎに地震、天変と地異。
地震も、「溜まっていたものが溢れる」自然の現象。

人の見えないところでエネルギーが溜まり、人の知らないときに溢れてくる。
それはけしてうちも無関係ではない、むしろわが身のこととしておもい巡らす。


■2018-9/5

[野の編日誌]
きのう、巨大な食器洗い機は大暴れしていった。
たしかに今年最大の威力、おれも体験したことのない強風大会、室内にいたが騒がしくて用事手につかんかった。
田舎で味わう台風は、どうもその只中に身ひとつで立ってる感じがして怖い。
田舎の天気、自然、よくも悪くもエッジが効いてる。

と、けさは一転、天しらばっくれたか何事もなかったような、のどかなある秋の朝のごとし。
それにしても、この変わり身の早さ、うーん。


■2018-9/4

[野の編日誌]
現在、台風日本列島縦断中。
うちも断続的な風雨あり。
たとえるなら巨大な食器洗い機の中にいるよう(食器洗い機、使ったことないけど)。

天候は、ただ一様に動いているのではなくムラがある。
「溜まる」ことと、「溜まったものが溢れる」ということがある。
「溜まったものが溢れる」、台風。


■2018-9/3

[野の編日誌]
その重さに耐えられず落ちはじめたような雨。
雨に打たれた「すべて」が頭垂れ、後頭部にあたった雨水頭蓋つたって俯いたほおを濡らし地にしたたる。
てな、感じの日。

だったのが午後一転して快晴。
なんというか、絵日記につけておきたいような日差しもやさしい穏やかなある夏のシーン、に変わった。
シーン。


■2018-9/2

[野の編日誌]
きょうもゼリー日より。
また太平洋南方にて台風成長中らしく、あらしのまえのしずけさ、というやつか。

静かだが動いている、動いているが静か。


■2018-9/1

[野の編日誌]
ぐるりの低い山山に触りそうな雲雲切れ目なく動かず


寒天だけを煮た色も味もないゼリーのような空気動かず


■2018-8/31

[野の編日誌]
世の中の時間と、自分の時間。
進み具合がなかなか一致せん。
自分の納得できる手順踏んでると、どうも世の中の時間がふっとんでしまう。
うー。

たかーい空の上にツバメ、まだおったんか。


■2018-8/30

[野の編日誌]
8月も終わり。
天にとっては人間の暮らしなんか知ったこっちゃないんだろうが、8月が終わること夏が終わることっておれらには大変なことだ。
ぎゃー。


本当はなにんも終わらないから 「終わり」というなまえつけて終わる


■2018-8/29

[けふの料理・梅玉スパ]
普遍的なレシピ、誰にとっても有効なレシピって、あるんだろうか。
人の料理(暮らし)は、自分の料理(暮らし)のためのヒントでしかない、とおもう。

あるとき、ふと口の中にパスタの味が湧いた。
じゃ、スパでも茹でるか。
・茹でたスパに、オイルと塩を適量。
・それに玉ねぎ半分、1センチ幅に切ってさっと炒めたら、その鍋に茹でた麺を入れて和える。
・それにこのまえ作ったうちの梅干し「エグゼクティブ・プレミアム(初めてにしては上出来)梅干し」1、2個のっけてできあがり。


■2018-8/28

[野の編日誌]
長いこと剪定した枝が庭で散らかっていたのを、きのう夕方少し燃やした。
ものを燃すのは気持ちに触ることで、ちょっとでも暑い日続きの鬱屈が晴れる。
ちょっとでも。


■2018-8/27

[野の編日誌]
中身は中身だけのままでいられない、型を求める。
でも型は硬いので、中身が変わったからといってもすぐに型を変えられない。
違和感を持ちながら、違和感の分だけ型を直しながら、おなじ型を使い続けることになる。
型を使い続ながら、型を直す。


■2018-8/26

[けふの料理・たまたま(なりゆき)丼]
まさに残暑チックな、湿度あるけど風がない重ーい暑さの日。
何日も買い出しに出ていなく、食材少々。
ひとつ残った卵ふんぱつして、ご馳走でも作るか。
・玉ねぎ半分を1センチ幅切り、それがしっかり浸かるほどの水で煮る。
・玉ねぎだけで十分甘いので、味付けは醤油のみ。
・玉ねぎ好みの煮え具合になれば火を止め、卵を割って入れて(混ぜない)余熱5分、そのまま放置して冷ます(暑いので)。
・ごはんも早めに炊いておいて、食すときに冷めたごはんにぶっかける。


■2018-8/25

[野の編日誌]
うちの家屋のまわりの風をうまく室内に取り込んで、利用できんだろうか、考え中。
窓やらドアなんか使って、どの窓を開けるかやドアの開け具合など、工夫できるようにする、と。
現状はともかくリフォームして、ヨットマンが帆を調整して進みたい方に進むような風の触り方を変えられる家。
室内でも外のような風が流れる家。
って。
名づけて「あらヨット」。
とか。


■2018-8/24

[野の編日誌]
台風とうに過ぎたのに夕方、力なく雨が降っている。
「夏の終わり」とでも名付けたい、哀愁っぽい景色。
実体が脱力しているのか、おれがそうだからそう見えるのか。

キッチン棚やら日常書類やら片付けて、せめて居住まいでも正さんとす。


■2018-8/23

[野の編日誌]
台風接近中。
この夏、空模様の動き目まぐるしいこと。

午後、しっかりとした雨が降ってきたので、落ち着いて丁寧な行水。
パンツ一丁になり外流し横のイスに腰掛け、雨樋に繋いだホースで流しっぱなしの雨水を使う。
露天で、あたりの植物、山々雲々眺めながら、天の恵みで体を洗う。
必要に駆られてはじめたことではあるが、回数重ねるにつれ気持ちよさ増し、楽しいイベントと化しつつある。
「天水行水」。


■2018-8/22

[野の編日誌]
うちのお天道さんきょうも快調らしく、とっても強烈。
うちの日差しが強い理由は、きっと車の量が少ない、排気ガスが少ないからで、ほかの田舎もそうだろうな。
そうか、うちだけじゃないか。
と、やっと気づく。
(それだけ都会の空気が澄んでないかだ、長年暮らしすぎておれの空気センサーまで濁ったか。)

剪定中に壊してしまった「イナニワ風」を修理したり、コックピット扉がなめらかに動くように調整したり、細かいところにも視点が行くようになってきた。
そういう些細なことが自分のココロをしずめる、ニュートラルにする。


■2018-8/21

[けふの料理・なりゆき、なしくずし料理]
「料理」という言葉は、どうも固苦しい。
英語の「cook」、「cooking」のほうが、気軽そうでいい。

たとえば、ふとコンニャクをオイルで煮たらどうなるんだろうとおもって煮てるあいだに、人参を足したくなって冷蔵庫の人参を見たら表面がなんだかぬるぬるして痛みはじめていたので、4本全部を使い切ろうと鍋に加え、煮立ったら火を止めて、サバ缶水煮を投入して仕上げてみた。
これがなんという料理か、わからない。
強いて言うなら、「なりゆき、なしくずし料理」。

そうしようとおもってはじめても、ひょんなことでおもわぬ結果になること、よくある。
それも料理だ、とおもう。


■2018-8/20

[野の編日誌]
生きていくのに、好きなこと、やりたいことだけぢゃとても済まない。
「したくないけど しなけりゃならないこと」、苦手だが必要ってことも割とある。
そういうとき。
「したくないけど しなけりゃならないこと」をいくつかに分ける。
いっぺんに全体と立ち向かわないで、少しづつする、少しづつ近づくようにする。
あるいはゴムのように伸ばして、時間をかけてもいいようにする。
また、あいだに好きなことをはさんで心のテンション上げておいて、「したくないけど しなけりゃならないこと」に戻る。


■2018-8/19

[野の編日誌]
日がない朝夕は、野良ができるようになった。
おもうこといろいろあってどうも落ち着かないときは、野良をしてこころしずめる。
人間の半分は体なので、気が多すぎるときは体にあずける。


■2018-8/18

[野の編日誌]
夜、もうアクリル毛布1枚じゃ足りないくらいに冷えた。
そして昼は秋晴れ。
日陰は過ごしやすいが日向は暑い、日差しの強さは変わらず真夏モード。
涼しいのに太陽光線はとても強い。
まるで火星のようだ(行ったことないけど)。

どうも他の星にいるような、ひとりでこの惑星探査しているような気分がなくならない。
(参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%BB%E3%82%A4_(%E6%98%A0%E7%94%BB) )


■2018-8/17

[野の編日誌]
天気きのうから一転、まるで秋晴れ。
空気乾き涼しく、心地よい。
「心地よい」という感覚をしばらく忘れていた。

ちょっとづつ野良、草取り再開。
畑全面、草腰まで埋まってるが、去年よりマシ。


■2018-8/16

[野の編日誌]
夕方、空すきまなく雲あつまり、下り坂のもよう。

当面、落ち着かない天候、台風シーズンらしい。
穏やかな次の季節(山口百恵「秋桜」のような)、秋はまだ遠い、か。
(参考:https://www.youtube.com/watch?v=q7hg9fUgH48 )


■2018-8/15

[野の編日誌]
いつのころから自分で散髪するようになり、けっくきょ結局しまいに坊主頭となった。
髪の毛は人からどお見られるかということが気になりがちだが、自分自身の感触のほうが大事、という道をおれは選んだ。

いまの時期、ほんとうにそれが良かったとおもう。
ちょっと蒸し暑い朝、つい頭を触ってむさ苦しさを感じる。
と、すぐに散髪、最近買ったばかりの業務用っぽい電動バリカンで。
だ。


■2018-8/14

[野の編日誌]
空、ほとんど白。
きょうはとても涼しい、とっても久々。
体はとうに感じている。

調子いいときに、以前の調子悪さがわかる。
このひと月、平静じゃなかった。
頭悪かった。
けっくきょ結局、おれは(日常的に慢性の)熱中症だったんじゃないか。
暑い夏、あなどれん。


■2018-8/13

[野の編日誌]
午後から雷と雨どしゃぶり。
そして停電。
作業の手を止めて、行水。

山またぐ あばれ龍の腹見上げ


季節が移っていく。


■2018-8/12

[野の編日誌]
いま、うちの庭は作業場と化しているので散らかっている。
ずっと前から置きっ放しの枝の山、新たに加わった小石の山やプラカゴなど。
そしてそのスキ間から雑草が伸びホーダイで、とても見苦しい。

この見苦しの庭に、毎年恒例ではえてくるのが白百合で、ちょうどここ数日何本も花びらを広げはじめた。

なんて場違い、それはまるで「芥川龍之介(ゴミ川から龍)」であり、「ドブに星」だ。
あーおらのようなものにはもったいないことだとおもうが、植えたわけでも育てたわけでもない、勝手に自生してくるのを止めるのも正に「不自然」だし。


■2018-8/11

[野の編日誌]
お盆がくると、あーもー夏の終わりだとおもう。
この苛烈な夏も、過ぎてしまうとなればサビしいような気もしないではない。

また季節が変わる。


■2018-8/10

[野の編日誌]
小石分類するのに、世のいろんな網目を調べている。
身近で網目のついたもの、キッチンだけでもザルや水切り、焼き網などあるし、ホームセンター回ると数え切れない。

網目というのは不思議なもので、(近くで見ると)線でありながら(離れて見ると)面である。
「ある」と「ない」の両方。
おれの体だって、あらゆる物質も分子原子レベルでは網目だし。


■2018-8/9

[野の編日誌]
うちの中にはコンクリートを施工してあるところもけっこうあるが、その品質のひどいこと。
その昔バイトで古いビルの外壁修復してたことがあるけど、そのときのどのビルよりもひどい、酷い、非道い。
コンクリの材料も、技術もひどい。
やる気のないシロートの仕事のように、ひどい。
あまりのひどさに感心する。
いまそれらがどんどん朽ちてきてて、指でもホロホロほぐれる。

で、指でほぐれたかたまりから粒までいろんな大きさのもの、捨てない。
分類整理する。
コンクリート材料として再利用する。
作り直す、つもり。


■2018-8/8

[野の編日誌]
たとえば地面にネット(網生地)を敷いて、そこに小石混じりの土を乗せておく。
すると雨が降るたびに、土は水に流されて、きれいな小石だけが残るんじゃないか。
というアイデア浮かぶ。
「雨力エネルギー」。
「雨力食器洗い機」とか。


■2018-8/7

[野の編日誌]
きのう夕方、急な雷と激しい雨、うちの真上を2時間ほど暴れて通って行った。
雨樋から雨が溢れるほどの水量、すぐに天然シャワー行水開始。
近くにあった食器用洗剤で頭も洗い、体も拭いた。
なにかの映画で観たような雨の行水シーン、初体験、あーさっぱりした。


■2018-8/6

[野の編日誌]
とりあえず、とりあえずと取っておいたものが年月を経て、たくさんたまっている。
それらをどうするか判断するにはちょっとした心境が必要らしく、こちらに来てからなかなかできてなかったが、このごろようやくできることが増えてきた、ような気がする。
いろいろ、いろいろあったから、そういう時期に来れたんだろう。


■2018-8/5

[野の編日誌]
「こうしたいとおもう自分とそうならない自分」。
「自分」は均質な均一ではないこと。
「自分」要素は複数あって、それぞれ違う動きをしていること。
それらの総体を「自分」と言うこと。
流動的であること。
それらを、それらのようすを見守るまなざしを「自分」と言うこと。


■2018-8/4

[野の編日誌]
こうしたいとおもう自分とそうならない自分 行ったりきたりする自分


■2018-8/3

[野の編日誌]
あさ5時、クズ炭作り(たき火)。
いまは、この涼しい時間しかたき火ができん。

猛暑日つづきで野良作業は停滞、停滞停滞。
せっかくだから歩み止めて、装備点検、暮らし全体を見わたす機会とす。

ぼんやりすることは、脳機能的に悪いことじゃないどころか必要なことらしい。
ぼんやりしてないと見えないこともある。
ぼんやりまいんどふるねす。


■2018-8/2

[野の編日誌]
「観測史上の異常な暑さ」て言われてもなー なんとか身をよじってしのぐことしかおもいあたらず


■2018-8/1

[野の編日誌]
混沌に直線を見い出す。

行きつけの100円ショップにて、プラカゴのまとめ買い。
当面はこれを使い倒して、小石や持ちものの分類整理がどこまでできるか試行。
100円ショップのいいとこは、経済的理由による心理負担が小さいこと。
気軽に試せる。


■2018-7/31

[野の編日誌]
工作というのは、たとえば混沌の中に直線を入れることだ。
相手の理由と自分の理由との接点、接線を見い出すこと。
混沌とのコミュニケーション、性交。
妊娠、出産。
そして子育て。
そしてエンドレス。

蝉が鳴いている。


■2018-7/30

[野の編日誌]
久々に、よう寝た。
夏バテのいい養生になった。

うちの片隅で刈った細竹で、小さいほうきを作った。
いままで、その樹勢にあおられっぱなしだった植物を使って、なにか役に立つものができること、ことのほか嬉しい。
蝉が鳴いている。


■2018-7/29

[野の編日誌]
昨深夜、嵐がうちを撫でながら通って行くのを起きたまま伺っていたが、そう激しくもなかった。
まー、大事なくてけっこう。
そして昼、ぬる涼しい空気、湿度多し。
おとなしく過ごす。


■2018-7/28

[野の編日誌]
少し雨模様だが、涼しくて過ごしやすい。
きょうは、まだ扇風機が必要ない。
せっかくなので、朝寝坊。
文字通り「嵐の前の静けさ」か。
この台風がこれからどこかで災害を起こすかもしれんが、すくなくともいま、おれにとっては切実な恵みだ。

気分の平衡をつかさどるところ、「自分」というものの中枢、ここの休息と点検。
相手のスキを見つけてでもこれがきちんとできんと、激暑に翻弄される夏になってしまう。


■2018-7/27

[野の編日誌]
連日の猛暑、ようやくやわらぐ。
どうした、天も息切れしたか。
それに合わせてこちらもひといき付こう、ダラダラ活動の日。

と、台風接近中、山梨直撃っぽいとのこと、あした要注意。
なかなか気休ましてくれん。


■2018-7/26

[野の編日誌]
去年だったか熱中症になって寝込んだとき、風邪に引いたときと似ているとおもった。
熱中症も風邪も、その大きな要因はふだんの熟睡不足だというところ。
ここのところ猛暑日続いて、当然夜も暑くて寝にくい。
夜明けどきの室温28、29、30度くらい、それでも窓空けや扇風機工夫したりしてなんとか熟睡できている。
このライフライン保てている限り、なんとかこの夏はやっていける。
ありがてーこったパンナコッタ。


■2018-7/25

[野の編日誌]
家のまわりや敷地のまわりを掃いて集めたゴミ、砂や小粒の石や土ぼこりやビニールや枯れ葉などのゴチャ混ぜ成分。
これの扱い方法がやっと決まった。
・まずビニールや枯れ葉を取り除く。
・ビニールは公共ゴミとして排出。枯れ葉などの有機物は畑に捨てる。
・鉱物、無機物は、うちの資材としてサイズや性状で分けて保存。
これでようやく、懸案だった家まわりや敷地まわりの、すべてのいわゆるゴミの処理法ができた。
あちこち掃除ができる。
うれしー。


■2018-7/24

[野の編日誌]
分けた小石4〜13ミリは、とりあえず「野菜ネット」(玉ねぎなんかを入れる赤い袋)に入れる。
なにをなにに入れて、それをどこに置くか、というように「具体的な形」にしていくことが片付けの軸。
これは石以外の、たとえば「自分を片付ける」ようなことにも応用ができる。


■2018-7/23

[野の編日誌]
庭で、小石整理と梅を干ことが隣り合わせで、並行して進んでいる。
どっちも小さい玉がたくさんあり、それぞれのプラカゴで、って。

土混じりの小石13ミリ以下、この小石と土とを分ける方法について、昔の米のもみ取りなんかがおもい浮かぶ。
そんな感じかも、考え中。


[けふの料理・冷たい梅茶漬け]
きょう午後3時、今シーズン(室内)最高気温36.5度。
食欲なし。
なにか食わんと、冷たい茶漬けの支度。
つ、都合よく、庭が梅干しだらけ。
味見兼ね、中でも皮やぶれてみすぼらしい梅の実3個ごはんにのせ、冷蔵の水かけ、完成。

暑さも味覚。


■2018-7/22

[野の編日誌]
石類の分類整理。 まずは小石を大きさで分けていく。
たとえば、小石混じりの土を13ミリ網目のプラカゴに入れてふるうと、15ミリより大きい小石がプラカゴに残る。
そんな感じ。
その次は、丸い自然石、角がある自然石、モルタルかけら、カワラかけらなど、その性状によって分ける。

これらは短期間の大仕事てゆんじゃなく、日日暇をみつけてはチマチマと繰り返す内職的作業。
なんかげつ、なんねん、みたいな。
「野の編ミニミニ採掘大作戦」。

で、整理した石類をどうするの?
それについては、また追って折をみて大本営発表となります。


[けふの料理・はじめての梅干し作り]
この連日、トップニュースで伝えられるほどの酷暑週間。
「梅を干せ」と天からのお達しと解釈し、そのようにする。
いま、うちの梅に強い日光が当たってるんだとおもうだけで、暑さもやわらぐ。
この梅干しは、あのときの酷暑にしっかり干して作ったとおもうだけで、おいしそうになる。
天候も味覚なり。


■2018-7/21

[野の編日誌]
家まわりのあちこちに散乱する古ーい廃カワラをどう片付けようかずっと考え中だったが、やっと方針が決まった。
割れてないのは10枚づつまとめて、縛る。
割れたカケラは、100円ショップのプラカゴにまとめる。
それぞれ重ねられるので、敷地の邪魔にならないとこ(場所はいくらでもある)に置いていく。
ほかの、石類も同様。
プラカゴについては日光による経年劣化が考えられるので、もし朽ちたらほかのカゴを探す。

散らかったものは、「どう片付けるか」ていう片付けの文脈ができないといつまでも片付かんし、文脈作るまでがたいへんなんよ。


■2018-7/20

[野の編日誌]
「きょうのラッキー」
・畑であまりにも蚊に食われるようになったので、買い置きしてあった夏用の長袖長ズボンを着て野良をしたら、快適だった。
・畑から小石が出てくることはしょっちゅうで、また出たとおもったらそれは水晶(4センチ)だった。
いちおう家宝候補。

「きょうのアンラッキー」
・テレビなんかでエアコンを使えってしつこく言うが、うちにはエアコンがない。


■2018-7/19

[野の編日誌]
風を見るための新しい道具、2種作れり。
・「イナニワ風」:稲庭うどんの袋で作った、吹き流し式。
・「カップ風」:カップヌードル容器で作った、吹き流し式。
当方「そのときどんな風が吹いているか気になる症候群」を患っており、いたたまれなくつい作ってしまふ。
天と地が直に触れ合うとき、風が生まれる。

犬が尻尾を振るようにして風の道具が揺れている。


■2018-7/18

[野の編日誌]
きょうの朝、軒下の「ポリ風」がまったく動かない。
でかいスタジオ、集落ごと閉じられた空間にいるかのようだ。
ここまでの無風は珍しい、いままで見たことがなかった。
なんという不快、とっとと野良切り上げる。

うちの植生、なんとなく去年と比べて少しようすが変わってきているような気がする。
草の種類とか、その分量とか。
蚊が減ってトカゲが増えたような気も。
もしかすると、おれの野良活動が、土地に伝わっているんかもしれん。


■2018-7/17

[野の編日誌]
暑いことは暑いけど、体が順応しはじめたか。
猛暑に慣れてきたかもしれん。
天を変えることはできんが、自分なら多少変えられる。


[けふの料理・梅ごはん]
米1合に対して、梅煮塩味大さじ1くらい加えて炊く。
以上、バッチシうまい。

梅塩漬けに入れた赤シソの赤がガラスボトルに溶けて広がり、とてもきれい。
色も味覚だったか。


■2018-7/16

[野の編日誌]
こうして日日敷地を見たり触ったりしてると、だんだん敷地が自分の体のようになる。
ひとの想像力は、自分を拡張する。
ひとはみんな拡張ロボットガンダムだ。


[けふの料理・はじめての梅干し]
自家製、梅煮あらため梅ジャムをジュースにして飲んだり、小梅の塩漬けをおかずで食べたりしている。
梅の実が成る季節の次に、梅の実がおいしい季節が来るとはなんということだろう。
この蒸し暑い、食欲落ちる季節にぴったり。
偶然、畑に赤シソがチラホラ自生してたので、うちの梅塩漬けに加えた。
天が梅干しの材料を揃えてくれる。
最後、天日干しするときも、よろしくお願いします。


■2018-7/15

[野の編日誌]
きのうから気温35度以上の猛暑日週間。
これはホントに気をつけんと、あぶない。
夏の猛暑日と冬の厳寒日がうちのウィークポイント、生死に触る。
こころして過ごそう。

去年より、ひとつづつの植物が見えるようになってきた。
うちにとって、有益か有益じゃないか。
残すか取るか、残すならいつまで、どこまでか、など、考える機会が増えた。
地面からすべての植物を取り除きたいわけじゃなく(だってそれには大変な労力が求められる)、とはいえ植物好きで育てたいわけでもない。
ただ、植物にかかる手間を減らしたいだけ。
最小限の手間で、ゆるく安定した関係を保ちたい、隣りどうしの共存、が目標。


なんてゆうか、ケースケとシミズタってゆう友だち(カップル)がおって、そのふたりがやっとる飲食店(バー)。
http://miro.tokyo/
東京、吉祥寺だ。
なんてゆうか、言葉じゃなくにおいとか雰囲気とか、「クラスの法則」でいうと、クラス中央の学級委員長タイプとかじゃなく、クラスの周辺、辺縁部の友だち、っていう感じ、気張らず、だらだらと長時間一緒におれる。
なんてゆうか、ケースケのこだわり症候群(たぶんおれも)は、興味深い。


■2018-7/14

[野の編日誌]
植物のことを知るために、あえて草を抜かないで成長を見守ることもある。
するとそいつがおもいのほか大きく育ったり、爆発的に増えたりして、あとで驚くこともある。
このごろ、繁殖力旺盛な気になる草があって、調べたら「ツユクサ」だった。
そうか、はかなげなのは名前だけか。


■2018-7/13

[野の編日誌]
ある区域の雑草を取るとき、おれは端っこからはじめる。
端っこからグルッと雑草区域を囲んでいって、その内側に向かって作業を進める。
最初に全体像を作る。
そしてそれがだんだん小さくなる。
それは数学的、合理的かどうかはわからない。
自分の性分ていうか、強迫観念や安心感も混ざる切実な性分。

ジャムパン食うときもそう。
食べるにしたがって、おいしさが増す。
消去法であり、「去年よりマシ」方式でもあり、ハッピーエンド方式でもある。


■2018-7/12

[けふの料理・氷入り砂糖水]
暑さと湿気。
空気は体内のようになり、からだが溶けて外との境がなくなる。
食欲が失せる。

ふとおもい立ち、はじめて氷入り砂糖水を作ってみた。
冷たさは、ひとつの味覚である。
遠くから自分を連れ戻してくるような。
おいしさ。


■2018-7/11

[野の編日誌]
きのうの続きをしようとしたが、あさ4時で気温27度、多湿。
すぐに息切れ汗ボタ落ち、やるき失せ作業さっさとあきらめる。
体調崩すと、そのほうがロスになる。

去年は熱中症になったような気がするし、ハチにも2回刺された。
夏の盛りは、これから正味ひと月。
去年よりマシに過ごせるか。


■2018-7/10

[野の編日誌]
夜が明けたばかりの4時半から、「カナムグラ」除去作業。
いまだ知らないことの多い野良作業だが、たまーにこちらのおもいが相手に届くことがある。

日が射しはじめる6時半まで、案外作業はかどった。
気持ちよかった。

うちの草、樹木について、まだ「もう手がつけられない状態」には陥っていない。
そういう意味でも、去年のいまごろよりはマシ。


太ももの虫に食われた痕 カシオペア座に似ている ・

■2018-7/9

[野の編日誌]
「カナムグラ」は1本の茎は細いが、グループで一帯を覆い尽す。
でかい編み物のようになって、畑にかぶさっていた。
こりゃいけん。
このままじゃ畑全面が食われてしまう。
新しい宿題、当分これの駆除だ。
激暑の真夏前、花が咲く前に全滅を目指したい。
と、こうゆうこともあるけど、去年のいまごろよりはマシ。


■2018-7/8

[野の編日誌]
ようやく雨雲切れて、青のぞく。
この数日見てなかった畑の一角が、一種類の草に駆逐されていた。
調べたら「カナムグラ」というツル植物。
ほっといたらやっかいらしく、ただちにロックオン。
こうゆうこともあるけど、去年のいまごろよりはマシ。


[けふの料理・梅煮ちゃん]
作り置きの梅煮をそろそろ食べようと、小瓶に小分け。
ひとつは砂糖、もうひとつは塩で味付け。
砂糖味を水で割ったジュース、え?梅ジュースってこれ?
これはいける。


■2018-7/7

[野の編日誌]
敷地のあちこちから出土した小石などの整理をはじめた。
自然石。
モルタルかけら。
陶器かけら。
瓦かけら。
ガラスかけら。
これらをそれぞれプラかごに入れる。
これらがいっしょくたになってると散らかって見えるが、きちんと分けるときれいに見えてくるのが不思議。
これら、うちの鉱物資源とする。


■2018-7/6

[野の編日誌]
終日、湿度計の針振り切り、動かず。
気持ちも停滞して動かず。
気温が高くないのが救い、おとなしくしてる分には不快ではない。
きょうは、湿気休日とする。


■2018-7/5

[野の編日誌]
あさ、曇り、高温多湿。
ゆうべの雨で土が柔らかくなっていたので、手で抜きやすい草を抜く。
作業後、全身、服も汗でびっしょり。
ゆうべの雨水で体を拭き、着てた服も手洗い。
雨放題の日。


■2018-7/4

[野の編日誌]
台風接近中らしく風、ときどき雨。
雨水溜める、ついでにTシャツとパンツを手洗濯。
役に立つとおもえば、雨も許せる。
こんな感じで、夏の暑さも有効利用できんだろうか。


■2018-7/3

[野の編日誌]
あさ起き抜け、日が昇る前に畑に出て草を取る。
それは日課になりつつある。
ほんのちょっとでも、そこがきれいになるとさっぱりする。
あさ、自分の顔を洗うことと似ている。


2018-7/2

[野の編日誌]
暗い色のビニールで樹木の若枝を覆ってみる。
成長を止めてしまいたいんじゃなく、成長の勢いを弱められるかの実験。
植物と、自然と敵味方じゃなく、いかに良好な関係を作れるか。
これ、うちのライフワークということか。


■2018-7/1

[野の編日誌]
晴天、炎暑。
とても苛烈な直射日光に当たると死んでしまうので、朝夕だけ野良。
いまだここの気候に慣れない。
スモモの実が色づき、落ちはじめた。
どうするか思案中。
慣れないまま、時がまるで時計の針のように過ぎていく。


■2018-6/30

[野の編日誌]
なにかをしようとおもってそれをしてると、おもった以上に自分がそれをしたかった(したくなかった)、ようなことがよくある。
自分がわかる「気持ち」以外に、自分にもわからない「気持ち」がある。
ときに、このふたつの「気持ち」が大きくズレてて驚くこともある。
このふたつが会話するようなことを、している。


■2018-6/29

[野の編日誌]
ここ数日の炎暑と変わりないが、きょうは風があるだけマシ、すごしやすい。

・植物、草と樹木の量を最小限にする、繁茂させすぎない。
・土に混ざっている石を外して、石だけ集める。
・土の偏りをならして平らにする、水はけをよくする。
うちの地面についての長期テーマだ。
手で、毎日少しづつしかできないので、何年かかかるだろう。
家内制手工業、造園土木、うちの内職だ。


■2018-6/28

[野の編日誌]
ぼんやりした薄曇り、午後室温30度、湿度高め。
外にいても体内にいるよう。

自分がここで暮らすようになったことの意味、これからどうするのかというようなことを、だんだん考えるようになった。


■2018-6/27

[野の編日誌]
あさ、Kさん(80代、女性)がうちに来た。
両手のひらのインゲンをくれながら、鍬の調子が悪いので見てほしいとのこと。
物々交換だ。
Kさんとは挨拶くらいしか会話したことないけど、いままで鍬を何度か直したから見込まれているんだろう。

別居中の家人からも、折々に家電の不具合について相談される。
自分が人からそういうときに声をかけられること、そういう風におもわれているらしいこと。
自分、というものの特徴、人との接点、あたり。


■2018-6/26

[野の編日誌]
なまぬるく、とろみかかって動かない空気。
夜、外に出て近所の寝入りばなをながめて深呼吸。

そして、それを見ている満月。


■2018-6/25

[野の編日誌]
梅雨しらばっくれたか、晴天と真夏もどきの炎暑。
昼、今季の最高、室温29度、扇風機2台とも自分に向けて回しっぱなし(低速モードで)。
湿度低めだから、まだ耐えられる。
慣れてしまうことが、いちばんの防暑。
せめて夕方、草取り励む。


■2018-6/24

[野の編日誌]
ここでの暮らしに、まだ慣れない、浮遊感がある。

日常という水面あたり 浮かんで息継ぎしては沈んだり


■2018-6/23

[けふの料理・いただきものの煮物]
あさ、Kさんから自作の野菜をもらった。
地に落ちて腐っていく野菜のイメージがよぎり、遠慮なくいただく。
Kさんのナス、インゲンと、ちょっと前に娘に送ってもらったカボチャを合わせて、煮物(初体験)を作ってみることにした。
・煮汁の味付けは、やはりいただきものの「あごだしつゆ」と醤油をベースにする。
・カボチャ、ナス、インゲン、油揚げ、魚肉ソーセージ、それぞれ一口大に切って、煮立った鍋に投入。
・弱火で40分くらい。
以上。

カボチャが煮崩れてしまい、煮物とスープのあいだのようなものができた。
それはそれでとろみのある煮汁多めで、丼で食べるとおもいのほかおいしかった。


■2018-6/22

[野の編日誌]
剪定した枝を地面に置くと、とても大きく感じる。


■2018-6/21

[野の編日誌]
あ”ー蒸しあつーい。
湿度最高レベル。
そして夏至。

雨で野良ができなかったこの数日のあいだに、やっぱり草木は伸びてた。
その伸びた分を、人(おれ)は散らかってるとおもう。
梅雨は植物生存のための大切な時期、草木はただ自分の理由でただ成長しただけなのに、おれに刈り取られてしまう。


■2018-6/20

[野の編日誌]
しっかりとした雨、ひと息ついてまた雨。
気分も憂鬱。
きょうの状況に素直に従い、休日とする。


■2018-6/19

[野の編日誌]
きょうは、なんとか晴れ間もあったが、これからも当分は落ち着かない空、まさに梅雨っぽい天気が続く模様。
こういう時期は、たとえば土が湿気て柔らかいので、草が抜きやすい。
晴れの日も雨の日も、どっちつかずの曖昧な日も、いち日はいち日。
天気の機嫌伺いつつ、できる作業探しつつ。


■2018-6/18

[野の編日誌]
きのうと一転、朝から土砂降り雨。
体を石鹸で洗ってすすぎまでできそうな、水量たっぷりシャワー状態。
十数分で60リットルの雨水が溜められた。

田舎の天気はむきだしで、とんがっている。


■2018-6/17

[野の編日誌]
梅雨宣言して、晴れ日が続くことはよくある。
野良するにも涼しくて快適。
気候のいいときの気持ちよさは、さすが田舎の得意技なり。


■2018-6/16

[野の編日誌]
毎日、剪定と草取りばかりをしている。
それは、ここで暮らす以上しかたがない。
人が体を洗ったり、散髪をするようなことだ。

でも当初の、まるで原生林からはだいぶかたづいてきている。
これから、手間はだんだん減っていくだろう。
やっと、剪定と草取りに追われない夢のような暮らしが、畑の地平に見えなくも、なくもない。


■2018-6/15

[野の編日誌]
今季、梅の実ボタ落ち残酷物語を体験したから、これからは実が多く成らないように枝の数を減らして短くしてする。
実が取りやすいように樹の背丈を低くする。
管理しやすい形と大きさにする。
混沌の中に、自分好みの直線を入れる。
方針が決まったからか、剪定が楽しい。
確実にいらない枝を最小限、切る。
切ったら数ヶ月ほど間をおいて、樹木の反応と全体の景色を見る。
その繰り返し。

そんで年月をかけてずーっと、もしかすると生涯、付き合う気持ち。
ペットや家族のよう。


■2018-6/14

[野の編日誌]
桑の樹は、現状数十本のところを4本以内にする。
梅の樹は、現状6本のまま、剪定して半分ほどに小さくする。
うちの樹木の9割を占める桑と梅の方針が決まったので、ひと安心。

生えてるすべてを伐採して平らにするだけなら悩まなくていいから簡単だけど、どうも自分の貧乏性がそうはさせない。
けしてこの地の理由を抹殺したいわけじゃなく、この地の理由と自分の理由との相談をしたい。


■2018-6/13

[野の編日誌]
そして、今季はもうこれ以上の梅の実は採らない使わない。
もう、じゅうぶん。
落ちた実は、まとめて自然乾燥させて燃してしまう。

そういう始末も、生も死も畑仕事。


■2018-6/12

[野の編日誌]
樹木の剪定の仕方がわかってきたような気がする。
その樹をどうしたいかというイメージができてきたからだとおもう。
あと、いっぺんに切り過ぎないこと。
大胆に切りたいときほど、何回かに分けてやる。
じゃないと、樹がびっくりしてしまうので。


■2018-6/11

[野の編日誌]
あるとき。
天は、貧乏なノノヘンに梅の実をたくさん与えました。
ノノヘンはすぐに全部は食べられないけど捨てるのはもったいないからと、煮込んで長期保存できるようにしました。
すると。
そのようすを見ていた天は、汚れた鍋を洗えるようにと雨を降らせました。
梅雨です。


■2018-6/10

[野の編日誌]
梅の花が咲くのをきれいだと眺めている場合じゃなかった。
その花は数え切れないほどの実になって、それを放っておいたら、地面にボタボタ落ちてしまう。
やっと、梅の樹がうちにあることの大変さがわかった。


■2018-6/9

[けふの料理・きょういち日じゅう梅の実ざんまい]
けさ、多少色づいてる梅の実を採った、10キロくらい。
これを洗いヘタを取ったりしてると、どの実の傷もソバカスも虫食い穴も凸凹も、どれも可愛くなり捨てられん。
けっくきょ結局4キロを梅干し候補として塩をまぶし、それ以外は梅煮ペーストにすることにした。
折良く、秘密兵器フィスラーの圧力鍋4.5リットルが届いたので、さっそく活躍してもらう。

ただ梅の実、あと20キロ以上は樹に残っている。
どうしよう。
とりあえず実の季節が終わったら、どの梅の樹も半分サイズに剪定してやるから、ちょっと待ってな。


■2018-6/8

[けふの料理・あっさりスープカレー]
自炊をするようになってあるとき、カレーの鍋を洗いながらカレーというのはなんてオイルっぽいのかということがわかり、それ以来大好物だったのにあんまり作らなくなってしまっていた。
料理というのは、その器を洗ってしまうところまでだとおもう。
もう前のように、食欲だけで献立を作ることはできん。
食材が手に入れやすくて、加工も片付けも簡単じゃないと、料理をする気が起きない。
というわけでこのたび超久々にカレーを作ったのは、2週間前入手の、新玉ねぎ、新じゃが、人参たちを、そろそろなんとかしないといけなかったから。
そうやってできた具沢山あっさりスープカレーは、超久々だったからか、とっても美味しかった。
デカ鍋で作ったので、明日はカレーうどんか。


■2018-6/7

[野の編日誌]
今年初、蚊に刺された。
これは大変。
とうとう蚊の季節が来たか。
野良作業するとき、長袖シャツ着ないと。


■2018-6/6

[けふの料理・梅煮ペースト]
・小梅をざっと洗い、ヘタを取り煮る。
・火が通って実が煮崩れたら、ざっと冷ます。
・5ミリ目くらいの荒いザルで漉して、種を取る。
以上。
調味料をなにも入れてないので酸っぱいジャムのようなものだが、ふつうの酢と比べて酸っぱさがとんがってなく、旨みもあるような気がする。
砂糖を加えて梅ジュースとしても、塩を加えてソーメンつゆとしても、おもいのほかおいしかった。
ほかに肉料理の味付けなど、酢よりも使いたい場面が多いようにおもう。
ただこれ、室温のままどれくらいの期間保存できるのか、いまのところ1週間は持ってるがこれから先はまったく不明。


■2018-6/5

[野の編日誌]
きのう切った桑の樹、けして伐採してすべてを無くしてしまいたい訳じゃないので、いまのところの邪魔な部分を取り除いた、という感じ。
こうして、問題を一緒くたにしない、できるだけ「分解して考える」方式、絶賛実施中なり。
どうしても気になる嫌なことから早く逃れたい気持になるが、全部取らない、いっぺんに取らない。
そこをこらえて「分解して考える」。


■2018-6/4

[野の編日誌]
・きょうの悪いこと
いつも通りに夕方ごはんを食べようと土鍋のフタを開けたら、中が空っぽだった。
研いだ米を入れるのを忘れたまま、空鍋を炊いてしまったようだ。
ガーン。

・きょうのいいこと
うちでいちばん太い桑の樹(太さ20センチ、高さ3.5メートル)の途中を切って、短く(高さ2.5メートル)した。
これで上の方まで手入れができるようになった。
1年以上前からの懸案、かつ難しい作業だったので、これをツマミにひと晩酒が飲めるくらい、うれしい。


■2018-6/3

[野の編日誌]
たとえば、初めて出会い、成り行きがはじまり、関係が深まっていく。
あるいは、はじめからそれが必要なことをわかっていて、求めて得る。
一見違うこの二つが、同時に進行する。
偶然と必然。
偶然を辿っていき、必然と会う。


■2018-6/2

[野の編日誌]
ゴボウとフキのまわりの草取り。
こういう無為作物の成長を観察することは、将来、作物をつくるときの予習になる。
ただ、でも、勝手にできてくる無為作物まだしも、自分で作るとなるとなー。
と、その大変さもおもい浮かぶが。


■2018-6/1

[野の編日誌]
一転、きょうは青天。
日差し強く、触ると痛い、ような。
やっぱりうちの天候はエッジがきいてる。
感じること、身体感覚を問われる。


■2018-5/31

[野の編日誌]
きょうも雨しとしと。
雨水利用の実験、比較的きれいな雨水を70リットルくらいは溜めることができるようになってきた。
晴れの日も雨の日も、幸も不幸もそれなりに有効利用できたら。


■2018-5/30

[野の編日誌]
ゆっくりと忍んで来たような静かな雨。
表に出て気持ち発散できず、終日もんもん。

夏前のもんもんポケット絶賛じくじくセール、梅雨が間近だ。


■2018-5/29

[野の編日誌]
また、畑にシカが侵入した形跡あり。
桑の若枝がいっそう短くなってる、桑が好みらしい。
シカに取られる前に、残っている桑若葉を採り日に干す。

アマゾン地区の草むらにフキ十数本ほど発見。
さっそくフキのまわりをきれいに草を取ってやる、もうちょっと育ったら煮物になる予定。

「無為作物」、こうやってなし崩し的にものごとは始まり、深まっていく。


■2018-5/28

[野の編日誌]
「小梅ちゃん」、重さをきちんと測ったら3.5キロあった。
この内300グラムでウイスキー漬け、500グラムを梅干しのために塩漬け、残りで梅ペーストを作った。
2キロ以上の梅ペースト。
これに砂糖を加えるとジャムになり、水で割ったらジュースになる、と初心者の楽観的予想。
なにごとも実験。

梅の実を採るところから、だいたい一日仕事だった。
しばらくは梅の実を見たくないほど嫌になるくらいの時間を過ごすと、身体にも記憶が刻まれて「体験」と呼べるようになるんだとおもう。


ゆふべ日暮れて縁側の前、蛍のひかりが一匹宙を舞っていた。
一瞬それがなにかわからず、タマシイかとおもった。


■2018-5/27

[野の編日誌]
うちの梅の樹、5本のうち1本だけ小梅で、その小梅の実が色づいて落ちはじめたので、剪定がてら採集。
重さ2、3キロあり、これをどうしようか悩み中。

むかし新宿二丁目の店でその筋の方に相手してもらったことがあるけど、その名も「小梅ちゃん」、パンチパーマだけど愛想のいい「小梅ちゃん」、いまごろどうしてるだらふか。


■2018-5/26

[野の編日誌]
畑の樹の若葉が、なにものかに喰われたあとを見つけた。
喰われたあとの高さから推定するに、こりゃシカだな。
シカが気兼ねなくうちの畑に入ってくること、田舎初心者だからか実害もないからか、そんなに嫌じゃない。
ただ罠を仕掛けると、シカ肉にありつける可能性があるわけだ。
将来への懸案。

畑の目立つ草の葉っぱを調べたら、ゴボウかも知れないことがわかった。
十数本分、畑の昔の名残りか。
これがもしホントにゴボウだったら、ほかの作物もはえてきても不思議じゃない。
要注意。


■2018-5/25

[野の編日誌]
草の成長と草取りとの追っかけっこ。
毎日1、2時間ほど草取りしても、だんだん追いつかれてきて、いまなんとか横並び、いつ抜かれてもおかしくない。

土地は生きもの、ペットの手入れすることにも似てる。
純粋作業とはもはや言えなく、情が育ちつつある。


■2018-5/24

[野の編日誌]
きょう塩漬けしようとおもっていた梅の実3キロ、実しぼみ、ケロイド状見受けられ、白カビも散見。
やっぱり、実をもいで4日は持たんかったか。
全部廃棄。
無用な殺生、すまん。


■2018-5/23

[野の編日誌]
たとへば、本棚を整理しようと本数冊を引き出すと奥からネズミの古い糞が出てくる。
ネズミたち、いっときそこで寝起きしてたばかりか、銀杏の殻、食事のあとまで。

そういうとき、まずは驚く。
そして休む。
息を整え、外に出る。
鍬を持ち、畑を耕す。
ひと汗かいて、また現場に戻る。

こころとからだはつながっていて、気持ちのショックを運動で晴らすことができる。


■2018-5/22

[野の編日誌]
「偶然」は、おれの好物、かつ工作材料としても重要。
「偶然」は、最後にそのことを気づく視点がないと成立しない。
「偶然」は、じつはそこらじゅうにとてもありふれてて、それを見つける力しだいなのかもしれん。
「偶然」は、「縁」でもあり、「運」でもあり、「奇跡」でもある。


■2018-5/21

[野の編日誌]
Kさんから野いちご両手のひら分、拝受。
さっそく火に通して、瓶詰め。
やっぱり保存性と嗜好のため、ウイスキーを1割ほど添加。

果物って高価だから何年も買ってなかったのに、この五月は、果実果実、見事に果実づくしだっただ、だだ。
こういうように偶然が異常に重なることがある。
なにかで忙しいときに、ご無沙汰の人からの連絡がいくつも重なったり。
ま、とりあえず「偶然の暴風」とでも名づけとこか。


■2018-5/20

[野の編日誌]
梅の実が4キログラムくらい採れたので、その一部500グラムほどウイスキー漬けの実験開始。
残りは、しかたない梅干しでも作るか。
うちには梅の樹が5本あり、その実を有効利用しないと気の毒で、まずは年月かけて樹を少しづつ小さくしていきたい。

ここでの作業は、日常的な短いサイクルのものから、月、年単位の長いサイクルのものまで、種々様々たくさんある。
いつどんなときも、しようとおもえば、なんらかの作業がある。
暇で退屈で困る、ことはない。
暇は、あえて作らないとできん。


■2018-5/19

[野の編日誌]
梅の実を採るために、太枝ごと切り落とす。
ついで剪定の術。
案の定、日が出てしまうと朝から蒸し暑く、汗ボタ落ち。


[けふの料理・みかんのウイスキー漬け]
・みかんの皮をむいて、薄皮も種も取る。
・果肉と、作業中滴る果汁も逃さぬようボトルに入れる。
・ボトルの上のほう果肉が汁に浸かってないところ、そこまで果肉の上までウイスキーを加える。
・ウイスキーは全体の1割ほどになれば十分、それ以上はお好みしだい、あと足しもよし。
・うちの場合おやつと酒の中間の味わいを目指す。
味見すると極上美味、柑橘とウイスキーの相性抜群、熟成を待てずに食してしまうかもしれん。


■2018-5/18

[野の編日誌]
季節は本のページをめくるようにいっぺんにじゃなく、ちょっとづつ、部分部分まだらに、蟻の群れが大きいものをひと口づつ分けるようにして次に移っていく。
部分的には、もう夏がはじまっている。
野良のためには、低温の夜明けあたり日暮れあたりの時間帯が貴重になってきた。
来たる夏、苛烈な夏、本年もどうぞよろしくお願いします、と。


■2018-5/17

[野の編日誌]
敷地のまわりを掃除してたら、ブロック塀の一部が朽ちて崩落しはじめているのを見つけた。
経年劣化によるコンクリートブロックの風化。
風化、風になる。

生きものたちが勢いよく育ちながら、形あるものが滅びながら。


■2018-5/16

[野の編日誌]
朝から、甘夏みかんの皮むき、ウイスキー漬けこみ。
10個で2リットルボトル分ができた、あと数個。

そしたら柿の若樹にはじめて花の蕾のようなものまで見うけられ、じゃ、柿の実まで成るんか。
なんの因果か、ことしは果実づくし攻撃はじまれり。
柿の葉、天日干しも乾きつつあり、その次は桑若葉の乾燥予定。
梅の実も、まだ落ちるなよー。
これら「無為作物」ながら、ちょっとした農業生産者の気分。


■2018-5/15

[野の編日誌]
ヒトのからだにある無数の入り口から外情報が入ることを、「感じる」と言う。
ヒトは食べものや空気と同じように、外情報も体内に入れる。

樹の実や草草だけでなく、鳥の鳴き声も増え、ヒト世界の用事まで、サカりさかりのこの季節。
ここで、われ気を失わんよう、深呼吸ひとつ。


■2018-5/14

[野の編日誌]
朝、いただきものの返礼用にと、梅の実と、桑若葉を採る。
畑をうろついていたら、スモモの実が成ってるのを初めて発見。
耕作放棄地、人の関与ないなりにも、生産物ができてしまう。
こういう出来事は、おらの大好物。
農業とは、なんだ。
梅、スモモ、桑葉、いただいた柑橘類、これらの生(なま)もの、どうおいしく食すか保存するか、調べないと。


■2018-5/13

[野の編日誌]
きのう福岡の「ノコニコ カフェ」から、甘夏みかんとニューサンマオレンジ、段ボールひと箱届き、しかと受け取る。
(ノコニコ カフェ:https://twitter.com/noconicocafe/media )
ひとり暮らしには十分な量、さっそく野菜など貰いっぱなしのご近所にもおすそ分け。

「ノコニコ カフェ」のある福岡県、能古島は、行ったことないけど地理的に辺鄙なところで、興味をそそられている。
ほかに縁のある北海道の富良野、長野県の諏訪、高知県、神奈川県三浦半島、と能古島、それにうちを加え、日本列島をまたがる辺鄙大ネットワークができあがってしまうじゃないかと、妄想ふくらむ日曜の朝。


■2018-5/12

[野の編日誌]
午前、クズ木枝燃して、土壌改良用クズ炭灰作り、ようするにたき火。
昼に、社員慰労のための町内温泉行き、露天でひととき。
(社長兼社員のひとり会社ごっこにて。)
今晩、キャベツ、鶏肉入り焼きそば(+焼酎セット)という、うちの贅尽くしたご馳走の予定。


■2018-5/11

[野の編日誌]
ときに子どものように走りだしては、息切らしてゼーゼーむせぶ。
そんなもんだ。
一様には、行かない。


■2018-5/10

[野の編日誌]
だいたい毎日、畑を触っていると、感情移入が起こってくる。
相対する向こう側とこちら側ではなくなってくる。
そっと、むしろやさしく草を取る。

重すぎて空にお辞儀 柿の細枝切りて若葉日に干す


■2018-5/9

[野の編日誌]
日本のどの地方のどの町角にも郵便ポストがある。
ポストに投函された個々の手紙は、まずはその町の郵便局にまとめられ、町から市へとより大きな郵便局に移され、そのたびに手紙は膨大な量となっていく。

そんなようなことが、ヒトのからだにもある。
ヒトのからだの隅々にも郵便ポストがあり、そこに外からの手紙が投函される。
ヒトのからだを成す何十兆とも言われる細胞単位で発生する手紙の束は、しだいに、やがて体育館ほどの大きな部屋に集められ、関係する手紙どうしにまとめられる。
そうしたひとまとまりづつ、その緊急性や重要度の順に関係部署に伝えられ、そこで処理されることでまとまりが顕在化し、手紙の役が果たされる。
片や、つなぎが弱くてまとまりにくい手紙も相当数残され、それが処理されるまで長時間を要することもあり、あるいは処理されないまま、からだの中に残り続け、たまり続ける。
分量で言うと、むしろそちらのすぐに処理されない手紙のほうが圧倒的に多い。


■2018-5/8

[野の編日誌]
自分の散乱するどの言葉たちも、じつはこの一点に収束されることが、あらためてやっとわかった。
落合郁雄工作所 工作のルール書。
第1ページの1行目。

はじめに実態ありき。
そのあとをノコノコ言葉がやってくる。


■2018-5/7

[野の編日誌]
多忙、っていうやつ、朝一で郵便局に行ったり。

こちらに一人で暮らしはじめたころ、淋しくはないかという知人からの問いがあったが、淋しくないと答えた。
(らしい、ってゆうかもう覚えてない)。
いまも、とくに淋しいっていう感情はとくにない、(とおもう)。
その理由についてあえて考えてみると、まずは忙しい。
凹んでる暇もない、感じ。
こちら、動植物、虫をふくめて生きものだらけで、そうゆうものたちとの意思疎通、かならずしも関係良好でもないが少なくともやりとりはある。
とても数少ない友人の、だれかにコンタクトしようとおもえば、できないこともない。
しいていうなら、ちょっとこっぱずかしくもあるが自分自身のおくゆき。
どの人もそうだとおもうが、まるで宇宙ほどのおくゆきがある。
あとまー、逆に人付き合いの多い人ほど淋しさと近いかもしれん。
などなど、本当に淋しくないのか(それはよくわからないが、とりあえず表面意識的にはない)ということもふくめて、おもい連ねてみた。


■2018-5/6

[野の編日誌]
きょうで世の黄金週間とやら、終わり。
それに合わせて今日中の宿題やらんといけん、ちょっとドキドキする。
うちは年中無休で年中休日、ぢゃがこのたびの黄金週間は世と(逆)リンクしちまったい。

畑は早、草の勢い止められそうになくなってはいるが、種々ある草のなかのススキなど「伸びたらやっかいそうな奴だけ草取りする作戦」絶賛実施中。
どうせいま全部草取りしても、すぐに別の草が生えてくるから、やっかいそうじゃない奴わざと残して今後どうなるかを観察してみよ。
田舎初心者のうちに合う教科書いまだ見つからず、こうやって実際に試して確かめるしかないんよ。


■2018-5/5

[野の編日誌]
ぼーっとしている。
ヒトのキモチのなかでは、認識、意識されない気持ちのほうがあっとうてきに多い、んじゃないだらふか。
かたち、言葉になんかできるのは、そのなかのほんのちょっとだ。
・・・。
ぼーっとしている。


■2018-5/4

[野の編日誌]
提出用文章の宿題、ちょっと難儀したができたかもしれん。
とちゅうで内発衝動がやってきたから、身を任せたらうまくいった。
これはこのまま忘れることで自動的に無意識発酵するから、寝かしとこう。
乳酸菌ならぬ、無意識菌。
宇宙でいうところのダークマター、ダークエネルギー。

え?違う?


■2018-5/3

[野の編日誌]
ゆうべ日が暮れてすぐに、まさに睡魔に襲われ睡眠に落ちた。
よう寝た。
大きなくたびれはもつれた紐のようで、ホントの元通りになるのに日にちがかかる。
でもまーこれでなんとか復帰したような気がする。

自分は工作的視点というものにこだわりがあり、モノを見るようにしてヒトを見たがっていること、それが自分の特徴、素質なんだらふこと再認識。
おれはモノの子なんだ。

てなことおもいながら、さあ次の宿題やらないと、と。


■2018-5/2

[野の編日誌]
書類を作ってポストに投函。
道すがら近所の中学校のだーれもいない校庭に、なんでだか宇多田ヒカル。
スピーカ音、校庭から溢れて、そこらじゅう聴こえるほど。
きょう町の人も車もない中、宇多田ヒカルだけが流れている。

なにもないなんでもない、つまらない、日常。
つまらないは、素晴らしい。
ゴールデンつまらない、うちのウィーク。


■2018-5/1

[野の編日誌]
イベントの仕事というのは、その間、ふだんとまったく違うノリ、むかしバックパッカーだったころのノリになる。
それは旅人モードとも、宇宙船での船外活動モードともおもう。
ふだん居るところから離れて、遠くに出かける感じだ。
バックパッカーは、身ひとつの自分というものが露わにもなり、出会うものごと、人々のカタチもよく見えるようになり、それはたとえば肉体から離れたタマシイどうしのような精製された意思疎通が生じてくる。
そういうところから、この肉体「野々編」にぶじ軟着陸し、ふだん野々編モードにも順調に順応しつつあり、ということと無関係な土地のいつもより強めの風でか、帰ってきたことを喜ぶ飼い犬の尻尾のようにか、「ポリ風」が揺れている。


ポリ風(ぽりかぜ):
落合郁雄工作所の新作。ス印良品。
キャッチコピー・よわーい風にも よく揺れる
説明文・身の回りでいちばんやわらかいビニール、スーパーの(なまもの用)ポリ袋で作ってみました。
どこでも、風のようすを見たいところにぶら下げてみましょう。
弱い風ほど、なまめかしく動きます。


「ココアどこ わたしはゴマだれ」キャンペエン
ただいま、神奈川県、葉山の「ブックショップ カスパール」において、「ココアどこ わたしはゴマだれ」を購入していただきますと、もれなく「ポリ風」が付いてきます。
きょう時点で、残り十数冊でしょうか。
お店に問い合わせてから、求められると確実です。
まー、もし「ポリ風」足りなくなったら、こちらただちに量産体制開始しますけど。

スイセイ、そして落合郁雄工作所


■2018-4/30

[野の編日誌]
そいで、ただいま帰着。
このたびの任務、灰方るり × 落合郁雄工作所(スイセイ)対談 、ぶじ成功。
イベント自体はもちろん、イベント絡みの人々、ここの土地柄についても、収穫多かった。
アサリを獲りに潜ったらアワビまで獲れた、ような。

この間、お目にかかったすべての方々、謝謝。
そして、満月。


■2018-4/29

[野の編日誌]
んじゃ、出発。


■2018-4/28

[野の編日誌]
あしたの葉山出張のための支度。
これバタバタしがちのところ、あえてダラダラ。
提出するもの、ふだんの空気。

「カジュアルなること野の如し」かな。


■2018-4/27

[野の編日誌]
ここ数日デスクワーク、あちこちと電話、メール多々。
そういうゲーム(限られた時間内に多要素を整理する、たとえばテトリスのような)を、してるような気もする。
このたびは時間と要素の優先順位ができているので、しんどくない。
事務的作業に近い。
この前段階、優先順位を決めるまでが大ごとなんよ。

モノを作る種類の中に「見立て」というやり方があり、これは具体的にモノをまったく触らずに、その見え方を作るというもの。
モノを作るということの、もうひとつの本質だ。


■2018-4/26

[野の編日誌]
どうしてカラダは遅いのだろう。
どうしてキモチとカラダは違うのだろう。
どうして自分は均質じゃないのか。

などと、おもうのはキモチの方で、カラダはおもっていない、たぶん。
キモチの気持ちはわかりやすく、カラダの気持ちはわかりにくい。

ただまー、そういうもどかしさの中に意味もあるような気がする、けど。


草草が伸びている どんどんどんど


CM「らりるりろ さしすいせいそ 二晩目」
灰方るり × 落合郁雄工作所(スイセイ)対談

パラレルワールドの違う世界のもの同士が、ふとしたことで知り合ってしまいました。


■2018-4/25

[野の編日誌]
得をしたい。
時間は限られているから有効に使いたい。
そうおもえばおもうほど、キモチは忙しくなる。
忙しすぎて、カラダがついていけない。
カラダがひとつの作業をやっとこさ終えるのを、次にカラダがするべき100の作業を用意して、キモチが待っている。


■2018-4/24

[野の編日誌]
内発衝動となんとかコンタクトが取れるようになると、自分にとってまったくの異物じゃないことがわかる。
一見見慣れぬその形に内発衝動の理由が詰まっていることが、わかるようになる。
内発衝動は、内発衝動の理由にとても忠実に動いている。

気持ちは、(まさに)気体のように浮かび膨らみ飛び、そのうち消えてしまうが、内発衝動はちょうどその反対で、浮かばず膨らまず飛ばず、いつまでたってもなくらない。
気持ちがとうに忘れていたとしても、気持ちの裏側にぴったり張りつくようにして、そこにある。
ありつづけている。
そこに。


■2018-4/23

[野の編日誌]
内発衝動は、ペットの動物に似ている。
もししつけができてないと、「お手」ができない。
「待て」ができない。
してはいけないところで糞尿をする。
叱りすぎるといじける。
芯からひねくれると、始終なにかに吠えつづける。
人を噛む。
飼い主を噛む。


■2018-4/22

[野の編日誌]
内発衝動は、言葉を持っていない。
でも意思や感情のようなものは持っているから、そのようすから一体どんなことを望んでいるのか想像はできる。
それはたとえば、言葉を使わない動物に似ているかもしれない。
ペットの動物がグズっているとき、困った飼い主がなんとか動物の機嫌を取ろうとすることに似ているかもしれない。
飼い主は動物の気持ちを探りながら、よりよい関係を作ろうとする。
住まいを整えてやり、食事を工夫する。
からだを洗ってやり、撫でてやる。
そうやって毎日毎日過ごすうちに、いつしかどちらがどちらのために働いているのか、一体どちらが主なのか。
わからなくなる。


■2018-4/21

[野の編日誌]
万人が万人ともフラフラとつい表に出たくなるようなとっても温暖な快晴の中、ボロ古民家の一室に背を丸めてこもり、宿題デスクワーク。
やる気スイッチ(内発衝動)がちょっとでもはたらくとき、ちょっとでも進めないと。

内発衝動はすべての行動エンジンだが、これが動かないとあらたまったイメージ作りはできない。
逆に、これさえ動けば抵抗なくオートマチック(自動的)にモノはできる。
この気難しい頑固堂をいかに世の、人の、時間軸に合わせられるか、その技術が簡単じゃない。
それがうまくできないと、おれのように締め切り間近オロオロすることとなる。


■2018-4/20

[野の編日誌]
うちの足としてたいへんよく働いてくれている愛車「サンダーバードまったり2号」。
(参考:http://jp-jeeper.com/jeep/index2.html )
こんど遠出の予定があるので、幌の修繕。
幌のいいとこは、糸と針で手縫いできること、修理がしやすい。
じきに自作の幌と総とっかえすること目論んでいるが、とりあえず2、3か月くらいは現状でなんとかお願いしますの応急処置。


■2018-4/19

[野の編日誌]
やりたいことが多くて、それをおもうだけでくたびれる。
望み過多症候群。
まーまーと、なだめる、きょうこのごろ。

これ、いわゆる秋の鬱と対を成しとるかもしれん。
秋の鬱と、春の望み過多。
気分にも春夏秋冬がある。


■2018-4/18

[野の編日誌]
デスクワークの宿題、励む。
パソコン内のデータを、加工したり組み立てたり。
ここでは、こういうほぼ頭だけの仕事と、主に身体運動を伴う仕事と、バッキリ分かれる。
その双方をなめらかに、行き来したい。
「晴耕雨デジ」。
「言葉の世界と言葉のない世界」。


■2018-4/17

[野の編日誌]
野菜作りについての本「自然菜園がなんちゃら」を読んでも、よくわからない。
そーりゃ、そうだ。
おれは、あまりに未経験。
実際にやってみないと、なんとも言えん。
実際にやってみて(季節ごとに新たな実験して、年月経ながら)、自分の理由と土地の理由がどう反応するか。

インターネットにもいろんなやり方(ほとんどはいい加減そう)があって、どれが確かかわからない。
人類が何千、何万年も続けてきたはずの農耕の技術って、まーだ定まってないんだ。
それに感心する、または呆れる。


■2018-4/16

[野の編日誌]
どうしてだか、うちの畑は平らじゃない。
けっこう大きな凹凸がある。
それを慣らそうとしている。

おれが動物だったころ、いちばん身近だった土。
土について、なーんて知らないことだらけだ、とおもう。
土の復習、からか。


CM「らりるりろ さしすいせいそ 二晩目」
灰方るり × 落合郁雄工作所(スイセイ)対談

パラレルワールドの違う世界のもの同士が、ふとしたことで知り合ってしまいました。


■2018-4/15

[野の編日誌]
なにか急に畑全体、真みどりの絨毯しきつめたかとおもったら、それはスギナだった。
去年ススキを取った(根はまだある)とおもったら、こんどはスギナか。
自然菜園の本によると、最低の状態がススキで、その次がスギナらしい。
畑もなかなかしぶとい。
簡単には、素人を受け入れてくれん。
ここでムキになるとこっちがやられるから、呪文「去年よりマシ」唱え、こころ鎮める。


■2018-4/14

[野の編日誌]
春眠モード。
意識ふやけて、フワフワとそこらへんただよう。
「言葉のない世界」。


■2018-4/13

[けふの料理・ピーナツバターのやうなもの]
たとえば、ジャムパンはパン生地のほうを先に食べて、残った純度の高いジャムを最後にほおばる。
寿司は、ネタの方を下に向けて、ベロに当てながら食べる。
と、かくもおれは食いしん坊。
なのだが、どうやらあの有名なエルビス・プレスリーそうだったらしい。
かれは、ピーナツバターを塗ったパンのピーナツバター側をベロに当てながら食べていた。
と、某メジャー雑誌編集長が言っていた。

市販のピーナツバターは、甘すぎ、ねだん高すぎなので、ちょっと自分で作ってみることにした。
・スーパーの菓子売り場にある、ピーナツ豆を、すりこぎなんかで粒をつぶす。
つぶし具合は気まぐれ、適当。
・お好みで調味料、おれは和辛子を適量加える。
・つなぎで、サラダオイルとか、マーガリンなどの油分を適量加える。
・ほかに増量材として、ポテトパウダーや小麦粉などありうる。
以上。
でもこれは、できたというよりも、これでピーナツバターについての概念が外せた、という感じ。
そのときどき、作るたびにで自分の好みのほうに進めばいい。
結果的に、とてもピーナツバターとは言えないものができた、としても、かまわない。


■2018-4/12

[野の編日誌]
けさ6時に起きて野良1時間したら眠くなり、朝寝。
遅くに起きて、頭ボケボケ。
その後も陽気良く、終日頭ボケボケ。
まさに、春眠。
なんとかあらがい、洗濯したり、宿題に向かわんとす。


■2018-4/11

[野の編日誌]
目玉は自分の側についているので、自分だけを、見ることができない。


■2018-4/10

[野の編日誌]
うちは低山に囲まれてふだんはのどかな場所だが、たまに暴風が吹くことがある。
外の水場脇に置いた一畳ほどの棚さえ動くこともあり、当然棚の中身いろいろも飛んでしまいあられもないところにころがっていたりする。
この棚の固定が目下の課題だが、案外難しい。
難しい懸案、数あるが、それでも毎日はやってくるし、毎日同じように食事したいし、洗濯もしたい。
日常。
あっても当たり前で、あえて見向きもしない日常。
ところがそれが、なかなか、できん。


■2018-4/9

[野の編日誌]
自分というグループ:
自分はひとつの人格ではなく、たくさんの人格の集合。
でも、からだはひとつなのでたくさんの人格のおもいをひとつにまとめないといけない。
入力たくさん、出力ひとつ。


■2018-4/8

[野の編日誌]
田舎で暮らすと、人に会わなくなり、連絡も少なくなり、外出も減る、など、自動的にヒキコモリ?になる。
ただ、都会のヒキコモリ空間が4畳半だとしても、ここの場所は広いので、コモってる感じがしない。
作業もたくさんあって、忙しい。
悪くない。
けっこう快適。
ひとり時間が長いと、自分の素が出てきて、そこらじゅう素だらけになる。
それも悪くないとおもう。
そうしたかったのかもしれん。


■2018-4/7

[野の編日誌]
それでも、頭のぼせきってしまうこともあり、そんなときはのぼせ休み、のぼせ休日。


■2018-4/6

[けふの料理・おいしさについて]
愛飲?の焼酎は、スーパーで最安の4リットルペットボトル入り。
うまい、とおもわないが、甘み加えたり味を調整してしまうとおいしくなってしまい、それだとつい、つい飲み過ぎてしまう。
それらを勘案すると、これくらいのまずさがうちの平安を保てる。

おいしさも味わい まずさも味わい


■2018-4/5

[野の編日誌]
人世界の用事、せっせ、せっせ。
人世界の用事は頭なので、頭がのぼせると一服する感じで、野良に出る。
このやりとり、ええ感じ。

頭と体はつながっている。


■2018-4/4

[けふの料理・日持ちよくさせること]
行きつけのスーパーが車で30分のところにあることもあり、めんどうなので食糧買い出しは10日に1回。
この冬、室温が冷蔵庫の温度になるくらいだったので心配はなかったが、これからの季節、食料保存についての工夫が必要。

・「大根、人参の塩漬け」
大根は毎回1本買い、すぐに一口大にすべて切り、塩をまぶしてタッパーする。
人参も同様、これに足す。
(気分によって人参は、おやつとして生でかじるが。)

・「玉ねぎのしょうゆ漬け」
人参と同様、いつも安いのでうちのレギュラー食材とした。
玉ねぎ3個、それぞれ四分割、タッパーの底1センチほどのしょうゆを入れるだけ。
塩漬け、しょうゆ漬け、日にちとともに具材から液体が出てくるが、それも食す。
10日くらいで食べきって、リセット。

・「酒粕の焼酎甘酒」
酒粕500グラムを容器に入れて、焼酎で浸し、混ぜ、クリーム状にしておく。
このクリーム大さじ2と、砂糖大さじ1を、水カップ1で溶き、1日1回食す。
これ、うちの乳製品代わりで、便通によし。

・「鶏胸肉の塩漬け」
うちのレギュラー動物性たんぱく質。
とりあえず実験的に、作ってみることにした。

・「ほかのレギュラー食材」
上記どれも、冷蔵庫に入れない。
ほか納豆(これは冷蔵保存)、コンニャク、鯖缶、魚肉ソーセージ、どれも賞味、消費期限が長め。


■2018-4/3

[野の編日誌]
春は、自然界だけじゃなく人世界も動きが活発になるようで、その余波うちのようなとこにも及びぬ。
一見のどかな、片田舎のボロ古民家内で、ジャージの男がおろおろバタバタしている。


■2018-4/2

[野の編日誌]
人力で耕すことは、手縫いに似ている。
ひとつの単純な道具、道具の先が尖っていて突き刺すこと、それを繰り返すこと。
突き刺す相手を「生地」や「布地」というなまえ、「地」だ。
また、少しづつおもいが叶うことが気持ちいいし、ほかのことを忘れられて、気持ちが落ち着く。
けっこうマインドフルネスだ。


■2018-4/1

[野の編日誌]
書類というのは、紙くずでもあるが大きな意味、価値を持つこともあり、あなどれない。
日用品の整理よりも、書類整理のほうが難しいかもしれない。
その書類の整理の仕方、少し、きっかけができた。
ような気がする。

整理というのは、きれいにしまえてすぐに取り出せること。
無意識に近いところでできるのが、理想。


■2018-3/31

[野の編日誌]
春の片づけ大感謝祭。


■2018-3/30

[野の編日誌]
そのとき急だったから慌てたけど、いまだに不便もいろいろあるけど、移住したこと、ひとり暮らしをはじめたことは、よかったとおもう。
らく、楽。
らくちん、ふりちん。


■2018-3/29

[野の編日誌]
わからないの海にわかるの小舟が 風に吹かれて行ったり来たり


■2018-3/28

[野の編日誌]
身の回りの日常的なものたちの、片づけ。
片づけのしかたを改善することも含めた、片づけ。
身の回りが散らかってしまうのは、片づけかたがわからないからだ。
片づけかたがわからないのは、暮らしかたがまだできてないからだ。

きょうは、やっと家中の電池を一箇所に集めた。
使わないダンボールが多いこともわかった。
こうやってちょっとづつやって行くしかない、しかたない。


■2018-3/27

[野の編日誌]
池上彰と地上波
太陽と大腸


■2018-3/26

[野の編日誌]
きのう、朝うちを出て午後に現地着。
と、もう終わっていた。

へその緒が例外的に長く胎児の首を3周しており、子宮から出ようとすると首が締まり、またそれが引っかかって産道を通りにくく、危ういところだったらしい。
つきそった夫君によると、いままでで一番難儀したとのこと。

よーく晴れわたった茨城上空にアドバルーンが上がり、それにぶら下がった電光掲示板が速報でそのニュースを伝えた。
「母子トモニ、ブ、ブブブブ、無事生還セリ」。


■2018-3/25

[野の編日誌]
出産予定日遅延の娘より、出動要請あり。
入院して、積極出産開始とのこと。
これから茨城までドライブ。
久々の長距離運転、オチツイテおちついて。


■2018-3/24

[野の編日誌]
晴れてるが、幾分寒い。
人がおもうより、春は少し遅れてくる。

洗濯の水冷たく、洗濯しかけたヒートテック履きなおす。


■2018-3/23

[野の編日誌]
すごい快晴、温暖な気候。
だども陰鬱室内にてデスクワーク。

人の活動は、言葉系と実際系の2種あり。
言葉で考え、実際に行う。
双方をなめらかに行き来しつつ、ものごとが進む。
だが、ときになめらかにできずどちらかでつっかかってしまうこともあり、それを不器用と言う。


■2018-3/22

[野の編日誌]
冷たい雨で春の停滞、と同様なんだかおれの気分も停滞。
そんなもんだ。
季節も人も、進みすぎたり止まったり。


■2018-3/21

[野の編日誌]
あるもので作る。
人のなりゆきで、自分のなりゆきを作る。
タマシイの抜けたものに、自分のタマシイを入れる。


■2018-3/20

[野の編日誌]
終日雨、ついでに雨水利用のしくみをちょっと進める。
20リットルのバケツを2つ用意する。
第一受水バケツでゴミときれいな水に分けて、きれいな水を第二バケツに入れる。
という簡単なものだが、雨水利用の原理が詰まっている。
なにごとも試すことからはじめる。
最初から完成を求めない。
「ワンタッチ」、じゃなく「マルチタッチ」。


■2018-3/19

[野の編日誌]
いつのまにかツグミを見かけなくなっていた。
ジョウビタキ、もだ。
かれらは渡り鳥で、北に帰ったらしい。
そうか、帰るとこがあるんだ。


■2018-3/18

[野の編日誌]
そしたら、畑でなにか真っ直ぐな葉っぱがあちこち出てるなとおもってたらその花がいっせいに咲き始めて、それは水仙だった。
(いま草刈ってあるから土むきだし荒野の中、)その黄色い花はとてもきれい、きれいすぎる。
おれにはもったいない。
もったいなく、泣きたい。


■2018-3/17

[野の編日誌]
うちの梅の花、だいたい満開。
それは贅沢なことかもわからん、とおもいつつも、あんまり興味なし。
花よりだんご、花より作業。
無粋もの、野良に精出す春。


■2018-3/16

[野の編日誌]
自家用車のウィンカーランプが点かなくなってることがわかった。
これをネット検索して調べると、場合によっては修理屋に車を預けて数日とのこと。
それは困るので、自分で実車をよく観察し、原因はウィンカーランプ球切れと推定し、ホームセンターにて入手、取り付けてみたら直った。
きのうからきょうまで、半日はこれに取られた。

この5センチの部品が1個壊れただけで、大きな車が動かせない。
車だけではなく、パソコンや家電や、住宅。
人の暮らしのためにたくさんの機械が集められて、その機械は無数の部品で組み立てられている。
その一つの部品が動かなくなると、機械は動かなくなる。
機械が動かないと、人も動けなくなる。

■2018-3/15

[野の編日誌]
久々、買い出しの日。
久しぶりすぎて、あちこち、たくさん、うろうろ。
春の陽気、温暖かつ強風。
春は、冬からの移行というより、冬からの転換。
段階(グラデーション)というより、逆転。
死をくぐってから、生まれ直す、ような。

■2018-3/14

[野の編日誌]
外にある炊事場の目隠し改良。
いままではそこらへんのボロ布を使ってたが、強風でバタつくのが嫌で、メッシュ状の遮光シートを採用した。
目隠し効果変わらず、バタつかなくなった。
こうゆう些細な工夫が、うちの暮らしの中心にあり、それがあるかぎり大丈夫な気がする。

■2018-3/13

[野の編日誌]
真新しい白い紙に、自由に線を引く。
んじゃなく、ひとさまのお下がりに自分の手垢をつける。
ひとさまのなりゆきを、自分のなりゆきに置き換える。
あるもの(ひとさまのなりゆき)で(自分のなりゆきを)作る。

あるもので作る。

■2018-3/12

[野の編日誌]
それは、ただ自分の身の回りの異物を取り除いている、ことでもある。
どの人も、どの生きものもそうするように、。
手や体を伸ばしたときに当たるでっぱりやとんがりを、つい触って撫でてみたり、押さえたり取ったりする、こと、だ。
はじめから畑を耕そうなんてまったくおもってなくて、ただ地面を平らにしたかった、だけ。
まーそしたら、地面が平らに近づくにつれて畑に近づいてってしまう、というなりゆきが生まれて、で、それはいまも育ちつつある。


■2018-3/11

[野の編日誌]
畑部、いったん耕作放棄地を経て、それを畑に戻そうとしているところ。
かつてほとんどがススキとクワ樹木だらけだったが、だいたい刈り取った。
でもそれは地表の話で、地中にはススキもクワも根がまだ張り巡っている、インター根っこ。
これまでの精一杯、いっぺんに綺麗にはできん。
クワ、ススキ、ツル、やっかいな順に片付けたいので、ほかの新しい草がもう芽を出しはじめているけど、それらには手をつけられん。
イタシカタナシ。
この夏はどんな風になるだろう、去年よりマシになってるだろうか。


■2018-3/10

[野の編日誌]
あれ?どうして、おれはここにいるんだろう、とおもうことが、まだ、ある。


■2018-3/9

[野の編日誌]
使い古しのふとん綿くらいムラのある全曇天、予報よりも寒い。
デスクワークの宿題にて、野良できず。
かろうじて20分ほど郵便ポストまで走る。
言葉は頭が考えて口が喋るが、体は叫びたがる、叫ぶ。


■2018-3/8

[野の編日誌]
100日(降り続いているような)雨。
終日やまないとのこと、こういう日は無駄な抵抗せず、室内作業に専念。
きのう駄賃でいただいた箱詰め果物(パイナップル、りんご、みかん、グレープフルーツ)をすべてあら煮して、ウイスキー加えでか瓶に詰める。
ひとり暮らしはじめて高級品であることわかり、めったに買わなくなった貴重な果物、一度になんてもったいなくチビチビ食すための大人のおやつ。


■2018-3/7

[野の編日誌]
不祝儀の裏方、手伝いながら見学。
なんというか現実から少し浮いたドキュメントな、そういう体験。
午後帰宅し、正反対のことをしたくなり、畑に出、野良ジョギング。
薄寒く均一な曇り空、なにもかもがグレーだらけの中、なんとか梅の花が咲きはじめている。
行くものと来るものだ。


■2018-3/6

[野の編日誌]
娘の妊娠、臨月に入ったのこと。
不器用な親なりにも要請あれば緊急出動できるようケータイを肌身離さないようにし、ホットラインとする。
と、このタイミングで地域の組の大先輩の訃報、きょう明日不祝儀。
まさに行くものと来るものが、同じときにニアミスをする。
行くものと来るものは別々のものではない。
ひとつのものが身をよじって、影と光が瞬いている。


■2018-3/5

[野の編日誌]
熟慮:選択肢をリストアップし並べ、その中のどれを選ぶか、迷いなく決められるくらいによく考えること。


■2018-3/4

[野の編日誌]
野良仕事はおれにとって日課の体操であり、散歩、でもある。
有酸素運動、単純な耕しジョギングをする。
体をくたびれさせる。

抜根は、するべき時期を見計らって、いいときにする。
無酸素運動だし知恵が要る。
体がくたびれると知恵が鈍るので、ちょっと手をつけては行き詰まるとすぐにやめて、間をおく。
間に、アイデアが湧くか、方法が絞られるので決心ができる。

野良仕事は、特別に好きというのではない。
服の汚れを払う、絨毯の毛が逆立っているところを撫でる、ような、無意識的な、ついそうしてしまうような段階なんだとおもう、いまはまだ。
そうすることで、気持ちが落ち着く、ような。


■2018-3/3

[野の編日誌]
畑の南端に一日中日の当たらない区域、3×10メートルがあり、そこはまだ地面が凍っていた。
凍土だ。
「シベリア」区域とでも名付けようか。
「シベリア」に、「アマゾン」。
ミニ地球。
うちに多種多様な区域があることは、なんだかうれしい。
その凍土を使ってなにか、天然冷凍庫でもできんだろうか、と、貧乏性工作好きはつい考えてしまう。


■2018-3/2

[野の編日誌]
「アマゾン」で幅をきかせていた、ニセアカシア2本伐採。
ニセアカシアは成長早く枝にトゲトゲ、いいことなかった。
ごめん、おれには活かせんかった。
あと2本残ってるけど、ウィンチ用の支え棒として利用したあと、お陀仏予定。
「アマゾン」は植物のマンションのようなところで、まだ最上階をざっと散髪しただけ。
これからだんだん、下の階に降りていく。


■2018-3/1

[野の編日誌]
3月1日に言うのバカみたい、とおもいつつ言う「きょうから春」。

晩ご飯のおかずていねいに作っていたら、味見にビール加わり、そのまま「居酒屋ひとり」突入。
品書き、
「ウインナソーセージの灯油ストーブ長時間炒め」
「鶏胸肉小麦粉まぶし炒め」
「にんじん丸かじり」
「無具材かけそば」。


■2018-2/28

[野の編日誌]
藤の根(2メートル)を掘り起こしてみたら、「&」という文字に似ていた。


■2018-2/27

[野の編日誌]
冬以外の季節を忘れていた、そうか過ごしやすい季節もあるのか。
陽気良く、自然ばかりか自分まで奥底から開かれてくるような気分。
と、ともに、ここ3日連続で地域の訃報、町内放送にて。
過ごしやすい季節っていうのは、タダじゃないっていうことか。


■2018-2/26

[野の編日誌]
人間と植物では、動く速さが違う。
人間にとっての0.1秒は、植物にとって10分?、もっと?か、動きの速さが桁違いだ。
たとえば樹の胴に鋸の刃を入れて、それを動かしても、樹は逃げないのだ。
悲鳴をあげて、走って行ったりしない。
途中、作業を休んで食事したり、あるいは1週間ほど留守にしたとしても樹は逃げない。
だから、おれのような初心者でも大きい植物をおもい通りにすることができる。


■2018-2/25

[野の編日誌]
樹木の枝を落とした切り株が、まだあちこちに埋まっている。
少しづつ抜根してるが、全部だと、あと1年はかかるか。
この季節、ほとんどは若い枝を伸ばしはじめているが、中には枝を出さない切り株もある。
もう、成長をあきらめたんだろうか。
植物とはいえ自分都合の殺生は殺生、なんか申し訳ないような気もするが、あんまり申し訳ながるのも柄じゃないし。
せめて炭にして、また土に戻してやるから。


■2018-2/24

[野の編日誌]
シュロはとても成長が早く、繁殖力旺盛で、すぐに増える。
だからここでは制限指定。
きょう、おれと同じくらいの背丈の奴を抜根。
根が深くないので根元まわり10センチほど掘って、より不安定にしといて抱きつく。
相撲の要領で、相手にこちらの体重をかける。
前後左右、あらゆる方向にゆらしながら、倒れやすいほうに倒してやる。
倒れたら、根をバチヅルで断ち切って、完了。
見栄えが派手なわりに、抜根は楽。

シュロはタワシやほうきの材料にもなるらしい。
いま忙しいから今度ためしてみようか、「わたしのタワシ」。


■2018-2/23

[野の編日誌]
ツグミってジョウビタキほどかわいくないし、ジョウビタキを追い払ったりするのでやな奴だなっておもっていた。
が、どうやらおれの野良作業に興味があるようで、毎日のように遊びに来るので、おれも情が湧いてきたかもしれん。

ツグミが近くの樹にとまって鳴くとき、話しかけられているような気がする。
返答に口笛を吹くと、ツグミの顔がこちらに向くような気がする。
互いに違う世界のものどうし、の、とても不器用な、言葉じゃない意思疎通以前の、なにか。
かも。


■2018-2/22

[野の編日誌]
樹木の根は、意外なかたちが多い。
個性的、ていうか。
樹木自身は、ただ根の先端に当たるものに反応してるだけだって言うだろうけど。
地面の中は、土の硬さにむらがあったり、石があったり、先にほかの根があったりして、けして一様じゃないことは理解できるが、それにしてもひねくれて曲がりくねった盆栽みたいな、「風雪流れ旅」みたいなほうのが多い。
そうゆう、こいつ頑張ったな的根っこは、どうも捨てられん。


■2018-2/21

[野の編日誌]
「アマゾン」は、地面が違う。
まるで落ち葉だけで作られたような、これって堆肥じゃないのか。
そうとう長い間つみ重なった落ち葉が、自然に堆肥になったということか。
まーそれだけ手付かずだったと。
そうか、これがあの有名な堆肥か、だとすると粗末にできん。


■2018-2/20

[野の編日誌]
うちに「アマゾン」ていう区域がある。
ここを入手してすぐ、はじめてここに来たときにその植物の密林具合に感心して、おもわず「アマゾン」と呼んだことがはじまり。
敷地の北西の角、5メートル四方。
「アマゾン」は、いまも「アマゾン」で、ニセアカシア、南天、細い竹、つる性植物、シュロなどが、互いにもつれ合うようにしてよく茂っている。
ここの謎が解けなくて長いあいだホッタラカシにしてたのだが、きょうやっと「もつれ」の糸口ができたような気がする。
いままでの、ほかでの経験がこの謎解きに生きている気がする。


■2018-2/19

[野の編日誌]
ここでは作業の種類が多いので、ひとつのことにのめってられない。
社長が工場を巡回するように、ちょっと覗いては次に行く。
できるだけ、いましないといけないことをする。
そうすると、あっという間に日が暮れる。

いまは、つる性植物抜根月間。
どの植物もそうだが、根絶は無理。
去年よりマシになればいい。
相手はブリブリブリっこでそうとうしたたか、趣味の園芸のつもりでやってると、こっちがやられてしまう。


■2018-2/18

[野の編日誌]
厳寒期は、気温がいち日の行動基準だった。
てか、朝晩は寒くてふとんや机(暖房付き)から離れられなかった。
けども最近はようやくそれから解放されて、(わりと)あさ早くから日暮れまで動けるようになってきた。
夕方、畑をただボーとながめていることもある。
ただ、そうするとあれもこれもとやりたいことが格段に増えて、その膨大な量に立ちくらみする。
あーごめん、おれにゃ無理。
ノゾミスギナイ、ノゾミスギナイ。


■2018-2/17

[野の編日誌]
うちには、かつて石畳だったっぽいところもあることがわかってきた。
土に埋もれ、草におおわれてたからわからなかったけど、少しだけ覗いたようすからは、往時の素朴だが気品ある暮らしが見える気がする。
まるで、遺跡を発掘してるようだともおもう。
そんなに昔でもない、殿様でもない、田舎の庶民の遺跡。
その子孫でもなんでもない、縁もゆかりもないおれが、どうしてだかここを掘り起こし、それをツグミが見守っている。


■2018-2/16

[野の編日誌]
樹の根を地中からひっぱり出すときに樹を縛るロープは、強いことはもちろんだが柔らかさも必要だということがわかった。
柔らかいと樹肌に即して傷つけずに、しっかりと掴めるからだ。
強さと柔らかさ、はたして共存できるのか。
(いまのところ「ナイロン、金剛打ち」てのが、いい感じ。)
おれも、かくありたしかな。


■2018-2/15

[野の編日誌]
やっと冬があきらめて、つぎに季節を譲ったようだ。
きょうは、突然変異的に気温がはねあがった。
そう、春を待ち焦がれてはいても、春は春で激しいから無条件にいい季節だとは言えない。
ま、ともあれ冬をなんとかしのいだ。
野の編的、心情的に、きょうが立春だ。
おめでたう。


■2018-2/14

[野の編日誌]
「雲ひとつない」っていうのはたとえじゃない、ホントにあるんだ。
っていうような空。

https://www.youtube.com/watch?v=bsaWX02KCT8


■2018-2/13

[野の編日誌]
このごろ野良してると、小鳥(ツグミ、ジョウビタキ)が近くに来る。
土の中から出てくるミミズ目当て。
おなじ場所を長く掘っていると、何回も鳴いて自己主張してくる。
「モウイイカラ、ソコドイテ」とでも言いたいのか。
おれも鳥の口真似して、答える。
「ウルサイ、トッテ喰ウゾ」。

青空遠く、雲が先を急いでいる。


■2018-2/12

[野の編日誌]
きのうはあったかくて、久々に外作業で汗をかいた。
冬、のびのび運動できなくて、体なまったことも冬バテの原因か。
体がくたびれないと、悪循環がおきる。
「うごくたくうねる、だす」、「うごくたくうねる、だす」。


■2018-2/11

[野の編日誌]
土。
土を毎日触っていると、嫌になることもある。
土くさい?、なんて言うんだろう。
たとえば生肉がおいしい食材ではなく、生きものの内側の、気持ち悪いものに見えてしまうような。
まー土にくたびれる、とか、飽きるというようなことなんだろう。
土バテ?、やっぱり冬バテか。


■2018-2/10

[野の編日誌]
庭部の排水溝、発掘せり。
土や石に埋まって、雨水の排水がきちんとできてなかった。
もったいない。
ひとつの大きな謎、これで解消。
これを辿って庭部の排水系を整備することができる。

地面は所詮土の集まり、水流がよどめば土を流すし植物もはびこって土を崩す。
天災で瞬間的に壊れなかったとしても、日日、ミリ単位で、確実に壊れ続けている。
ひとは日日の手入れして、それを少しでも遅らせるしかない。


■2018-2/9

[野の編日誌]
慢性的にだらだらしてしまう。
冬バテ、かもしれん。
そのこと自体は悪いことじゃない、問題はこじらすこと。
あえて、ゆっくり、のんびりめに、過ごす。


■2018-2/8

[野の編日誌]
酒粕に豆乳を(だいたい同量)加えて練るときの硬さ、粘る感じが、うちの粘土質の土と似ている。


■2018-2/7

[野の編日誌]
石積みを、「ちょっと」直そうとしたらその石に触る樹の根が邪魔になり、根を土中に追いかけていくと古い水道管が横切っているから、じゃあ水道管どうしよう、っていうことしょっちゅう。
そうやって野の編迷路をぐるぐるめぐるのだが、2、3ヶ月たって振り返ってみると、そんなに無駄じゃなかったとおもう。
途中で飽きるというのも大事な要素で、飽きたらやめる。
短距離というより長距離、短編というより長編。
これからどうなるのか。
やってみないとわからない。


■2018-2/6

[野の編日誌]
樹の根っこや石を地面から掘り出そうとしても、簡単に掘り出せないで苦労することがある。
どおしてうまいこといかないんだーって、悩み螺旋に入りこんだりもする。
が。
落ち着いて考えたら、根っこや石が硬い地面に埋まっているとしても、地面成分の土は小さなスコップでさえほぐすことができる、はずである。
たとえどれだけ大きな根っこや石であろうと、手間暇かけたら掘り出せる、はずである。

やっぱりおれは、つ、つい、実態をじゃなく、自分が望むほう、楽観的なほうを見てしまうのか。
だめじゃん。
根っこや石どころじゃない、そういう自分の性分こそ掘り出さんと。


■2018-2/5

[野の編日誌]
洗濯機が直った。
分解しかけて、ようすをみたら直っていた。
故障の原因は、氷のかけらのつまりっぽい。
数日ぶりの洗濯、なんとか終了。

いっそ自分の部屋と洗濯、炊事する水場をくっつけて、まるごと暖房する、みたいなことをおもい浮かべたりする。
冬の厳寒がしのぎやすいように第一に考えて、古家リフォームするか。
そういうデータ収集の意味では、いい冬の体験だった。


■2018-2/4

[野の編日誌]
ここの土地に移ったばかりのときはそうでもなかったけど、いつしか、情も移ったようだ。
ここの土地は自分である。
ここの土地の具合が悪いところを治すと、まるで自分が治ったように気が晴れる。
いらない根っこが、途中で切れたりしないで、その先っぽまできれいに抜けると、それはまるで自分の患部がきれいに取れたような気持ちになる。


■2018-2/3

[野の編日誌]
陽気に恵まれ道路凍結免れ、買い出し外出でけた。
ただ土曜日のせいもあり、道路も店も人出多し。
とはいえ東京とは大違い、渋滞することはない。
機嫌よく帰宅後に洗濯はじめたが、途中水槽に水が溜められなくなって洗濯中止。
やっぱり洗濯機壊れたのか、もうあたり薄暗くなってたので、調べるのはあした。
目的半分叶い、半分届かず。
まーこんなもんか、でもきのうよりまし。


■2018-2/2

[野の編日誌]
きのうきよう、雪は降ったがそんなにマイナス気温じゃなかったので、外の洗濯機、解凍したかもしれんと試したら動いた。
おーよかった、冷えるときは洗濯機も水抜きをすると、はい勉強になりました。
壊れたんじゃなくてよかった。

また来週寒波到来とのこと。
寒波ごもりの買い出し、できればあした行きたいが、雪解け後の道路凍結状況が心配。

うちの地区のウィークポイントは、やっぱり冬だな。
1位、真冬。
2位、真夏。
去年よりは平静に過ごせてるが、まだ生命線に近い、油断ならん。


■2018-2/1

[野の編日誌]
樹の根っこを抜くにしても、ウィンチなどの機械よりも長い棒をテコとして使うと力の加減がわかりやすい。
長い棒は手に直につながって、根っこの感じがよく伝わってくる。
それは楽しい。
結果的に抜けなかったとしても、抜けにくさについてを知ることができる。
まったく未知で、未体験の、みえない地中の、深みについてのようすを伺うことができる。


■2018-1/31

[野の編日誌]
おれは高度経済成長期の子で、暮らしたのもだいたい市街区域だった。
おれが生きるにつれ経済も成長し、それを基盤にひとびとが住むこと暮らすことがシステム化されて、便利になった、「コンビニエンスシティ」。
ところが、どうだ。
おれは、樹の根っこを人力で抜いたり、石を動かしたりしてる。
こんなこと、「テコの実技」なんて誰にも習ってない。
土を耕すのはどうするかや、どうして植え替えたクローバーが育たないんだとか。
外に置いた洗濯機が凍って使えなくなったらどうすりゃいいんだ、あー。


■2018-1/30

[野の編日誌]
樹木の抜根、石の持ち上げ。
どちらも自分よりも大きい相手に、全身全力で立ち向かう感じ。
それでも叶わないことのほうが多く、次への宿題となる。
部屋に帰って、図を描いたり宙にイメージ映したりして考える。
呪われたように、寝るときも次の日もそれを考える。

ふとひらめくことがあり、それを実行していままでできなかったことができるようになることがある。
そのときはうれしいが、その気持ちはすぐに過ぎる。
次の根、石がある。


■2018-1/29

[野の編日誌]
ここしばらく寒波の金縛りで外出できなかったが、寒さ緩んだこのスキにと超久々町内温泉へ。
この陽気、温泉さぞ混んでいるかとおもいきやガラガラ、もうひとりと貸切状態。
あー。
どれだけ風呂に入りたかったか、冬山キャンプから降りてきたばかりのような、カラカラの干し大根を湯で戻したようなわが身、全細胞が喜んでいる。
冬の風呂て、ぬあんて贅沢な。


■2018-1/28

[野の編日誌]
冬は底を打った、とおもう。
きょう、きのうよりちょっとだけ気温が上がった。
体もそれを待ち望んでいたらしく、なんだか動きたがった。

体にも意思のようなものがあり、心の気持ちと少しズレることがある。
ズレるから、体にも意思のようなものがあることがわかる。


■2018-1/27

[野の編日誌]
いままで、地面にある30、40センチの石を動かそうという発想がなかった。
大石を動かすなんて簡単なことじゃないし、なにより見えなかった。
石が自分の意識の中に存在してなかった。

「石積み」ということに興味を持ってみると、うちの周りはぐるりと「石積み」だし、それはただのおしゃれデザインなんかじゃなく、物理的に「石積み」に支えられている。
うちの2箇所ほど大石が10、20とアトランダムにおいてある場所があり、それは、ただ石が散らかっているんじゃなかった。
「石積み」が、もうとっくに崩れているんだった。
そして、ほかにも3箇所「石積み」が崩れかけている。

きょう、石を動かす実験をした。
バールとチェーン、長い枝棒、ウィンチなど、おもいつくありったけの道具を使ってみる。
と、まー40センチの石ならひとりでもなんとか動かすことができるわかった。
と、「石」というものが、おれの中に入った。


■2018-1/26

[野の編日誌]
はじめ、土から飛び出てる細い根っこを楽に抜く方法がないかを試していた。
そしたら成り行き上もう少し太い根っこを先に抜くことになり、そして頭上の枝が邪魔になりその枝を切った。
それで少し太い根っこを土の中に追いかけていったら、こんどは土の中から30センチの大石が出てきた。
と、いう具合に脇道が次々と枝分かれしていき、作業があてどなく迂回、紆余曲折することが、よくある。


■2018-1/25

[野の編日誌]
「あるもので作る」。 個人がものを作るのに、まるでプロが作ったようになればいい、とはおもわない。
身の回りの道具を使って、素人の個人が作ったように見えてもまったくかまわない。
そういう見てくれじゃなく、使い勝手、使う人とものとの関係、ほかは関係ない、当人が満足してるか、納得してるかだ、ポイントは。
そのゲートをくぐると、もの作りは楽しくなる。

「あるもので作る」は、「行くべきところに行くこと」ではなく、「どこか行きたいところに行くこと」だ。


■2018-1/24

[野の編日誌]
きょうの最高気温が4度行かんらしい。
たしかに午後曇天と寒風で飛ぶ鳥も落ちそう。
この冬が、底を見せてきたか。

冬は寒いもの、もっと北に住む人おもいうかべ、心なだめる。


■2018-1/23

[野の編日誌]
それからけさにかけて雪が積もった。
「積もった」というのはおこがましい、湿気めのそれが5センチほど地表面に乗っかってる。
そして我慢できずにすぐ滴りだして、午後にかけて半分以上は水になった。

まー災難には至らんかったこと(うちの地区では)、なにより。
(おれが夏にアリを真上から覗いたように、天もおれを見とるのかもしれん。)
なんの文句がありませうか。
ただただ天の機嫌をうかがい、地面にへばりついておるのであります。


■2018-1/22

[野の編日誌]
大寒になり、ホントに段をひとつ上がるようにしてこれから寒波来襲らしい。
予報当初より早まり、きょう午後より雪降りはじめ、かつ夜のうちに積もるとのこと。
いったん積もれば、その後も低温が続きそうで、しばらく道路凍結の心配がある。
うちの車には、冬用タイヤもタイヤチェーンも支度がない。
それはまずい、ということでいまのうちにときょうは朝から買い出し。
灯油、食糧など、2週間分は仕入れた。
そいで帰着11時半、で、畑をうろついていると町内放送12時報とまったく同時に。
雪ひらが、舞いはじめた。

初雪だ。


■2018-1/21

[野の編日誌]
抜根や耕作に使う道具をよく見直してみる。
これらバチヅルや鍬は、かんたんに言うと棒だ。
棒をうまく使うとテコの原理が働いて、自力を何倍にも大きくしてくれる。
棒の先にとても硬い金属の刃がついているから、どれだけ動いても自分の生身を傷つけない。
いまさらながら、そういうとても素朴な道具の凄さに感心する。


■2018-1/20

[野の編日誌]
大寒。
刃先が細身の鍬を前から持っていながら、いまいち使い勝手よくなくあまり使ってなかった。
その細身鍬の柄を少し長めのと変えたら、俄然使い勝手抜群となった。
市販の鍬柄の標準長90センチに対して、105センチくらいがおれには合う。

バチヅル:土をほぐすというより、土の中の異物、樹木の根っことか大石を取り出すのにいい、力持ち。
平鍬:とても小ぶりで、開墾鍬に似ている。
3本爪鍬:名前通りフォーク状で、いちばん幅広。
細鍬:形はバチヅルに似てるが、とっても軽い。
と、うちの「耕し4兄弟」、当分はこれで行けそう。


■2018-1/19

[野の編日誌]
買いたての鍬をつい使いたくなり、やみくもに耕してみる。
こちらに来て、どうも身体に耕し感覚がしみついてる、耕すことが快感。
鍬との相性もよかったようだ。

鍬先を接点として、地面の土や植物と自分の身体が楽しげに会話している。
アイルランドの冬のやうな、全天曇天の日。


■2018-1/18

[野の編日誌]
バチヅルは、それ専用の柄を買って治した。
そのついでに、使い勝手よさげな鍬も買ってしまった。
土を耕すことがライフワークになりそうとおもったせいもある、いろいろ試さないと、って。

土は、先入観でおもってたよりは耕しにくい。
うちだけかもしれんが硬い、簡単にはほぐれない。
もっと土、性分の内側に入らないとうまくできない。

鍬は、彫刻刀に似ている。
彫刻家が素材のかたまりに刃を入れるようなことと、耕作は似ているとおもう。


■2018-1/17

[野の編日誌]
めずらしく雨、冷たい。
それに従い心的水中をもぐり、内向的に過ごす。
そうして、いろいろおもい巡るままにさせてみる。
糸をつなげてない凧のように、どこに行くのかみてみる。


■2018-1/16

[野の編日誌]
その日の予定をだいたい決めても、だんだんズレて予定通り行かないこともある。
あえて予定からズレたいこともある。
ズレて生じるすき間、すき間の向こうに決まりのない世界、白い広々した世界がみえる。
そういうものがあることがわかるだけでも、ホッとすることもある。
ときに息抜き、したいこともある。


■2018-1/15

[野の編日誌]
また、バチヅルの柄が折れた。
はい、たしかに調子こいてたけど、前よりは少ない力で折れた。
まえよりはショックが少ない、柄は折れるということだ。
そうか、柄は折れるのか、じゃ、折れやすい折れにくいとはどういうことか。
と、あらたな懸案のはじまり。


■2018-1/14

[野の編日誌]
敷地内の抜根してしまいたい樹木、すでに上だけ枝を落としてあるやつ。
太さは10センチ以下がほとんどだが、あと100本あるだろうか。
まーそんでも10センチ以下なら、気後れせずに立ち向かえるようになってきた。
おれのコツは小さい規模の、簡単そうなものからやって行くことだ。
あまりにも樹木についての初心者なので、実体験しながら学習も兼ねて結果的に抜けるというやりかた。
きゅうに太いのとか、順序ジャンプは心的負荷が大きい。
なにしろ先長いので、コツコツほちぼちと行きたい。


■2018-1/13

[野の編日誌]
直径10センチのクワの樹の根が、直径20センチだった。
ぶっとい根っこが地下で真横に曲がっているようすが、下半身たくましい女の太ももみたいだ。
この「太もも」を抜くのに、「骨が折れた」。

抜根励みし、この2、3日、可愛い見学者あり。
これハクセキレイとおもわれ、掘った土から出てくるミミズを所望のこと悟ったので、ミミズ入りの土くれを投げてやったところ、あんのじょう食せり。
2回ほど受け渡しに成功したが、こちらの心根伝わったのか、至近50センチまで寄ってくるようになった。
ただしおれは野生の餌付けは好かん、一期一会、また運がよけりゃ会おう。


■2018-1/12

[野の編日誌]
冬という季節を、よく見ながら過ごすようになった。
けさの室内気温マイナス3度、今季最低、でも朝方だけなので室内の水などは凍らない。
素人予測でピークは、マイナス5度。
冬は、冬としてたいへん正常に運行している。

うちの「ふとんシステム」、まーなんとか行けてるけど、わりとギリギリ。
暖房は電気系360ワットと、灯油ストーブ1.5リットル/1日の灯油量。
これら大きな変更なく、この冬は通せそう。
天気のいい日、外気温は10度まで上がるので、野良作業は快適にできる。
いまさら嫌だと言っても土地をチェンジできるわけじゃないが、まーいんじゃないだろうか。


■2018-1/11

[野の編日誌]
暮らしにおけるもろもろ、つい日日の惰性でそれを行ってしまい済ました気になりやすい。
そうゆうことについて、一考。
まーなんというか、「感じながら進む」とゆうことか。
あるいは「前提をリセットする」。
あるいは「調子に乗んなよ」。
と。


■2018-1/10

[野の編日誌]
バチヅルの柄、骨折事件。
ほかの鍬用の柄をバチヅル用にちょっと改造して、代用することができた。
柄の長さ、いままでは90センチだったが105センチと長くなったり、ちょびっと握りが太くなったりして具合変わったが、まーいい試してみよう。

自分にとても近い、身体の延長のような道具を自分で治せて、とてもうれしい。


■2018-1/9

[野の編日誌]
そりゃ冬だって、息切れすることがある。
生きものだから。
冬自身が休むこと、ホントの「冬休み」だ。
きょうはその日らしく、寒くない。
のでさっそく、まず温泉に行って、それから洗濯。
それから溜まってた食器も洗う。

こうやって、たまにでも冬が休んでくれると、ふだんできんこともできるが、はりつめてた気持ちもゆるんでずいぶん楽になる。
小休止、肝要なり。


■2018-1/8

[野の編日誌]
土を耕すのに、人によって使う道具はさまざまだとおもう。
ここの土と、おれという人間との相性では、「バチヅル」という道具がピッタリだと、何年も使いながらそう感じていた。
「バチヅル」は、ツルハシとクワの両方を兼ねた道具で、硬い土には、これじゃないと歯がたたない。
その「バチヅル」の柄が、折れた。
背丈1メートルのシュロを抜根してるときだ。
ショック。
こうゆう、愛着を持って慣れ親しんだ道具が壊れることは、わが身がそうなったように「痛い」。
すぐに気持ちが萎え、午前の作業停止。

うーん、しかたない。こうゆうこともあるんだ。
けっこう働いてくれた、許してやろう。


■2018-1/7

[野の編日誌]
「生きものクササ」。
植物を相手にしてると、ときにとても嫌なものにみえる、感じられることがあり、そのとき、たとえば吐きたくなるような。
それは植物だけじゃなく生きもの全般についてで、しかたがないんだろうなとおもう。
その嫌なものが、身を翻すと魅力にもなるようなことなんだろう。

嫌だーっておもっても、それをしないといけないとき、とりあえず時間をおく、寝かせる。
すると、時間が経った分だけなんだか感受性に耐性ができる。


■2018-1/6

[野の編日誌]
ツル植物は、端っこに生えたがる。
ツル植物の生存法として、端っこに行きたがるのか、人が気づきにくいから結果的に抜き取られずに端っこに残ってしまうのか、あるいはその両方か。
でも放ったらかしにしておくと、建物の隙間に入り込んで、建物を壊したりするからタチが悪い。
また、ほかの樹木をグルグル巻きにして、絞め殺してしまいもする。
あなどれないやっかいな奴なんだが、カゴの材料になるとか、なにか役に立てることができんか、いちおう考えてはいる。


■2018-1/5

[野の編日誌]
畑を離れて、ひさびさ母家まわりの草掃除。
笹竹や南天、シュロなんかはこの季節にもかかわらず、よく茂っている。
いまのうちに手立てを講じとかんといけんこと、確認。

はい、オチツイテオチツイテ。
シンコキュウ、深呼吸。


■2018-1/4

[野の編日誌]
正月落とし穴にしっかりとはまったころ、正月が明ける。
世の列車はもう動き出していて、いつもそれに乗り遅れる。
で、ずーとまた1年追われるんだ。
て愚痴りながら、こちらもなんとか活動開始。

畑のこと、地面のこと、建物各種、など全体眺めるに、まだ当分マイナス、片付けや掃除の範疇作業とおもわれる。
「いったいいつ、ゼロになるんだろう」、というのが年初の感想だ。
あらためて、「あきらめる」という呪文を唱えてみる。
「去年よりまし」でもいい。
旧式エンジンのプロペラ、とりあえず慣らし回転させてみる。


■2018-1/3

[野の編日誌]
きょうは、全日休み。
外にも出ない。
「きちんと」ダラダラする日。


■2018-1/2

[野の編日誌]
きょうは、あさからたまった洗濯しながらクズ枝燃やし。
そしたら午後はもうくたびれたので、冬バテひさびさ休日とする。


■2018-1/1

[野の編日誌]
あ”ー、新年になってしまったー。
とはいえ実質なにも変わらない、世の気分リセットだ。
うちのパソコンも、そろそろリセットしとくか。

組の新年会、お馴染みさんの顔が少しづつわかってきた。
会が終わり、「落合さん、ここにあるよ、ここにもあるよ。」と、お隣のSさん誘導してくれ、人の残した酒や茶菓子を持ち帰るのが恒例になってきた。
落合は飲んべえで、食べることにも飢えてることが、ちょっとづつバレてきたようだ。






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